笑って仕事をしてますか?(1/5) |
ディル・ドーテン著/小学館プロダクション刊 発
前記事で、ご相談のあった営業マン向けの新入社員採用に関する新選考基準とその運用について、私なりの検討整理をした。
ご相談者の目的は、もちろん有能な営業マンに育つ人材を採用することである。
しかしこの目的を質的にレベル高く達成するには、そもそも、有望な人材にクライアントの会社に入りたいと熱望してもらわなければいけない。
そのためには、まず「営業」という仕事がどのようなものかをその魅力醍醐味とともに理解してもらい、自社の「就労機会」がまさにそれをユニークかつ最高の形で提供するものだと力説しておくことが必要である。
しかし、これをせずにいる会社がじつに多い。
(前記事で触れたエーザイさまは、これをhhc規範にのっとって着実にしていて、質的人材ニーズに合致した人材の側からも自社が志望入社先として選択されていることが、じつは大前提としてある。
この前提を捨象してエーザイさまの採用手法だけをパクってもまったく意味はない。)
結果、「ぜひ営業をしたい、しかもこの会社で営業をしたい」というのが本音の熱意ある人材が入社試験を受けにこないで、「いちおう一部上場の国際企業を狙っていてどこか入れればいい、入れれば営業でもいい」というのが本音の人材が集まってきて、採用する会社の方も方で人材を「いちおう名の通ったブランド大学で成績優秀だから」と書類選考した者を入社試験でふるいにかけることになる。
私はこの人材採用の入り口がそもそも質的限界を呈していると思えてならない。
ところが、社内の方々はあまり問題としない。
生え抜きの社員が多い企業では、これは自分が採用されたシステムであるから、なにか自己否定するかのような気持ちになるのか。
問題が単に採用活動のやり方に限定されるものではないことも、その一因かも知れない。
たとえば、企業が日頃から、「営業なんてどんな業界のどんな会社も同じだと思っていたが、この会社は業界でも珍しく、こんな魅力的かつユニークな営業をさせてくれるのか」と大学生が理解するような実績やメッセージを企業社会に広報していれば、自ずと入社志望者の質も変ってくる筈ではないか。
たとえば、営業マンが入社時点で国内営業をしてから国際部へまわりさらに経営幹部に達する、そんな有意義なキャリアパスが、派閥人事の慣習ではなくて合理的制度としてその他の有意義なキャリアパスとともに用意されていることを示すことも重要だ。これにより、欧米や中国でMBAを取得した人材に対して、最初は国内営業から出発することの意義を理解してもらった上で、経営の国際化をさらに進めたい企業の求めに応えようと動機づけることもできる。
じつは、彼らのような引く手あまたの国際派人材ほど、目先の収入や仕事のかっこよさではなくて、就労機会の意義と展望を熟慮する者が多い。つまり、自己成長機会、自己実現機会にとても敏感であり、それこそが社会人スタート時の最大の報酬だと理解している人材が多いのである。
私が最近mixiで入った「フロー理論」のコミのトップで、コミ主宰者がフローの状態をこう整理していた。とても分かり易い簡明な整理なので引用させてもらう。
「【フロー理論とは】
チクセントミハイが提唱した概念。内発的動機に基づく行動により、没入、忘我の状態になること。その状態ではすべてがうまく流れる(フロー)様な感じを受けるのでそう呼ばれる
【主要な構成要素としては】
・達成できる見通しのある課題と取り組んでいるときに生じる。
・自分のしていることに集中できていなければならない。
・明瞭な目標がある
・直接的なフィードバックがある
・深いけれども無理のない没入状態にある
・自分の行為を統制しているという感覚を伴う
・自己についての意識は消失するが、これに反してフロー体験の後では自己感覚はより強く現れる。
・時間の経過の感覚が変わる
【フローを生み出す変換過程】
・全体目標を設定し、現実的に実行可能な多くの下位目標を設定すること。
・選んだ目標に関して進歩を測る方法を見つけること。
・していることに対する注意の集中を測る方法を見つけること。
・利用しえる挑戦の機会との相互作用に必要な能力を発達させること。
・その活動に退屈するようになったら、困難の度合いを高め続けること。 」
前述したMBA取得者は、内発的動機にもとづいてまさにこのフロー理論を地でいくタイプと言えよう。
しかし、フロー体験をすすんでするタイプの人材はなにも高学歴者、成績優秀者に限らないことは言うまでもない。
ではそれはどういう人材なのか?
