発想ファシリテーション論において折口信夫を継ぐ(7:結論) |
「ムスビ」の三位一体構造から「日本型の交易」を仮説する
「あらゆる宗教的思考が生まれてくることのできる『素型(スキーム』が、神道の中には隠されている、折口信夫は直観していた。(中略)
そこから折口がつかみ出してきたものこそ、
『ムスビ』の神をつくる三位一体の構造であった。
とてつもなく柔らかく汎用性に富むこの概念を発展させていくとき、
わたしたちは日本人の思想を開く鍵を手にいれることができるように、わたしには思われる」
中沢氏の、最終「第六章 心の未来のための設計図」の冒頭のこの言葉を目にした時、私は予感のようなものを感じて、読まずに先のページをくくった。
すると以上の「物質と生命と魂の3つの輪が重なる概念図」に出くわした。
正確には、知恵の輪のように3つの輪が三つ巴に絡んでいる。
私の持論はこれだったのかも知れない、と直観した。
私の直観は、ほとんどの場合「類化性能」による。後からそれをメタ思考して自他に解説している感じだ。本論もその流れそのままをまず述べてしまうことにしたい。
その持論とは、
日本語および日本文化には、
「縁起にのっとった日本的な<情>起点の発想思考」という美点的特徴があり、
それを土台というか容れ物にして、
「因果律にのっとった欧米的な<知>起点の発想思考」の美点と
「共時性にのっとった中国的な<意>起点の発想思考」の美点とを
のせてきたあるいは取り入れてきた
という「ダイナミズム」がある
という捉え方だ。
(参照:「<知><情><意>起点の発想思考の概観」表
「日本型の集団独創のポイントは、肌で感じ取る日本語と現場相対の触れ合い」)
欧米的な<知>起点の発想思考の美点は、
「因果律」にのっとって物質を捉えること。
中国的な<意>起点の発想思考の美点は、
「共時性」にのっとって生命を捉えること。
日本的な<情>起点の発想思考の美点は、
「縁起」にのっとって魂を捉えること。
そう考えると、私たちは、
「欧米型の発想思考」に偏ることなく、
「中国型の発想思考」もその本質を理解した上で取り入れ、
両者を調和的に統合する「日本型の発想思考」の意義を自覚して展開できる
と思うのだが、みなさんいかがだろうか。
そもそも大本の人類普遍の「部族人的な心性」は、
「因果律と共時性が渾然一体の縁起」で、物質と生命と魂が渾然一体である森羅万象を認知、つまりは発想思考してきた。
この森羅万象が老子が描いてみせた「渾沌」である。
根源的な「渾沌」の認知パターンを日本人は土台に温存してきた。
その上で、
「共時性」にのっとることで発達した中国的な発想思考を取り入れ、
「因果律」にのっとることで発達した欧米的な発想思考を取り入れてきた、
そして常に現代的な調和と統合を見出そうとしてきたのだ。
それが日本の伝統であり、日本らしさの本質である。
じつは「日本文明」という、人類のけっして未開ではなかった「はじまりの文明」を未来に繋げようとする営みだったのだ。
こうした捉え方は、中沢氏が、折口信夫のことを「古代から来た未来人」とする意図でもある。
この捉え方を正確に理解するには、漢語で表現するため生まれる、日本語の微妙な語彙の喰い違いを理解しておかねばならない。
仏教用語の「縁起」は、「因果律と共時性が渾然一体の根源的原理」であるが、日本人にとってのその意味するところは、神道の言う「ムスビ」の観念に引きつけて言い直したものに過ぎない。
日本人にとって、というのは仏教も神道もろくに勉強したことがない日本人一般(文字を読めなかった庶民のこと)が、昔から皮膚感覚でそう感じ続けてきた、そうした情緒にとって、ということだ。
「物質」についても、日本語の同様の融通無碍さが指摘できる。
そもそも日本人にとって「もの」とは、モノでもありコトでもあった。「もののあわれ」とは事柄ではないか。じつは、中国語の「物」も「格物致知」という言葉があって、伝統的な解釈では「格」を「來」、「物」を「事」、「致」を「至」と解し、善や悪を深く知ることが善いことや悪いことを来させる原因になるとするように、コトを指していた。日中の違いは、事物の一体性を、大和言葉の「もの」は母性原理(グレートマザー)的に、漢語の「物」は父性原理(老賢者)的に捉えている点だ。それは日本語における、「ひらがな」使いと「漢字」使いの違いに反映していると思う。
