「経営戦略論」を組織に属する個人の立場から見直す (2) |
(石井淳蔵・奥村昭博・加護野忠男・野中郁次郎共著/有斐閣刊) 発
ドメインの定義
本書は、「経営戦略は企業と環境とのかかわり方に関するものであるから、企業と環境とのかかわり方を決めるためにどのような決定が必要かを検討することによって、経営戦略の中身が明確にできる」とし、以下の4つの決定を上げます。
(1)ドメインの決定
(2)資源展開の決定
(3)競争戦略の決定
(4)事業システムの決定
そして、まず最初のドメインの決定について
「ドメイン(生存領域)の定義とは、現在から将来にわたって、『自社の事業はいかにあるべきか』を決定することである。この決定は、ドラッカー [1964]以来、経営戦略の中心テーマの1つとなってきたことである。ドメインの定義は、企業の環境適応の長期的構図を描くことであり、経営戦略の他の決定の基礎となるものである。ドメインの定義は、戦略決定のための空間(戦略空間)を決めることでもある」
とします。
ここで注意しなければならないのは、
<ドメインの定義>→他の決定ということです。
他の決定→<ドメインの定義>ではないという順序です。
資源の状況や展開可能性がこうだから、ドメイン(生存領域)はこうしよう、とか、
競争に勝てるとすればこれしかないから、ドメインはこうしよう、というのは本末転倒だということです。
私のいろいろなヴィジョンづくりを標榜するプロジェクトに参画した経験では、まず本当に理想を求めての「目的づくりとしてのヴィジョンづくり」なのか、それとも現状手段とその延長線上にある目標を正当化するいわば「為にするヴィジョンづくり」なのかは、このドメイン理解が正しいかどうかですぐに判明しました。
「ドメインは、企業が事業活動を行う事業分野のリスト(事業ポートフォリオ)として示されることもあれば、それらを包括するあるいはそれらに共通した包括的なコンセプトで示されることもある。『生活文化産業』(サントリー)、『市民産業』(旧西武流通グループ)、『コングロマーチャント』(旧ダイエー)、『コンピュータ&コミュニケーション(C&C)』(日本電気)は包括的なコンセプトの例である」
以上の例はすべてバブル崩壊前の企業環境に余裕のあった頃のものです。
経営危機にあるような状況で新たなヴィジョンづくりをしてドメインを見直す企業の場合、まず、すでに起きた環境変化とその将来予測をする。そしてそれが受動的な社会であるとすれば、それに能動的にこのように働きかけてこういう社会にしていこうという将来を構想する。その上で、具体的な事業ポートフォリオも提示すべきだと思います。そして、社員と株主がこの具体的な現実改革への情熱を共有し、顧客と社会が大いに賛同してもらえる方向で、いかなるドメインという生存領域において、何のために(目的をとらえる理想含む)どのように(手段をとらえる原則含む)生存していくのかというヴィジョンを再構築する。
まず「理想や原則という価値」を明快に訴えているかどうかで、素人目にもヴィジョンがヴィジョンになっているのかどうかが分かります。そして実際に、「ヴィジョン」と称して、中高生でも「これは中長期の売り上げ計画だ」と思うしかない、数値目標を前面に打ち出して平気でいる大手カンパニーもあります。
企業が経営危機にある場合は、ヴィジョンづくりの成果は会社内外から注目されていますから、ヴィジョンをうけた社員が即座に、具体的な事業ポートフォリオとして示されたドメインと、戦略判断の具体的基準ともなる「理想や原則という価値」とを掛け算して、企業改革と事業改革の方策を打ち出す動きを導くことで、経営は確かな評価と期待を社員と株主と顧客から得られる。
そのためには、文言上の整合性を通すだけのヴィジョンでは用をなしません。すぐに社員にとってはただのお題目となってしまいます。
そして、どのような場合に、「文言上の整合性を通すだけのヴィジョンづくり」になってしまうかと言うと、それは、本音としては他の決定→<ドメインの定義>が前提になっている場合に他なりません。
他の決定事項、具体的には(2)資源展開の決定、(3)競争戦略の決定、(4)事業システムの決定はすべて、従来の延長路線でいくということが決まっていてのヴィジョンづくり、ドメイン設定ということです。事業部門のことはそれぞれの縄張りの意向に委ねるというのが本音の前提で、全社的なヴィジョンを経営戦略的に再構築するという建前の課題に取り組むのですから、成果がすぐに形骸化する、何も従来と変わらないという結末は最初から約束されています。
資源展開の決定
