<異人>論から発想ファシリテーター像を求める(1) |
<異人>とは何か、その定義
ジンメルはこのように定義している。
「遍歴の概念は、どのような空間からも自由であるという意味で、(特定の空間に縛りつけられた)定住の反対概念をなす。
このようなパースペクティブのもとで『異人』を社会的に眺めるなら、それは、遍歴と定住の両方の概念をあわせもつ、言わば両義的な在り方を示す」
著者、赤坂氏は、こう整理する。
「<遍歴=漂泊>と<土着=定住>との両義的なありかたをしめす人々、それがジンメルの<異人>である。
言葉をかえれば、<異人>とは、それ以上さすらいはしなものの、<漂泊>の自由を放棄したわけでもない潜在的な遍歴者である」
こう付言する。
「今日訪れきたり明日はかの地へと立ち去ってゆく存在・純粋な遍歴者は、当然<異人>のカテゴリーからははずされねばならない」
つまり、野口雨情作詞の歌「赤い靴」に出て来る女の子を連れて行った「いーじんさん」が、単に横浜に入港し出港する外国人であれば<異人>ではないことになる。
また、TBS系列の番組「世界ウルルン滞在記」でいろいろなところの家族にごやっかいになっては帰国してくる日本人タレントも、あちらの人々にとって<異人>ではない。
「ジンメルにとって、<異人>は集団の有機的な一員(筆者注:集団にオーソライズされた正規の構成員とは限らない)でありつつ、外部への志向や敵対といった逸脱性を内に孕む存在であった」
私は、フリーランスのプランナーであったりコンサルタントであったりするが、クライアント企業のアウトブレインや研修講師となることで生計を立てている。
案件ごとに社員とは異なる方式で雇用契約をしていることは、「集団の有機的な一員」ということだ。
また、既存パラダイムの枠内でしか思考しない一般的な社内の人間にはけっしてできないパラダイム転換志向の「コンセプト思考術」の研修をさせていただいたり、思い入れのある若い頃からの長いお取り引き先に対しては、ここ数年来、経営危機の予兆を感じ取って警鐘を鳴らしたりそれが表面化してからは、経営主流が志向しない起死回生策の提唱を続けてきている。経営主流からすれば私は「外部への志向や敵対といった逸脱性を内に孕む存在」であるに違いない。(ちなみに経営非主流とは経営主流とポリティカルに競合する相手であるから、私のノンポリティカルな意見は彼らの思惑とも異なる筈だ。)
つまり私という職業人の在り方自体が、相当程度<異人>であるらしい。
著者は、試みに英語辞典で<異人>=strangerのもつ意味群を調べている。
「第一群(集団の外部にある人)
見知らぬ人・他人・よその人・グループに属さぬ人・長いあいだ会っていない知人・外国人[古語]
第二群(集団の規範からはずれる人)
門外漢・しろうと・不慣れな人・アウトサイダー・第三者[法律用語]
第三群(あらたに集団を訪れた人)
客人・新来者・新参者・新生児[戯言]
ジンメルやシュッツの定義する<異人>が、こうした多義的な意味群のうちのごく一部をさすものであったことは、いうまでもない。
と同時に、空間的ないし場所的な限定をとりはらうとき、それら多種多様な<異人>たちはいずれも、遠/近・または<漂泊>/<定住>の両義的なありかたをしめす存在として把握することができる」
としている。
太字にした内容は、私が外部ブレインとして長いお取り引き先の仕事に参画した際、私が担っている意味合いである。
第一群の「よその人・グループに属さぬ人」は、フリーランスの外部ブレインということに他ならない。
第二群の「門外漢・しろうと・不慣れな人」は、私自身が私の知的リソースと捉え、ともすると取引先の専門家が私の知的リソース欠如とみなすことのある事柄である。本来的な顧客志向の知的活動において、送り手側の諸事情や専門知識の既成観念に制約されない「グレートアマチュアリズムの岡目八目」こそがパラダイム転換志向を触発する場合は多い。私の役割は、仕事に参画する人々のそうしたパラダイム転換発想をファシリテーションすることである。
