「面白くて眠れなくなる社会学」を読んで(5:その1) |
「面白くて眠れなくなる社会学」を読んで(4)
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からのつづき
資本主義について(PARTⅠより)
本項(5)では、経済のパラダイムが人々の典型的な心性を決定している、という仮説を踏まえて、資本主義そのものではなく「資本主義の心性」ないし「資本主義のメンタリティ」というものを考えていきたい。
最終的には、近現代の日本人の典型的な心性を、資本主義の前段階に位置づけられる商品経済のパラダイムにのっとる「商品経済の心性」ないし「商品経済のメンタリティ」として把捉したいと思う。
「商品」とは貨幣と交換できる「財」のことだが、そういう意味ではお中元やお歳暮、神社のお守りなども「商品」である。
ただし、
一般的な「商品」は「交換」のやりとりに介在するが、
お中元やお歳暮、神社のお守りは「贈与」のやりとりに介在する。
「贈与」のやりとりは「負い目感情」の経済である。その大本は人類普遍の「部族人的な心性」の中核にある人間が神や自然に対して抱く畏怖や感謝である。それが共同体に対してその構成員が抱く言わば母体感となり、共同体の中の人間関係の原理となっていった。
日本人の「社会人的な心性」は、「部族人的な心性」をベースに温存して形成されてきた。そのために、現代でもグローバル企業の社員でさえ上司にお中元・お歳暮を贈る慣習が根強く絶えないのである。
一方、欧米人や中国人の「社会人的な心性」は「部族人的な心性」を捨象したり限界づけて形成されてきた。
だが、「部族人的な心性」は人類普遍に幼児心理や深層心理に息づいていて、一部の大衆動向や国家制度や国際関係に反映している。たとえば極東の宗主国と冊封国の朝貢関係や、旧大陸の宗主国と新大陸の植民地の帝国主義的関係は、「交換」のやりとりとしては不平等だが、その不平等ゆえに「贈与」のやりとりとしては「負い目感情」が相殺されるものとなっている。具体的には、宗主国の保護と属国の上納という慣行である。戦後日本とアメリカにも同様の関係性が見てとれる。
こうした関係性は洋の東西問わず自然発生してきた、縄張りのヤクザとそれに未勝目料を払う店との素朴な関係性の発展形でしかない。ヤクザというと反社会的に聞こえるが江戸時代の清水次郎長は社会的に認められたお上も一目おく地域社会の大物だった。欧州では国王やそれが率いる貴族と民との関係性がそれだった。
やがて立憲君主制の国までが民主国家になり、国民皆兵、国家総力戦の時代となり複雑化して見えにくくはなったが、現代の国家と国民の関係性にも、民が税金という未勝目料を払って国に守ってもらう、国は税金という未勝目料をとって民を守ってやる、というメンタリティが色濃くある。
つまり、「防衛」「防犯」「安全」を民が税金で買っているとするならばそれは「サービス商品」であり、しかも「交換」のやりとりとしては不平等であっても「贈与」のやりとりとして「負い目感情」が相殺される、そういう建前の仕掛けになっていると言えるのである。
以上のことは、追って結論部の主題に関わってくるので留意しておいてほしい。
よく、明治になって近代国家になる以前に、すでに江戸時代に近代化への素地、資本主義への素地があったと言われる。
また、中国が改革開放政策で一国両制を始めた時、中国人はもともと資本主義だ、ということが言われ、実際に現在では世界経済の主要な極となる経済大国になっている。
かつて冷戦時代には資本主義と共産主義のイデオロギー対立があり、イデオロギーが国柄や国民の典型的な心性を決めているかのように思われた。しかし旧東側諸国が民主化し資本主義を導入した後に分かったことは、国柄や国民の典型的な心性はさほど変化しないということだった。米ソの対立はソ連が崩壊した後もアメリカとロシアとの対立として継続していることが象徴的だ。
こうしたことを総合すると、
経済のパラダイムが人々の典型的な心性を決定する、
この時、経済とは「交換」の経済だけでなく「贈与」の経済でもあり、むしろ後者の方が各民族の特徴を示す、
そしてそんな人々の典型的な心性が各民族の生きやすい経済体制を選択させる、
それはイデオロギーによるもののような見え掛かりをしても、人々にとってイデオロギーは為政者が言うほどには本質的なものではない、
といったことが了解される。
