『全ての小中学校の1階に老人ホームを作ります』を見て |
笑点の楽太郎さんのマニフェスト、
『全ての小中学校の1階に老人ホームを作ります』
の討論を見た。
私が注目したのは、「賛成派と反対派の思考パターンの違い」だった。
民放は一瞬一瞬の視聴率が高まるように演出され編集されているから、それが殊更に強調された感があるが、そもそも強調しうる思考パターンの違いがあったことは確かだった。
ご覧になっていない方は、
http://youtubeowaraitv.blog32.fc2.com/blog-entry-1098.html
↑こちらに録画があり、
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2009/03/nozawa22-7.html
↑こちらに詳しい記事があるのでご参照ください。
私が感じ取ったのは、おおよそこういう思考パターンの違いだった。
<賛成派>(笑点落語家3名ほか)
1)仮説実験検証主義
世の中やってみなければ分からないことの方が多い。
だから仮説を立てて実験して
良いところは伸ばして悪いところはカイゼンすればいい。
2)情緒尊重の目的創出志向(人間論的社会を前提)
情緒に照らして
より有意義な新しい目的を創出することが先ず大切。
そんな目的を達成するためにこそ手段は革新される。
3)加点主義
マイナス面はカイゼンする切っ掛けとして前向きに受け止める。
4)新規パラダイム(考え方の基本的枠組み)への転換志向
省庁縦割りの限界や矛盾を問題視。
受験勉強中心の知識偏重の科目別偏差値教育を問題視。
<反対派> (自民党議員3名ほか)
1)機能的合理性観念主義
物事は機能的合理性ですべて解決する。
機能的合理性は机上の知識の組み立てで追求できる。
機能的不合理が予測できる物事はやってもしょうがない。
2)機能尊重の手段整合志向(機械論的社会を前提)
機能に照らして
目的は自明であったり、すべて自明であるべきで、
それを達成する手段の整合性がすべてに優先される。
容易に「手段の自己目的化」を招いたり受け入れてしまう。
3)減点主義
マイナス面が少しでもあると全部ダメと後ろ向きに受け止める。
4)既存パラダイム(考え方の基本的枠組み)への執着志向
省庁縦割りの限界や矛盾を問題視しつつも容認。
受験勉強中心の知識偏重の科目別偏差値教育を前提とし、
その延長で社会の現象やそれへの対応を考える。
私がびっくりしたのは以下の2点だ。
1つは、
自民党議員が、文科省や厚労省の役人のレクチャー通りの発言をしたことは予想の範囲だった。
しかし、3人の内1人は、「校舎の一階は反対だが、学校校内のどこかにであれば賛成だ」と言って他2人の自民党議員と横並びしていたことだ。
これは、上記の思考パターンの対比の、加点主義の人であれば、賛成に回る理由なのである。
私は、減点主義の人は、自分の縄張りを仲間と守り、その縄張りの中での自分の保身を無意識的に優先する傾向があるのではないか、と感じた。
逆に、そういう傾向がある人が、減点主義をとって、よそ者を排除したり自分の優位性を保とうとする、ということか。
いま1つは、
性格のおっとりとしたやさしそうなお嬢さん、おそらく成績優秀な学級委員経験者であろう女子2名(中学生か?)が、
楽太郎案に対して、「現在の校舎ではバリアフリーになっていないから老人には危険だ」などの理由で反対した。
これは、上記の思考パターンの対比の、減点主義ほかの1)〜4)をすべて含む典型的な発言内容である。
自民党議員の発言内容がそうであってもまったく驚かないが、どこの親御さんがみても育ちの良さそうと思えるお嬢さんたちが、彼らと同じ思考パターンであることに愕然とした。
優等生の善意と、役人の官僚主義と、政府与党の議員が同じ思考パターンにあることに、そら恐ろしさを感じる。
私は、「コンセプト思考術」という研修講座で、
パラダイム転換発想による目的創出、仮説実験検証綜合を提唱してきた。
そこにこそ、「日本型集団独創」の美点的側面を活性させる対話とその場が生まれると考えている。
しかしここ20年の間に、世の中の体制は、
1)機能的合理性観念主義
2)機能尊重の手段整合志向(機械論的社会を前提)
3)減点主義
4)既存パラダイム(考え方の基本的枠組み)への執着志向
の思考パターンが蔓延し、
想像以上に硬直化してしまっていることを思い知った次第だ。
私の人生後半戦のライフワークは、
1)仮説実験検証主義
2)情緒尊重の目的創出志向(人間論的社会を前提)
3)加点主義
4)新規パラダイム(考え方の基本的枠組み)への転換志向
の思考パターンを活性化して、
日本の今、ここに、居合わせた人々が、新たな目的を掲げその達成に邁進する対話と独創を促進することだ
と明快になった。
補記)
W.Timothy Gallwey “The Inner Game of Tennis”
「バラの種を植えるとき、
種が小さいからといって‘根も茎もない’と批判したりはしないものです。
種に必要な肥料を施し、種としてふさわしい扱いをします。
初めて芽が出たとき、未熟とか発育不良だととがめることはありませんし、
つぼみができたときにはまだ咲かないと批判もしません。
我々は次々に起こる出来事の変化の前に驚嘆の思いで立ち、
植物の成長にあった世話をしてやるのです。」
私が発想ファシリテーションやブレインストーミングの基本としている言葉です。
話はかなり飛躍しますが、
2077年、日本は鎖国するってご存知ですか?
今夜たまたま見た映画「ベクシル 2077 日本鎖国」、
とてもひきつけられるフルCGアニメでした。
http://www.vexille.jp/
1)機能的合理性観念主義
2)機能尊重の手段整合志向
3)減点主義
4)既存パラダイム(考え方の基本的枠組み)への執着志向
そんな機械論的社会が放置されれば、
2077年の日本はほんとうにこのアニメのようになっているかも知れないと思いました。
見終わった後テレビにすると、
NHKの「あの人に会いたい」で加藤周一氏が、あたかも映画解説のようにこう話していた。
「専門分化が進んで
全体として人間的に行き先を
指示できる人がいない
人間らしさを
世界の中に再生させるために
何が敵なのか
理解することが大事」