「面白くて眠れなくなる社会学」を読んで(2) |
「面白くて眠れなくなる社会学」を読んで(1)
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からのつづき
戦争について(PARTⅠより)
「戦争とは、《暴力を用いて、自分の意思を相手に押しつけること》、をいいます。(これは、クラウゼヴィッツ『戦争論』の、有名な定義です。)(中略)
ケンカも、戦争です、広い意味では。(中略)
戦争が、ただのケンカと違うのは、集団で暴力をふるっている人びとが、それが『正しい』ことだと信じていることです。(中略)
そこで、戦争に勝った場合には、ほめられます。戦争に負けた場合には、捕虜になったり、罰を受けたり、賠償金をはらわされたりします」
著者による冒頭のこの指摘は重大なポイントだ。
「集団で暴力をふるっている人びとが、それが『正しい』ことだと信じている」のだから、
戦争とは、当事者それぞれが主張する「正しさ」のどちらか一つに暴力によって決する、
ということである。
よって、
戦争の勝敗とは、
勝った方の「正しさ」を負けた方が受け入れる、
負けた方はその主張した「正しさ」を放棄する、
ということに他ならない。
特に、無条件降伏の場合、無条件にそうなのである。
ところが、一度負けた国が、当初はおとなしく勝った方の「正しさ」に従っていたが、徐々に力をつけてあるいは力をつけるべく、また戦争を仕掛けて今度は勝ち進み負かした相手国に自らの「正しさ」を押しつける、という言わば失地回復、名誉回復の歴史もある。
それが、第一次世界大戦に負けて後に第二次世界大戦の端緒をひらいたドイツだった。
戦後70年、ドイツが第二次大戦を反省しナチスを批判してきたのは、単純に第二次大戦だけでなく、こうした第一次大戦からの経緯の全体についてである。
戦後70年、今の日本の政権は、太平洋戦争を反省するというものの、海外からは歴史修正主義ではないかと警戒されている。それは、第二次大戦後のドイツとは逆に、むしろ第一次大戦後の失地回復、名誉回復に向かったドイツと同じではないか、という疑惑である。
東京裁判については、戦争の勝者が敗者を裁くこと自体に批判もある。
しかし、勝者が敗者を裁くことは形式はともかくも古今東西行われてきたことで、
本質的には、
勝った方の「正しさ」を負けた方が受け入れる、
負けた方はその主張した「正しさ」を放棄する
ことを双方に明確にする儀式であった。
海外が日本の歴史修正主義者を警戒するのは、この儀式の否定によって、戦前の日本が主張した「正しさ」について、今もこれからも否定せずむしろ再度正当化する行為に向かうのではないか、という疑念からである。
この疑念は、当事者それぞれが主張する「正しさ」のどちらか一つに暴力によって決する戦争の本質に照らせば、致し方ないことである。
著者は、じっくりと戦争を文化人類学的に解説していく。
「では、誰が、戦争をするのでしょうか。
最初、戦争をするのは、部族でした。
部族とは、血のつながった同士、ということになっている集団のことです。実際に血がつながっているかどうかはっきりしなくても、血がつながっていると信じているだけで、かまいません。
部族の外には、血がつながっていないよその集団(よその部族)が、あちこちにいます。そしてしばしば、戦争になりました。
戦争の原因はいろいろですが、よその部族の誰かが自分たちの部族の誰かを殺したとか、怪我をさせたとかしたら、もう戦争です。(中略)
昔は、政府も警察も、法律もなかったので、こうやって自分たちの安全を守っていました。
この仕組みを『血の復讐』と言います」
「部族でなければ、戦争をするのは、ムラでした。
ムラとは、一緒に暮らしている仲間(共同体)のことをいいます。血のつながりがなくてもかまいません」
ここで気づくのは、
世界にさまざまある国同士の戦争だが、
民族紛争は、以上の部族同士の戦争に重なり、
