母語が民族の発想思考を特徴づけるとはどういうことか(5) |
「母語が民族の発想思考を特徴づけるとはどういうことか(4)」
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からのつづき。
言葉が何かを指し示す「把え方」と「語の意味の中心」
「第5章 『もの』の意味」の冒頭で著者はこう述べている。
「『もの』と『こと』というこの二つの言葉は、(中略)用法によっては、『形式名詞』と呼ばれて、『実質的な意味を失って形式的に用いられる名詞』などと説明されることもある」
「ふつう一般に言葉の『意味』として示されるのは、その言葉がどんなものを指し、どんなことを示しているのか、ということである」
ここで著者は具体的な何かを指し示す言葉の意味は明らかだが、抽象的な何かを指し示す言葉の意味は必ずしも明らかではないという話をした上で、
「実質的な意味を失って形式的に用いられる名詞」の場合はなおさらだという。
「『ものとはどんあものであるか』『こととはどんなことであるか』という問いは、ほとんど論理的にナンセンスと言わざるを得ない」
そしてこう結論する。
「言葉の意味というものを<それがどんなものを指し、いかなることを示すか>というかたちで理解しているかぎりは、『もの』と『こと』の意味を問うことは、断念せざるをえないのである」
そして国語学者の時枝誠記氏の「国語学原論」の「各論」の第四章「意味論」をこう引用する。
「言語に於いて意味を理解するということは、言語によって喚起せられる事物や表象を受容することではなくして、主体の、事物や表象に対する把へ方を理解することなのである。
そのような把へ方を理解することが、我々に事物や表象を喚起させることとなるのである」
この論は、「もの」「こと」を含む抽象的な何かを指し示す言葉において成り立つだけでなく、具体的な何かを指し示す言葉においても成り立つ。
著者は「木」を例に説明している。
人が、「松」とか「竹」とか「樹木」とか言わずに「木」と言う時、
「その人はまさに、さまざまにありうる把え方のうちの或る一つを選び取って『木』と言っているのである。
したがって、それを聞いて、ああ木のことか、と人が理解するのも、単にその言葉が指す対象を受け取っているわけではない。その『把え方』を理解して、その把え方に同調しているのである」
これとまったく同様に、
「『もの』と『こと』の意味を問おうとするとき、それはまさに、これらの言葉がそれぞれに示す『捉え方』を問うことでなければならないのである」
このような言葉が何かを指し示す「把え方」について、重要なのが「語の意味の中心」である。
著者は、大野普氏の著書「日本語をさかのぼる」(岩波新書)の指摘を解説する。
「『語の意味の中心』は『なかなか変わらない』という指摘である。(中略)氏はそれをこんな風に述べている。
語の意味は表面的には種々に変化しているように見えながら、
実は一つの根幹が、変化の底にあって、その語をささえていることが多い」
「大野氏自身は、『もの』と『こと』について、その<意味の根幹>をどうとらえているのだろうか?氏はそれを、次のように語っている。
コトが、時間的に推移し、進行して行く出来事や行為を指すのに対して、
モノの指す対象は、時間的経過に伴う変化がない。存在としてそのまま不変である。
この特性が、モノの具体から抽象へという変化の場合に強く現れてくる。
モノとは時間的に不変な存在であるから、抽象化された場合には確実で動かしがたい事実、不変の法則を指すことになった」
著者はさらに荒木博之氏の著書「やまとことばの人類学-----日本語から日本人を考える」(朝日選書)の論述を紹介する。
「もの」と「こと」を、大野氏の著書ではあくまで「日本語の意味の変遷をたどる一例」として扱われていたのに対して、荒木氏は「日本文化論の主題」として論じている。
「荒木氏はまず、われわれが日常的な日本語のなかで、ほとんど無意識のうちに『もの』と『こと』とを使い分けているというところに注目」している。(中略)
こうした見えざる意味の探求として、荒木氏は『もの』と『こと』の探求にとりかかる」
わたしたち日本語を母語とする日本人にとって、無意識のうちに「もの」と「こと」とを使い分けるということは、そしてそれらが「見えざる意味」をもつということは、日本人の発想思考を特徴づけている。
私の関心事は常にそこにある。
