集団独創における「コーチング」と発想ファシリテーションとの関係 |
---なぜ、あの人には部下がついてくるのか?---」
播磨早苗著/PHP研究所 発
コーチングの本質をこれほど分かり易く説明している本はないのではないか。
著者は、放送局でのアナウンサー勤務ののち、コミュニケーション心理学やコーチングを学び、企業向けのコンサルティングや研修、そしてコーチングをしている方だ。
きっと、話すことのプロとしての土台があって、その上で企業現場でビジネスパーソンと相対してきたことが、このような著述を可能にしているのだと思う。
この本をとり上げて「コーチング」に触れるのは、前々から「コンセプト思考術とコーチングとの関係」を明快に整理しておく必要を感じていて、ロジャースの検討を終えて私自身それを理解しはじめ、さらにコーチング側のテキストとして最適な本書に出合ったからだ。
「コンセプト思考術とコーチングとの関係」について、ポイントは2つあると思う。
一般に、コーチングは個人に対して行われる。そして、私が行っているパラダイム転換発想のファシリテーションは、演習グループやプロジェクト・メンバーなど集団に対して行うことがほとんどだ。
私の発想ファシリテーションは、「コーチング」という言葉が存在するずっと以前からコーチング的な事柄を前提としてきた。勿論、細かいテクニックを意識してのことではなく、あくまでその本質を、ということである。
ポイントの第一は、こういうことだ。
個人個人が仕事において主体性と創造性を活性させて自己実現することを、私も、コーチングのコーチたちも望む。
私たちはまた、企業はその必要性を感じながらも適宜に現実に反映できないでいる、という現実認識も共通している。
では、何がコーチングとは異なる、コンセプト思考術およびそれを用いた発想ファシリテーションの役割ないし効能なのか?
それは、コンセプト思考術が、個人と個人が発想思考を交換するブレインストーミングやディスカッションのための「共通のコミュニケーション・ツール」となること、そして、その成果を他者に伝達したり経営に提案したりする際の、特にパラダイム転換を狙う「共通のコミュニケーション・ノウハウ」となることに他ならない。
ポイントの第二は、こういうことだ。
パラダイム転換発想をうまくファシリテーションできた場合、アイデアが良くできたということよりも、発想主体の個人や集団の主体性や創造性の活性化という成果が得られる。成功的なパラダイム転換発想を共通体験としてもった集団は、「自分たちで自分たちをコーチングする」という善循環エンジンを起動させる。
つまり発想ファシリテーションとは、パラダイム転換発想の共同作業を通じて、いわば「相互コーチングの善循環エンジン」の起動を集団に誘導する作業である。
この相互コーチングが集団において無軌道に行われることは考えにくく、前述の「共通のコミュニケーション・ツール」と「共通のコミュニケーション・ノウハウ」の共有がそれを効果的かつ効率的に促進する土台となるのだ。
以上2つのポイントから、
コーチングは主に個人の「心と言葉」にフォーカスし、
コンセプト思考術の発想ファシリテーションは主に集団の「言葉の概念と物語」にフォーカスしている、
と言えると思う。
コーチングはアメでもなくムチでもなく
著者は、これだけ世間でコーチングという言葉が知れ渡っても、まだコーチングのことを「人を操作するテクニック」だと勘違いしたがる人たちが多いと嘆いている。
文化全体における「知識の偏重」や「マニュアル化の蔓延」は、私たちのような企業社会の現場に企業の外から携わるプロたちの共通の認識だ。
そして、それが「排除型社会における競争的関係」を前提にする連鎖であることも、多方面の専門家の大方の意見だ。
現代における「社会構成主義」やそれを前提にする「ナラティブ・アプローチ」への注目、その土台となったロジャースの「パーソン・センタード・アプローチ」や「フォーカシング」の発展、これと重なるところ大の「コーチング」、それが土台とするマズローの「Be欲求」や「自己実現」の見直しなどなど、すべて「包摂型社会におけるケア的関係」を目指す連鎖であることからも正しいと思う。本ブログでは、こうした内容を継続して検討してきたが、コーチングの本質もまたその普及も同じ文脈上にあることは間違いない。
ところが、目先の個人や企業のいわば「小我」に囚われた問題処理のために、世間で話題の知見をお手軽なテクニックとして利用しよう、という人たちは後を立たない。著者の嘆きは、「包摂型社会におけるケア的関係」を目指す鍵概念、キーワードのすべてに聞かれることだ。
コンセプト思考術も、「思考フォーマットの記入空欄を順次埋めて行けば自動的にパラダイム転換アイデアに至る」便利なテクニックと決めてかかる人たちがいる。そして実質は、けっしてそんなものではなく、浮かんだ発想の断片や洞察の切り口を手掛りとして到達すべきアイデアの全体像をメタ思考していくツールなのだということを知ると、「なんだそんなものか」「現場では役に立たない」と切り捨てる人たちも多い。
