世界の家族形態の類型とそれがもたらす発想思考の違い(整理) |
さらに、数百年もの間続いた家族類型はすでに各国人・各民族の思考の枠組み(パラダイム)を決定してしまっているので、近年、家族類型が変わったからといってそれまでの家族類型という枠組みにはめこまれた思考は簡単に変わらない、とする。
その理由としては、個人と国家を結ぶ「中間団体」(宗教団体、軍隊、学校、官僚制度、ギルドや労働組合、会社、自治会や市民サークルなど)が家族類型の影響を受けて思考の枠組みを固定化してその構造を半永久的に保存する傾向が指摘されている。
では、世界にはどんな家族形態があるのだろうか。
世界の家族形態の類型と「中間団体」の発想思考
「直系家族」
日本、韓国、ドイツ、スウェーデンに見られる、
子供が成長して生計を立てられるようになっても、親はそのうちの一人の子と同居する家族形態。
子供は結婚して子ができても、父母と同じ屋根の下に住む。
「核家族」
イギリス、アメリカ、フランスを中心とする、
子供の独立後、互いに干渉せず、それぞれに自立的な人格を認め合う家族形態。
父母子の組み合わせが家族の最小にして最大の単位となる。
子供は独立した家計を営むようになると親元を離れ、結婚して新しい家庭を作る。
成人した未婚の子でも親と一緒に住むことはない。
戦後昭和、都市部を中心に「核家族化」が盛んに現象した。
しかし、それは「直系家族」の過渡的様相だったと現在は捉えられている。
つまり「直系家族」の長期間の形態的変化をたどると、老親の没後に次期の直系家族形成までの間、「核家族」の外観をとることがある。日本の戦後昭和の場合、地方から東京などに進出した若い世代が東京で世帯をもち「核家族」が普及したように見られたが、その世代が東京で子供夫婦と暮らすケースや、高齢化した田舎の老親を呼び寄せるケースや、両者を重ねるケースが出てきた。それは日本人のメンタリティにとって自然なことであり、そのメンタリティに応じた老親介護のサービスや施設(中間団体)が発達していることからしても、日本人のパラダイムは「核家族」ではなく「直系家族」にあると考えられる。
家族は、以上の親子関係と、兄弟関係の掛け算で4つの類型に分けられる。
欧州の場合はこうである。
①イングランド型の絶対核家族
親と成人した子は別居(核家族)× 家産相続で兄弟関係は不平等
②フランス・パリ盆地型の平等主義家族
親と成人した子は別居(核家族)× 家産相続で兄弟関係は平等
③ドイツ型の直系家族
親と成人した子の一人が同居(直系家族)× 家産相続で兄弟関係は不平等
④ロシア型の外婚制共同体家族
親と成人した子の全員が同居(拡大家族)× 家産相続で兄弟関係は平等
では、「直系家族」と「核家族」ではどのような発想思考の違いが出て来るのだろうか。
◯子の内一人だけが結婚して配偶者や子とともに親に家にとどまり、1組みずつ縦の系列で婚姻関係を保持していく「直系家族」では、夫婦関係よりも親子関係を重視する。
そして、直系観の違いによって2〜3世帯の夫婦(親夫婦、子夫婦、孫夫婦)が生活共同体を形成する。
◯親が跡取りの子夫婦との同居を繰り返すことで家系を直系的に維持する。
世界各地の農村に広くみられ農地の維持を目的とした定住民的な志向と言える。
◯フランス(パリ盆地以外)、ドイツ、アイルランド、イタリア(南部)、スペインなどの欧州諸国、および日本、韓国、タイ(北東部)、フィリピンなどのアジア諸国の農村に広く見られる「直系家族」は、継嗣(けいし)の選び方、家産の相続の仕方などにより多様性をもつ。
「拡大家族」
一方、アメリカの人類学者マードックは、
夫婦と未婚の子よりなる「核家族」が、親子のつながりや兄弟のつながりに沿って近親関係を拡大する可能性をもつことを指摘し、