「生命」についても、日本語の同様の融通無碍さが指摘できる。
事物の一体性は、当然、コトにもモノにも同じ根源的な生命=エネルギーがあると捉える。精神と肉体、精神と物質を分離する欧米的な「因果律」にのっとった<知>は、素粒子論に行き着くまでそのことを認めなかったが、中国的な「共時性」にのっとった<意>はすべては天の意志、気が一貫していると、易という経験の累積整理によって了解していた。さらに、石器時代の人類に普遍な「部族人的な心性」は、そうした分別なしに、すべての森羅万象に「不思議な力のあるもの」「霊力」が宿っていると捉えていた。大和言葉の「いのち」の「ち」はこの霊力のことである。日本的な「縁起」にのっとった<情>は、そうした認知をそのまま大切にしつづけてきた。(ちなみに中国語で「気」はチー(qi4)と読む。)
「魂」についても、日本語の同様の融通無碍さが指摘できる。
漢語の魂だろうが霊魂だろうが、英語のsoulだろうがspiritだろうが、一般的な日本人にとっての受け止めはすべて「タマ」なのだ。アバウトといえばアバウトだが、大本の根源的かつ人類普遍の大枠でおさえているからそこから多少欠けるニュアンスがあってもOKなのだ。辞書などひかなくていい。
中沢氏は、この概念図を一般人に向けて解説すべく、言葉の輪郭のはっきりした「物質・生命・魂」という漢語を使った。
しかし彼が最終的に伝えたかったことを理解する折口ならば、「もの・ち・たま」という大和言葉を使うのかも知れない。
そして概念図の3つの輪は、離れているのではなく、知恵の輪のように三つ巴に絡んでいなければならない。3者ともに融通無碍に他2者と絡んで一つのダイナミズムを形成しているからだ。
ここで、私の「類化性能」はさらに1つの概念関係に気づいてしまった。
それは、前項(6)で述べた以下の内容***に関するものだ。
***
古代人において「既知の世界」と「未知の世界」が未分化であった。
同じことが現代人にもある。
それは、物事はやってみなければ分からない、いくつかのやり方を試して、それでどれをどうすればいいか考えていこう、という考え方と行い方だ。
これを難しく表現すると、「不確定論を前提にして、仮説・検証・綜合をする」ということになる。
これは、狩猟の考え方であり行い方だ。一回一回の猟がこのパラダイムにあると同時に、猟の発達という時間軸でもこのパラダイムにある。
一方、稲作の考え方行い方は違う。種を植える時には、これは稲を実らせる筈だという前提に立つ。「決定論を前提にして決められた手続きを単線的(リニアー)に踏む」ということになる。
猟には、こういうこととああいうことが重なった時はこうしよう、というような偶有性を取り込む「共時性」が念頭にある。
一方、稲作は、大筋でこれをした後にこれをする、あれをした後にあれをする、前の手順がうまくできれば後の手順もうまくいく、という「因果律」が念頭にある。
***
以上の内容にある、
猟の
「不確定論を前提にして、仮説・検証・綜合をする」
「共時性」にのっとった考え方行い方
と
稲作の
「決定論を前提にして決められた手続きを単線的(リニアー)に踏む」
「因果律」にのっとった考え方行い方
の
両者を繋いだのが、
「日本型の交易」の
「縁起」=「ムスビ」にのっとった考え方行い方
だった、
と大づかみに仮説することができると気づいたのだ。
なぜ、「日本型」とするかというと、それが「日本型の集団独創」の2つの内の1つの雛形を形成したと直観するからだ。
直観が正しいかどうかは、本項(7)でこの後、「ムスビ」について、中沢氏の折口信夫の論ずるところの解説を踏まえて、今後も「日本列島内の陸上と海路の交易」の特徴を検討して検証していかねばならない。まだまだ長い道のりになる。
