生活実践で知った天風老師の「怒らず、怖れず、悲しまず」の微妙さ |
しかし、その微妙な意味を理解している人は多くはなく、
さらに、実践できている人となるととても少ないと思う。
かく言う私も実践できている訳ではないし、正しい理解で実践に努めようとしているだけだ。
老師がその影響を受けたとされるウィリアム・W・アトキンソンは「引き寄せの法則」でこんなことを言っている。
「恐怖は願望をくじき、脅して生気を奪い取ります。まず恐怖から除かなければなりません。
私も恐怖にとらわれ、(中略)希望も興味も失われそうになったことがありますが、(中略)正々堂々と困難に立ち向かいました。
すると、すべてが好転するのを知ったのです。そのたびに、問題が氷解し始めるか、克服する手段を与えられました。
問題の大きさにかかわらず、勇気と確信をもって立ち向かえば、私たちはなんとかそれを乗り越え、自分は何に怯えていたのかと不思議に思うことでしょう」
「こんな質問も聞かれます。
『すべてのことが水の泡になりそうで心配な人は、どうしたらいいのですか』
『将来ふりかかる問題に思い悩むのは愚かです』としか答えられません。心配することの大部分は起きませんし、それ以外は予想より軽い形で来ます。
問題を解決する助けになる他の事柄も起きてきます。未来は克服すべき問題だけではなく、問題の解決を助けてくれる人も用意しています。
自然にまとまります。備えさえしていれば、降りかかるどんな問題にも対処できると知りましょう」
「心配の九割は決して起きないことに、残る一割は取るにたらぬことに向けられています。
未来を悩むことに力を使って何になるでしょう。
起きてから心配したほうがましです。同じ力を使えば、あなたは降りかかるどんな問題にも対応できるようになります」
「あなたは心配と闘う必要はありません。(中略)それよりも、集中を実践することをお勧めします。目の前にある何かに集中していると、心配の念がいつの間にか消えているのがわかります。
心は一度に一つのことしか思えません。明るいことに心を集中させれば、他のことは消えてしまいます。(中略)
あなたが心配ばかりしていれば、有益なプランを実行する時間をもてなくなります。
しかし、明るく有益な思いに集中していれば、それが無意識に活動し始めます。そのうち、どんな必要にも応じられる、ありとあらゆる種類の計画や方法を見つけます」
私も、こうした論述を幾度も読み、分かったような気でいた。
しかし、その意味をほんとうに心と身体で理解したのはつい最近のことだ。
(以下、私の家族生活の話をしますが、別に個人的事情を吐露することが目的ではありません。
ビジネスパーソンの方々には、会社の「経営危機」や「選択と集中」や「リストラクション」のあり方や進め方、それに臨む私たちの<知><情><意>の話に置き換えて戴ければと存じます。
勿論、プライベートな家族とオフィシャルな組織では事情は違いますが、こと人と人の関係に同様の意味合いの物語をダブらせることも可能です。)
斑ぼけの父は、昨年からシモの方が詰まって苦しむのと漏らして汚すのを繰り返すようになりました。医者によると詰まるのは健康に悪く、漏らすのは問題ないとのことです。漏らすことを問題と感じるのは、本人と、本人がそのことにルーズになった場合の家族だけということです。下剤を飲んでは漏らす訳ですが、下剤含みの匂いは壮絶で、食事直後ならまずえずいて吐くでしょう。
こんな父への対応に関連して、生活実践で知った「怒らず、怖れず、悲しまず」の微妙さについての話を3つさせて下さい。
まず最初は、
私が父のこういう事実を話すと、私がグチを言っていると受け取る人がけっこういる、という話です。
事実自体は、それがどんな出来事であったとしても、ニュートラルです。
事実の受けとめ方に「怒り」や「怖れ」や「悲しみ」があるか、ないかだけです。そしてそれは人それぞれ、同じ人でもケース・バイ・ケースです。
グチを言っていると受け取る人は、こういう介護話についてその人の受けとめ方が「怒り」や「怖れ」や「悲しみ」であるために、私の話をグチと受け取る。そして親切心から「いつでもグチは聞いて上げるから」と言ってくれます。
しかし、私は父のこと父への対応のことなど事実を「怒り」や「怖れ」や「悲しみ」で受けとめてはいないので、その人に悪気がないのは分かっているのですが、正直言って、何か冷や水を浴びせられているような気持ちになります。無論、私はその人の言い方が気に障った訳ではありませんが、相手はそのように誤解するようです。