このような拡大近親関係をさまざまな形の家族境界でくぎって成立するものを「拡大家族」としている。
ここで戦後昭和の日本では、漫画「サザエさん」で磯野家に娘の夫マスオさんが同居しているのが「拡大家族」なのか、それとも「直系家族(嫡系家族)」なのか、という疑問が生じる。
長男カツオがいつまでたっても成長せずに子供のままなので判明しないが、カツオがいずれ成人して結婚して子をもうけ家族ともども同居するとして、その時、サザエ・マスオ夫婦もそのまま暮らせば「双系拡大家族」、出て行くとすれば「父系直系家族」となる。もし、カツオ一家が別居してサザエ・マスオ夫婦がそのままタロちゃんと留まるとすれば、現段階から「母系直系家族」だったということになる。
日本は、学術的にはこうした不確定性があることから、(中国の父系拡大家族やインドの母系拡大家族などと)対外的に比較して「拡大家族」ではなく、「非単系の直系家族(嫡系家族)」と考えられている。
私個人的には、この見解を、日本人の特徴である縁起にのっとった<情>起点の発想思考に重なるものと捉えている。
つまり江戸時代までは大前提として「お家至上主義」があり、「お家」を存続させるのに最も有効な家族類型が階層ごとに選択されてきた、と考えるのである。
たとえば平安時代に関して言えば、公家は「母系直系家族」をとり、武家は「父系直系家族」をとる、といった具合いにである。
公家の家督の最大は世襲制の家職である。それは誰か一人が相続するものであるから、母系であっても跡継ぎが乱立する「拡大家族」はとらない。
武家にとって課題は現状の家督の維持にとどまらず一族の武家勢力としての発展であるから、父系であっても兄弟世帯が一つ所に集まり住む「拡大家族」はとらない。
「母系家族」
日本の歴史的な家族形態の特徴は、先史時代から「母系家族」でその名残が平安中期頃まであった、ということである。
それが、現代の「非単系の直系家族(嫡系家族)」のマダム〜小マダム〜その予備軍の娘的様相にも反映している。
母系家族は、父系家族の逆で、祖母から母、母から娘へと系譜がつがれていく。
そのパターンは歴史的に以下のように変遷してきている。
①先史時代〜古代
命を生み出す女性である母が家長だった。
成人すると男子が家を出ていき、娘が家に残って後をついだ。
通い婚や婿取りが行われた。
②平安時代
貴族社会は①の進化形をとるも、家長権は男子に移っていった。結婚は通い婚だったものが次第に嫁取り婚に移行していった。
庶民はまだ通い婚や嫁取り。
藤原氏は、娘を天皇の后にして孫である皇子が生まれると藤原の家に取り込み外祖父が政治を動かした。つまり、藤原氏としては跡取りは息子だが、実質的に家の柱は娘であった。
③鎌倉時代〜室町時代
武家の世の中になると、「お家」とその領地を守るために嫁取り婚となるも、嫁も領地を持っていたり家政を取り仕切る(政所)して、実質的には夫婦対等だった。
それが時代が下って戦国時代に向けて母系から父系へと移行していく。
(ちなみに、織田信長の跡取りは信忠から秀信(三法師)となる。
秀信の子孫は別の姓を名乗って続くが、織田家として父系はここでとだえる。
しかし母系に着目すると、信長の妹であるお市の方と浅井長政との子どもである茶々(豊臣秀吉側室=淀君)・初(京極高次正室)・お江与(徳川秀忠正室)がいる。つまり、織田の血筋は豊臣家・京極家・徳川宗家へと引き継がれている。そして、淀君をはじめこの三人は積極的に政治参与しているのだから、この時期は父系と母系との主導権争いが家中で繰り広げられていた、ということになる。
こうした流れは江戸時代にも家中の派閥争いとしてありいわゆる「お家騒動」となったと考えられる。)
④江戸時代