(日本列島における対内交易、陸上については網野善彦著「無縁・公界・楽—日本中世の自由と平和」を読んで、海路については同じく「海と列島の中世」を読んで稿を改めて検討していきたい。)
ただ、「交易」の原初的な原型(本来シンプルな筈なのに贈与とか交換とか互酬とか抽象的に難しい話)は同じでも、その後の具体的な発展形を国家対外交易レベルでみると、
十字軍から帝国主義など遠征的な広域交易にみる「欧米型」、
シルクロードの要長安の繁栄や鄭和の大航海にみる「中国型」、
この両者と、
歴史の全体で、海外へ出向くことも海外から迎え入れることも必要最低限にした感じの日本、その分対内交易を活発にして、列島内市場を量的にではなく質的に成熟させていった感じの日本とは、どう見ても大きく違う。
それは誰もが認めるだろう。
つねにはじまりでありおわりである「ムスビ」
中沢氏は、敗戦後、支配の道具に堕してしまった神道に反省を促す折口のこういう言葉を紹介している。
「日本の信仰の中には、他国に多少の要素があっても、日本的にまた世界的にも、特殊であり、すべてに宗教から自由なものと言っていいもののあることです」
中沢氏はこう解説する。
「それは自然智としての神道のアルファ(原初)でありオメガ(未来)であり、日本人の精神の最古の地層に属する『アフリカ的段階』(筆者注:ヘーゲルが旧世界として世界史の枠外においたアフリカ的世界の原型とみなす概念=「部族人的な心性」の段階)の霊性なのであるけれど、そのような霊性が、日本人の宗教史の表面に躍り出てきたことはない。(中略)
神々の世界に充満し、構造のすき間というすき間に姿をあらわしているものの、神々の体系には組み込まれることのなかったもの。
そのような霊性に、古代人はひとつの明確な名前を与えた。
それが『ムズビ』であり、折口信夫の考えでは、来たるべき神道は、このムスビの概念によって、新しく組織されなければならないのである」
「ムスビ」を解説する折口自身の言葉はこうだ。
「それは、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみみむすびのかみ)と言っている-----、あの産霊神の信仰です。
字は、産むの『産』、たましいの『霊』で、魂を産むという風に宛てられていますが-----、神自身の信仰はそうではなく、生きる力を持った体中へ、魂をば植えつける、或は生命のない物質の中へ魂をば入れる、そうすると魂が発育するとともに、それを容れている物質が、だんだん育ってくる。物質も膨れて来る。魂も発育して来るという風に、両方とも成長して参ります。
そのいちばん完全なものが、神、それから人間となった。それの不完全な、物質的な現れの、最も著しく、強力に示したものが、国土或は島だ、と古代人は考えました。それが日本の大昔の神話に現れている、大八州の出来たという物語り、或は神々が生まれたという物語りです」
ここで、話の筋から外れるが、折口が
「不完全な、物質的な現れの、最も著しく、強力に示したものが、国土或は島だ」と、
「人間の手のまったく入らない自然は劣った存在であるという捉え方」に触れていることは留意しておきたい。
なぜなら、この捉え方こそが、「日本人は国土という手つかずの自然を広げることよりも、限られた列島国土に人間の手を入れて豊かにしたり、活発な列島内交易によって豊かな市場を形成する動機」の土台となったと考えられるからだ。
私は、たまたま今読みおえた「網野善彦を継ぐ」の中沢氏・赤坂氏対談で、「里山」のことを知った。
赤坂
「最近の研究では、里山は少なくとも五千年前くらいに、縄文時代にすでに生まれていたということが常識になりつつあるんです。
まったくの原生的な自然と人間がじかに向かい合うのではなくて、人が自然を少しだけ傷つけるんですね。そうすると、傷つけられたその原生的な自然はみずからを復元しようとするんだけれども、完全にはもとに戻らないで、二次的な植生をつくりだしていく。そうすると、その二次的な自然が人間にとってもっとも豊かな場に、つまり里山になってくるわけです」
自然に対する人間のこの原初的対応に、日本語と日本文化の特性である<人間と自然の未分化性><人工と自然の未分化性>の土台がある。
