芸予諸島と出雲の神門水海、村上水軍とスクナヒコナを結ぶもの |
フロイスが書いているように村上水軍は日本最大の海賊王だった。それは物流大動脈である瀬戸内海、その狭い難所である芸予諸島の水先案内を独占したことによる。積荷の1割を取る、渡さなければ略奪する、そういう海賊だった。
で、この芸予諸島を抜ける航路が狭い。
また、村上水軍は石山本願寺へ直接河川を遡って兵糧を届けようとしていた。
私は、出雲の神門水海とその奥の中海という海上交易インフラへの連想を逞しくしてしまった。
村上水軍は大小様々な船を編成したが、その大本は紀元前5世紀に呉の遺民が水軍とともに渡来したこと(志賀島の安曇氏)に遡るのではないかと思い当たる。芸予諸島に航路で繋がる呉(くれ)という地名も気になる。
村上水軍の大将の兜飾りが金色のホタテだった。干したホタテが高価な交易品だったのではなかろうか。そうでなければ、いくら海ゆかりといえどもシンボルにはしないだろう。
村上水軍はじめ瀬戸内海の海賊の歴史は古く、奈良時代に盛んになった物流に対する略奪を重税に苦しんだ民がしたことに由来する。
航路沿岸に住み巧みな航海術と船を持った民が、安曇氏のような中国水軍由来の様々な船と操船技術を継承していた民だった可能性がある。造船やそのための製鉄の技術も芸予諸島から西部の瀬戸内海沿岸に拠点が展開してもいる。紀元前4世紀には呉を滅ぼした越も滅ぼされその遺民を先に渡来して交易民になっていた元呉人が渡来させている。越の水軍関係者もいた筈だ。
出雲神話の国譲りが2世紀後半の倭国大乱に比定される。
中国系渡来人ともされるスクナヒコナと協力して大国主が国造りをしたのは、それ以前の弥生時代となる訳だが、スクナヒコナは中国文明を継承した呉や越の遺民を象徴していると考えて自然だ。
番組で村上水軍が協力して勢力を伸ばした毛利氏の版図が出て来て、山陰の出雲、島根半島を含んでいた。
芸予諸島から島根半島に至る領域は、青銅器の分布で九州と近畿に挟まれ独特の展開をするエリアでもある。つまり、南北の地域に支配主体の共通性なり連携性があったということである。
瀬戸内海諸島の黎明期も勉強したい。
と思ったらこんなサイトがあった。
http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=1&P_FLG1=2&P_FLG2=2&P_FLG3=1&P_FLG4=2