日本は戦後、高度成長しアメリカにつぐGDPを誇る国となった。しかし経済体制としては資本主義にあるが、日本は世界でもっとも成功した社会主義国だとも言われた。国の経済政策や株式市場そして国を代表する企業群の経営スタイルをみても、同じ資本主義の筈が日本とアメリカでは大きな隔たりがある。
それは根源的には、日本人とアメリカ人の典型的な心性の違いに由来する。それが人々の生きやすい国の経済政策や株式市場そして国を代表する企業群の経営スタイルを選択させている。
日本人のそれは中国人の典型的な心性とも違う。中国人のそれはむしろアメリカ人のそれに近いところもあり、また日本人のそれに近いところもある。
私は個人的にこのあたりのモヤモヤしたところを一度整理したいと思ってきた。
本項(5)では、このモヤモヤを晴らす明快化を試みたい。
最終的には、結論として以下の概念図の内容に至りたい。
途中、経済学的な資本主義や商品経済の検討をパーツとして微視的にしていくので、その成果を組み合わせた巨視的な全体像を最初に示しておくことで、検討の複雑による何が言いたいのだ的な難解を回避したい。
著者は、「資本」について「元手」との違いから説明していく。
「資本は、元手のようなものです。(中略)
元手と資本は、どう違うかと言うと、元手のほうがもっと一般的です。
たとえば、農業を考えてみると、最初に種もみを蒔いて、あとで収穫します。種もみよりずっとたくさん、収穫できます。(中略)でも、種もみを資本とよべるかどうかは、微妙です。交換とか市場とかがなくても、農業は自分ひとりでできますから。
元手を、市場での経済活動を通じて、増やすのが、資本です」
「ギャンブルは、(中略)元手を賭けます。(中略)賭けた結果、ルールに従って、儲かったり、掛け金を取られたりします。どちらになるかは、わからないのですね。
ギャンブルには、全体を取り仕切る胴元がいて、賭け金を右から左に動かしています。なんの生産的な経済活動もしていません。全体として富は増えないのだから、資本とは言えないのです。(中略)
これに対して資本は、経済活動を通して、確実に儲かるだろうという計算が立ちます。
確実に儲かるのはなぜかというと、投下したお金を元手に、価値を生み出しているからです」
私は本項(5)で、「資本主義の心性」ないし「資本主義のメンタリティ」というものを検討してみたい。
近代人そして現代人は、前近代人と比べて何が違うと言えば、「心性」「メンタリティ」が違う。
私たち日本人は、それを江戸時代までの人と明治時代以降の人との違いとして理解しようとする。
しかし将軍が天皇になり、武士が役人になり、庶民も士農工商から四民平等になって実力主義となったが、身分の反映した階級社会は依然として続いた。だから、こと「心性」「メンタリティ」に関してさほど大きな変化があったと実感できない。
人民が革命によって市民社会を獲得した訳ではない日本人の、欧米人や中国人との違いには、かかる「心性」「メンタリティ」の違いがありそれは今日にまで至っている。
ただし、江戸から明治への展開において決定的に新しい「心性」「メンタリティ」が、萌芽している。
それは「資本主義の心性」ないし「資本主義のメンタリティ」なのだが、お上が先導し、お上を後ろ盾とした財閥において最も盛んだった。国家独占資本主義の段階から主要産業の払い下げを経て民間経済が活性化するが、最終的には戦前昭和の軍国化においてすべての民間経済が国家管理下に回収されてしまう。
ざっくり言えば、
江戸時代の幕藩体制になる前の戦国時代は、象徴的には豊臣秀吉が行商人から足軽になり天下人にのし上がったように、アメリカンドリームならぬ戦国ドリームの時代だった。
そこには明らかに「ギャンブルの心性」ないし「ギャンブルのメンタリティ」を見てとれる。
そして江戸時代には、身分と生活圏が固定化されて、「ギャンブルの心性」ないし「ギャンブルのメンタリティ」は最小限に限定されてしまう。
固定化された身分と生活圏で日本人はどうなったかというと、270年の太平の世において、今も大方の日本人に見受けられるお上に依存し追従する「心性」ないし「メンタリティ」が血肉化された。
日本人の場合、その枠組みで「商品経済の心性」ないし「商品経済のメンタリティ」も形成され精緻に成熟化した。
「商品経済のメンタリティ」とは、自分自身を商品として認識したり商品化して他者や集団や組織といった人的環境との関係性を構築していこうとする「心性」である。
ただし、商品経済がすべてが貨幣と交換される市場経済には至っていないように、「商品経済のメンタリティ」は完全なる自由競争や柵なしの実力主義を前提するものには至っていない。秀吉が信長の配下として天下人となれたように、明治の財界は薩長を支援し維新に功績のあった政商が台頭していった。