中沢
「たとえば、一揆や逃散で人々が『山』へ駆け込むといったとき、その『山』というのは原生林ではないということですね。(中略)里山的な自然のふところのなかに小屋をつくっておいて、そこへ逃げ込むようなかたちですから、きわめて人里に近いんです。(中略)
じつはわれわれが思っているほど定住は絶対的な原理になっていない、むしろそうしたアジール(筆者注:世俗の権力から独立して、社会的な避難所としての特権を確保し、あるいは保証される場所。日本では寺院・神社などがその役割を果たした)としての山とか、浮浪や漂泊ということが、定住というあり方の中に可能性としてすでに・つねに織り込まれている、そういうふうに考えるべきなんじゃないかと思います」
つまり、「里山的な自然」という漂泊エリアがすでに・つねにあって共同体の定住エリアも存在してきた。
この漂泊エリアは、共同体の外部ではあるがタンジュンな外部ではない。共同体の縄張りでもなく、隣接する共同体の縄張りでもない、それでいて象徴性も機能性もある「異界との重なり領域」だったのだ。
赤坂
「マタギの老人なんかがどこか挑発的に、『原生林なんてものはなんの役にも立たない。われわれが少しだけ侵して、傷つけて、いくらか殺した自然こそがもっとも豊かな自然なんだ』といういい方をする。それがわれわれの今のことばで言うと、里山なんだと思うんですよ」
同じ漂泊エリアが、
近隣にベース基地をもつ定住者である狩猟者にとっては「生産する空間」であって、
一過的に逃避したり継続的に移動する者にとっては「移動する空間」であった。
だから、狩猟者の考え方行い方と、交易者の考え方行い方、さらには芸能者の考え方行い方には親近性や同根性があるのだ。
たとえば、現代の日本人が何気なく使っている「笑いをとる(獲る)」とか、「受けを狙う」という言葉にも、かつて芸能者が庇護を失い放浪するようになって馴染んだ狩猟の感覚が脈打っているのかもしれない。
話を「ムスビ」に戻そう。
中沢氏は、古事記を引用してこう解説する。
「 天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天の原に成れる神の名は、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
次に高御産霊神(たかみむすひのかみ)、
次に神産御日神(かみむすひのかみ)、
此の三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成り座(ま)して、
身を隠したまひき。
(『古事記』)
後の時代に大いに発達する鎮魂の儀礼などで、ムスビ神は重要な役目を果たすようになるし、有力な氏族(うじぞく)の中には、ムスビ神の仲間を自分たちの先祖神とする者たちもいた。(筆者注:鎮魂の儀礼で重要な役割を果たしたことは、本来のムスビの働きを抑圧する動向があった可能性をうかがわせる。)
しかし、奇妙なことに、神々を体系づけるための記紀神話の中で、ムスビの神が登場するのはここだけであり、登場したかと思ったらすぐに隠れてしまう。あらわれると同時に自分を隠してしまう神であるムスビの神は、そのあとに形成されることになる神々の世界といっさいの関わりをもたない」
「物質(もの)・生命(ち)・魂(たま)」の3つの輪が知恵の輪状に絡む巴こそが「ムスビ」なのだ。
そして、「ムスビ」は縁(えにし・ゆかり・よすが)であって、その働きは「あらわれると同時に自分を隠してしまう神」である。
中沢氏は「ムスビ」の神が「独神」であることに着目しこう述べる。
「天御中主神(筆者注:宇宙空間を用意する神か)もムスビの神も『独身』だと言われているところが、重要である。
イザナギ・イザナミのような男女の対であらわれる神ではなく、たった独りで葦カビの芽のように出現して、空間の原基をつくる。この独神は、二元論的な対となって働きを行うのではない。では何を原理として、これら独神は働きをおこなえるのかといえば、それは独神に特別な『内部構造』があるためだ、と折口信夫は考えているように思える」