しかし、あくまで送り手側の諸事情を踏まえる自分の立場と保身を優先して、自分の詳しい専門知識の枠内で発想思考したい、あるいはそれでイニシアティブを取りたいというエキスパートが常にいるものだ。彼らは「門外漢・しろうと・不慣れな人」の知的リソースなど決して認めない。
第三群の「客人」は、外部ブレインには、社員でもできることをより安い時間単価で代行する「下請け・ご用聞き」と、社員でできないことを依頼され高い時間単価で代行する「真正ブレイン」がいて、私を雇い入れた責任者は私を後者とみなしている、つまり「わざわざ来てもらった人=客人」ということだ。
しかし同時に社員には、私のような外部ブレインを雇い入れたこと自体に難色を示す方もいる。彼らは私を「真正ブレイン」とはみなしたくないから、彼らにとって私は「わざわざ来てもらったが、早々にお引き取り願うべき人=客人」ということでもある。
アメリカ人のフリーランスの外部ブレインも、私と同様の経験をしてはそれを「stranger」ゆえのことと納得しているのだろう。
このような実体験のある私には、
自らの意志をもって<異人>になる選択をした者と、
自らの意志ではなく不可抗力にあるいは他の選択肢がなくて<異人>になった者とでは、
大きな隔たりがあるという確信がある。
無論、このような話は近代以降の個人という主体が誕生し、かつ職業選択の自由のある環境での話だが。
これから著者の<異人>概念の精緻な定義を検討していくが、この確信を踏まえて常に現代の私の体験と具体的に照らしてみたい。
著者はこう続ける。
「わたしたちが<異人>というカテゴリーに包括したいとかんがえる人々を、共同体の外部との<交通>の視覚から、<漂泊>と<定住>の形式によって分類するならば、以下のような種別がたてられるだろう。
①一時的に交渉をもつ漂泊民
サンカ・遊牧民・浮浪民・日本中世の遊行聖・遍歴職人・土着以前の行商人・遊女(うかれめ)・小屋掛けの芝居一座・遍歴乞食など
(筆者注:サンカ=山窩とは、川筋伝いに村から村へと渡り歩き、主に蓑つくり、笊(ザル)つくりなど竹を主原料とする製品を作り、農家で穀物と交換する、といったことで生計を支える、関東以南から九州までをテリトリーとする漂白集団。徹底的な秘密集団組織で、外部の者にはけっして自分たちのことを話さず、特殊な隠語を用いて話し、他の仲間への連絡には、特別の符合で書かれたアブリ出しを地面に埋めるなどした。その結束は固く、独自の行政・裁判法をもち、一般の倭人とは異なる習慣、信仰、伝承を維持し、しっかりとした相互扶助システムをもって全体の生活を安定させた。戸籍を持たず、昭和期に至ってもなお届出を行わない者たちが多かった。いわば、国家の中にあって国家権力の枠外にある、完璧に自立した漂白共同自活集団。)
②定住民でありつつ一時的に他集団を訪れる来訪者
行商人・旅人・巡礼・赴任先の学校教師・海外派遣の商社マンや宣教師・疎開地の都会ッ子など
(筆者注:クライアント企業にとって研修講師としての私はこれだ。また、事務機の営業マンやメンテナンス要員などもこれだ。「赤い靴」は実話で、「いーじんさん」は宣教師だったそうだから、野口雨情は<異人>イコール単なる外国人としたのではなく、この来訪定住者のニュアンスをもたせていたのかも知れない。)
③永続的な定着を志向する移住者
移民・亡命者・他部落からの婚入者・嫁・養子・継子・継母・地域社会への転入者・転校生・閉鎖的なクラブへの入会者・新生児など
(中略)
<漂泊>と<定住>という対概念を、たんなる物理空間的な関係の位相からのみとらえてはならない。(中略)
秩序の周縁というマージナルな場所は、外部にたいしては内側・内部にたいしては外側を意味しており、遠/近・または<漂泊>/<定住>の両義性にひたされた空間といえる。境界的(マージナル)な領域に生きる人々が、往々にして潜在的な遍歴者の相貌を呈するのは、むろんそのためである。(中略)
④秩序の周縁部に位置づけられたマージナル・マン