幕藩体制のもと士農工商すべてにおいて「お家至上主義」が一貫し世の中全体で家父長制が基本となる。
「世継ぎ」と言えば嫡男、男子ではあるものの、娘しかいない場合養子をとるため、血統的に完全な男系とは言えない。
以上、世界と家族形態の類型と日本における変遷について整理した。
このようなことを踏まえて、家族システム論を現代世界の「中間団体」に見出すことができる。
仏文学者の鹿島茂氏は以下のような指摘をしている。
核家族が株式会社を発明した
◯大航海時代の巨大な資本を要する航海を支える資本をリスク分散した株式という形で社会全体から広く調達した株式会社。
株式会社を発明したイギリス、オランダ、フランスは、すべて「核家族」に分類される国である。
これに対して、株式会社を遅れて取り入れたり自己流に土着型の資本主義を作り出したドイツ、スウェーデン、日本、韓国などは、すべて「直系家族」に分類される国である。
さらに、株式会社や資本主義というものに拒否反応を示し共産革命を成し遂げたロシア、ユーゴ、中国などは、すべて「拡大家族」(「共同体家族」)に分類される国である。
◯イングランドとフランスでは農地の所有形態が大荘園制で自作農が少なかったため、農地の分割を避ける必要がなかったので、ずっと核家族で通してきた。
これに対して、自作農が多かったドイツ、スイス、スウェーデンでは農地分割を避ける工夫として中世に核家族から直系家族に変わりそれが、工業化社会となり核家族化が進む20世紀まで続いた。
日本も院政期から江戸期にかけて核家族から農地分割回避のために直系家族に変わったと思われる。
核家族の国の会社は核家族的
◯核家族の国では、子供たちは独立すると自分の自由意志で配偶者を選び(恋愛結婚)、独自に家庭を営むのが原則である。独立後は、自己責任のルールでことを処理し親は介入しないのが普通である。
こうした核家族の国の家族についての<社会人的な心性>は、「交換」のやりとりのパラダイムにある。
中世イングランドにおいて親子間の相続を巡って訴訟が多かったのは、親が子供の独立に際して、自分の農地と道具や家畜などの財産を終身年金と引き換えに子供に売りつけ、息子が複数いた場合には競り合いをさせたことに関係しているという。
この相続習慣はフランスにもあり、バルザックの「幻滅」では、印刷業者の父親が息子に営業権と印刷機を高く売りつけようとする話が出てくるという。
また、独立して結婚した息子も配偶者との関係がうまくいかなければ、簡単に離婚したり、妻も離婚が自由にできるように(あるいは簡単に離婚されないように)、夫には処分権のない持参金を持って嫁いだという。
概して核家族の国では親子関係そして夫婦関係はドライと言えるが、それは「交換」のやりとりが家族関係にも一貫しているということに他ならない。
◯大航海時代に発明された会社も、核家族のドライな関係性、「交換」のやりとりが反映された。
象徴的には、「株主の有限責任」と「持ち株の自由譲渡性」のルールであるという。
投資家と投資対象との関係を出資分だけにとどめそれ以外の関わりを一切排除することでより多くの投資家を集めたのは、核家族のメンタリティだという。
法人格という理念の発明も、責任を有限に留めて回避し、会社が倒産しても責任を負うのは法人であり個人ではない。よって個人は別の法人をつくって再チャレンジすることが可能で、これも、核家族のメンタリティだという。
また他人の会社に入社する場合も、労働契約が結ばれるから、条件が合わなくなれば簡単に会社をやめられるし、会社の方も契約違反を理由に容易にクビを切れる。これも核家族のドライな関係性の反映だという。
直系家族の国の会社は直系家族的
◯直系家族の国では、父母子は家族の一員というよりも「イエ」の一員である。