残念ながら、社会人になる前にどのような様子の人材なのかを、一般論として推定することは難しい。
しかし、社会人になってどのように働いている人がフロー体験をすすんでする人材なのか、あるいはすでにしている人材なのかと問えば、広く一般的な共通認識がある。
そして冒頭の話に戻るが、会社は、社員にフロー体験をみちびく組織、制度、職場、職能といった環境を与えているかについても、社員それぞれが自分の現実として正確に見据えている。
私は、このような観点から、職場の求人責任者が、職場の理想的な有り方についての考えを仲間内で話し合いまとめることと、来期どのような人材が欲しいかを採用部門に答申することとは、本来不即不離の関係にある「一貫した社内コミュニケーション活動」として行うべきだと思う。
また、経営企画サイドと採用部門は、そうした会社全体の職場の実態と期待を把握し、さらに経営幹部により策定された経営戦略とを擦り合せた上で、統括的な人材採用配置育成をはかって行くべきだと思う。
私がそういうと、採用配置育成を統括する立場にある人は「言われなくても、そんなことはやっている」と言うか、私の提唱自体を聞かなかったことにするかのどちらかである。
私は彼らに、営業マンの採用に関して言えば、入社志望者が「この会社はこんな魅力的かつユニークな営業をさせてくれる」と理解するような経営戦略的なメッセージを用意しているのか、用意しているとすればそれが理解されるように発信した結果、「ぜひ営業をしたい、しかもこの会社で営業をしたい」というのが本音の熱意ある人材が入社試験を受けに来ているのか、現実を確認して直視してほしいと思う。
ディル・ドーテン著「笑って仕事をしていますか?」には、フローの理論は出てこない。抽象的な理論は皆無である。
すべてアメリカの企業事例や実在の人物の発言を提示しての、「この会社の一員として営業をしたい」と思わせるような会社とはいかなる会社なのか、についての具体的なヒントに満ち満ちている。
本論では、そのようなヒントを取り上げては以上述べてきた観点に引きつけて検討していきたい。
(本稿では、「ブランド戦略」との絡みで最後に、パイオニアの「新生PASS店構想」*を提唱する。これは、「PASS会」が目指すAV専門店化路線とは異なり、映画や音楽の鑑賞生活を支援するTSUTAYAと提携して、プラズマとカーナビやカーオーティオとのクロスMDと連携商品サービス開発を志向する業態だ。
社会的に話題性のある「ブランド戦略」は、質的人材ニーズに合致した就職志望者を誘導する効果的な手だてともなる。)
「感情」にまつわる優れたリーダーたちの新しい考え
「リーダーや成功者たちは、どこで強みや意欲を見つけて、現状というドラゴンとの戦いに積極的に臨むのだろう?