狂人・精神病者・身体障害者・非行少年・犯罪者・変人・怠け者(労働忌避者ないし不適格者)・兵役忌避者・売春婦・性倒錯者・病人・アウトサイダー・異教信仰者・独身者・未亡人・孤児など
(筆者注:現代日本で社会問題になった援助交際やニートそして非婚者はこれだし、オタクもアキバ系サブカルチャーが世界的人気を誇って市民権をえるまではこれに位置づけられていた。)
(中略)
⑤外なる世界からの帰郷者
帰国する長期海外滞在者・故郷へかえる出稼ぎ者・復員兵・海外帰国子女・”帰国後のロビンソンクルーソー”・発見された旧日本兵など
(筆者注:留学経験者や海外MBA取得者はこれで、一般の人々の根強い憧れは集合無意識的な何か意味しているのだろう。)
⑥境外の民としてのバルバロス(筆者注:自分たちに通じない言語を話す野蛮な未開人のこと)
未開人・野蛮人・エゾ・アイヌ・土蜘蛛・隼人・山人・鬼・河童など
帰郷者は共同体の外なる世界を体験しているために、共同体の内部に定住する人々にとっては、ある種のズレないし異和の雰囲気を漂わせる存在である。(筆者注:この雰囲気は、帰郷者が発するというよりも共同体の構成員との合作と言うべきだろう。宇宙船に拉致されて帰還したとされる一般市民の醸し出す雰囲気が、じつはそれと知らされた人々の先入観やそれに本人が無自覚的に応じてしまった結果であったりするように。)(中略)
ジンメルとシュッツがともに<異人>のカテゴリーから除外したバルバロスをも、<異人>とみなすことには、多くの検討を要する問題が含まれている。
それはむしろ、”遠近の彼岸”(ジンメル)を浮遊する生物であり、ほとんどの場合、怪物・野獣または超自然的な存在として想像上の所産でしかない。にもかかわらず、遠野の里人たちが山棲みの人々やサンカなどとの遭遇体験や風聞・言い伝えのたぐいをもとに、山人・山姥・山童といった幻想を織りあげ、しかもそれを現実的な生々しいイメージとして体験していたことを想えば、バルバロス(山人もその一種とかんがえたい)を<異人>の範域からのぞくことは、かならずしも適切ではない。
<異人>表象はつねに、想像的なものと現実的なものとがあいまいに溶け合う、危うい場所を舞台にくりひろげられる。
表象レベルからとらえるかぎり、バルバロスを広義の<異人>の一類型とかんがえることは許されるにちがいない」
ここで、私の関心事についての二つの直観に触れておきたい。
一つは、すでに述べた「自らの意志をもって<異人>になる選択をした者と、自らの意志ではなく不可抗力にあるいは他の選択肢がなくて<異人>になった者とは、大きな隔たりがあるという確信」に関わることである。
自由意志で何かを選択しうる個人が誕生した近代以降に話を限るとしても、意志の中核にあるべきアイデンティティが他者や周囲との相対的関係で決定されるという捉え方もあり無視できない。
たとえば最も「自らの意志をもって<異人>になる選択をした者」らしい来訪者「商社マン」を例に考えてみよう。
商社マンになったのは自由意志による選択でも、長い海外赴任命令に応じ続けたのは不可抗力だったということがある。海外赴任を夢見て商社に入ったという人もいるだろうが、会社が決める赴任先で待ち受けている<異人>体験がいかなるものになるか分かっていた筈はない。
つまり、「よほど未知なる体験への好奇心を強く抱き続ける者」以外は、「自らの意志をもって<異人>になる選択をした者」とは言えない、と思うのだ。
そして「よほど未知なる体験への好奇心を強く抱き続ける者」とは、著者が上げた<異人>群のうち、「自らの意志をもって<異人>になる選択をした者」と最も言えそうな来訪者の中でも、商社マンや赴任教師のように行き先を他者に決められてしまうことのない、また巡礼者のように行き先がそもそも決まっている訳ではない「旅人」だけということになる。旅人とは、漂泊民や来訪者のように旅を手段とする人ではなく、目的とする人のことである。
