日本人のいわゆる「情緒先行」、そのリスクとアドバンテージ。 |
「集団的自衛権めぐるヤンキー的なノリ——「結果」を問わない〝勢いのリアリズム〟の危うさ」という論述で、
論者が「情緒先行」をヤンキーの特徴としていた。
これに関連して私は、日本人全体の発想思考の特徴が、縁起に則った〈情〉起点だと捉えている。
同じ日本人でもヤンキーと非ヤンキーの違いは、尊重する縁起の系統と起点にする〈情〉の内容にある。
ヤンキーはじつは個としての心理的不安定を共有していて同じ釜の飯を喰った集団的な縁、内向きの親近感と安堵という〈情〉を重視。
非ヤンキーはじつは個としての心理的安定を共有していて個と個の意気投合的な縁、外向きの冒険心とワクワク感という〈情〉を重視。
ちなみに、
欧米人の発想思考の特徴は、因果律に則った〈知〉起点。
中国人のそれは共時性に則った〈意〉起点。
その対比は、たとえばヤンキーではないが、ヤクザ社会とマフィアと黒社会の人同士でも成り立つ。 日本人、欧米人、中国人が好戦的になる経緯は、歴史に照らして同様の対比ができる。
また現代の日本人にメジャー化するソフトヤンキーについて言えば、同質化や同調の傾向が顕著で、注意すべきは起点となる〈情〉が、
①前向き・外向き・下向きか、
②後向き・内向き・上向きか。
震災被害者の整然とした秩序を守り弱者を庇うのは①で、
戦前の軍国主義の一億玉砕や軍隊の下士官によるイジメは②だ。
どちらが活性化するかは受け身で為政者がどのような縁を促すかが方向づける。
ふと思ったのだが、よくお味噌汁とかお茶漬けに舌鼓を打ちながら「日本人に生まれて良かった」と言ったりする。
たとえば中国人が餃子を食べて「中国人に生まれて良かった」とか、アメリカ人がハンバーガーを食べて「アメリカ人に生まれて良かった」とか思うだろうか。思わないような気がする。
日本人には、同じ釜の飯を喰った者同士に強い縁を感じる傾向がある。それは日本人の発想思考の特徴、縁起に則った〈情〉起点だ。これと同じ回路で、お味噌汁やお茶漬けの美味しさが、日本人という集合への帰属とその満足感という〈情〉に関連づけられる。
戦前、国土を守ること、日本の生命線とされた満蒙や東南アジアの石油基地を死守することは、日本人の縁起に則った〈情〉を高揚させた。日本人に生まれたからには、と思い、お前はそれでも日本人か、と言われれば意に沿わないこともするしかなかった。
しかし今、アメリカの戦争に巻き込まれたり駆り出される可能性については、日本人が起点とする〈情〉は難色を示すだろう。問題は能動的にお上に盾を突くかどうか。
敗戦後、鬼畜米英と忌み嫌っていた進駐軍にとても従順でアメリカ人をびっくりさせた。起点となる〈情〉が変化したのだ。
(参照)
(概念図)
「日本人に特徴的な『縁起にのっとった<情>起点の発想思考』」
「欧米人に特徴的な『因果律にのっとった<知>起点の発想思考』」
「中国人に特徴的な『共時性にのっとった<意>起点の発想思考』」
http://cds190.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=20399213&i=201305%2F01%2F65%2Fe0030765_920344.j …