アメリカのような多人種国家がする戦争は、以上のムラ同士の戦争に重なる、
ということである。
宗教戦争は、民族紛争という形をとる場合もあれば、民族や国家を超えた信者によるテロという形をとる場合もあり、現代ではもっとも微妙な展開を示していることは周知である。
そこで、
日本および日本人の戦争の捉え方はどうか、
振り返ってみよう。
自国の固有の領土と主張する領域で起こるかも知れない国境紛争や領土紛争は、以上の部族同士の戦争に重なる。
一方、イラクのクウェート侵攻に国際社会で対抗した湾岸戦争や、中国の南沙諸島の実効支配に軍事的に対抗すべしとする動向は、以上のムラ同士の戦争に重なる。国際社会を「一緒に暮らしている仲間(共同体)」に見立て、「血のつながりがなくてもかまわない」仲間として、ルール違反をする者に対抗するという意味である。
日本の今の戦争論議において、この部族同士の戦争とムラ同士の戦争が、無自覚的にか意図的に峻別されずにごちゃまぜにされている
ということが分かる。
ともすると、
部族同士の戦争に関わる<部族人的な心性>である好戦的な感情が、
ムラ同士の戦争に関わる<社会人的な心性>である本来は理性的な思考を方向づけている、
ないしは前者によって後者を方向づけようとしている
そういう展開を見てとることもできる。
「ムラとムラも、しばしば争いました。
たとえば、上流のムラが水を取ってしまって下流に流さない。
この場合『水争い』になります」
ムラ同士の戦争の原因は、水のような基本的な資源だった。
その点、今の極東の領土紛争の種も、当事者国の狙いが海洋資源にあるから、事情はまったく同じである。
良し悪しは別として、違うのは、世界の警察官を自称するアメリカのような遠隔地の国が絡んでくることである。
「水争い」はどうやって解決したか。
最終的には「話し合い」によってお互いが主張する「正しさ」を譲り合った妥結による。
国境紛争や領土紛争は、戦争にまで至らない対立も含めて、解決するにはこの「話し合い」による妥結しかない。
プーチンは中国との黒竜江の国境紛争をこれで解決している。日本の北方領土についても同様の解決方針で臨もうとしているという観測もある。
だから、「話し合い」による「妥結」というのは夢物語ではなく現実である。
むしろ、そうした「話し合い」や経済活動への圧力など非軍事的な手段を用いた努力を一切しないで、直接的に軍事的な対抗やその前提となる軍事的なバランスの確保や相対的な圧倒などに向かう方が、冒険的に過ぎて戦争を手繰り寄せる結果になりかねない、というのが戦争の歴史の教えるところである。
「(部族やムラの時代よりも)
もっと時代が進むと、戦争をするのは、王さま(国王)になります。
王は、部族のリーダー(酋長)と違って、血のつながりのない人びとも治めます。治める範囲が広いのです。また、税を取り立てます。そして、戦争が得意な、プロの軍人を抱えています。
王は、自分には戦争する権利があるが、ほかの人々には戦争する権利がない、と言います。
税を取る代わりに、お前たちを守ってやっている、とも言います。人びとは、守ってもらっているなら、まあいいやと、税を払い、王に服従します」
「立憲主義」について詳しくは「憲法」の項目で検討するが、王と国民の約束として出発した。
憲法が前提した自衛権とは、自然法であるとかいう理屈の前に、「税を取る代わりに、お前たちを守ってやっている」という王が国民にした約束だった。
そこには、「お前たち国民を戦争に駆り立てて他国を勝手に攻めてもいい」などという約束はなかった。絶対王政の時代にも王はそのような独断暴走はできなかったのである。
「戦争がケンカと違うところは、戦争は正しいとされていることでした。
これを法律の面から考えてみます。
戦争の最中に敵を傷つけても、殺しても、罪に問われません。戦争でもないのに同じことをすれば、犯罪です。