私はその残滓が、むしろ高度に成熟化したお上主導、お上依存として戦後の護送船団方式にまで至っていると捉える。
ちなみに「ギャンブルのメンタリティ」は、中国人は戦乱の世での立身出世や難民としての流浪や華僑としての国外脱出などで、欧米人とくにアメリカ人は旧大陸から新大陸への移民そして東海岸から西海岸へ向かった西部開拓などで旺盛に培ってきた。
日本人は日本列島においてだが、鎌倉時代から見られる下克上から戦国時代の秀吉的な戦国ドリームを経て朝鮮征伐に向かった織豊時代までは、中国人や欧米人と同様の「ギャンブルのメンタリティ」を大方の日本人が共有していた。武士や武士になろうとした商人や農民ばかりではない。平安末から鎌倉時代にかけて、難民が境内都市で商工業者になり寺社勢力として公家、武家と並ぶ勢力となったりした。
ところが鎖国と幕藩体制の江戸時代になって、日本人の「商品経済のメンタリティ」は身分と生活圏が固定化された枠組みのそれになってしまった。よって、たとえば商人に限っても特に欧米人のそれとは著しく異なってしまった。鎖国以前の織田信長が大名に取り立てた堺の国際商人は、自由都市ベニスの商人と同様に奔放で冒険的であって、むしろ「市場経済のメンタリティ」の持ち主だったと言える。それが、鎖国以後の江戸幕府の管理貿易の御用商人は身分と生活圏を固定化された枠組みにおいて、お上に依存し追従する「心性」に限界づけられた伝統と秩序を尊重する「商品経済のメンタリティ」の持ち主になってしまった。
このことは、士農工商の各身分の庶民も同様である。そしてそれが長きにわたった江戸時代の太平の世において精緻に成熟化し現代の私たち日本人の自然体となっている。
ちなみに、欧米人や中国人も、自らを商品化する「商品経済のメンタリティ」の持ち主である。
たとえば、共産党の一党独裁下の中国人は、お上に依存し追従する「心性」に限界づけられた「商品経済のメンタリティ」の持ち主と言える。都市と農村で戸籍が異なることも江戸時代の身分と生活圏の固定化と重なろう。
たとえば、全体主義の一党独裁下にあった旧東側国の人々も、お上に依存し追従する「心性」に限界づけられた「商品経済のメンタリティ」の持ち主と言える。冷戦終結後の民主化にも関わらず、旧来の「商品経済のメンタリティ」の持ち主である大方の人々は時代変化についていけず、反動としてやはり一党独裁的な強権をふるう政権を求めるようになった。
一方、アメリカ人を筆頭に旧西側国の人々は、大航海時代からの「ギャンブルのメンタリティ」が根強く、それが列強が植民地を拡大した帝国主義時代を経て、第二次世界大戦後のEU経済圏構築への冒険的な挑戦へと展開している。そのようなグローバルな大枠で「ギャンブルのメンタリティ」を前提にした欧米人の「市場経済のメンタリティ」が培われ、東西冷戦終結後の市場のグローバル化に対応した国際金融や多国籍企業や先鋭的エキスパートにおいて「資本主義のメンタリティー」とその持ち主が世界各国で台頭していった。
「資本主義のメンタリティ」とは、自分を資本と位置づけ、市場における経済活動を通して自分の価値を生み出し、自分という資本を増大させる=自らを拡張する、というものである。
「市場経済」の「商品経済」との違いは、すべてが貨幣と交換できる市場を前提とすることである。
「市場経済の心性」の端的な例を上げれば、こういうことである。
たとえば、王や独裁者の独裁政権の内部では柵があってたとえお金を積んでも買えないものがあったり、買えても絶対にある階層は買うお金を手に入れられないといった柵がある。そういう状況で人々が抱いているのは支配者主導、支配者依存の「商品経済の心性」である。そのような国はアメリカの掲げる自由と民主主義と相容れない筈だが、アメリカは平気で当該政権を援助し協力関係をもつ。なぜか。それはアメリカが「市場経済」を最優先し、すべてが貨幣と交換できる市場を前提していて、独裁政権も市場メカニズムのパーツとして看做し組み込むからである。
つまり、アメリカ型の市場至上主義には、強欲資本主義の風味がもとより国家レベルで漂っているのである。
「資本主義のメンタリティ」とは、自分を資本と位置づけ、市場における経済活動を通して自分の価値を生み出し、自分という資本を増大させる=自らを拡張する、というもの
と上述したが、それは文言としてはシステマティックで無機的なニュアンスが漂わせるが、現実には国家レベルで強欲や弱肉強食を是とするとても生臭く有機的なものと言えよう。