子は生まれる前から「イエ」の一員として前提される。そして長男の嫁は、嫁という字が「女偏に家」と書くように「イエ」に入って嫡男を産むべき存在であった。
結婚は男女の自由意志と契約に基づくものではなく、「イエ」と「イエ」の繋がりとして意図された親同士が取り決めるものだった。
◯直系家族では、父親や長男が偉いとされた。それは、子供や弟よりも「先に生まれた男」だからである。その偉さはタテ型で続く「イエ」の理念によって制度的に保証されたものである。
◯直系家族の国の会社は「イエ」である。
典型的なのは同族会社で、社長の息子は親の会社(イエ)に生まれると同時に属していて、長男は社長が亡くなると自動的に跡目を継いで社長となる。幕藩の殿様と同じだ。
また、社員は幕藩の家臣と同じで、会社(イエ)への帰属が自らのアイデンティティとなる。
したがって入社に際して労働契約が結ばれていても、途中で会社を辞めたり脱サラすることには藩士の脱藩や武士の身分を捨てるような心理的な抵抗がある。その裏返しで途中入社組みは生え抜き組に比べて冷遇されたりもする。
また、直系家族で「先に生まれた者」が偉いように、入社年次による先輩後輩メンタリティが尊重されて年功序列が制度化される。
◯直系家族において父親や長男の偉さがイエのタテ「構造」から来たように、社長の権力もまた「構造的」である。経営者としての能力の競い合いがあってその勝者が社長になるという訳ではない。経営実権を握る基幹事業部門の長が順送りや回り持ちで社長になるケースが多い。それは幕府の将軍が徳川御三家の藩主から選ばれたことに重なる。
また、社長はお飾り的な存在で実権は副社長や専務が握っているケースもある。それは戦前の陸海軍の専横を許した天皇機関説に重なる。
このような日本の会社の問題は、意思決定の所在が不明である点である。
巨額投資や合併や事業売却といった企業の存続に関わる重大な決定でも、社長が率先して案件を処理しすべて自分の責任において行うということは、創業社長を除くと極めて稀である。
「社長機関説」の会社では、重役会議で決定されたといっても、議事録を見れば激しい議論が交わされた痕跡はまったくなく、だれも積極的に反対する者がいないという理由で決定がなされることが少なくない。また、重役会議に議題が提案される段階で、事前の根回しで可否はすでに決まっており、重役会議はただ承認を与えるだけということも多い。
このような「決定主体の不在」は、必然的に丸山眞男のいう無責任体制を導く。
◯直系家族の会社のもう一つの難点は、社長が引退して会長になったとしても、その会長は代表権を持った実質的CEOであり、社長はたんなる傀儡にすぎないことが多いことである。それは院政において天皇を退位した上皇が天皇を傀儡として、実質的な家父長であろうとしたことに重なる。
会長派閥と社長派閥で会社が真っ二つに割れ、同族会社の場合、父子や父娘の骨肉の争いとなる。
この骨肉の争いは直系家族類型の国に特有で、日本と韓国(たとえばロッテ)に見られる。欧州と中国では見られない。
「家康志向」と定住民「直系家族」、「信長志向」と転住民「拡大家族」
仏文学者の鹿島茂氏は、「【家族システム論から考える】なぜ『日本型組織』は変われないのか」という記事を締めくくってこう結論している(http://blogos.com/article/189804/?p=3)。
「以上のように、核家族のドライな関係をトレースして出来上がったのが核家族類型のイングランドのリミティッド・カンパニーあるいはフランスのソシエテ・アノニムであるとすると、日本の会社は直系家族の忠実な転写であるといえる。
では、今後、日本においても家族類型が直系家族から核家族へと変化していけば、会社もまた核家族的になるのだろうか?