戦争の最中に兵士がどやどやと、麦畑を踏み荒らしたり、農家に火をつけたりしても、弁償する義務がありません。ふだん、同じことをすれば、弁償しなければなりません。戦争の被害は泣きに寝入りになるのが、大昔からの習慣(戦争法規)です」
だから、アメリカが広島と長崎に原爆を落としたことも、東京大空襲はじめ全国の主要都市で民間人に多大な犠牲を出したことも、正当化されたり不問に伏される。それが戦争である。
第二次世界大戦の時代にはなかった原子力発電所をミサイル攻撃することも、戦争では正当化されうる。それが戦争である。
「古代の戦争では、負けた側の捕虜を奴隷にできる、という決まりがありました。
連れて帰って自分の家で働かせてもいいし、売り飛ばしてもいいのです。
そこで古代では、戦争のたびに、たくさんの奴隷が生まれ、奴隷制社会が出来上がりました。
この習慣はしだいになくなり、近代の戦争では、負けて捕虜となった相手を、奴隷にしてもいけないし、いじめてもいけないことになっています。
これらの戦争の際に守ることになっている法律を、戦時国際法といいます」
ここで、「戦争」というテーマからちょっとはずれて「奴隷」についての検討を挿入したい。
私たち日本人は幸か不幸か「奴隷」についてのイメージが希薄である。
「なぜ、古代には世界中で、奴隷の制度がつくられたのでしょうか。
それは奴隷に、嫌な仕事をやらせるためです。
古代は、農業が盛んになると、都市国家がたくさんうまれ、軍人が増えて、戦争が繰り返されました。農業には土地が必要で、土地を求めて互いが敵となったのです。戦争で勝てば、相手は異民族ですから、皆殺しにしたり追い払ったりして、土地を採り上げます。戦争で負けた相手は、戦闘員も女も子どもも、捕虜にしてしまいます。捕虜は、奴隷となるのが決まりでした。市場で売り払ってもいいし、連れて帰ってきて奴隷として働かせてもいいのです」
中国の古代がまさにこういう社会だった一方、日本列島の卑弥呼の時代は事情が異なっていた。
ヤマト王権という統一国家の成立とともに公地公民政策が始まってしまう。
それ以前の部族的な小国の分立状況において、奴隷を主要な農耕労働者とする時代があったと考えられるが、それは渡来した弥生人による先住した縄文人の支配に始まるものである。
つまり、国家を前提とした<社会人的な心性>に照らす奴隷観が育つことなく、
部族を前提とした<部族人的な心性>に照らす奴隷観が最初に生まれそれがその後も温存されて今日に至る。
それが、今の私たち日本人の「奴隷」についてのイメージの希薄さに繋がっているのではないか。
「まず、奴隷には、所有権がありません。
奴隷がなにを持っていても、それは主人のものです。
ゆえに奴隷には、私有財産がありません。(中略)
苛酷に働く使い捨ての奴隷は、結婚させるだけ無駄ですから、独身でした。死んでしまうと、市場で買ってきて補充します。市場で買うのは損だと思う主人は、奴隷を結婚させます。結婚して生まれた子どもは、主人の奴隷になります。ただで奴隷が、再生産されたことになります。
結婚しても、安心できません。主人の都合で、家族がばらばらに、売りに出されるかもしれません。平穏に家族を営む権利が、奴隷には保証されていないのです。
この、結婚だけはできる下から二番目の奴隷を、古代ローマではプロレタリアといっていました。マルクスがそれを、古代史の研究者から教えてもらいって、資本家のもとで働くしかない境遇の工場労働者とよく似ているというので、マルクス主義の、無産労働者のよび名にしたのです」
「アメリカは、わりに最近まで、奴隷制がありました。
なぜ、自由の国アメリカで、奴隷制があったのでそう。
アメリカが独立したのは、1776年。
奴隷制の廃止は、南北戦争の際の1865年です。
(筆者注:ペリー来航の 1853年の12年後。
黒人への人種差別撤廃は1960年代の公民権運動の高まりを待たねばならない)
つまり独立してからも百年近く、奴隷制をやってるでしょ。その理由は、アメリカが所有権を神聖だと考え、否定しなかったから。
