蔓延する「グローバル人材論」への違和感 |
特に大学や大学院の論題となっている「グローバル人材論」に違和感がある。
それは、国から予算をもらっての、ということは国の審査を通っての、エリート育成論に傾斜していることだ。
仮に階層をピラミッドで表すとして、グローバル人材は、頂点でも底辺でも求められる。怖いのは、頂点でもアメリカ型のグローバルビジネスエリートが志向され、底辺でもつたない英語でも第二外国語のように使わされる、そんな画一的な社会に向かうことだ。
たとえば、日本のアニメやカワイイファッションが好きで勝手に日本語を勉強して世界各国から来る外国人が多い。彼らも立派な生活文化志向のグローバル人材なのである。
日本人にも、そういう生活文化志向で日本人がいない世界各地で暮らし、現地で仕事をしている人もいる。
彼らは、国の審査も予算も関係なく、自分で考え自立的に行動している。必ずしもエリートではないが、そこは人間として重要な立ち位置だ。
国に予算的に依存する大学や大学院で学費を払って教授に教えてもらう教育では、そういう人間は育ちようがない。
(補足)
今日からできるグローバル人材育成
先ず24時間365日おちゃらけているバカ番組をやめる。代わりにグローバル人材(よく分からないしいろいろと思うが)のカッコいい姿、誇らしい活動をどんどんテレビで見せればいい。スポンサーは自社独自のグローバル人材を募集育成。頑張る人が勝手に出て来る。
今のままだと、グローバル人材なんかになるよりも、お笑い芸人かスポーツ選手か、テレビ局アナかテレビタレントか御用コメンテーターになろうとする人、それらがダメなら普通のサラリーマンか役人にという人ばかりになって当たり前だ。