さっそく備忘録(1)は、ケアマネの鈴木さん(父の通うデイセンターの方で母の相談にも乗ってもらってきている)への経過報告で役立ちました。
さらにいろいろな展開があり、これもまた
備忘録に記入しておいていずれ書面化することにしました。
<要旨>
父は、歯医者で上前歯を抜いた後、流動食を自分でスプーンですくって食べるようになり、拒食と脱力という最悪の状態を脱した。
脱力し自分で手足を動かそうとしないことには意志が働いていたとは思われるが、認知症の高齢者の場合、「できないこと」と「したくないこと」との境界的な状態というのがある。「身体的な感覚」と「精神的な感情」が密着しているということだが、それは健常者でもあることで、健常者の場合、意志によりコントロールできているのができないということだと思う。
今回の父の場合、母が関係するこんなことがあった。
入院時に母が「入れ歯はしてますか」と介護士から聞かれ「していません」と答えていた。ところが実際は下の入れ歯をしたまま2〜3年経過していた。介護士がそれと分かり外す。これを食事の際に入れ後に外してうがいをさせることになった。最初、母はなぜか上の入れ歯だと思い込み、入らないものを無理して押し込もうとし父が痛がった。それを見て私は、もしや下の入れ歯ではないかと思い、介護士に外したのは上下どちらかを確認するとやはり下だった。
この母が無理に下の入れ歯を上に入れようとゴリ押ししたり、「噛んでカチンとはめなさい」と無理をさせた時、残る前歯2本周辺の炎症が始まったようだ。介助で口にスプーンをもっていっても口をつぐんで拒食という反応も、グラつく前歯やその歯肉の痛みゆえのことだったようだ。
母の健忘や勘違いと、父がうまく説明できないことがあわさって、父の介助する者に対する防衛的な反応になっていたと考えられる。
歯の炎症を原因と推察し歯医者での抜歯に向かわせたはあとふるのドクターの経験知は素晴らしい。
これで点滴を外すことができ、自宅での介護や従来通りの介護施設の利用ができるようにはなった。
現在(1/27)は、入院理由の肺に水がたまったことと酸素吸収が悪いことは改善され、流動食後営養注射を併用していて、それが不要になり歩けるようになるのを待って入院中だ。
入院時、30だった脈拍は45になり、それ以上に高めることはペースメーカーによるしかないが、従来の生活に支障はないのでそれはしないというのが決めた方針だった。
こうした父の病状の経過のもと、私と関係各位とのやりとりの中で記録しておかねばならない選択や判断の紆余曲折があった。
(2)はその備忘として以下、時系列で記録する。
<これまでの経過>
1/22土曜
午前中、デイセンターを訪ねケアマネの鈴木さんとご相談ご質問をする。
それまでの経過は、備忘録(1)を事前にファクスして把握してもらっておいた上で、退院後、退院前より高まる介護の負担にどう対応するかについて、帰宅後の電話を含めて以下のような情報や判断を頂戴した。
◯特養は満杯で、要介護度が5でも子供が同居しているために待機し続けている人がいる。
仮に、私がアパートを借りて住民票を移せば、子供同居の条件がはずれ優先順位が上がるが、それでいつ入居できるかは分からない。基本的に待機者の情報は施設側がもっていて誰を優先するかの判断は施設側が総合的に判断するからだ。
◯現在、自宅近所で新設中の「十字の園」の新棟への入居を申し込んでいるが、退院して落ち着いたら責任者と面談を手配してもらい、総合的な判断をしやすくする。
◯たまたま来月2月に空きが老人保健施設の「伊東の杜」に出る。
老人保健施設は3ヶ月更新を繰り返して入居するもので、特養への申し込み中であることが有利となる。退院後、そちらに入れたらいいのではないか。
ただし、老人保健施設は投薬などの費用をもつため病状が重い入居者を嫌う。「伊東の杜」のケアマネは、父の心臓の弱まりを気にしているので、私が直接電話をかけて話し合うことにする。
電話で「伊東の杜」のケアマネから聞いた結論は以下だ。
◯老人保健施設では「病状が不安定」であると入居を受け入れられない。
父の場合、たとえば脈拍が45で安定し生活に支障がないとしてもダメで、ペースメーカー手術をして脈拍が60以上になり、かつ「病状の安定」を伊東市民病院の医師にお墨付きをもらわなくてはならない。
なお、こういう入居条件は特別養護老人ホームでも同じ、と言う。
◯では父が今後脈拍45のままだとすれば、どうしたら良いのかという問いに対して、そういう人は療養型病院がいい、と言う。