アメリカの奴隷は、アフリカで奴隷となって輸入されたものです。アフリカでは部族のあいだで戦争が絶えず、というよりも、奴隷貿易商がけしかけて戦争をやらせていたのですが、捕虜は奴隷になって、アメリカ大陸に運ばれました。それを買い取った農園主は、自分の私有財産だとして、奴隷に対する所有権を主張したのです。北部の州は、奴隷を禁止した州が多かったのですが、南部の州は、タバコや綿やサトウキビを栽培するのに、奴隷が必要でした。
北部の州と南部の州は、ことごとに考え方が違い、やがて戦争になりました。南北戦争です。北軍が勝利して、合衆国憲法を修正し、奴隷制が廃止されます」
このような歴史が背景にあったりそれが現在の国民のあり方にも影響しているために、中国人やアメリカ人の奴隷観には実感が濃厚にある。
一方、日本人の奴隷観はそれに比べてとても希薄だ。
おそらく、中国の農民工には自分たちは奴隷と一緒だという自己認識があるだろうし、黒人の軍隊に入るしか雇用や大学進学のあてがない貧困層も似たような自己認識があるから何かの時に暴動が起こるのだろう。
日本人には、農民工ほどひどい労働条件もないし、暴動する黒人ほど差別された階層もない。
だから、自らを奴隷視するような自己認識は、私たち日本人の間にはあまり普及していないできた。
しかし、奴隷かどうかのポイントは、労働条件だろうか、被差別性だろうか。
それらは奴隷とされる原因があっての結果に過ぎない。
奴隷とされる原因、つまり本質的な要件は、自分の人生や生活を他者の意思で暴力的にコントロールされている、ということである。
そして、奴隷観の希薄な日本人には、そのコントロールが目に見えない段階では自覚できない、ということがありえる。
そして、体制からの逸脱が過ぎて暴力的なコントロールに身を以て遭遇した時に、あるいは一般民間人が不承不承軍隊に入隊したり戦地に派兵されたりした時になってはじめて、あ、自分は自分の人生や生活を自分の意思で自由におくれていない奴隷なんだ、と気づく訳である。
日本人の奴隷観は希薄というよりも、
とてもプリミティブな部族同士の戦争捕虜のような<部族人的な心性>で感じるものにとどまってきて、
国家同士の戦争捕虜や大陸を跨いで貿易された商品奴隷のような<社会人的な心性>で考える内容に至っていない
と言える。
じつは、
後者の社会的かつ具体的な奴隷観に照らして考えれば、
敗戦後のドイツと日本の違いにはアメリカの占領政策の質的な違いがあり、
ドイツには「奴隷制を禁じた精神」で対処し、
日本には奴隷制をしくわけではないが「奴隷制を温存した精神」で対処した、
ということが感じ取れる。
戦後昭和の日本人は、
アメリカの対処についてドイツと比較してそういう認識をもつことはなかったが、
事の善し悪しは別として、またその帰結はいろいろとして、
古来もちあわせてきた<部族人的な心性>で感じるプリミティブな奴隷観を、自己認識に反映させてきたと考えられる。
つまり、戦争に負けたんだから仕方がない、と。そして占領軍を解放軍のように崇め、天皇への崇拝も維持した。それが潔さであり清らかさでもあると自負した。
だから、イラク戦争でフセイン率いるイラクが無条件降伏した時に、イラクの要求がましい態度に日本人は唖然とした。あ、無条件降伏してもあんな風にできるんだと。
今でも、宗主国に対するところの属国と、日本のアメリカに従属する現実を評する人々が多い。
また逆に、そんなことはないと胸をはり、戦後レジームは脱却するのだ、と言いつつ向かって行く方向はより高度なアメリカ従属だったりする人々も多い。
こうした議論の混乱とも言える状況は、
日本人の<社会人的な心性>が、欧米人や中国人など外国人のそれと違って、
<部族人的な心性>をベースに温存して形成されてきたことが反映していると考えられる。
「面白くて眠れなくなる社会学」を読んで(3)
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につづく