仕事に感情が深く絡んでくる時点があるが、そういうとき、仕事はエネルギーを、使い果たすのではなく生み出すことになる。最高にうまくいっている企業には、感情が大きく関わっている。
企業と消費者の決定の多くは理性的であるように思われるが、実はそれは見せかけにすぎない。私たちは、理性的であるふりをしている、感情的な生き物なのである」
私は、「ブランド」とはまさに、企業と消費者の感情の合作だと思っている。
だから、「ブランド」の価値を金額にすることができるという主張に対して、どの程度できるか疑問を持っている。
ちなみに単なる知名度や信頼性は「プランド」を構成するごく一部の、極めて量的に点数化しやすい指標であるに過ぎない。しかも、それは万人向けの指標であり、それだけではある企業における「ブランド」の経済的な効用の全貌もよってその資産価値も推し量ることはできない。
感情的な指標は質的であり、それに期待し満足する人々にとってのみ価値があり、さらにその交流の広さ深さは経済的な効用に結びつくものの、量的に点数化することは難しい。何より、感情はちょっとした切っ掛けで醒めてしまう場合もあるくらいだ。
極端な例を上げよう。
たとえば、三菱地所が買った当時のロックフェラー・センター・ビルを、アメリカ人の感情はどうみただろう。三菱地所はかのビルのシンボリックな「ブランド」の経済価値を配慮したに違いない。しかし、日本企業がバブルマネーで買い取った、まさにそのことが経済的な効用を貶めたのが、まさに感情の仕業であった。
同時期にペブルビーチのゴルフ場を日本企業が買収したケースもそうだ。私はモンタレーのジャズフェスティバルに行った際、興味本位に買収直後のクラブハウスをのぞきにいった。会員メンバーとおぼしきグループから白い眼で睨まれ、これはまずいなあと不穏なものを感じた。芝生に撒くための市からの水の供給において難が生じたという噂を聞いたのはその後だった。企業でいえば買収後にそれまでの主要な協力業者から総スカンをくったような感じだったのではないか。パブリックコースだったものを日本的な会員権システムにするというのが無謀だったのだが、もとはといえば地元顧客の感情というものをまったく配慮していなかったと言える。
感情が「ブランド」価値を決める、ということは、それが決定的に重要な質的経営要素であるということである。
そもそもは、企業の「理念やヴィジョン」に感情の裏打ちがあり、さらにそれが社会や顧客から期待され満足されなければならない。
ロックフェラー・センター・ビルやペブルビーチの例は、この大原則を無視していた。
経営者や社員たち自らの感情に裏打ちされない企業の「理念やヴィジョン」は、お題目としてあっても、日々の現場の事業展開において、さらに決定的な経営判断といういざという時に、最も尊重すべき経営者において無きも同然なのである。
感情が「ブランド」価値を決める、そして企業の「理念やヴィジョン」も感情の裏打ちが必要である、そしてこの両方の事柄を繋いでいるのが、企業と顧客の感情により価値が形成され受容された事業、商品やサービスの実態に他ならない。
ここは想像以上に微妙な問題なので、正確に論じておきたい。
「企業の『理念やヴィジョン』に感情の裏打ちが必要である」とは、人で言えば、たとえばあなたがこういう人間でありたいと宣言することである。感情がこもっていない宣言に意味はない。
「感情が『ブランド』価値を決める」とは、あなたが認めてほしい人たちから、共感と共鳴をもって、確かにあなたはそういう人間であると承認されることである。
この両方の事柄は、「企業と顧客の感情により価値が形成され受容された事業、商品やサービスの実態」によってはじめて繋がる。社会的関係としてリアルなものとなる。そのことは、あなたの実践と実績だけが、あなたの宣言とあなたの認めてほしい人たちからの承認との関係をリアルなものとすることに等しい。当然、あなたの実践と実績は、あなたが感情をこめてした宣言通りの事柄を、同じ感情をもってしたものでなければならないだろう。
たとえば、パイオニアのプラズマテレビはユニークな高性能で高額だ。
だから可処分所得が高い人しか買えない。
程度の差はあるがパイオニアのカーナビもカーオーディオも同様である。
だから、パイオニアの製品ブランドは、ということは企業ブランドも、高性能のスペックにこだわるお金持ち向けである、とする人は社員にも顧客にも多い。