(帰郷者は、帰郷することが自由意志であったとしても、行き先は自分の郷里と決まっていて、「よほど未知なる体験への好奇心を強く抱き続ける者」とは言えない。)
ところが、「旅人」はまさに「今日訪れきたり明日はかの地へと立ち去ってゆく存在・純粋な遍歴者」であり、「当然<異人>のカテゴリーからははずされねばならない」とする著者の主張と矛盾する。
そこで思い起こすべきは、「空間的ないし場所的な限定をとりはらう」「<漂泊>と<定住>という対概念を、たんなる物理空間的な関係の位相からのみとらえてはならない」という著者の主張である。
つまり、「空間的な旅人」ではなく「時間的な旅人」、もっと言えば「知の旅人」「夢想の旅人」を捉えるべきなのだ。
たとえば、カストロもゲバラも革命家だが、「知の旅人」「夢想の旅人」を本領とした革命家はゲバラだ。維新の志士の中では、「知の旅人」「夢想の旅人」を本領としたのは坂本龍馬だろう。家康に対するところの信長も、この対比で捉えることができる。
以上をエロス系とすればタナトス系の代表はヒットラー、ポルポトといったところか。
創造あるいは破壊において彼らは間違いなく不可欠のキーマンであった。
私は本論シリーズで、「パラダイム転換志向の発想ファシリテーター」という人間像を、<異人>論から求めて行こうと思う。
それは、<異人>一般論からだけでは無理で、<異人>群の中でも「自らの意志をもって<異人>になる選択をした者」、「よほど未知なる体験への好奇心を強く抱き続ける者」から得られる人間像がその中核をなすと直観する。
無論、これは善悪の彼岸にある、古今東西に存在したある役回りの人間像である。
これも私の直観に過ぎないが、「パラダイム転換志向の発想ファシリテーター」は、けっして近代以降に生まれた個人的な人間像ではない。むしろ古い古い時代の集団的な人間像であったり、原初的には人類普遍の「部族人的な心性」に組み込まれていた創造性であったのではないかと思う。
私は、本書「異人論序説」を手にした時、この本は私のこうした直観を具体的な理解へと導いてくれるのではないかと感じたのだった。
いま一つの直観は、著者の述べた「<異人>表象はつねに、想像的なものと現実的なものとがあいまいに溶け合う、危うい場所を舞台にくりひろげられる」ということについてである。
私は30歳前後の時に、当時「ニューメディア」というコミュニケーション手段の初期的ハイテク化の流れの中で、ビジネス用映像機器のシステム設計販売の業界にマーケティング・コミュニケーション理論やディスプレイ・コミュニケーション理論を導入するという、今では当たり前のことを業界門外漢の若造ながらさせて戴いて、業界紙で「ニューメディア界の新人類」と呼ばれるなんてことがあった。
当時の私としては、この業界はずいぶんとオーバーな表現をするものだなあ、と思った。映像機器のシステム設計販売という業界には門外漢だった私だが、商業ビルや店舗や博物館などディスプレイ空間は専門だった。そこで活用していた理論を空間と相乗効果すべき映像システムということで提唱したに過ぎなかった。
しかし、物事は、誰が何を言ったかではなく、それがどのような場でどのような人々にどのように受け止められたかで大きく動いて行く。
もう順序は忘れてしまったが、日経新聞主催の店舗総合見本市に「店舗映像化」のジャンルを設けて、ビクターやパイオニアの協賛をえてテーマゾーンをプロデュースし、基本的体系論の基調講演をして、広告業界と店舗業界の雑誌に寄稿し、ビクターの何周年かの記念講演で講演をし、パイオニアの業務用レーザーディスクの外部ブレインに名立たる大学教授らとともに抜擢された。そして、BGVに注力しようとしていたBGM業界の東京と大阪の企業と顧問契約を結んだりした。
フリーランスになって23年、当時の若造の実力を知る私自身が言うのだから確かだ。
「物事は、誰が何を言ったかではなく、それがどのような場でどのような人々にどのように受け止められたかで大きく動いて行く」。
電波新聞に「新人類」と評されたのはこうした背景だ。
今にして思うと、「新人類」とは、イコール<異人>である。