「決められたドメインの中で、企業が一定の地位を確立するためには、競争に必要な経営資源を蓄積しなければならない。経営資源の蓄積と配分にかかわる戦略が資源展開戦略であり、必要な資源をいかにして蓄積あるいは獲得するか(経営資源の蓄積)、ドメインを構成する各事業分野に限られた経営資源をいかにして配分するか(経営資源の配分)の決定が資源展開戦略の2つの構成要素である」
企業というのは、儲かりすぎた時、儲からな過ぎた時、ともにお金に神経が行きます。すると、お金を稼ぐ事業部門の中でも営業成績を上げる貢献をした人々が経営主流となります。経営危機の場合もそうで、ドメインなど抽象的な事柄を論じる前に、具体的に不採算部門をどうするかを直接的に論じる。それはイコール、経営資源の配分に議論を集中するということです。将来に向けたドメインを論じない以上、資源展開のもう1つの論点
経営資源の蓄積を十分に議論しない。まあ誰が考えても成長性のある不採算部門とまでは言い切れない事業部門の研究費や設備投資はする、という算術経営で折り合いをつけます。その時、企業存在の目的、理想や原則は語られない。つまり、経営幹部みずから戦略決定のルールになるべきヴィジョンやドメインを役立てているとは言えない。また、経営資源の蓄積の議論に消極的であれば、蓄積からしか始まらない次世代事業の模索や開拓には当然眼が向かなくなっていきます。
お金を稼ぐ事業部門の中でも営業成績を上げる貢献をした人々だけが経営主流を占め、かつ彼らが異論(たとえばそもそも創立以来の会社の存在価値や、本来ライフスタイルやワークスタイルはこうあるべきという理想などの目的志向論)に耳を傾けなくなった場合、その弊害はさらに展開していきます。
競争戦略の決定
「個々の事業分野において、蓄積・配分された資源をもとに、いかにして競争優位性を確立するかの決定が競争戦略の決定である」
ここで、将来を見越した経営資源の蓄積の議論がおざなりであったことが響いてきます。
「産業ならびに市場セグメントにおける競争の状態と自社の地位についての基本的な認識を確認・共有し、それをもとにした経営資源の組み合わせを通じて競争相手に対して差別的な優位性を確立するための指針を確立することこそが競争戦略の課題である」
お金を稼ぐ事業部門の中でも営業成績を上げる貢献をした人々だけが経営主流を占めると、市場セグメントは、単純に販売する既存の製品セグメントになってしまいがちです。
メーカーにおける最悪の場合、2つのことが同時進行します。
1つは、ハード/システムのセグメントだけを意識して、一般的にメーカーが不得意なソフト/コンテンツ、オンラインサービス/(顧客の立場からみて漏れの無い)トータルソリューションといった異業種・異業界とのコラボレーションで達成するべき産業セグメントは無視ないし軽視してしまう、ということです。
そして重大なことは、それが重要ではないとみなしたからではなくて、自分たちにはよく分からず判断できなないからであることです。それを判断するには、自分たちとは異なる考え方のいわば非主流や異端の異論に耳を貸さなければなりませんが、それはポリティカルにしたくない。頑な主流の狭量です。
いま1つは、不採算部門の安直な撤退などを典型に、事業部門を個別的な業績によってのみ判断して、複数事業部門のいわゆる<モノ割り横断のコト横ぐし>で新しい付加価値と市場を創造していくという、創造的かつ挑戦的な活動といった不確定性のあるものを一切受け付けなくなる、ということです。
いま目前にモノがあって、たとえ捕らぬ狸の皮算用でも数字で示される事業構想以外は受け付けない。これは目先の数字だけを追う人々同士の間では単純明快ではあるのでしょうが、まったく合理的な判断ではありません。その最大の理由は、そんな数字の因果論は同業他社の同じタイプの人たちもまったく同じに考えていて、その分競争が想像以上に激しくなる。劣位大手の場合、捕らぬ狸の皮算用どころか、多大な損害を会社に与えることの方が実際多いからです。
そしてお金という数字にのみこだわる経営は、実は明確な意思によって主体的に選択した訳でもなく、自動的にというかなし崩し的に会社全体をいわゆるレッドオーシャン市場にのみどっぷり浸からせていく。ブルーオーシャン戦略の具体的検討もその事業化の可能性と有効性についての公的議論もしないでです。
事業システムの決定
「事業システムは、これまでの戦略論で軽視されてきた問題の1つであるが、企業と環境とのかかわり方を決めるという観点からは無視できない問題となっている。とりわけ、情報・通信技術(筆者注=IT)の発達によって、企業間に新しい事業システムが構築される可能性が拡がり、この問題の重要性は増している。