そして、ここで問題なのが、
日本人が自分たちもアメリカ人の「資本主義のメンタリティ」と同じ「心性」をもってきたと勝手に誤解している、
ということなのである。
しかし現実は、大方の日本人がもってきたのは、明治以後も戦後も、お上に依存し追従する「心性」に限界づけられた「商品経済のメンタリティ」なのである。
確かに敗戦直後、お上に頼ろうにも頼れない状態だったために、日本人はかえって自立心が喚起された。そこで「ギャンブルのメンタリティ」が復活した。今にして思えば今日よりも多くの日本人がアメリカ人の「資本主義のメンタリティ」に近い「心性」を発揮した。しかし、それはマッカーサー率いる占領軍に支配誘導されてアメリカ的に民主化した訳でも資本主義化した訳でもない。そこを誤解するとまったく戦後日本の本質を見失うことになる。
アメリカ人の「資本主義のメンタリティ」に近い、とは、微妙だが明快な違いがあるということである。
アメリカ人の典型的な心性は、個人主義でかつ「ギャンブルのメンタリティ」溢れる「資本主義のメンタリティ」である
のに対して、
日本人の典型的な心性は、集団主義でかつ「ギャンブルのメンタリティ」が江戸時代に限界づけられた「商品経済のメンタリティ」である、
という違いがある。
アメリカのベンチャーから世界企業に短期間に飛躍したグーグルに象徴的だが、アメリカ人の場合、「資本主義のメンタリティ」というベースがありその枠組みの中でケースバイケース、個別具体的な「商品経済のメンタリティ」が育まれている。
一方、日本の零細中小企業が世界企業に中長期的に成長した松下や本田やソニー、そしてユニクロやダイソーに象徴的だが、日本人の場合、匠の技やアイデアの際立ったモノづくりを重視する「商品経済のメンタリティ」というベースがありその枠組みの中でケースバイケース、個別具体的な「資本主義のメンタリティ」が育まれている。
「心性」とは、多様な心性の複合体で、それは集合関係として図式化できる。
あまり好ましい例ではないが、分かりやすい例を上げればこうだ。
すでに結婚した何年にもなる妻に、惚れ直して恋心を抱くことがあるかも知れない。
また、長いつきあいとなってしまった浮気相手に、妻よりも安らぎを覚えるようになることがあるかも知れない。
以上の「心性」は、どちらも恋心と情の複合体だが、情の中に芽生えた恋心なのか、恋心の中に芽生えた情なのか、といった集合関係の違いが実質的な違いを形成している。
「商品経済のメンタリティ」と「市場経済のメンタリティ」=「資本主義のメンタリティ」との間にも集合関係があって、主体の「心性」=メンタリティの実質的な違いを形成する。
「単にモノが、お金で売り買いされているだけでは、資本主義ではありません。
ただの商品経済です。
その経済の、生産活動を成り立たせる『生産要素』が、商品として売買されていることが、資本主義経済であることの、必要かつ十分条件です。
生産要素とは、つぎの三つをいいます。
資本・・・工場や機械設備のことです。
資本市場は、典型的には、株式市場です。
労働・・・労働者の、労働力のことです。
労働力は、賃金とひきかえに、時間単位で商品として売ります。
土地・・・経済によって生産できない、資源のことです。
土地のほかに、水や空気ああらゆる自然を含みます。
経済が資本主義なら、資本市場、労働市場、土地市場、の三つがそろっています。
それだから、資本と労働と土地を組み合わせて、効率的な生産組織をつくることができるのです」
著者は、ここで江戸時代は、経済学的な正確な意味合いで資本主義ではなかったと論じる。
「江戸時代の経済は、(中略)銀行が未発達で、株式市場がなく、資本市場は確立していませんでした。
士農工商の身分制で、職業選択の自由がなかったうえ、労働契約が前近代的で、労働市場は確立していませんでした。たとえば、年季奉公。労働時間も契約期間も報酬も、あいまいで、まるでただ働きでした。
農地など土地の売買が自由にできず、地下資源も自由に採掘できないなど、土地市場が未発達でした。
資本・労働・土地の市場が確立していなかったのですから、資本主義とは言えません。明治政府は、それらの市場を急いで整備し、資本主義経済を推進しました」
私は以上の著者の論述から、むしろ現代の日本社会に江戸時代の商品経済の残滓があったり復活があったりすることを追って次項(5:その2)で指摘していきたい。
「資本がどこから蓄積されたのでしょう?