「<異人>表象はつねに、想像的なものと現実的なものとがあいまいに溶け合う、危うい場所を舞台にくりひろげられる」
ということを、まさに私は体験したのだ。
そして、フリーランスの外部ブレインである私は、同様の事態を幾度となく、想定外の良い展開でも、そして想定外の悪い展開でも経験してきた。
関係としての異人・異人としての関係
著者は本書で繰り返し念を押している。
「<異人>とは実体概念ではなく、すぐれて関係概念である。
<異人>表象=産出の場にあらわれるものは、実体としての<異人>ではなく関係としての<異人>、さらにいって、<異人>としての関係である。
ある種の社会的な関係の軋み、もしくはそこに生じる影が<異人>である、といってもよい」
そして序章では、前掲の著者ならではの<異人>の定義をした後でこう述べている。
「関係としての<異人>・または<異人>としての関係の考察は、その社会の根底にあってささえている隠蔽された制度を顕在化させることへとみちびく。
みえざる制度(筆者注:共同体の「支配的な物語」を支えるパラダイムでもある)は、社会の内側から異和性・逸脱性をおびたものを摘出し、秩序のかたなへと、祀り棄てることを主たる役割とする。制度とはいわば、あらゆる社会秩序が秩序としての同一性(アイデンティティ)をたもつために不断にくりかえす、不可視の振子運動である。
表層から隠され、内面化された供犠、あるいは秩序(筆者注:共同体の「もう一つの物語」を支える抑圧されてきたパラダイム)がコスモスゆえにたえず<異人>を排除しつづけねばならぬ、その宿命自体を制度と称することもできる」
「社会集団にはそれぞれ、固有の私的なコード(=規範)が内在化されている。その私的コードを理解し共有する者だけが、秩序の構成員としての資格を獲得し、外集団にたいして内集団(われわれ集団)を形成することができる。
かれらはみずからの内集団への帰属を確認するために、すなわち社会的アイデンティティをいっそう堅固なものとするために、秩序の周縁部に、否定的アイデンティティを体現する他者を必要とする。
内集団の私的コードから洩れた、あるいは排斥された諸要素(属性)である否定的アイデンティティを具現している他者こそが、その社会秩序にとっての<異人>である。<異人>とはだから、存在的に異質かつ奇異なものである、ともいえる」
異質かつ奇異なものであった私は、時に幸運をもたらす「まれびと」として歓迎され、時に内集団の秩序を乱すだけの「よそ者」として敬遠された。
私は四半世紀になろうとする実体験を通じて、それはフリーランスの外部ブレインとして甘受すべき仕事の一部だと受け止めてきた。
しかし、それは文化人類学的な普遍性をもったある役回りに共通した現象であったのだ。
つまり、<異人>である。
そして世界的な優良企業は、社員に他部門との恊働やアンダーテーブル活動を義務づけるなどして、独創性に繋がる<異人>性を温存させたり、外部ブレインの活用や異業種パートナーとの恊働などを積極的にさせて、知識創造触発者である<異人>との知的交易を常態化していることに思い当たった。
それは映画や出版、広告やデザインやファッションなどコンテンツ系の業界では一般的な当たり前のことだが、現代の家電メーカーに照らせば、凡庸な企業や経営者にはできない、いわば神業である。
しかしその神業(私が「信長志向の集団独創」とするもの)が、戦後復興期からバブル崩壊までの日本の企業社会において、多くの家電メーカーも含めて一般化していた。
そんなことが可能だったのは、おそらく高度成長期までは、企業人一般が一丸となって日本を復興させようとする運命共同体意識が旺盛だったためだろう。オイルショック以降のバブルまでの豊熟消費期は、終身雇用という企業内セーフティネットによって企業人一人ひとりに気持ちとお金の余裕が十二分にあったためだろう。
いずれにせよそれは、日本の歴史において例外的な時節であり、同じ時節でも企業社会に限った例外的な現象であったと考えられる。