次に、
母が父のことで「怒り」や「怖れ」や「悲しみ」を抱きながら私に事実を報告する。これはグチです。シモ絡みは食事時だけは勘弁してもらっています。母も天風老師の言葉に従うべきでしょうか、私はそのように親に説教すべきでしょうか、という話です。
母の場合、グチを誰かに言わなければ心が壊れてしまうのだと思います。
逆に言うと、そこまでしてでも魂の導く方向、つまりは父の世話をし通すことを実践しているのであって、私のすべきことはグチを聴き、母が無理はしないよう見守ったり、対応が容易になるように助けることです。
男女関係に愛と情があるとすれば,残念ながらうちの場合、母が父に対応しているのは個人の自我である愛ではないでしょう。魂と関わるレベルの情のように感じます。それは夫婦以外の人間、子供にも分かりませんし、母自身もよく分からないで何かに突き動かされているのかも知れません。デイサービスに父がいった日など、羽を伸ばせばいいのに、母は何もすることもないのです。母も高齢ですから、ここまでくると日々の暮らしというものの意味合いが壮年以下とはまったく違うことは確かです。
ちなみに、私は父のシモ対応のためにスポーツ用品店で「水泳用の鼻栓」を買って来て、目の前でして見せたら、母は久々にぷっと吹き出して笑ってました。
最後に、
日々現場でこうした父への対応を母と共にして、母のことを助けて暮らしていると、だんだん大変だと思っていたことが当たり前のことに感じるようになる、ということに関連する話です。
何かに慣れてくるとまた難問が発生しますが、それを乗り越えると喜びがあったり、乗り越えられなくても楽しみを見出してくる。
また、難問と思っていたことにも必ずいい側面があることにも気づく。たとえば、昨年私が同居する直前、父が東京に家出して私は警察に捜索願いを出し、父が丸の内警察署に保護されたことがあったのですが、老衰の進行でそういうことの心配はなくなったのでした。
母は母なりのやり方で父への対応をしていますが、それだとどうしても父には不自由な場合があります。そこを私がこっそり対応してあげたりします。そんなことをしている内に、気がつくと、父の私が嫌っていたところとか、それに関わる私の確執とかが水に流れていました。
魂レベルで、父の今生における締めくくりが進んでいるように感じます。
この最後の話で「怒らず、怖れず、悲しまず」絡みで伝えたかったのは、
母や私のことを気遣ってくれる人たちの中に、「大変になったら施設に入れた方がいい」と言う人がけっこういる、という話です。
久々に会ったり話したりする人ほどそういう先々の心配事の話をなぜかします。ふだん挨拶をかわす近所の人たちは絶対にそういう話はしないで、今の楽しい話をするのに、何故でしょう。
前述したように、私と母そして父は、家族生活という現場実践を通して「怒り」や「怖れ」や「悲しみ」を乗り越えようと日々頑張っています。
私は、そうした大変に逃げずに対峙してきたからこそ、魂レベルの交流を深めて来れたのだと感じ、また先に逝く両親を送るべく深めていこうとも願望しています。
「先々のことを心配して施設入れを勧める」人たちは親切心で言ってらっしゃる。
しかし、これまた私としては、口先だけで冷や水を浴びせられているような気持ちになります。これも私がその人の言い方が気に障った訳ではありませんが、相手はそのように誤解なさるようです。
その人にとっては、「大変」という事実のイメージが、イコール「怖れ」なのでしょう。
それを私は受け入れたくないし、受け入れられないのです。
それを受け入れる時は、人に言われなくても母も私もやるだけやった限界の時です。そして、限界までやるだけやろうとしている人間には、親切心も余計なお世話なのです。
中村天風老師も、人のネガティブな話を聞いて同情したり、軽々しく相づちうったりしちゃあいけないよ、とどこかで語っていました。
こちらが、最悪の可能性としては分かってはいても心配していない心配事を、わざわざ持ち出すようなことは、たとえ相手が親切心からでも、こちらの心はシャットアウトしなければいけません。
Yu Dan著「論語力」にこういう論述がありました。
「私たちには辛い現実そのものを変える力はありません。
しかし、辛い現実に直面した時の、”心の受け止め方”を変えていくことはできます。(中略)
『どんな時でも、穏やかな心の状態でいられる』『辛いことや苦難を受け止めることができる』、これが『論語』の最重要テーマの一つです。