私は、これを聞いて、自宅近所で新設中の「十字の園」の新棟への入居を申し込んでいる件についても、父の脈拍が45では最終的に断られると予測した。
以上について鈴木さんに電話で報告すると、鈴木さんから以下の情報をもらった。
◯伊東市内の療養型病院は満杯だが、熱海や下田などに空きのある病院がある。
現在入院している状態から、自宅介護を経ないで直接転院する手続きをすればスムーズに入院できる。ただし、料金は高い。
来月に空きがでる老人保健施設への入居の話がふって湧いて、それはダメだが療養型病院への転院という話が出て来た訳だが、ここは冷静に現在と今後のことを大筋で以下のように考えた。
●退院後、前よりも介護負担が少なくなっている所もある。
たとえば、1/22時点では父は流動食を自分でスプーンで食べているが、入院前は母が家族と同じ食事を箸で口に運んでいたのに比べて楽になる。流動食化を小分けで簡単にできる製品がありすでに購入した。
入院前、父は日に何回となくトイレに向かい、その度に母が付き添い、何も出ないということを繰り返した。しかし歩行が覚束なければそれはなくなる。
入院前も、父は食事をいやがり、食べさせようとする母と諍いが絶えなかったが、今回の抜歯で痛みがなくなり、自分のリズムでゆっくり食べてもらえばそれもなくなり、母の心理的負担も少なくなる。
●退院後、歩行が覚束ないほぼ寝たきり状態の間は、オムツの交換などが従来よりも大変になりそうだ。
これについては鈴木さんから、オムツ交換の時間が習慣的に決まれば、それを介護するヘルパーの派遣を受けることができる、とアドバイスされた。
さらに、これまで月1回でしてきたショートステイを月2回にすれば、今回の入院後の母の心身の負担増を解消できるのではないか。
●結論として、
まずは退院後は自宅介護の実際をいろいろ工夫して様子見する。
可能な限り父を自宅で看取ることを目標に頑張り、限界が来る前に特別擁護老人ホームの「十字の園」や認知症対象のグループホームに入れれば入居させ、そうはできずに限界が来たら、その段階で療養型病院への入院や有料老人ホームへの入居を考える。
細かい話の備忘事項としては以下。
□退院当初は2階自室のベットで寝て、デスクで食事、隣接する広めのトイレを使う。
従来通り1階リビングで大型テレビをみたいという意欲が湧いてくれば、自力歩行の動機になるとの判断。
いきなりリビングの玄関付近を生活拠点に模様替えするという考えをしていたが、それはリハビリ機会をむしろ損なうと考え直した。
□階段の昇降を介助することが必要になる。
ウノ歯科への搬送で分かったが、階段を背負って上るのは可能で安全だが、降りるのが羽交い締めでやっとで危険だ。これについては、ホームセンターで大きなルームボックスをすでに購入。この蓋を椅子に固定してソリにするか、箱に父の上半身が入ればそれに入れ、ロープで階段上の丸柱を利用して安全に階下に降ろせるようにする。
□玄関前のポーチ階段については、デイセンターやショートステイへの通いの際、なるべく介助によって自力歩行をするように仕向ける。
これができないのであれば車椅子を利用するが、その際必要となるスロープはレンタル(月600円)する。
□食事の流動食化については、小分けで簡便にできる製品(ツインバードのチョッパー付きハンディブレンダーhttp://store.shopping.yahoo.co.jp/murauchi/4975058481612.html#ItemInfo)や、病院で使っていたのと同様のメラミン樹脂の食器や、副菜流動食を冷凍保存し電子レンジにかけられる食器、これら食器一式を母が容易に運べ父がこぼしても平気な深いプラスティック盆などすでに購入。
病院ではふつうの大きめスプーンを使っていたが、ダイソーで先がレンゲになっているスプーンを発見、この方が良いだろう。
1/26水曜午前
朝の食事介助の前、中村先生がいらしたので、これまでの施設入居からみの経過を報告して、私の父の介護方針の大筋についてお話ししてアドバイスを頂戴した。特に療養型病院は、医療施設の介護施設のケアマネさんは専門外ということがある。
すると意外なご意見を頂戴した。とても有意義だった。
その主旨は以下。
(1)「伊東の杜」のケアマネが
◯老人保健施設では「病状が不安定」であると入居を受け入れられない。 父の場合、たとえば脈拍が45で安定し生活に支障がないとしてもダメで、ペースメーカー手術をして脈拍が60以上になり、かつ「病状の安定」を伊東市民病院の医師にお墨付きをもらわなくてはならない。