著者は、こうした企業社会のビジネスパーソンの現実について、二つの重要な指摘を、「はじめに」の冒頭と、「①コーチングとは何か<注目される背景>」の最後に分かり易くしている。
「今、船が、沖合いの島に向かい出航するときを待って、港に停泊しています。
動力は船のエンジン、追い風も拍車をかけます。この二つが推進力です。位置確認や天候予測などのためのいろいろな機器も備わっています。
ところが、いくら出航の環境が整っても、出航を妨げるものがあります。錨です。錨を上げなければいつまでたっても船は出航できません。
ここで、船は『あなた』だとしてください。島やあなたの『目標』です。エンジンや機器はあなたの『能力、行動力』です。追い風は、『周囲のサポート』。時化や逆風、嵐は『目標を阻む障害』です。そして錨はあなたの中にある『怖れ』なのです。
私たちは錨を上げることを、自分で決断しなければなりません。そのタイミングを慎重に判断する必要はあるのですが、怖れとつき合い、停泊したままでいては、いつまでたっても目的の島まで到達できないどころか、近づくことさえできないのです」
この「船出を阻む錨=怖れ」が「排除型社会における競争的関係」を前提にする連鎖の一つであることは、誰もがそれぞれの仕事現場で切実に感じていることだと思う。
私はこの書き出しを読んで参った。
この内容は、既存パラダイムに慣れ親しんだ人たちや、経営そして職場が陰に陽に既存パラダイムのみでの発想思考に制約している環境にいる人々の現状を、あますところなくそして本質的に表現している。
何かを究明する文章と、究明した成果を分かり易く解説する文章とは、まったく違う語り口でなければならない、ということを改めて肝に銘じた次第だ。
「現在のビジネスシーンは、どんな風が吹くのか、どんな過酷な環境が訪れるかわかりません。企業は、『自分で考え、判断できる社員が欲しい』といいながら、これまで、考え判断できる環境を与えていなかったのが現実です」
既存パラダイムのみを偏重し、新規パラダイムの追加並行に消極的ないしは制約的な企業や職場の場合、社員に遮眼帯をはめた上で主体性を発揮して頑張れ、と言っているようなものだ。
さらに著者はこう述べている。
「目標を構築し達成するために、『アメ』でも『ムチ』でもないサポートをできるひとがいて、初めてそのシステムに息吹きが吹き込まれるのです。(中略)
『ひとをつくっていく』とは、今後予想される過酷な環境への対応力を育てていくことなのです。このとき管理職にとってもっとも効果的となるのがコーチングであることはいうもでもありません」
「『アメ』でも『ムチ』でもないサポート」とは、「排除型社会における競争的関係」を前提にする連鎖から脱却し、「包摂型社会におけるケア的関係」を目指す連鎖をもたらす第一歩に他ならない。
「今後予想される過酷な環境」について具体的に、高品質低価格化競争の「レッドオーシャン市場」という既存パラダイムでは、業界資本規模劣位の企業はさらに過酷になる、という常識的な知見がある。
それへの「対応力を育てていく」方法論として新規パラダイムを求める「ブルーオーシャン戦略」という知見も普及している。これは、既存パラダイムでのみ発想思考せよ、という遮眼帯を社員から外すことなしには行えないことも自明だ。
だから私は、それをしない経営や職場のことを、「ひとをつくっていく」のではなくて「ひとを機械の部品化している」と批判する。
私はフリーランスの外部ブレインだから「船出を阻む錨=怖れ」はない。批判をして仕事を干されることはあっても、ブレインとしての自負をもちそれをライフワークとする以上、言うべきことは言わないと正直に生きることができなくなる。クライアント筋の有志には社員として「怖れ」があって当然で、彼らが言えないことを代弁するのは恊働者としての信頼に応える責務だと思っている。
そして、こうした企業の不毛な事態を解消していくためには、ビジネスパーソン個人個人が自らと他者をコーチングできるような人材になっていくことも重要だが、同時に、「パラダイム転換の戦略的可能性」=「コンセプト」を常に見出して行く考え方と姿勢が経営と職場に共有されることが必須だと思う。
なぜなら、これがなければ、コーチングも既存パラダイムの機械化した組織や制度の中だけで作用するものに矮小化してしまうからだ。(同様のことは、発想ファシリテーションについても言える。)
「コーチングが注目されるもう一つの背景として、消費者や利用者のニーズの変化があります。これまでもてはやされていたものが売れなくなっている一方、消費者のニーズをとらえた商品は『一人勝ち』といわれ、羨望の的となるほど売れています。
これは、『消費者の自立』傾向が強くなったことが原因といえます。ものをつくって売る、開発して売る、という流通の仕組みの中で、その自立した消費者の『答』をキャッチできた企業が『勝ち組』に名を連ねているのです」