その可能性は極めて薄いといわざるをえない。なぜなら、中間団体である会社は、一つの集団的無意識に支配されたメカニズムだから、家族類型の変化が伝わるのに非常に時間がかかるからである」
「しからば、日本の直系家族的会社というものは改良不可能なのかといえば、私はまったく不可能だとは思わない。
では、どうすればいいというのか?
日本の会社は直系家族であるという事実を正しく認識し、その認識から出発することである。つまり、直系家族であるゆえの欠点を意識的にチェックすると同時に直系家族であるゆえの利点を伸ばせばいいのだ。
直系家族というのは日本の会社にとって宿命である。日本人という宿命が変えられないのと同じで、直系家族という宿命も変えられない。だから、その宿命の中で、できることを確実にやっていくしか、宿命と戦う方法はないのである」
私も氏の結論に賛成である。
ただ、氏が「日本の会社は直系家族(の転写)である」という事実から見出しているネガティブな内容はすべて、集団を身内で固める「家康志向」の会社の話、あるいは会社の側面であるということを指摘したい。
バブル崩壊以降、日本型経営が全否定されて「家康志向」への一辺倒化が究極まで進んでしまった「中間団体」が多いから、ほとんどの日本社会(企業社会、官僚社会、学校社会、地域社会)で氏の指摘するネガティブな内容が展開しているのは事実だ。
しかし本来、日本の集団志向には2タイプあって、「家康志向」ともう1つ、自由に活動する個々を適宜に集団に構成する「信長志向」がある。
私は、バブル崩壊以降、ほとんどの「中間団体」で排除されてきてしまった「信長志向」を現代的に再生することが、氏の言う「直系家族であるゆえの利点を伸ばす」ことなのだと考える。
そして、実際にバブル崩壊後、ほとんどの業界大手が日本型経営を短絡的に全否定し、その過程で「家康志向」への一辺倒化と「信長志向」の排除をしつつ、組織を機械論化し人材を機械部品化する中で、日本型経営の美質を国際標準で現代化し、むしろ世界的に成長した例外的なエクセレント企業も存在した。トヨタ、セブンイレブン、ニトリなどである。
集団を身内で固める「家康志向」は、直系家族の血縁関係を転写している日本人の<社会人的な心性>である。
それは定住農耕の<部族人的な心性>をベースとしている。
だからその「身内」意識は、直系家族の転写なので、日本人の会社と韓国人の会社が似通っていることはそれに由来する。
中国人にも集団を身内で固める志向性はある。
しかし、その「身内」意識は、父系の拡大家族の転写なのであり、日本人の会社と中国人の会社とに隔たりがあることはそれに由来する。
ここで、中国、ロシア、ユーゴが拡大家族(共同体家族)の国だったことが重要だ。
それらの民族は単なる定住民ではない。
中国には、民族を象徴するイナゴがいて大量発生する。そのイナゴは平時は緑色で草食なのだが、旱魃などの非常時に急に茶色で雑食になり長距離飛行が可能な筋肉質に変身する。
中国人、ロシア人、ユーゴ人も、このイナゴの群れと同じで無事の世では定住民だが、戦乱の世となれば転住民となる。その際、異郷の地に一族郎党、家族群として転住する。
そういういざという時の備えとして常日頃から一族郎党が家族群として集住する拡大家族(共同体家族)が形成された、と考えられる。
つまり、中国人、ロシア人、ユーゴ人は、単なる定住民ではなく、非常時には転住民に容易になる潜在力を秘めた民族なのである。中国人の華僑は、その延長にある海外に展開した転住民と捉えられる。
日本人も中国人と同じ「父系の拡大家族」とする考えがあるが、一般論としては否定されて日本人は「非単系の直系家族」とする考えに落ち着いている。
しかし、私に言わせれば、それは日本人=定住民=「家康志向」と前提する話に過ぎない。