「荒木氏も、大野氏と同じく、現代語における『もの』と『こと』の意味のかたちは、すでに『万葉集』のうちにそっくりそのまま見られるのだということを指摘する」
本論ではその内容をなるべく簡略化して解説する。
万葉集の歌にも現代の慣用句にも共通して、
「人生は空しいもの」といった表現がある。
ここで、「人生は空しい」が修飾語で、「もの」が被修飾語であるが、修飾語の内容しだいでそれを受けとめるに相応しい被修飾語が選択される。
それは「もの」がある「把え方」を含意しているということに他ならない。
「もの」は何かを「恒常不変の原理」「不可避の運命」とする「把え方」を含意している。
著者はそういう言い方をしてはいないが、簡略化するとそういうことなのだ。
注意すべきは、「もの」が「恒常不変の原理」「不可避の運命」を意味する、のではないということで、そういう短絡は本質を見失うから絶対に避けねばならない。
万葉集の歌にも現代の慣用句にも共通して、
「取り返しのつかないことをした」とは言うが「取り返しのつかないものをした」とは言わない。
著者は荒木をこう引用する。
日本人はこのようにその言語活動において
原理的・恒常的な客観世界と、
非原理的・可変的・一回的なそれとを厳しく区別しながら、
前者を「もの」という言葉によって表現し、
後者を「こと」という言い方によってあらわしてきた。
さて、ここからが著者の主張である。
大野氏の「もの・こと」論の「背景には、言葉は『具体語から抽象語』へ変化する傾向をもつ、という考えがある。(中略)『もの』という語の意味を理解する上で、これがとくに重要な原則をなしている」と指摘する。
「具体的な事物としてのモノは『時間的経過に伴う変化がない。存在としてそのまま不変である』という特性をもつ。その特性が、『もの』という語の『根源的な意味』として抽象語になった『もの』の内に引きつがれ、(中略)『確実で動かしがたい事実、不変の法則』という意味となってあらわれている、というわけなのである」
ところが、
「現代語における、われわれの『もの』という言葉の使い方を見ても、それが示しているのは『存在としての不変』というのとは、むしろ逆の方向なのである」
たとえば「昔、よく〜したものだ」という言い方は、確かに過去の「一回的な事実」(それであれば「昔、〜したことがある」になる)ではなく「恒常的な事実」を表現している。
そこで著者は、現在の「恒常的な事実」ではもはやないことを表現しているこそ注目すべしとする。
荒木氏は、「だって〜してくれないんだもの」と言うが「だって〜してくれないんだこと」とは言わない、「まあ、きれいな〜だこと」と言うが「まあ、きれいな〜だもの」とは言わないことを指摘し、これらの「もの」を「『恒常原理を動かしがたいものとして措定し、その原理に依拠しつつ』自分の行動を説明する」と分析している。
これに対して著者は、「それだけでは説明し切れない意味の相違があらわれ出ている」とする。
「まあ、きれいな〜だこと」の「こと」は、「目前の事実をまさにそのまま『存在としてそのまま』受け取っているのに対して、
「だって〜してくれないんだもの」の「もの」は、「はっきりと否定的なニュアンスがまつわりついている」
とする。
「終助詞の『もの』は、単になんらかの『原理に依拠して』自らの行動を説明するのではない。
そこになんらかの否定性-----反撥やうらみや口惜しさ-----をただよわせつつ、それを説明するのである」
著者は、現代語の「もの」のニュアンスをしてまでそういうのは大袈裟と憚りながらも、
「もの」には<無のかげ>がある
とし、万葉集においては「もの」の<無のかげ>はもっと鮮明だったとする。
つまり、「もの」という「語の意味の中心」に<無のかげ>があると主張している。
著者の論述を遡って踏まえれば、
「もの」は<無のかげ>を指し示す「把え方」を含意している、ということになる。
したがって<無のかげ>を表現するような修飾語を受けとめる被修飾語となっているのである。
著者は、
生ける者 死ぬとふことに 免れぬ ものにしあれば・・・
という万葉集の一節をあげて、
「ここでの『もの』は、たしかに『動かしがたい、不変の法則』をそれとしてとらえた言葉であることに間違いはない。(中略)けれども、その『不変の法則』は、存在が不変であるという法則ではない。むしろまったく逆に、存在はけっして不変ではないという法則である。存在するものは必ず無へと向かう、という法則なのだと言ってもよい。
ここでの『もの』が『存在としてそのまま不変である』などという意味を引きついでいないことはまちがいない」