なぜなら、古今東西の歴史を通じて<異人>を排除することこそが一般的な制度であり、一般的な人々の感情であったからだ。官僚社会や学校社会、そして地域社会もその例に洩れない。
戦後日本の例外的な時節、企業の優れた創業者や中興者や彼らを支え盛り立てた多くの先達がよく耕し残してくれた美田として、この神業は企業の風土となり体質となっていた。
しかし、バブル崩壊後の長引く平成不況、いわゆる「空白の10年」あるいは15年の間に、ごく一部の優良企業を除いてこの美田はその価値を顧みられず解明されないまま現代化されることなく打ち捨てられてしまった。
まったく短絡的な「日本的経営の全否定」が行われてしまったのだ。
そして問題を深刻化したのは、その際に「日本的経営の申し子」とレッテル張りをされた多くの企業人が、排除されるべき<異人>表象とされたことである。彼らは空間的に「窓際」という周縁に追いやられ、時間的には「リストラ予備軍」という境界に位置づけられた。家庭ではそんな父の後ろ姿を見て今の若い企業人たちが子供時代を送った。
実際にリストラが行われたことよりも、それに至る様々な様相を体感した若い企業人や子供たちに、企業社会という時空についての認識をある方向で決定づけたことの方が影響大だった。今の現場で責任ある立場にある企業人も自己抑圧的な形でその影響下にあるし、それは今後まったく新たに創造的な就労時空が具体化されない限り続く。
「あらゆる共同体、または人間の形造るすべての社会集団は、共同性の位相からながめるならば、こうした<異人>表象=産出、そして内面化された供犠としての制度によって制御(コントロール)されている、とかんがえられる。
たえまなしに再生・反復される共同性の深部には、ただひとつの例外もなく、社会・文化装置(メカニズム)として<異人>という名の”排除の構造”が埋め込まれ、しかも、同時にその存在自体がたくみに秘め隠されている」
「<異人>は内部と外部のはざま、それゆえに境界にたつ。
この、境界をつかさどる<聖>なる司祭はまた、<聖>なる生け贄である」
ちなみに、
「ニューメディア界の新人類」と評された若造の私は「<聖>なる司祭」だったのであり、
「窓際」に追いやられた「リストラ予備軍」は「<聖>なる生け贄」だったのである。
思えば、若造の私が活躍した見本市、それもテーマゾーンというその中心や、企業の何周年かの記念講演は祝祭の場であった。そこでは、古い知識が葬られ、新しい知識が奉納された。プロデューサーや講演者はその司祭だった。
「リストラ予備軍」を「窓際」という周縁に追いやる当時のリストラ手法は、現在と比較すれば明らかだがリストラ促進策としてはとても非効率である。むしろオフィスフロアの中心にいる排除されない社員に、排除されないための規範を知らしめる効果が絶大だったのだ。窓際族は、新しい規範をもつ新しい組織への再生のために捧げられた生け贄だった。
言うまでもないことだが、「ニューメディア」という言葉が死語になっている今、「ニューメディア界の新人類」と評されたことは今の私になんらご利益はない。むしろかつての私を知りその後の私を知らない人が私を見掛けたら、「Web2.0の時代にまだあんな人が仕事しているのか」と言うだろう。私は、クルマの新車開発やコンビニの新業態開発、コンビニのITサービス開発、事務機絡みの知識創造、研修絡みの知識創造場の模索と活動領域を遍歴してきたのだが、もしあのまま「ニューメディア業界」内にとどまっていたらインターネットの大波に業界もろとも押し流されて、私自身が最初にお払い箱になっていたことだろう。実際、そういうコンサルタントも大学教授もいた。
つまり、「<聖>なる司祭」はいずれは「<聖>なる生け贄」に転換されてしまうのだ。
「あらゆる(筆者注:空間的および時間的な)境界は供犠の所産であり、<異人>はその供犠の庭に招(お)ぎ寄せられささげられる生け贄である。