コンセプト思考術研修の講座では、以上の内容を、戦後日本のマーケットが「戦後復興期(昭和20年代)→高度成長期(昭和30年代〜オイルショック)→豊熟消費期(オイルショック〜バブル崩壊)→堅実生活期(バブル崩壊以降)」と変遷したとした上で、最後の「堅実生活期」の特徴として解説してきた。
そして「自立した消費者」の典型でありリーダー顧客を、「生活創造者」「ビジネス創造者」と捉えその特徴を解説するとともに、
「『答』をキャッチする方法論」として、彼ら「リーダー顧客と企業が相互学習する関係づくり」を提唱してきた。
それは以下のような知識創造社会観を前提としている。
「リーダー顧客と企業が相互学習する関係」づくりの提唱については、受講者から「今一般的になっているCRMのことだろう」と思われがちだ。私としてはそのようなITテクニックを論じているつもりはないのだが、この誤解を解くには、その前にCRMが前提としたとする「ワン・ツー・ワン・マーケティング」についての誤解を解かねばならない。そこで、研修時間に余裕があれば「ワン・ツー・ワン・マーケティング」のポイントを説明し、なければその前提である「(万人向けのコンシューマー狙いと対極にある)個人のライフスタイルや職場のワークスタイルにこだわるカスタマー狙いのマーケティング」の解説をするにとどめている。しかし理屈は説明できても、なかなか本質を伝えきれないできた。
ところが本書を読んで、「リーダー顧客と企業が相互学習する関係づくり」とは、「企業(たとえば開発部門や調査部門)がリーダー顧客と相互コーチングする関係づくり」に他ならない、ということが分かった。
そしてさらに、「企業(たとえば営業部門やアフターサービス部門)が潜在顧客や既存顧客と相互コーチングする関係づくり」こそが、理想的なカスタマー狙いの営業でありアフターサービスのあり方になる、ということも分かった。
これは、CRMのITテクニックのような単なるインフラ整備や、セールストーク集や営業成功事例集のようなマニュアル整備に還元されようのない話だ。
コーチングこそが、「ワン・ツー・ワン・マーケティング」そしてその前提である「(万人向けのコンシューマー狙いと対極にある)個人のライフスタイルや職場のワークスタイルにこだわるカスタマー狙いのマーケティング」の解説をする鍵概念なのであった。
以下、このような観点から、また小生自身のこれまでの演習ファシリテーションを反省しながら、「コーチングとは何か」を整理しておきたい。
コーチングとは何か
この問いに著者はこう答えている。
「コーチングとは、会話によって相手の優れた能力を引き出しながら、前進をサポートし、自発的に行動を促すコミュニケーションスキル」
パラダイム転換発想演習では、研修受講者の「優れた能力を引き出す」というのは、具体的には彼らの発想思考のあり方やどんなに些細でもその成果に注目し肯定的に受けとめることだ。
大切なのは、受講者に対して講師である私がそうするだけでなく、講師である私に対して受講者もそうできる関係を成立させることだと思う。
「コーチングは熟達者が後進を厳しく指導するということではありません。むしろその対極にあるのがコーチングなのです。そこには、『指導』という概念はありませんし、コーチとその相手は対等、という立場をとります。相手の職業に関する専門知識も必要ありません。必要なのは、可能性を引き出すコーチングスキルなのです」
とは言え、このコーチングスキルを成功的に行うのは言うほど容易いことではない。
現実には多様な事情が絡んでくるのは、職場も研修も同じだ。
「コーチングは『自発的に行動することを促すコミュニケーションスキル』です。たとえ『成果』につながる即効性はなくとも、『自発的』であることによって、やる気は長い間持続するのです」
として、著者は、「自発的な行動」の価値をこう説明する。
「上司であるあなたの『命令』が成功への最短の『答』であるとします」
(発想演習では、発想が浮かばずにスタックしてしまっているグループを触発するために私が提示する例解アイデアが、この上司の「命令」や最短の「答」として受けとめられる場合がある。)
「つまり、100%パーフェクトであり、部下の『答』に従った場合は50%程度の成功率だとします。
部下が自分自身の50%の答にしたがって目標達成に取り組んだ場合、自らのモチベーションを上げられ、実力を最大限に発揮できれば、手に入れられる結果はあなたの期待の50%くらいには到達すると予測できます。
しかし、部下があなたの100%の正解にしたがっても、具体的な目標があやふやなまま進み、モチベーションも上がらず、熱意も低いとしたら、手に入れられる成果は、はたしてどのくらいでしょう。20%? 30%? ひょっとすると0%かもしれません。
たとえ50%だとしても、部下自身が自分で導いた『答』に向かっていくことで、最終的に得られる成果は、上司が与えた100%の答にしたがうより高い場合があるのです。