とする。
万葉集の多くの様々な例証をあげて、「とうていただの気のせいだとして片付けることができなくなってくる」としている。
著者はまた、現代の日常語の「もの」において<無のかげ>が薄れていることについてこう補足している。
「大野氏は、(中略)言語の変化にともなう『意味の薄れ』があると指摘している。『その語が誕生したときに授かった個性が、年月のうちに次第に薄れてしまい』見えにくくなるという現象の指摘である。
『もの』という言葉につきまとう『無』の要素が見えにくくなっているのも、一つにはその『意味の薄れ』によるものだと言えよう」
ここまでは、<無のかげ>を被修飾語として受けとめる「もの」が論じられ、それは<無のかげ>がどこからかやってきてこの言葉にまとわりついたような話だった。
著者はここから、「まさに『もの』という言葉が物体をあらわすようになった、その瞬間から」<無のかげ>が「この言葉と切りはなしがたくむすびついた」話をしていく。
すでに「木」を例にした検討で、「木」が意味するものは、「松」でも「竹」でも「樹木」でもないという発話者の把え方の「木」であり、傾聴者の把え方の「木」であった。
それと同じように、
「具体的な事物を『もの』と言うとき、それは決して具体的な事物を具体的にとらえた言い方ではない」
「それが『物』ともなれば、『木』だの『植物』だのということまでも切り捨て、『人間が感知し認識しうる』すべての具体相を消し去って、はじめて可能となるとらえ方なのである。
『物』は『具体語』であるどころか、すでにこれ自体、究極の『抽象語』と呼ばなければなるまい」
そして著者はこう結論する。
「物を『物』としてなり立たせているのは、この『消し去る』はたらきなのである」
それこそ<無のかげ>であると。
「そうした意味のはたらきが形容詞のうえに及ぼされると、『源氏物語』などで多用されているばかりでなく、現代語のうちにもしっかりと残っている『ものさびし』『ものがなし』といった表現になる。(中略)
たとえば、ただ『かなしい』と言えば、なにかはっきりと悲しい何事かあって、それに対して『かなしい』と言う。
それが『ものかなしい』となると、その悲しさは明確な対象をもたずに、いわば悲しさの気分そのものとしてそこにただよう、ということになる-----これもまた、<具体相を消し去る>という『もの』の意味がそのまま真直にあらわれた用法、ということができるであろう」
「もの」〜「マナ(Mana)」〜「物部」〜「もののふ」という連想
著者の論旨からは外れて持論をちょっと差し挟みたい。
以上の日常語からする「もの・こと」論ないし「モノ・コト」論は、おおよそ生まれ死にゆく人間の時間軸を前提にしている。
それを徐々に超越的な方向に拡張していった時間軸では、カタチあるモノは必ず壊れるが、カタは文化として継承されるとか、カタは変わったり失われるが、カタを生み出す発想の源泉=カは人類に普遍的にそなわっていて失われない、といった理解も生じていく。
このようなカタチ→カタ→カは、具体から抽象へであり、カタはモノとコトの中間項、カはコトと位置づけられる。
つまり、日常語からする「もの・こと」論や「モノ・コト」論は、本来、哲学的な存在論とは違って、要は「把え方」論であり把え方の数だけ成立可能性がある。必ずしも整理統合されるものではなく、よっぽど的外れなものは除くとして、多少のズレをもって重なり合ってすべてがそれぞれに妥当性をもつ、ということなのだと思う。
本著で著者は哲学的な存在論の視座から、「もの」の「語の意味の中心」として<無のかげ>を強調している。
しかし、カ→カタ→カタチといった創造的な認知論の視座から、「もの」の「語の意味の中心」として<有のかげ>を強調することもできる。
カは、タンジュンに言えばひらめきである。ひらめきは、何何ではない、何何でもないといった遠回りの消去法ではなしに突然直接的に浮上する。そこから「このようなカタのもの」というアイデアに、そして「このようなカタチのもの」というデザインに発展する。すべて具象とも言えるが、三者の中では個人の漠然とした主観的な抽象から他者と共有する客観的な具象へと展開している、と考えて自然だ。
カタチある「もの」が人間によって創造される根源には、人類に普遍的にそなわっていて失われないカがある。