未分化な連続体としての世界のどこか一点に、生け贄がたてられ、供犠の暴力によって破壊される。この犠牲の死とともに連続体に生じた裂けめ(=境界)は、世界を内部/外部ないしわれら/かれら(筆者注:新知識をもったわれら/旧知識しかもたないかれら)に分割する。
<異人>の(筆者注:創出と)排除、それゆえ供犠とはこうして、たえざる境界更新のメカニズムとなる」
フリーランスの外部ブレインが<異人>だとして、<異人>として食い扶持をえていくためには、「たえざる境界更新のメカニズム」に流されることなく、むしろ自らたえざる境界更新をしていくしかなかった。そして前述のような業界とテーマの遍歴をした訳だが、それを私は分かってしていた訳ではない。私が根っからの「よほど未知なる体験への好奇心を強く抱き続ける者」だったことと、たまたままの人との出会いや相談や依頼という偶然において、パラダイム転換発想をしその成果が相手の業界やテーマにおける境界更新を起こす可能性のあるアイデアとなり、それが受け入れられれば<聖>なる司祭になり、受け入れられなければ<聖>なる生け贄になるのであった。
「<異人>とはまた、スタティックな静止した関係ではなく、不断に再生・反復されてゆく運動する関係である。
運動としての<異人>・または<異人>としての運動。
ジンメルの<漂泊>と<定住>との両義的なありかたをしめす人々、という<異人>の定義を想起してもよい。そこでも、<異人>はひとつの運動である」
著者は、序章の最後にこんなことを述べている。
それは、フリーランスの外部ブレインが<異人>として食べて行くには、特定分野の専門家として特定業界の特定テーマを追うことでは早晩生け贄として消費されてしまうから、私はたえざる境界更新を、自分自身について、そして縁あった他者の属する業界と関わるテーマについてしていくしかなかった、つまりはパラダイム転換志向を自ら実践するしかなかった、そんな経緯を的確に表現している。
「今村仁司がこんなふうにのべている、-----
"どのような組織にも、分離され孤立化されうる項ないし極には還元できない存在者が存在する。それがファルマコンであり第三項である。
どんな組織体も、それ自体で存立し運動しうるためには、必ずファルマコン的存在者を産出する。組織体が組織体自身になるためには、ファルマコン=第三項を排除することを通して、組織体の自体(アウトス)を産出する。組織体の自体の形成とファルマコン=第三項の形成とは同時的である。”(『排除の構造』)」
「つねに・すでに<異人>は両義的である。
ジャック・デリダが、ファルマコン=<異人>の両義性についてこうのべている。
”ファルマコンが『両義的』であるのは、対立項が互いに対立する場(ミリュー)をつくりあげ、対立項を互いに結びつけ、それらを転倒し、互いに移行させる(魂/身体、善/悪、内/外、記憶/忘却、パロール/エクリチュール、等々)運動と遊戯をつくりあげるからである」
「支配的な物語」において問題が生じている時、既存パラダイムにおいて問題解決が図られる。
つねに・すでに私の関心の中心はそこには無かった。
問題を生じせしめないような「もう一つの物語」、新規パラダイムがある筈だと直観し、たまたま関わった人々とともにそれを紡ぎ出すことに、つねに・すでに私の関心の中心があった。
そして、「もう一つの物語」が受け入れられ従来の「支配的な物語」が廃棄される時、問題は解消しはじめる。私は司祭として問題解消を促進した。
そして、「もう一つの物語」が受け入れられず従来の「支配的な物語」がその頑さをなおいっそう増した時、問題は深刻化した。そのストレスもぶつけられる形で私は生け贄として排除された。
私の生業はその繰り返しという、運動であり遊戯であった。
ちなみに、今の私の運動は、経営危機に直面している長い取引先企業に、複数デバイス連携つまりは事業部恊働で異業種パートナー企業に「新型市場を共創する場づくり」を持ちかけようとするものだ。
これは、事業部分断経営を進めてきた、今のところの好採算部門の事業部幹部=経営主流にも評判が悪いが、先細り不採算部門の事業部幹部=経営非主流にも評判が悪い。