「ムスビの神は、よく言われているような単純な生産神ではなく(それだと、男女二神の性的な結びつきによる生産とかわらない)、内部に構造があって、その構造には宇宙をつくりあげている元型素材を、結びつける能力がある。
ムスビはここに語られているように(筆者注:折口の言葉にあったように)、
まず生命と魂を結びつける力をもっている。
さらには、この神によって生命のない物質に魂が宿ると、そこに生命が働きだす。
物質と生命と魂が、たがいに緊密に『結ばれる』ことによって、すべての基体であるこの前空間はかたちづくられている。この結びつきそのものがムズビの神であるとも言えるし、物質と生命と魂が結びついたものが、ムスビ神と呼ばれたのだとも、考えられる。
こうして、ムスビ神の内部では、物質---生命---魂の三つが協同して働く『三位一体構造』が、たえまない活動を行う様子が、描き出されることになる」
「ムスビ神は存在のいちばん深い部分の仕組みをつくりだした後は、隠れて見えなくなってしまい、ムスビ神が引退した後に、あのよく知られた(筆者注:記紀の)神々があらわれて、宗教の世界をつくっていくのである」
この過程は、世界の多神教に進んだ民族も、一神教に進んだ民族も同じだ。
ただ、日本の場合、仏教を習合し、儒教を導入し、近代の宗教である科学を活用しても、つねにムスビ神をほとんどある時は意識的にある時は無自覚的に念頭においてきた。無論、無自覚ゆえの大きな逸脱や反動的な離反もあった。しかし、逸脱や離反は大本が力強く脈々とあったから繰り返されたとも言える。
だから、日本人はさまざまな宗教を寛容に受け入れ、宗教戦争そして文明の衝突をすることはなかった。
それは、中国のように自らを文明の中心と捉えての寛容さではないし、儒教のような生まれ変わりを信じない父性原理優位で「社会人的な心性」の操作管理ばかりに集中するためでもなかった。
しかし、人類はみな深層の根底に「部族人的な心性」をもち、それを打ち消すことも抑圧しきることもできない。そのことだけには素直に生きてきた日本人、その良い意味での「いい加減」というバランスをとる統合的調和の発想思考は、つねに意識するでもなく自然体でムスビ神に帰依していることによって可能になっている。
中沢氏はこう述べる。
「このような内部構造をもつムスビの神は、そこから経済や道徳や社会の領域へと腕を伸ばしていき、宗教を超えた大きな働きをおこなうようになる」
これからの可能性としてもそうだが、すでに日本人がそういう道を歩んできたのだ。
しかし神道は、その暗黙知と身体知の体系を、明示知の体系にすることを怠ってきてしまった。共同体の身内なら言葉なしであうんの呼吸で分かる以心伝心の世界だと決め込んできた。当然、共同体の部外者にはその特殊性は理解できない。いな、特殊性ではなくて人類深層の普遍性があるにも関わらず、日本人自身が自らの特殊性だとばかり言ってきた。
ところがいまや、外国人にも理解活用可能な明示知体系にすることが日本人に課せられた人類全体のための課題となっていると言えよう。
「ムスビの神から新しい経済学を生み出していくことができるし、経済の倫理性を自然な形で結合させていくこともできる。もしそれができるようになれば、日本人の自然智(Natural Wisdom)である神道は、たんなる宗教としてのありかたを超えて、つぎの時代の知性の導き手となることができるかも知れない」
私は本項(7)の冒頭で、以下の直観***を披露した。
***
欧米的な<知>起点の発想思考の美点は、
「因果律」にのっとって物質を捉えること。
中国的な<意>起点の発想思考の美点は、
「共時性」にのっとって生命を捉えること。
日本的な<情>起点の発想思考の美点は、
「縁起」にのっとって魂を捉えること。
そう考えると、私たちは、
「欧米型の発想思考」に偏ることなく、
「中国型の発想思考」もその本質を理解した上で取り入れ、
両者を調和的に統合する「日本型の発想思考」の意義を自覚して展開できる。
***
この考えへの同意を深めていただくためには、魂についての中沢氏による解説を紹介するのがいいと思う。