古の人々は、森羅万象や神や天を擬人化した訳だが、そのような擬人化された主体が何かを創造するのも、おおよそは同じカ→カタ→カタチのステップを踏んでいて、帰結したカタチがさまざまであっても、ユングの元型論に示されるようにカタは類似していて、究極の根源としては宇宙の原理なり世界の法則なりそれに従った初めも終わりもないエネルギーなり運動なりがある。それは、存在者を存在せしめている「不可知な根源的な何か」という点で構造的に存在論と重なってくる。
カ→カタ→カタチという日本語から導いた創造論は、普遍的なデザイン論である前に、日本人の生活文化を一貫してきた日本社会全体の文化創造論である。よって、日本人の個人で完結しない集団的ないし組織的ないし社会的な創造ダイナミズムをうまく説明している。
(参照:「パターン認識としての<かたち・かた・か>」
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そして、社会的な創造ダイナミズムであるカの起源を探っていくと、太平洋島嶼の原始的な宗教において神秘的な力の源とされる概念である「マナ(Mana)」に行き着く。
そこで、私個人的には、「マナ(Mana)」が、和語の「もの(mono)」に概念的にも母音的にも関係していると仮説している。
ちなみにこの仮説は、世界で日本語と太平洋島嶼のポリネシア諸語だけが、母音が有意味音である母音主義で、他の言語はすべて子音が有意味音である子音主義であることとも重なっている。
日本語が整って行った日本の古代に「もののふ」という言葉があり、それが後世に武士を意味するようになる。だが、古代の段階では、「もののふ」とは物部氏の「物部」の読み方だった。
物部の部は部民制の部で、元々は兵器の製造・管理を主に管掌していたことに由来する、つまり漢語的である。しかし、もののふ は和語的で、物部氏の現存在を表現していたと想像する。
物部氏は、神武天皇よりも前に天磐船により大和入りをした饒速日命を祖先と伝えられる氏族である。それと関係するのだろう、呪術、氏姓などの職務を担当し、盟神探湯の執行者ともなった。
これらは、
「もの」に潜む<有のかげ>である存在の根源=「マナ(Mana)」とらえて
存在の発揮としてのモノづくりやコトつくりという「こと」に展開する職能
と言える。
物部氏が担当した職務は一般的なモノづくりではなく兵器づくりであり、一般的なコトづくりではなく呪術や氏姓つまり名づけであったことに注目すべきだ。
和辻氏は、「物いう」や「物見」といった表現を例にあげて、
「これらの『物』は、単に『志向せられたるもの』をあらわすだけでなく、なにかそれを超え出たものをも意味している」と言っている。
兵器、呪術、名づけとは、「物いう」ことや「物見」と同様に「なにかそれを超え出たもの」が帰結として生ずることが宿命づけられた物事に他ならない。
それは一般的なモノづくりやコトづくりとは一線を画している。
ちなみに古代において物部氏を意味した「もののふ」は中世にかけて、貴族にさぶらう侍を意味するようになる。
それは、このような「語の意味の中心」を温存した語彙の変化と考えられまいか。
中世は公家、寺社、武家の鼎立社会だった。それに至る前は、朝廷に使えていた武家勢力が台頭する平安から鎌倉時代で、そもそもは天皇になれない傍系の貴種流離が平家や源氏となっている。その前の奈良から平安時代は、主要豪族が世襲制の官僚になるもポストが限られたり藤原氏のように独占したりで、たとえば物部氏からもポストにありつけないものが続出する。つまり、官僚としての身分という「こと」に立脚する公家ではなく、さまざまな個々の本質的な能力ないし本能的な現存在に立脚する「もの(者)」になっていった。
それを「もののふ(夫)」といったのではなかろうか。
ひょっとすると、武芸で身を立てる武士だけでなく、刀鍛冶や武具製作をする「モノづくり」の工人までを含んだのかも知れない。
このように考えてくると、日本人の「モノづくり」というのは、縁源からして、入魂や研鑽により「もの」に潜在する存在を抽出して、存在の発揮という「こと」につなぐ現存在が鍵となってきたと仮説することができる。
武士道の「道」という概念は、匠の道のそれでもある。
「道」は漢語では宇宙原理の「タオ」である。「もの」=存在者を「こと」=存在につなぐ現存在という在り方が、宇宙原理との一体化であることを示すとも解釈できる。
「もの」を意味する漢字として「物」を採用したことと両者の違い
なぜ日本人は、「もの」を意味する漢字として「物」を採用したのか。
それは意味からして当然の成り行きだったと思われがちだ。