なお、こういう入居条件は特別養護老人ホームでも同じ、と言う。
と言ったことについて、
「そんなことは聞いたことがない」
とおっしゃる。
介護施設に入っている老人の多くが「病状」を抱えている。
また、父が脈拍45で安定し介護生活に支障がない場合、「病状が安定している」と看做される。
もし、老人保健施設が父を受け入れるために、ペースメーカー手術をして心拍数60に調整し、「病状安定」のお墨付きを医者にもらうことを条件づけるとしたら「まったくの本末転倒」「伊東の杜の経営上の都合の可能性があるので、他をあたるのがよろしい」とのことだった。
(じつは、伊東の杜のショートステイを利用したことがある。
その際、車椅子利用をしているので、足が弱くなったり歩行意欲が薄れるので利用しないでくれと頼んだが、その次も車椅子で帰ってきた。理由を聞くと、父に「車椅子を使いますか」と尋ねたら「使う」と答えたからだという。当時、四分六で四ボケだった父に尋ねると「そんなことは言っていない」、まして自分から車椅子を頼んだことはない、という。そこで伊東の杜をやめて、十字の園にショートステイ先を変え、以後そうした事態は起こっていない。)
(なお、ペースメーカー手術は二泊三日程度の入院。
手術後は脈拍60以上に調整可能となるが、逆に心臓に負担をかけて寿命を身近くする可能性もある。
父の心臓の弱まりは老衰であり、老衰を早める可能性を入居条件にすることが本末転倒ということ。)
(2)療養型病院が伊東市内が満杯で、熱海や下田に空きがある、というのは、料金の安い病院が満杯で、高い病院に空きがあるということ。
空きがある療養型病院は、今入院中の父の状態でそのまま受け入れる、つまり転院できるとのこと。
私どもはそのつもりはないが、今後のいざという時の緊急避難先の一候補として覚えておく価値はありそうだ。
(*)母の目の手術入院が2月初めくらいであれば、その間くらいなら父の退院を先延ばしにできる、とのこと。
ただし、父の退院見込みは今のところ立っていず様子見中で、本来の退院時期がそれより先になるのか後になるのか分からない。
1/26水曜午後
帰宅して母に眼の手術入院の件はどうなったか聞くと、
伊東の芥川眼科は、すでに半月前から紹介状をすでに準備していて、はあとふるからの母の糖尿病関連の情報提供書類の到着を待っているが、送られてこない。
今朝、母がはあとふるに電話したら、事務方が「大高先生はすぐに書類を書いていたが、ファイルに挟まったままになっていた」ということだった。
どうも要領を得ないので私が事務方に連絡すると、いまだ投函されずだった。
午前中、同じはあとふるの中村先生が父の退院を伸ばして母の手術入院に協力してくださるという有り難いご厚意を頂戴している一方で、事務方が半月も情報提供書類を見失い今も投函を急がないことが判明。
急きょ、私がはあとふるにとってかえし、受付で情報提供書類を受け取り、伊東の芥川眼科に持って行くことにした。
私一人で芥川眼科に行き、情報提供書類と交換で紹介状をもらった。
紹介先は、国際医療福祉大学熱海病院の高野先生で、先生は週のうち月曜と水曜しかいらっしゃらないとのこと。
つまり、今日は水曜だから、熱海での事前診察を受けて入院日程を決めることができるのは来週月曜1/31ということになる。
父の入院中の2月はじめの母手術入院、という可能性はどうかと、国際医療福祉大学熱海病院に尋ねると、満床でそれは難しいのではないか、ただし様態が緊急を要する場合は対応する、ということだった。
はあとふるの情報提供書類の見失い半月、というのは痛かったが、大事には至らないと思われる。
次回の父のショートステイは、2月22〜25日の3泊4日で確定していて、母の手術入院が4泊5日で行き帰りに私が荷物運びをしなければならず、その間父を自宅で一人にできないので、このタイミングに合わせることはできない。
そこで、その次のショートステイを余裕を持って5泊6日で予約してもらおう。
まずは、来週月曜1/31母を熱海に連れて行き、事前診察の結果を受けて手術入院の日程を調整するしかない。
母の様態が緊急を要すれば2月初めの父が入院中、
そうでなければ熱海病院の満床の空き待ち状況と父のショートステイのタイミングを調整する、
ということになる。
とりあえずは、以上のことを中村先生にメモでご報告し、ケアマネの鈴木さんにファックスでご報告しよう。