日本人=転住民=「信長志向」でもある、あるいはそういう日本人やその「中間団体」もあるのだ。
そのもっとも象徴的で分かりやすいのが、転戦「転住民」として家臣を一族郎党をともなって新たな居城城下に転住させるを繰り返した織田信長である。
信長とその家臣が構成する「中間団体」の全貌は、まさに「父系の拡大家族」の転写と言える。
ただ、アジアそして海外に展開したユーラシア大陸系の「父系の拡大家族」の民族と、日本人の中の「父系の拡大家族」の「信長志向」の転住民とは大きな違いがある。
それは、歴史を遡って最初からの展開を考えれば明かなことである。
そもそも、日本人の「父系の拡大家族」の「信長志向」の転住民の元祖は、中国や朝鮮から日本列島に来った弥生人である。
日本列島は国土が狭隘でその先が太平洋であるどん詰まりだから、全体の枠組みとしてはそこから先に転住することはできない。すると、全体の枠組みとしては、そこに留まってみんなで仲良くするしかない。
ヤマト王権の創成期にも、最初は百済由来か新羅由来かなどで派閥抗争が国内外連動してあったが、新たに拡張した「身内」意識で随や唐に対抗して一体化した。
私は、この時点が転機となって全体の枠組みとしては、渡来民としての転住民性が希薄化して、統一民としての定住民性が濃厚化した、と捉えている。
それは、ヤマト王権において騎馬民族的な性格が支配階層の一部に格納されて、全体的には農本主義の定住社会化が進められたということである。
ところが、この支配階層の一部に格納された騎馬民族的な性格、つまりは「父系の拡大家族」の転戦「転住民」志向は、蝦夷を侵攻する征夷大将軍から、源平合戦を繰り広げた源氏と平氏へ、そして有事の際にいざ鎌倉と馳せ参じる御家人へ、そして戦国大名へと継承されていく。
その際、大筋で農本主義の定住社会化が進み、それにつれて武家勢力の中で、集団を身内で固める「家康志向」が一般化していった。
しかし、その一辺倒化が過ぎて社会が閉塞化すると逆にその間隙をつくように、自由に活動する個々を適宜に集団に構成する「信長志向」が新勢力によって展開され新局面が開かれた。
平清盛は、宋との貿易拡大によって海洋国家の樹立を目指したたとも言われ、交易主義を推し進めるべく福原遷都を強行した。その際、海洋交易勢力と恊働した訳で、そこには濃厚な交易「転住民」志向と「信長志向」とが見てとれる。
源頼朝は、関東の(平氏を含む)不平武士をネットワーキングして平家を倒した訳で、そこにも濃厚な転戦「転住民」志向と「信長志向」とが見てとれる。ただ、頼朝は鎌倉幕府を開くにあたって、御家人を「御恩と奉公」の関係で体制化する、集団を身内で固める「家康志向」の農本主義に舵を切った。このパラダイムが戦国時代の一般的な戦国大名の領内経営に継承されていった。
そして中世の最終局面で、
交易主義の転住社会体制を実践した織田信長が平氏を名乗ったこと、
近世の初頭局面で、
江戸幕府を開いて農本主義の定住社会体制を構築した徳川家康が源氏を名乗ったことは、
おそらく偶然ではなくて、本人たちの体制継承の意図の表現だったと考えられる。
ちなみに、
信長が家臣一族郎党ともに居城を移し城下町を拠点に交易主義を展開する「転住民」志向と「信長志向」だったように、
信長と敵対した先端的な商工拠点であった境内都市や一向一揆の寺社勢力も「転住民」志向と「信長志向」だった。
また信長の軍門に下ってその配下として活躍する堺商人の環濠都市も、交易「転住民」の「信長志向」のビジネス共同体として捉えることができた。
つまり、中世の戦国の世の最終局面では、「転住民」志向と「信長志向」が世の中の主導勢力のダイナミズムだったと言える。
以上、
260年に及ぶ江戸時代の幕藩体制で、集団を身内で固める「家康志向」が日本人の血肉になってしまい、私たちは誰に教わるでもなくさまざまな「中間団体」への帰属を通して無自覚的に自然体で「家康志向」を発揮し、何もしないでいればそれに不用意に一辺倒化してしまうようになっている。