「魂には、自然に自分の内部から純粋な力を放出してくる能力が宿っている(筆者注:私はこれが「自発性」というものの根源だと捉えている)。
つまり、放っておいても、自然状態におかれた魂はだんだんと発育し、膨らみ、増殖してくるのである(筆者注:私はこれが「無意識が発想を浮上させる」メカニズムだと捉えている)。
こういう魂を、ムスビ神は生命と結びつけている。そのために魂の発育につれて、生命はいよいよ活発な活動をおこない、生命に結ばれた物質(肉体)の成長がおこってくる(筆者注:私はこれが「身体反応→情動→感情→思考」という認知のメカニズムだと捉えている)」
日本的な<情>起点の発想思考の美点は、
「縁起」にのっとって魂を捉える、
とは、このような「魂の働きを、その時々その場その場の縁を踏まえて捉えるということであり、それは深層の「部族人的な心性」が未分化を想定する<自他><人間と自然><人工と自然>に対して、「別化性能」で対立的に分離しようとするではなくて、どこまでも「類化性能」で調和的に統合しようとする」ものである。
私たち日本人は、こうしたを魂の働きのことを、<情>(なさけ)と呼び習わしてきたのではないか。
私は、<知><情><意>のバランスある活用が大切だという一般的な考えを具体的に知るべく、3者についての専門的な見解を検討したことがある。
(参照:「<知><情><意>バランスあってすべてが始まる(1〜10) 」)
しかし、日本語の<情>が示すことの本質はつかめなかった。結局、以上のような「魂の働き」とするシンプルな説明が一番本質をついている。
私は、
「日本型の集団独創」を、
日本人の発想思考の美点的特徴である「縁起にのっとった日本的な<情>起点の発想思考」で促進する
ということをライフワークとしている。
そのノウハウの明示知体系化のベーシックとして
「コンセプト思考術」という日常会話の話し言葉の4概念要素によるメタ思考を用意し、
あくまで無意識の「部族人的な心性」が浮上させるパラダイム転換の発想や洞察を促してきた。
そんな活動をしはじめて、すでに15年になる。
つねに、ビジネスの現実の発想現場、洞察現場に立ち会い実践を通して研究をしてきた。
そして、一度として信仰活動をしていると思ったことはないし、まして神道を意識したことなどない。ただ、自分がする発想や発想ファシリテーションがうまく行く場合、それは何がどううまく行っているのか、を探索してきただけだ。
しかし、折口信夫が宗教を超越するものとして再生しようとしていた神道は、私の「日本型の集団独創の促進方法論」にとてもとても近しかったと言わざるを得ない。
私自身も、無自覚の内にムスビ神に導かれていたようだ。
そもそも思考術というものを、「考える」を偏重するロジカルシンキングとかクリティカルシンキングというカタカナ系の捉え方が嫌いだった。それを仕事では使ってもいたが、それだけではどうしても割り切れないことがあり、そこをクローズアップしないことには誰が考えてもそうなるだろう、という似たような結論しか出て来ない。それが私の現場での実際だった。
そして書店にいくと、今でもそうだが、「考える」を偏重するビジネス書ばかりが百花繚乱状態にある。
しかたなく私は自分で、「思う」そして「想う」を重視し、無意識が浮上させる発想や洞察と母国語の「言葉」にこだわる思考術を編み出そうと思った。
編み出そう、というと語弊がある。
日本人が自然体で得意としてきた暗黙知であり身体知である発想思考を明示知化しようと考えたのだ。
だから、私は、日本語の言霊に導かれたということかも知れない。
結果的に、「コンセプト思考術」は「類化性能」による推量をする、それを話し言葉の4概念要素を前提とする思考フォーマットでメタ思考するものとなった。
なった、というのも語弊がある。
15年前の最初に思考フォーマットの方が浮かんでしまったのだ。今思えば、 天なのか神なのかタマなのか、とにかく異界からの授かり物だった。
新しい品態や業態や店態を創造するマーケティング手法として出発した。ナレッジ・マネジメントとか知識創造などという言葉を一般には聞かない頃の話だ。