事業システムのエッセンスは、企業間にまたがる事業活動を組織化し、持続的な競争優位をどのようにして構築するかを決定することである」
事業システムの現代的な典型は「BtoBtoC」です。
たとえば具体的に、タクシー搭載カーナビによる乗客向け情報サービスといったものを想定してみてください。
周知のように、事業をC=顧客のニーズを起点とするトータルソリューションにしていくことが求められています。そしてそれを達成するためには、当然、異なる考え方をもった異業種・異業界(もう一つのB含む)の職能がコラボレーションしなければなりません。
前述したハード/システム、ソフト/コンテンツ、オンラインサービス/(顧客から見てニーズ対応に漏れの無い)トータルソリューションの場合、社内の部門横断で充足できればそれでいいが、充足できなければそれを得意とする異業種・異業界とのコラボレーションが不可欠です。
コラボレーション事業を構想模索する段階から社内の部門横断や対外的なコラボレーションが必要です。しかし、身内だけではできないテーマの思考と行動に対して腰が重いのが一般的なサラリーマンの実情です。自分たちがイニシアティブを完全に握れないことになる、自分たちの能力不足を周囲に示すことになるとの危惧がそうさせるようです。しかし、この低いプライドほど対外的なコラボレーションを阻む、無意味というか情けない感情はありません。
確かに産官学のコラボレーションは盛んです。この場合、<モノ割り縦割り>で同じ考えの同じ職能の人が、お互いの能力を認め合い、イニシアティブも権威に従うか対等であることが分かっていて安心なのです。そして産官学コラボの特徴は、タイムリミットも企業の命運も担わずにゆったりやっていることです。しかも、競合各社揃い踏みでやっている場合すら多い。これでは競争戦略には繋がりません。一般的なサラリーマンはそういう低いプライドが傷つかず保身もできる気楽な仕事は好きなのです。
経営危機にある企業の場合、そんな悠長な産官学コラボで満足している訳にはいきません。
しかし、複数事業部門を<モノ割り横断のコト横ぐし>して新しい付加価値と市場を創造していくといった成果が不確定の構想を一切受け付けなくなった経営は、異業種・異業界とのコラボレーションに対しても、構想の模索についてさえ同じ理由で消極性を示します。現場の一般的なサラリーマン社員が逃げ腰、本来それを鼓舞する立場にある経営幹部が消極的、構想模索すら始まりようがないのですから、アジル、俊敏なる事業の再編革新など夢のまた夢です。(まるで鎖国しながら閉塞状況に陥っていった徳川幕府のようです。産官学コラボの予算は、学の権威のせいか官や業界とのお付き合いということでしょうか何の議論もなくすんなり通ります。)
要は、数字しか見れない算術経営は、きっちりとした<モノ割り縦割り>体制で、製品か模型かスケッチか目前に目に見えるモノがあり、売り上げという数字がすぐにかいずれか上がることだけに、社員全員を専念させたい。それが唯一の経営ノウハウである。そのような場合、事業システムの決定は話題にも上りません。(売り上げがいつ、どのくらい上がり、どのような競争環境で自社にどれくらい利益をもたらすか不明でも、産官学の業界揃い踏みコラボの場合は、不問にふされる。つまり、数字という基準もじつにいい加減なものです。業界横並び型製品の研究予算や設備投資と回収利益に関する「赤信号みんなで渡ればこわくない」的な皮算用も、私たちが多くの局面で見受けるものですが、競争戦略の本質とまったく矛盾していることは明白です。劣位大手の場合、最大手を筆頭に競合各社が多大な投資をしてくることが分かっている上でのことですから、「我が社の製品が一番いける筈だ」という賽の目を信じるじつは博打なのです。そして、不採算部門の撤退事例の多くは、この算術経営の博打だけで一点突破しようとしてきたことの結末といえます。)
「経営戦略の4つの内容は相互に緊密に関連しあっている。この4つの決定の間の時間的ならびに空間的な整合性をいかにして確立するかが、最も重要なポイントであるといえるかもしれない。(中略)経営戦略の整合化は、サブ・システムの整合化という形を通じて行われる」
経営戦略をサブ・システムに分割する基準として用いられてきたのは、機能(職能)と事業分野であり、最終的に組織制度に体現されます。
しかし、数字のことしか考えられない算術経営の場合、事業部制だろうがカンパニー制だろうがはたまたマトリクス型組織だろうが、実質的にさして大差のないものになる、それが実態です。
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