ひとつのやり方は、資本家が自分で貯金することです。最初は個人企業だったものが、だんだんだんだん大きくなっていきます。それは、自己資本です。(中略)
銀行から借りるやり方もあります。(中略)
企業が直接、資金を集めるやり方もあります。
株券を発行するのです。人株あたり出資金いくらいくら、と書いてあります。こうした集めた資金で、事業を拡大し、利潤があがったら株主に配当します。配当が多いと、儲かるというので、その企業の株券が値上がりします。(中略)
株券でなく、債権を発行して、単純にお金を借りるというやり方もあります。
社債です。社債の持ち主は、お金を貸しているだけで、株主の持ち主(株主)と違って株主総会で経営に口を出したりしないので、都合のよい点もあるのです。社債には、利子がいくらと書いてありますが、業績が悪くてつぶれそうな企業の社債はどんどん値下がりします(中略)
これらの仕組みによって、有望な事業があると、すみやかに資金をある会社に集めることができて、経済が活気づきます。その会社も成長します。
こういうやり方が資本主義です」
「最初、資本主義のメカニズムが生まれたのは、イギリス、アメリカのニューイングランド、オランダなど、ごく限られた地域でした。
マックス・ウェーバーという社会学者の分析によると、これらの地域はいずれもプロテスタント、特に禁欲的なピューリタンの影響が強い地域でした。資本主義がスタートするのに、ピューリタンの考え方が追い風になったのではないか、という説があります」
私は、ピューリタンの信仰心ではなくて、
新大陸を目指した遠隔地航海に馴染んだ交易者としての冒険的な精神、
つまりは「ギャンブルの心性」ないし「ギャンブルのメンタリティ」こそが重大な鍵となった
と考える。
ベニスの商人の背景となる大航海時代、航海船を仕立てての遠隔地交易はハイリスク・ハイリターンのギャンブルだった。そこで航海船を仕立てて送り出す者はその資金を募って共同で担うことによりリスクをシェアした。そして航海船が無事帰ってきたときの利益もシェアした。
こうした交易者たちの「リスクと利益をシェアする知恵」が資本主義の株式の発行保有の制度に繋がっていったと考えられる。
国際的な保険市場として有名なロイズ。
それは、イギリスのシティ(金融街)にある保険取引所、またはそこで業務を行っているブローカー(保険契約仲介業者)およびアンダーライター(保険引受業者)を含めた保険市場そのものを指す。
もともとの由来は、17世紀末、エドワード・ロイドがロンドンのタワー・ストリートに開店したコーヒー・ハウス(ロイズ・コーヒー・ハウス)だったことは有名だ。
貿易商や船員などがたむろするようになり、ロイドは顧客のために最新の海事ニュースを発行するサービスを行って店は非常に繁盛した。やがて保険業者たちがその店にたむろして取引の場として利用しだした。
1720年に南海泡沫事件が起き、ロンドンの証券市場は崩壊。その後の複雑な経過によって、海上保険はロイズの独占となった。1773年にコーヒー店を王立取引所の中に置くことが決定され、ロイズは保険引受市場そのものとなる。1871年にロイズ委員会は議会に働きかけてロイズ法を制定させ、ロイズ委員会を法人化してロイズ組合となった。
世界初の株式会社といわれるオランダの東インド会社の設立が1602年。
会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられた勅許会社である。
ニューイングランドは、アメリカ合衆国の北東部の6州を合わせた最も古い地方である。中心都市はボストン。1616年にイギリスで入植者が募集されたのが地域名の由来。
1620年からイギリスのピューリタンがマサチューセッツへ移住を始め各植民地を設立していった。1637年には北のヌーベルフランス、南のニューネーデルラントに対抗するため「ニューイングランド連合」が結成された。1776年にはアメリカ独立戦争発祥地となった。19世紀にはニューイングランドの商人や漁師や捕鯨船が有名になった。