しかし、中国語を少しでもかじった人ならみな知っていることだが、日本人が「もの」と言うような多頻度では中国人は「物wu4」という漢語を使わない。もっぱら「もの」を意味して頻度多く言うのは「東西tong1xi」である。
なぜ、東西なのか。きっと『人間が感知し認識しうる』すべての具体相を消し去って、はじめて可能となるとらえ方で、沿海部の東から内陸部の西まで大陸のどこでもあるような「もの」、ということなのだろう。
著者はまず、万葉集には「母能」「毛能」といった万葉仮名の表記と「もの」と訓読みさせる「物」の表記があることから説き起こす。
次に、世界中のほとんどの民族が文字を持たず、言語が突如として「文字として貯蔵可能になる」という驚天動地の体験をしたと説明する。
あの哲学の揺籃、ギリシアでさえも文字を持たず、表音文字であるフェニキア文字を導入したのだった。
しかし、日本が大和言葉=和語に導入した漢字は表音表意文字だったことに、すべてが始まる。
「漢字を用いて自国語を表記するという試みが見られたのは朝鮮半島とわが国においてのみであり、それを本格的に自国語の表記法として定着させることができたのはわが国だけであった」
「本来は一つの漢字の内に切りはなしがたく結びついていた表音機能と表意機能とをスッパリと切り分けてしまい、その時々に応じて、そのどちらかの機能を使う、というやり方」をした。
和語のこれに漢字のこれを当てて日本語と同じ訓読みをさせる、という手順になるが、具体的な「き=木」「たけ=竹」などにはさほど困難はない。しかし、問題は抽象的な和語であり、中でも「もの」や「こと」のような「われわれ自身、日常あまりにもふつうに使っていて、その意味をふりかえってみることすらない」言葉である。
著者は、「『物』や『事』といった(表意の)漢字を用いて書きあらわしたということ自体、或る意味で驚くべきことである。それは、まさに『日本精神の自己認識』と呼ぶにふさわしい試みだった」と述べている。
ここで、著者は象形文字である漢字の甲骨文字からの展開を「物」について検討し、そこに「<事象の具体相を消し去ってそれを把握する>という『もの』の根本儀」と似通うものがあり、要は<無のかげ>があったと結論している。
私はそれを否定するものではないが、
万葉集が編まれた時代、和漢混交の表現を体系立てていった日本人や帰化人は、むしろ漢文にあった「物」の語彙を文脈から捉えて「もの」に当てた、
と考えるのが自然ではないかと思う。
万葉集が成立するのが759年ころで、最古の日本漢詩集である懐風藻が成立するのがそれより早い751年である。8年前に漢語で漢詩を作って漢詩集をまとめていた日本人は漢字の「物」の語彙についての正確な理解をいろいろな文脈から捉えていたに違いない。
たとえば、古代中国における思想史上の術語である「格物致知(かくぶつちち)」は、意味や解説、物事の道理や本質を深く追求し理解して、知識や学問を 深め得ることである。『礼記』大学篇の一節「致知在格物、物格而知至」に由来し、儒学史上 、さまざまな解釈がなされた。
一般に、文字の伝来と受容は、儒学の伝来と受容をもって同時になされたとされる。王仁(わに)が論語を 持って渡来したという伝承が古事記などにあり、概ね5世紀頃には伝来していたものとされている。つまり7世紀前半には、漢字の「物」の語彙についての正確な理解を儒学などの文献の文脈から捉える日本人や帰化人が少なくなかった筈なのである。
中には著者のように、象形文字の意味するところを亀甲文字にまで遡って検証した者もいたかも知れないが、それを説いた結果として、多数がそれでは「もの」には「物」をあてましょう、となったとは考えにくい。
このように考える私が注目するのは別のことである。
「もの・こと」論を哲学的に存在論として捉えるのと、言語学的に語彙論として捉えるのでは、本来はまったく違う。存在論は不変だが語彙論は可変だ。特に日常語の語彙論はそうだ。
このことは著者も言っていて、変化しながらも「語の意味の中心」は変わらない、としている。
私が注目するのは、中国語の「物」と、和語の「もの」では、「語の意味の中心」が違うということなのである。
書面語から日常語へ、そして日常語の中での使う主体や場の変化よる変化といった変化の全てをまとめて踏まえて上でざっくり言えば、どちらも「モノ」であるばかりでなく「コト」だったりもしている。具象的であるばかりでなく抽象的だったりもしている。
