市民主義と権威主義そして隣里(りんり) |
市民主義を阻んでいるのは、つまるところ一人ひとりの権威主義なんだよね。
権威主義というのは、特定の人を自分より上位においてそれに従い、従わない人を自分より下位におくという心理が成立させている。
自分が誰かの上位にある、ないしはありたいという差別意識や狭隘なエゴの延長上にある。だから権威をちらつかせる者もそれを有り難がる者もいやらしい。
評論家は、権威主義の人と、権威主義でない人が分かりやすい。類友の法則なのだろう。前者には前者が、後者には後者が寄ってくる。
けっして権威主義を寄せつけない評論家もいて、彼らのことは誰もが肌ではそう感じとっていて、言っている意見が自分の考えと一致しなくても人間性は信頼している。そんな人間関係が前提でないと、じつは少数意見・異論・異端の尊重とか、和して同ぜずとは現実にはいかない。
聖徳太子は、十七条の憲法の第一条で、
上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず
と厳格な上下の身分があった時に言った訳だけど、
今は一人ひとりそれぞれの権威主義が上下をつくって、事理おのずから通じなくさせている。
たとえ意見が同じでも、あいつが言っていることには賛意を示したくないとか、あいつに従うくらいなら会社を辞めた方がマシだという人がいる。
人みな党あり、人はグループをつくりたがる。
また隣里(りんり)に違(たが)う、近隣の人たちともうまくいかない。
ここで隣里とは、現代で言えば市民と市民の関係であって、仲良しグループのことではないことは蛇足だろう。