つまり、オランダの東インド会社やニューイングランド連合の動向と、ロイズの動向とはほぼ重なっていて、トータルとして奔放で冒険的なグローバルな資本主義の勃興期の動向として捉えることができる。
そして、それらに一貫する遠隔地航海を前提にした交易者の「心性」は、新たな機会開発を求めるギャンブルと、旧来の身分と生息域からの流動性に裏打ちされた、まさに「ギャンブルのメンタリティ」だった。
それは、旧大陸から新大陸を目指した大航海時代の交易者の奔放で冒険的な「メンタリティ」を継承するものだった。
日本は明治になって近代国家を目指し資本主義も導入するが、それはお上主導の、国内的な社会インフラの整備に集中する動きであった。
ゆえにその際、大方の日本人が、欧米人の「ギャンブルのメンタリティ」の濃厚な「資本主義のメンタリティ」を直接的にそのまま個人でリスクを負って継承したとは言い難い。
大方の日本人は、あくまで江戸時代の「商品経済のメンタリティ」の枠組みの中で、お上に依存しお上の後ろ盾をもった形の「資本主義のメンタリティ」を培っていったというのが正しい。
「資本主義経済が発展し、生産力が高まっていくのは、近代化の重要な柱です。(中略)
そこで大事になるのが、社会インフラが整っているのか、です。インフラとは、インフラストラクチャー(下部構造)のこと。
社会インフラとは何かというと、道路。港湾。空港。通信。教育。法律。社会制度。管理・運営の能力。そのほか、その社会が資本主義の経済活動をするのに必要な条件のことをいいます。
こうした条件を、私企業(会社)が整えることは、ふつうありません」
「第三世界では、私企業(会社)が活発でないだけでなく、そもそも社会インフラが整っていないのです。経済活動が低調なので、政府は税金が取れません。政府はお金がないので、社会インフラを整備できません。(中略)
でも、第三世界が自力でできないのなら、先進国が資金を提供して、社会インフラを造ってあげましょう。これを、ODA(政府開発援助)といいます」
江戸から明治になろうとする時代、それは帝国主義の時代であって、後進国日本は欧米列強にODAの期待などできず、日本が植民地化されたり租借地を割譲させられる可能性があった。
その可能性を必死に回避して資本主義を導入できたのは、維新の志士たちや近代国家樹立の立ち役者たちの貢献もさることながら、日本には江戸時代にすでに社会インフラの素地があったためである。そのことをもって資本主義の素地があったと人々に言わしめるのだろう。
しかし私は、
社会インフラとなるハードやソフトよりも重要なものとして、
日本人が全体としてもっていた「商品経済の心性」「商品経済のメンタリティ」が有効かつ創造的に働いたからこそ、旧来の社会インフラの近代化を日本型で達成できたのだ
と考えたい。
一方、資本主義に反対していた共産主義の中国も、資本主義を導入して「社会主義市場経済」を展開するようになった。
そこでは持ち前の「共産主義の心性」「共産主義のメンタリティ」が活かされた訳ではない。「一国両制」から出発したことからも明らかなように、それらを排除して展開してきた。
よってそこで働いたのは、中国人が古来、全体としてもっていた「ギャンブルの心性」とそれに裏打ちされた「商品経済の心性」だったと考えられる。
日本の資本主義の様相と中国のそれとが違うのは、表面的には体制や制度の違いのようだが、根底的には日本人と中国人の典型的な心性の違いがあり、それぞれ人々が生きやすい様相となっていると考えられる。
中華民族の典型的な心性は中国人と香港人と台湾人で大筋として一貫していて、体制や制度そしてこれまでの歴史的経緯の違いを超えて共通性をもっている。それは三者の経済活動の親和性にも繋がっている。
私たちが、同じ民族だから同じ、という一言で済ませている内容を具体的に検討していくと、「◯◯人の典型的な心性の一致」ということがベースにあることが了解される。
この点をさらに具体的に明らかにして「日本人の典型的な心性」を相対的に位置づけるために項を改めて「私有財産」を検討していきたい。
「面白くて眠れなくなる社会学」を読んで(5:その2)」
http://cds190.exblog.jp/23366737/
につづく