やがて、カテゴリー・キラーとか、ワン・トゥ・ワン・マーケティングとか、ブルーオーシャン戦略といったアメリカ渡来のマーケティング手法が登場する。不思議なことに、それらの本質は、「コンセプト思考術」の思考フレームですでに示していることだった。
私の本業はプラニングとコンサルティングで、講師の仕事は、クライアントや行政セクターからの依頼に応えるだけで、3年前までは余技としてやってきた。カリキュラムが「コンセプト思考術」一本という講師も珍しいが、それはそのためだ。
それが丁度3年前、本業として奮起することになったのは、「コンセプト思考術」研修の継続的な機会を与えてくださった会社が経営危機に向かいはじめたことを察知し、警鐘をならして回避するべく、受講者アフターフォローのための本ブログを立ち上げてからだ。
私は経営危機を、「知識経営の歪みと後退」として察知しその結末を予想した。残念ながら私の直観と悪い予想は的中した。
そして気がつけば、「知識経営の歪みと後退」、そしてその中核をなす「本来的な日本型の集団独創の喪失」は、何もその会社に限らぬ日本の企業社会全体の動向となっていた。
そんな経緯で私は、「日本型の集団独創の促進」をライフワークとする決意をし、「コンセプト思考術」は促進ノウハウのベーシックになった。
そうなるまで15年も、余技ではじめた「コンセプト思考術」研修を続けられたことは、たくさんの不可思議な縁の連なりのお陰である。
きっと、こうして続けるべき、漢語で言えば天命、仏教語で言えば縁起、大和言葉でいえば縁(えにし)、英語で言えばmissionがあるのだろう。
最後によくされる誤解を避けるべく、付け加えておきたいことがある。
それは、「思う」「想う」を重視した「コンセプト思考術」は、「考える」を重視したロジカルシンキングやキリティカルシンキングと対立したりそれを排除するものではない、ということである。
これは、そういう誤解をすることで、無意識的に自らの合理性偏重思考を正当化しようとする人がよくする誤解でもある。
研修を受講された方は、思考フォーマットの記入成果が、
<不快の情動→快の情動→前者から後者への転換アイデア→新しい生活願望ないし仕事願望>というシンプルな4コマ漫画、つまりは人々の情緒を刺激する物語を形成するだけでなく、
<問題の発見→課題の創造→解決手法の考案→コンセプトへの総括>というロジカルシンキングをも組み立ててしまうことを体験する。
しかし、書店のビジネス書で見慣れたアメリカ渡来のカタカナ系や権威による学術系の思考法ばかりを信奉する人々は、このようにお話しをしてもはなから馬鹿にして相手にしない。
そこで、
BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)が提示している思考法と「コンセプト思考術」の類似性を具体的に解説した記事と、
「ブルー・オーシャン戦略」の主唱者の論と「コンセプト思考術」の類似性を具体的に解説した記事があるので、それをご紹介しておく。
すでに、カタカナ系の渡来元では、ロジカルシンキングを物語重視のナラティブ・アプローチや創造性重視のクリエイティブ・アプローチが内包してしまっている、そのことは日本でも常識になりつつある。
古い偏見に縛られている方でそれを改め、日本人が自然体で発揮しうる得意技を顧みたい方、新しげなカタカナ系や難解な学術系を軽信することなく、むしろシンプル明快な「日本型の発想思考」のグローバル化に貢献したいという方に、是非読んで戴きたい。
「BCG流非連続思考法」
ボストン・コンサルティング・グループ副社長リュック・ブラバンデール著/ダイヤモンド社刊
を読んで検討した記事、
「現実論として『情緒起点でする推量』と『パラダイム転換』の関係を整理する(1〜5) 」
「ブルー・オーシャン戦略」
W・チャン・キム+レオ・モボルニュ著/ランダムハウス講談社刊
を読んで検討した記事、
「ブルー・オーシャン戦略のポイントとコンセプト思考術(1)〜(2)つづき」 ">
以上をご参照いただければ幸いだ。
(参照:「コンセプト思考術コンセプト思考術速習10編」)