しかし、正確な物言いとしては、これは間違っている。
まず、企業の「理念やヴィジョン」に、私たちはお金持ちを相手にします、とは書いていない筈だ。
だから、社員がそのように企業ブランドやそれに整合すべき製品ブランドを理解しているとしたら、それは誤解である。
次に顧客について。
顧客の中には高性能のスペックばかりにこだわるメカマニアもいる。
しかし、彼らも含めてパイオニア製品に魅了されるのは、ユニークな高性能によって可能になるリビングルーム・ライフやカーライフの質へのこだわりをもつ生活者である。
特に女性の顧客をも想定するのならば、そうした理解をしなければ対応できない筈だ。
さらに、顧客とは、購買能力のある人であることを第一義に想定しない。
正確には、商品やサービスの価値を期待し満足しそれにふさわしい対価を払ってくれるつもりのある生活者のことだ。
その中には、大人になったらパイオニアのカーナビのついたクルマに乗ろう、と思ってくれる子供までが含まれる。結婚したらパイオニアのプラズマテレビのあるリビングで家族でクリスマスを祝うのが夢だ、と言ってくれるまだ恋人さえいない若者までが含まれる。
つまりは、顧客に対応する「ブランド」戦略とは、そうした彼らの期待と満足という感情を誘発して商品やサービスによって着実に応えることに他ならない。
メーカー社内に高性能のスペックばかりにこだわるメカマニアが多いから、顧客の中の同類を顧客の代表とみなす傾向が家電メーカー各社に顕著にある。
その象徴でありそれを堅牢なものとしているのが<モノ割り縦割り>である。
しかし、「ブランド」戦略が対応すべき顧客の感情は、<モノ割り縦割り>ではなくて、<コト割り横ぐし>である。
パイオニアの場合、エンタテイメント・ライフへの高い質の求めにおいて、リビングルーム・ライフとカーライフは同じレベルを求めるのが、想定顧客の感情である。
その感情は、実際にパイオニアのカーナビの使い勝手とプラズマの使い勝手が融合して、競合他社にないライフシーンやライフスタイルを実現するとなれば、より具体的かつ鮮明になるのは確実だ。
こうした理屈は、社員誰でも生活現場の生活者としての感情を呼び覚ませば、火を見るよりも明かである。
しかし、このような<コト割り横ぐし>の「横断的事業連携戦略」を前提にした「ブランド戦略」を経営課題とし、さらにそれこそが企業の「理念やヴィジョン」の現代的解釈であり具現化であるとする経営幹部はいたって少ない。
なぜか?
それは彼らが、生活者の感情とは異なる種類の感情に支配されているからだ。
彼らはその感情をふせて、理路整然とロジカルに自らを感情に左右されない人間として正当化する。
しかし、それはすべて<送り手側のモノ提供の論理>のパラダイムでの合理性に基ずくのであり、彼らがふせている感情とは、それにのっとることで自分の職能と地位を優位にしたいという狭隘な感情に他ならない。それは今会社にいる社員の全体にとっての、さらに創業以来会社がつちかった商品文化を愛してくださったお客様の全体にとっての公的最善を求める感情とは言いがたい。
(株主に対する経営者としての責任を全うするという行為が求める公的最善は、私はとても狭隘な合理性であり、狭隘な感情が入り込む余地が大きいと思う。そのことは特に、土壇場ではなくて、土壇場までの成り行きにおいて持続しがちだと思う。)
常にハッキリしていることは、<受け手側のコト実現の論理>を優先しない限り、想定顧客の感情にも生活者の感情にも、仕事と商品文化を愛する就労者の感情にも受け入れられない企業活動ばかりが優先されていく、ということだ。
だから、そうした企業活動ばかりを押し進める経営幹部の中には、顧客を質的に想定したり再定義したり、そのための質的調査をするといった活動を本能的に嫌う人たちが多い。
そんなことをしてどうなるのか、と。
我が社の製品を買ってくれる人が顧客なのだ、そんなことも分からないのか、と。
マーケティングの初歩を理解している人なら、それでは何も言っていないに等しいと理解するだろう。黙って俺についてこい、と時代錯誤な物言いをしているに等しい。
しかし、一般社員は、そうした腕力ある実力者に楯つくことはできない。そこで彼らが快く話をきいてくれる枠組みの中で改革策を提案することになる。