そもそも『心の悩み・苦しみ』とは、人間が生きていくうえで避けられないテーマです。(中略)
生きていくうえでさまざまな悩みを抱く、悩む、煩悶する-----それが人間という存在ではないでしょうか」
さて、天風老師の「怒らず、怖れず、悲しまず」ですが、
タンジュンに怒るな、怖れるな、悲しむな、ではないと思います。
そういうタンジュンな理解をしている人ほど、相手の心の有り様に関係なく、グチを言わず明るくしていることを他者にも強います。それは自分がそうしているからかも知れないのですが、どうでしょう、現場で人と人の触れ合いにおいて『辛いことや苦難を受け止めることをしないで』であれば的外れです。自分が参加するつもりのない他者の実践について口を挟むだけの場合は、これに遠からずです。
私が両親と同居して10ヶ月ですが、母の高血圧は収まりました。
心はその人の心ですから、誰も心の有り方についてこうせいああせいとは言えません。それができるくらいならご本人がやっているのです。そして身体にまで皺寄せが出てしまうのです。一緒にいて見守るという手だてしかありません。
母の鬱っぽさも納まりました。今私は、母が何事についてもまず心配事やネガティブな展開をイメージしてはそれを口にするのを、その都度指摘しては説明して安心させその癖をやめるように言っています。
これは、本人のためでもあり、家族関係のためでもあります。これを野放しにして受け入れていては私が立ち行かなくなります。 じつはそもそも母は、父が入退院を繰り返した以前、10年前までは明るくユーモラスな人だったのです。
昨年同居した当初、父が水道の栓を締めずに出しっ放しにすることが多々ありその度に母ともめていました。父としては締めたつもりなのです。そこで私は母に、水道を締めずに出したままにしておいて、そこに父を連れて行くようにアドバイスしました。また、水道の栓の締め忘れをふせぐカードを貼り、細切りしたガムテープの赤線を合わせて締まった状態を可視化しました。
一事が万事、こうした具体的なアドバイスや工夫を気づいたその時にしたり、その日の内に着手してきました。最初は毎日朝から晩まであった父と母の諍いのネタは、いまや母が父を朝起こす時と寝かしつける時のネボケ対応と、前述したシモ絡みの対応だけになりました。
母は、私のアドバイスや工夫がうまく行っても、良かったと認めたり褒めるということをしません。何か難点を見つけてダメ出しをします。さすがに毎日のことなので私も、それはないだろうと腹を立てます。しかし、家族三人だけの別荘地暮らしです。母としてはグチ代わりの発散なのでしょう。私は反論し腹も立てますが許しています。母の方がキレる場合もあります。そういう時はしばらく父と二人で大人しくしています。
現場で一緒に暮らす家族でないと、事実の上っ面だけでは分からない心の機微を感じ取ることはできないでしょう。
生活の実践の中では、その人なり家族なりの「怒り」も「怖れ」も「悲しみ」もある。
そしてあって自然であり、無くす事はできない。
できるのは、その「怒り」「怖れ」「悲しみ」に振り回されないで、それを乗り越えることです。
「世話の大変な父を施設に入れてしまえば、すべてが済む」
という論理は、表面的には「怒らず、怖れず、悲しまず」のようで颯爽としていますが、私からすると、現場の人と人の心の触れ合いが魂に導かれる可能性についての、とてもネガティブな「怖れ」や「悲しみ」を感じます。
偶然かも知れませんが、そうした施設入れを勧めた人たちは、ご本人が同様の対応をご両親にした人やしようとしている人でした。無論、私は彼らのやり方について良いとか悪いとか思いません。事情はそれぞれですから。
ただ、事情はそれぞれなのに私の事でそう勧めたのは、罪悪感という名の自分自身への「怒り」を抱いているためかも知れないと今にして思います。
私の都落ちと伊豆での親との同居を応援してくれたのは、地元代々木のジャズブースの飲み仲間の方で、ご自身が一人暮らしの母上との同居をしたくてもできなかったことを今でも悔やんでいると告白し、是非そうした方がいいと言ってくれたのでした。
自分を正当化するために他人事に物言いする人たちが多い中、彼の言葉だけが魂からのものと感じました。
そういえば、ただの飲み助のスケベ親父だと思っていた彼ですが、その飾らないユーモラスな人となりは、まさに「怒らず、怖れず、悲しまず」を地で行っている人だと今にして気づきます。 /