しかしそれでも、互いに異なる「語の意味の中心」が一貫してきたのである。
漢語の「物」が意味する森羅万象の道理や本質は、天意のような男性原理にある
のに対して、
和語の「もの」が意味する存在の根源は、大地や海洋に根ざした自然やグレートマザーに通じるような女性原理にある
それは「マナ(Mana)」由来の神秘的な力の源とも重なる
のである。
男性原理の「物」は、分け隔てて分析する概念であり同様の概念と体系だって結びつきやすい。
一方、
女性原理の「もの」は、包み込んで一体化する概念であり情緒や情景を醸し出す概念とものがたり的に結びつきやすい。
ちなみに、ものがたりは日本語で漢字にすると物語だが、中国語では故事(gu4shi)である。物語という日本語は、語り部が「もの」を語るというのが意味の中心であり、故事という中国語はそれ故にこういう事になった事の顛末というのが意味の中心である。
けっきょく、
男性原理の「物」と、女性原理の「もの」との違いは、
漢語と日本語の違いであり、
中国文化や中国人の宇宙観や世界観や人生観や生活観と日本文化や日本人のそれらとの違いにまで一貫している。
そして、私がこのことを強調したい理由として、
じつは、その多くが日本対中国の違いというよりも、日本対欧米含めた外国の違いと重なる
ということがある。
それは必ずしも悪いとか劣っているということではない。
ユニークに良く優っていることもある。
ただ、いずれにせよ自らを客観視して理解し自覚しておくべきことではあると思うのだ。
たとえば、
欧米人も中国人も、人間は自然と対抗すべきものというパラダイムの発想思考をする。
それは「物」や「thing/stuff」という語の変わらぬ意味の中心から規定されている。
一方、日本人は、人間は自然の一部であって共生すべきものというパラダイムの発想思考をする。これを逸脱するとばちがあたるとちょっとびくつく、つまり即座の無意識の身体反応をともなって情動的に信じている。
それは「もの」という語の変わらぬ意味の中心から規定されている。
私は、
<部族人的な心性>と<社会人的な心性>というものを以下のように捉えている。
欧米人や中国人は、
<部族人的な心性>を捨象したり限界づけて<社会人的な心性>を形成してきた。
欧米人はキリスト教や科学などの因果律によって、著者の言葉を借りれば「わかり」の形、「わかること」の実現をしてきた。
中国人は易や天意を前提とする人間関係論である儒教などの共時性によって、「わかり」の形、「わかること」の実現をしてきた。
一方、日本人は、
<部族人的な心性>をベースに温存して<社会人的な心性>を形成してきた。
ちなみに、<部族人的な心性>そのものは、部族社会の時代に人類が普遍的に抱いていたものだ。
そして現代世界の子供たちの遊びの児童心理において活性化したり、大人たちも深層心理に潜在させていて何かの時に顕在化させたりする。大衆心理としてはオリンピックや暴動や戦争において活性化する。個人心理としてはギャンブルやセックスや犯罪において活性化する。
昨今の日本アニメや日本食のブームが世界的に定着した動向は、前提として、西欧文明や中国共産党の王朝文明が限界にきて人々がその<社会人的な心性>において解消されないストレスや不満をかこつようになったということがある。そこで、日本文化の<部族人的な心性>をベースに温存した<社会人的な心性>が個人的にも集団的にも心身を癒し健康になるという側面に触れて、その成果をもって解消するようになった、ということだと思う。
それは「物」や「thing/stuff」という語の変わらぬ意味の中心から規定されている男性原理の世界ではなく、
すべて「もの」という語の変わらぬ意味の中心から規定されている女性原理の世界である。
<部族人的な心性>の特徴はいろいろあるが、
「もの」対「物」や「thing/stuff」の絡みでは、
◯自他の未分化性
◯人間と自然の未分化性
◯人工と自然の未分化性
など欧米や中国のパラダイムとの対極性を指摘できる。
そして、むしろ地球全体の人類の共生、人類と地球との共生を課題とする未来志向のパラダイムとしては尊重すべき性向となっている。
本論の主旨とは少し外れますが、ご関心のある方は以下の概念図を参照してください。
私としてはこんな観点も踏まえて、次項で本書の第6章「『こと』の意味」を検討していきます。
「母語が民族の発想思考を特徴づけるとはどういうことか(6)」
http://cds190.exblog.jp/22836901/
につづく。