それで事が済む場合もある。それは会社に十分なる有余のある時節の話だ。
しかし、経営危機ともなれば、彼らの快く話をきいてくれるその枠組み自体がネックになっていることを明示して、これを打開する改革策をどんどん話し合い具現化していくしか起死回生への道はない。
そこで私は社外ブレインとしてここ数年、社内の人間が言いにくい、既存パラダイムを揺さぶる思考実験ばかりを提唱してきている。
本稿でも最後に、「ブランド」絡み、「想定顧客の感情」絡み、<受け手側のコト実現の論理>の<コト割横ぐし>絡みで一つ提唱しておこう。
プラズマテレビとカーナビを取り揃えた現代的PASS店を新生する
数年前、JR秋葉原駅となりに巨大なヨドバシカメラが出来た時、「売り場がメーカーごとになった」というのが売りとされた。
私は、パイオニアならばプラズマと当時は、DVDレコーダー、そしてカーナビが同じ売り場に一堂に会しているのかと期待して見に行った。
しかし、結果は、カーナビは家電量販では扱っていないということだった。
オートバックスに行ってくれと言われた。
<モノ割り縦割り>は、なにもメーカーだけでなく小売りセクターも含めた<送り手側のモノ提供の論理>のパラダイムなのである。
そして、そこには、生活者のコトもそれについての顧客の感情もなにもあったものではない。
かつて私がパイオニアとお取り引きを始めた20年前には、PASS店というパイオニアの特約店ネットワークがあった。当時は、ビクターのVHDに対抗するレーザーディスクをコンテンツ・ソフトと併売していて、そのマーケティング・コミュニケーションの全体をそれまでのオーディオ・マニア向けから転換することに協力した。
もしPASS店を現代化して新生するとすれば、パイオニアのプラズマテレビとカーナビを取り揃え、「エンタテイメント・ライフへの高い質の求めにおいて、リビングルーム・ライフとカーライフは同じレベルを求める」顧客の感情に対応することになる。
その感情は、実際にパイオニアのカーナビの使い勝手とプラズマの使い勝手が融合して競合他社にないライフシーンやライフスタイルを実現すれば、より具体的かつ鮮明になる。だから、PASS店の先鋭的な顧客をモニターとして実験的な商品やサービスをテストマーケティングすることになろう。
(「プラズマテレビ な 2シーター・カー 現る!?」
PASS旗艦店にこんなクルマを展示したら社内外にどういう反響が起こるだろうか?)
さらに、特約店ネットワークは地域密着が基本だが、一般生活者向けだけでなく、地域の事業所向けの業務も展開することになろう。
たとえば、パイオニアのプラズマテレビ「KURO」は、テレビキャスターの黒いヘアのまとまりのふんわり感をよく表現する。店頭でも注意して比較すれば分かるが、競合他社のプラズマでは黒いヘアはダマになっている。つまりは、ヘアサロンやカツラ業界向けの商材として評価されるユニークな高性能なのである。
(私は本ブログでも、小さめのKUROも需要があり、大型にくらべて価格が安くなるだけ市場の広がりもあると主張しているが、それはこうした微妙な黒の視認性を尊重する業務用含めてのことだ。小さめのKUROであれば、アパレル、ファッション業界など、フルハイビジョンの業務用アーカイブやオンウェブ・サービスを連携提案すれば言わば高感性視認需要を開拓していける。そして、アパレル、ファッション業界の「ブランド」戦略拠点である表参道ヒルズのショールームのマーケティング・コミュニケーションをビジネスユースとの関わりでより個性化し、「ブランド」発信力を高めていける。こんなシナリオ・プラニングが可能なのだ。)
想定顧客は、パイオニアなリビングルーム・ライフやカーライフのもたらす感情にこだわる生活者ということだが、そうした生活者を相手にしたいと感情を共有する事業者も含まれる。
私は、パイオニアのこうした想定顧客の感情が交流する場として、現代的PASS店*が新生しうるし、すればよい影響が生まれてくると考える。
(*「PASS会」が目指すAV専門店化路線とは異なり、映画や音楽の鑑賞生活を支援するTSUTAYAと提携して、プラズマとカーナビやカーオーティオとのクロスMDと連携商品サービス開発を志向する業態。)
新生PASS店は、具体的にはTUTAYAとの共同事業として、映画や音楽の鑑賞生活を支援する高感度チェーン店の店舗内展開というのが最高だ。無論、TUTAYAが応じてくれるのであれば隣接共同でもいいし、共同店舗でもいい。なんでも大歓迎だ。