さらに、結果は50%だとしても、かけがえのない成果を得られているのです。それは『50%達成した』という自信が手に入ること、そして残りの50%が新たな目標となり、熱意が生まれることです。この内側からの『熱意』こそが『仕事の喜び』であるのはいうまでもありません」
私の仕事人生を振り返っても、私の自主性を尊重して50%の正解を容認してくれたコーチのお陰で、自分の個性や能力を解放できたということがある。
ただ、職場の上司が部下を長期的かつ継続的にコーチングするのと、一期一会の研修の発想演習で外部講師が受講者グループをファシリテーションするのとでは、微妙でかつ大きな違いがあるのも事実だ。
特に小生のコンセプト思考術は、なまじ「パラダイム転換発想」を標榜しているだけに、有意義な「パラダイム転換アイデア」という成果が何も出てこなければ、研修そのものがまったく意義のないものとなってしまう。個々の受講者にとっては、自分と所属するグループが成果を上げられなかったら、同様に思うだろう。
よって全体および各グループに良い成果が出てこない場合、講師がブラッシュアップ案を出して思考術の有効性を示さなければ、研修自体が不評となりなくなってしまう可能性があるのだ。このリスクは、研修事務局の評価判断という形で、あるいは研修受講者の感想意見という形で現実のものとなる。
私は苦肉の策として、2日コースの基礎テクニックの習得を目指す初日の課題演習では「指導」をさせてもらい、2日目の自由課題の演習では、各グループへの「共感的傾聴によるアイデアの聴き出し」と、スタックしたグループへの触発アイデア提示のみをし、発表では講師は講評せずにグループ同士で質疑応答と相互採点をしてもらい、研修終了後、アフターフォローとして講師プラッシュアップ私案をメール配布している。
(「共感的傾聴によるアイデアの聴き出し」の具体的内容とは、著者が述べている 「コーチは、眠っている『答』を引っ張り出すことと、相手の中の視覚情報を豊かにして、とりだした『答』を自発的行動へと促すことという両面で相手の前進をサポートする」ということそのままだ。)
この工夫は、研修事務局の意向がクライアントによって大きく異なる、という事情にも対応している。
実際、あくまで研修の実務への即効性を狙い、有望なアイデア成果は自社で実現するなり他社に提案するなり事後アプローチをとるという事務局もあれば、あくまで意識転換や動機づけを重視し中長期的な人材育成を狙うという事務局もある。
ナレッジマネジメントや知識創造の権威筋でも、「研修はしょせん遊びであり『嘘』がある」と消極的に評価しあくまで実務的とするインストラクションを目指すタイプもいれば、「現業現場を離れた非日常的な祝祭における意識転換と人材交流にこそ隠れた研修の価値がある」と積極的に評価し多くの気づきを得て共有できる内容を目指すタイプもいる。前者は「欧米型の知識資本主義」、後者は「日本型の人本主義」と、依って立つところが大きく異なるようだ。
私は、研修講座がコンセプト思考術1本なので、相手と場をみて微調整するしかない。
しかし私個人は、「人と人が出会う縁起にのっとって、オープンマインドで自由闊達に発想思考を交流すれば、誰だって素晴らしい集団独創に参画できる」と考えているので、コンセプトワークの実務的インストラクションとその成果を確保した上で、中長期的な態度能力の変容に繋がるようなコーチング的工夫をしていきたいと考えている。
本研修フォローブログにおける「日本型の集団独創」の究明と提唱もその一環であり、関心興味のある人々には研修が入り口になってご自身なりの方法論を追求していってもらいたいとの思いだ。
思えば、「縁起にのっとった<情>起点の発想思考」を「群れ遊び」する「日本型の集団独創」とは、まさに「世代や性別や立場の垣根を越えた相互コーチング」であった。
私たち日本人が失ったものを、いま外来の「コーチング」として個人レベルから回復しようとしているのが今の日本の実情だとしたら、いかにも皮肉な話だと思う。
私は、自身の経験から、環境要件と本人の態度能力さえ整えば本来誰でも有意義な集団独創に参画できると本気で信じている。
何より、世界各地の伝統的な文化がそうした集団独創の累積成果であって、これを明々白々に証明している。
そんな私は、本来の姿を疎外する社会や組織や集団や個人のしがらみや既成観念を取り払うことが、何よりの発想ファシリテーションなのだ、という前提にそもそも立っている。
著者もこう結論している。
「コーチングの『自発的に行動する』という考え方の陰には、『ひとはみな条件が整えば、自分の力を最大限に発揮して、自己実現に向かう』という理論があります(筆者注=マズロー理論)。ですから、上司が部下を『アメとムチ』で『操作する』のではなく、『自己実現に向かうサポートをする』という考え方を受け入れないかぎり、ビジネスシーンでコーチングスキルを使っても効果が上がりません」