しかし、中世までの古来からの歴史を振り返ると、日本人の集団志向には明らかに、自由に活動する個々を適宜に集団に構成する「信長志向」もあって、脈々と息づいていて閉塞化した社会を打開してきたことが確認される。
私自身の結論としては、
日本の「中間団体」は、
ほとんどの大方は「直系家族」を転写した「家康志向」と「定住民」志向にあるが、
例外的ないしはマイナーな存在として「拡大家族」を転写した「信長志向」と「転住民」志向にあるものもある
また、
かつての共同体性を本質とした日本型経営は、「家康志向」と「信長志向」の合わせ技の知識経営をすることで、組織の大方で「直系家族」的な体制をとり、それの欠落や偏りを補完する形で「拡大家族」的な体制もとってきた
ということである。
「直系家族」的な体制は、直系家族の「タテ」関係を主軸とする血縁関係を構造化している
のに対して、
「拡大家族」的な体制は、拡大家族の「ヨコ」関係を主軸とする同志関係を構造化している。
つまり、
前者の「家康志向」は、身内と看做す構成員とそれが構成する組織(中間団体)の維持存続が目的で、他はすべてその手段であるという建前である
のに対して、
後者の「信長志向」は、共通目的達成のための恊働が目的で、他はすべてその手段であるという建前である。
だから目的が同じであれば集合し目的が異なれば離散する。組織(中間団体)本位ではまったくなく、基本的には二君に仕えようが下克上しようが出入り自由である。
だから、
「家康志向」の直系家族では、組織(中間団体)の維持存続という目的に叶っていれば実力がなくてもお飾り的なリーダーが選ばれる。
そんなリーダーでも稲作は破綻なく進み秋には収穫できる。
しかし、
「信長志向」の拡大家族では、共通目的達成のための恊働が目的で、それを達成する実力と信望の厚さを併せ持ったリーダーが選ばれる。
異郷の地に転住する家族群は信頼して命を預けられるリーダーでなければ誰も着いていかない。
大航海をする交易船は乗員が信頼して命を預けられるリーダーでなければ目的地に辿り着かずに難破するリスクが高まる。
「創業社長の時代には、リスクテイクをすべて自分一人の責任で決める欧米型のCEOでやっていた会社でも、創業社長が引退し、二代目、三代目の社長となると、核家族的だった会社もいつしか直系家族的な『社長機関説』の会社に変身してしまっているのである」
と、鹿島氏は指摘している。
それは、
ベンチャーとして創業した時点では、原理的に、自由に活動する個々を適宜に集団に構成する「信長志向」だった会社でも、
新興企業として成長した後の時点では、集団を身内で固める「家康志向」が横行していき、何も意識的な手立てを講じなければ容易にそれに一辺倒化してしまう、つまりは「信長志向」を排除してしまう
ということである。
私は、
志縁集団としての転住民「拡大家族」の転写である「信長志向」を現代的に再生することが、
疑似血縁集団としての定住民「直系家族」の転写である「家康志向」への一辺倒化による組織の硬直化や社会の閉塞化を打開して、
氏の言う「直系家族であるゆえの利点を伸ばす」ことになる
と考える。
そして実際にこのことを、
雇用を増やしている社歴10年未満の会社がすでに当たり前に実践していて、
雇用を減らしている社歴30年以上の会社が実践しないかできずにいる
という現実がある。
問題は、日本の企業社会では前者がマイナーで、まだまだ後者がメジャーであることだ。
私はそこに、
本来「家康志向」と「信長志向」を合わせ技していた「日本型経営の国際標準に照らした現代的な再生」
という課題を捉えるものである。
(ご興味ご関心のある方はこちらもどうぞ。