彼らは自分たちの慣れ親しんだやり方、しかも自分たちだけでできるやり方、つまりイニシアティブをとることに自負と保身をかけている。異業種との恊働というと、相手を下請けにするか、こちらがOEMをつくる下請けになるかの<上下関係>には抵抗ないが、<対等関係>で共同ならではの新しいやり方を模索するとなると、自分たち個人の能力が活かせてイニシアティブをとれる保証がない、だから二の足を踏むのである。
こうした限界的な態度能力のありようは、経営主流も非主流も同じであり、彼らは結局私や私と同じ社員有志の意見に反論することなくただただやり過ごして来た。
結局、冷静に過去から現在を俯瞰すれば、事業部門同士が相互不干渉と自己責任とを暗黙の了解として恊働することをけっして積極的に検討しないできた結果が経営危機なのである。
また、「選択と集中」の論で正当化して非採算部門を分断状態のまま切り捨てるリストラだけに終始する経緯が、全社的に有効な起死回生策を練るにも練れない状態にさせている。
つまり、経営危機も、起死回生策が出ないのも、ただただ事業部幹部たち個人の自負と保身をめぐるポリティクスの反映なのである。
これが秘められた制度であり、全社的にも事業部門的にもレッドオーシャン市場に埋没するだけで何らビジネス的戦略性のない「支配的な物語」を紡ぎ出し続けている。
自分はたまたまこの事業部門に配属されただけだ、という気持ちで、まだまだ健全なる企業家精神を温存し会社の全体最適を展望する若手社員ほど、精緻にロジカルである。新入社員ほど創造的な<異人>性を保っている。(この点、IYグループの鈴木敏文会長が「◯◯のプロにはなるな」と訓示していることは示唆的である。)
彼らは、アップル社のブルーオーシャン戦略を顧みるまでもなく、複数デバイスをネットワークして生活してきた実感から、私の複数デバイス連携で、オンウェブ・サービスやコンテンツの面で有望異業種パートナーと恊働して「新型市場を創出する」の論を常識として了解している。
これが「もう一つの物語」であるが、それを紡ぎ出す体制がないのである。
「もう一つの物語」を常識視する若手社員だが、あまりの経営幹部の頑さと狭量さに自社の命運に期待が持てないでいる。
私は、「もう一つの物語」を提唱しそれを紡ぎ出す体制づくりの具体的なアイデアを提案し続けてきたが、それは何を言ってもリスクのない部外者だからできることだ。
しかし、まったくの部外者かというとそうではない。年間数回の研修を任されていて、私の論は研修内容の現場への反映として例解している。
経営主流や非主流の事業部幹部は、単純明快でいまや大学生レベルのマーケティング常識ですらあるこの論を、ロジカルに否定することはできない。また、長年続いて評価を上げてきた私の研修機会を露骨な形で奪うこともできまい。それは、彼らが個人的な自負と保身のポリティクスを最優先している”秘められた制度”をみずから露呈させてしまう行為だからだ。
ただ、私はそうなったらそうなったで構わないと思っている。
この取引先に関するすべての活動は、若い頃、若輩者の私を抜擢していろいろ面白いことをさせてくださったOBの方々の御恩に報いることが、そもそもの目的だったからだ。
彼らはまさにパイオニア・スピリットの自由闊達な実践者たちだった。
彼らの美田で心ゆくまで田遊びをさせてもらった私は、あの美田と田遊びを現代化する提唱と提案をすることでしか、報恩という目的を達する術はなかっただけのことなのだ。
そして常にベストを尽くしてきたという充実感が私にはある。
私はここで、「分離され孤立化されうる項ないし極には還元できない存在者」、「ファルマコン=第三項」になっている。
今回の世界金融危機で、この取引先がこのままではやがて大きな命運を導くだろうと予測していた、そのタイミングがかなり早まりそうだ。
私はこの会社においては、<聖>なる司祭、<聖>なる生け贄のどちらになるのだろうか。
あるいはどっちつかずのままゲームオーバーとなるのだろうか。