PASS旗艦店は、六本木ヒルズの坂をおりたところのTUTAYAなんかいいなあ、と勝手な想像をふくらませる。
生活者があるこだわりにおいて日常的に接したいのは、ハード〜システムではなく、ソフト〜コンテンツであり、さらにはコト、情報やイベントであるからだ。
業務用ビジネスも共同する。
TUTAYAが業務向け顧客の店舗の集客や販売促進につながる著作権クリヤのBGMやBGVをデリバリーする、それを再生する店内システムをPASS店が送り込みメンテナンスするなど、いろいろ工夫できる筈だ。
その際、大切なのは、「by TUTAYA&PIONEER」のクレジットが入るにふさわしい店舗を相手にする高品質高価格の商売をすることだ。
本書「笑って仕事をしてますか?」にも出てくる話だが、極めて品質の高い商品に関して、価格を競合一般にくらべて格段に高くしたら売上点数ともに売上が倍増したというケースが最近増えてきている。
私が小さめのKUROの展開を主張するのも、この傾向をつかめるからだ。
現行の大型の高額プラズマは購買能力がある人口が(景気の影響もあって)少ないから、価格を上げたらさらに売れなくなるだけだが、価格帯が低くなる小さめのユニークな高性能プラズマであれば、競合商品の一般価格より格段に高いことをむしろ評価して買う階層が出てくるのである。
業務用の場合も、ヘアサロンやカツラ業界のような価格弾力性の大きい商売をしているところは同じ傾向がある。
ヘアサロンのようなターゲットとする客層にフィットした高感度な感性を印象づけることが大切な商売の場合、TUTAYAセレクションのディープなコンテンツは歓迎される。これとPIONEERのKUROの高い表現質感を重ねた体験を普及させることは、「ブランド戦略」的にもとても意味があり有効である。
以上、私の思考実験は、
「いま、PASS店を現代化して新生させるとしたら」
という課題に対して、
「パイオニアと想定顧客の感情を交流させブランド基盤を合作していくベースにすることができる」
という解答をするものである。
想定顧客には、想定生活者だけでなく、想定事業者も含まれ、業務用ビジネスにおいてもTUTAYAとコラボする。
それは、<送り手側のモノ提供の論理>の<モノ割り縦割り>の販売チャネルとそれを前提とする社員の思考回路に対して、
もう一つの販売チャネルとそれを前提とする社員の思考回路を、<受け手側のコト実現の論理>の<コト割横ぐし>でセッティングする、
ということに他ならない。
実現すれば単に「ブランド戦略」に留まらず、継続的な影響を組織知識創造の全体に及ぼすことになろう。
経営危機下の起死回生策は、焦れば焦るほど、イコール「新製品づくり」だ「新規事業」だと考えがちだ。
私の提唱や思考実験の全体も同様のシナリオ・プラニングだと観られていると思う。
しかし、私が提唱しているのは、すべてパラダイム転換を誘発する象徴的イベントとしてのそれらなのだ。
顧客と需要を注視するシナリオ・プラニングの観点自体にも<モノ・パラダイム>と<コト・パラダイム>がある。
私はつねにより広い、より統合的な<コト・パラダイム>でモノ・ファクターを論じようとしてきた。
そこが社内の体制下でシナリオ・プラニングする方々と、外部ブレインとして自由な立ち位置で発想思考する私との大きな違いなのだと思う。それが今回は「ブランド戦略」絡み、「販売チャネル戦略」絡みということになった。
起死回生は、経営者を含めた社員全員の考え方の基本的な枠組み=パラダイム、それも意識的なそれよりも、その土台となる無意識的なパラダイムの転換によってのみ加速されることは歴史が証している。
この新生PASS店構想も、それ一つで起死回生策になると考えている訳ではけっしてない。
あくまで「ブランド」という企業と顧客の合作する「感情」の文脈において、社内外から無意識的なパラダイムの転換を誘発する効率性が高いコト・ファクターである、と考えるのだ。
新生PASS店が、六本木ヒルズ坂下のTUTAYAとのコラボで展開し、それを訪れてパイオニアのユニークな営業戦略を認めた大学生が「ぜひ営業をしたい、しかもこの会社で営業をしたい」となるとすれば、彼らが一番率直な「パイオニア」についてのパラダイム転換者となるだろう。