日本人の集団独創の特徴を神経事象学に照らして考える(1/3) |
8年前に「コンセプト思考術」研修のパラダイム転換発想のファシリテーション方法論を究明するために書いた記事、
「パラダイム転換発想の講義、演習そしてファシリテーションで『音楽する』とは?(1/3) 」http://cds190.exblog.jp/3648957/
を、日本人ならではの発想思考の方法論の究明という現在の関心事において再考整理する。
日本人らしさ、アメリカ人らしさ、中国人らしさと私たちが「◯◯人らしさ」と言い習わすことは、基本的に◯◯人の「社会人的な心性」の特徴である。
そして、日本人の「社会人的な心性」の特徴は古来、「部族人的な心性」をベースに温存してきていることであり、一つの国、その国民の「社会人的な心性」としては類例をみない。
欧米人や中国人の「社会人的な心性」などみな、「部族人的な心性」を捨象したり副次的なものとしている。
ただし、有史以前の人類は普遍的に「部族人的な心性」を有し、現在、どこの国の◯◯人でも深層心理や遊び心やゲーム感覚において息づいている。
私は、日本の生活文化のユニークさは庶民文化にあり、世界の人々が魅了され自分の日常生活にも取り入れているのはみな庶民文化であることに着目している。
それは、外国人の「社会人的な心性」が抑圧してきたものを日本人の「社会人的な心性」が、ベースとなる「部族人的な心性」として古来、成熟化させたり現代化させてきていて、それを彼らも日常生活においてより息づかせたいと歓迎しているのだと思う。
「部族人的な心性」とはどういうものか。
以下のように「社会人的な心性」との対照において際立つ特徴をもつ。
当然、
「部族人的な心性」をベースに温存した「社会人的な心性」を特徴とする日本人の発想思考は、「部族人的な心性」の特徴を発揮したものになる。
ただしその論題は別の機会に論じるとして、
本論シリーズでは、日本人の集団独創が「部族人的な心性」の特徴を発揮したものであることを検討整理していきたい。
この検討において脳科学を拡張した神経事象学の観点からよい導き手になってくれるのが、ウィリアム・ベンソン著「音楽する脳」である。
「わいがや」にみる日本人の集団独創の場の現代における衰退ないし変質
いま一つ、本論に入る前に説明しておくべきことがある。
バブル崩壊の後、つまりは1990年代以降の実社会経験しかない世代が知らない、かつて日本人が日常的にやっていた集団独創についてである。
ナレッジマネジメントとか知識創造といった学術用語や業界用語などない時代どころか、それこそ古来から、日本人が日常的にやっていた集団対話のやり方があるのだ。
気がつけば、この20年の間に、めっきり企業社会や地域社会で見かけなくなった。おそらく官僚社会や学校社会でもそうなのではなかろうか。
それはどんなものかというと、クルマメーカーのホンダでは「わいがや」と呼ばれてきたものである。
とにかく、みんなでわいわいがやがや対話するのである。
対話のルールとしてはそれだけで、むしろルールがないと言った方がいいが、今になって振り返ると暗黙のルールがあった。
それは、「わいがや」は自由参加でかつ自由発言だった、ということである。
私自身はマツダと日産の仕事に外部ブレインとして参加し、マツダ流儀、日産流儀の「わいがや」に参加した。と、今でこそ言うが、どこの業界のどこの部署でも、日本の企業社会の全体で集団対話といえば、みんなでわいわいがやがややっていたのである。
現在の何事も高度に管理化された企業社会しか知らない世代からすれば、自由参加でかつ自由発言ということの実態は想像できないかも知れない。
たとえば、こんなクルマがあったらいいのではないか、という新しい車種のコンセプトを話し合う場に、特定部門のプランナーやデザイナーや技術者だけでなく営業マンも参加し、新入社員から事業部門幹部まで対等に意見を言い合った。そんな場に面白いことを言いそうな外部の者も呼ばれた。
まだ何も決まっていないのに、守秘義務だの専管事項だのとなんやかや理由をつけて話し合う場を閉鎖的にし縄張り以外の者に排他的な現在ではまったく見られない光景である。
身内の者同士でやっていても似通った意見ばかりで面白くないから、誰か呼んでこよう。そんなノリで30前後の若造の私はいろいろな集団対話の場に日常的に呼ばれていた。そして私の方もそれが仕事になるならない、金になるならない関係なしにいそいそ出向いて集団対話そのものを楽しんでいたのである。
私が30歳で独立する前、20代後半のディスプレイ企業に努めている時には、万博のパビリオンや新規出店する百貨店をどのように個性化するかについての「わいがや」が楽しかった。
前者は、政府出展の大型館だったため業界大手のJVになったが、同じ業界人だけでは面白くないと、プロデューサーやアートディレクターが異業界のコピーライターや編集者を連れてきて一緒に「わいがや」した。国の信認厚いプロデューサーと私のいた会社を代表するアートディレクターが口論になり、上のレベルではこういうことで口論するのだと勉強したりもした。「わいがや」は単なる集団知識創造の手段ではなく、人材育成の場にもなっていたと今にして思う。
後者は、サンシャインビルの上層階にあった旧西武百貨店本社の装飾本部に会社のデザイン部長やデザイナーたちと出向き、装飾本部の部長以下スタッフのクライアント側とケンケンガクガクやった。ニュアンス的に「わいがや」ではなく語気の激しい「ケンガク」だった。それが当時堤清二会長率いる西武流通グループの流儀だったのだと今にして思う。そこで、あいつは面白いとなると、装飾本部の部長は何かにつけて私をいろいろな打ち合わせに呼んだ。当時、出店ラッシュの最大のお得意様だから会社も行かせるしかない。
ある関西の新規出店案件(現グンゼタウンセンター つかしん)で、大手建築事務所が開発申請を済ましていたにも関わらず大規模過ぎる半減すべしと装飾本部が言い出し、その意見を通すため急きょ、その部長と私の勤めた会社の取締役アートディレクターと商業施設デザイン部長と若造の私で旧西武所有の舞鶴農場に飛んだことがあった。そこで大阪の組織建築事務所の幹部と「ケンガク」したのだが、主に「ケンガク」したのは、設計責任者のベテランと若造の私だった。開発規模は半減され、長方形の敷地をロの字型に建物が取り巻き、中庭からのスカイラインがきれいに区切られることを目指した建築コンセプトは破綻させられた。代わって西武流の街づくりが路地裏街やマナーハウスで展開された。
時が立って、大阪出張の際、建築学科の修士課程で一緒だった同窓生から上司に会ってほしいと言われた。当時、私は独立して東京の別の組織建築事務所の顧問をしていたのだが、彼はそんな私を外部ブレインに引き入れようとしたのだ。だが彼の期待したようにはならなかった。引き合わされた彼の上司とはあの舞鶴農場で「ケンガク」した相手だったのだ。
ホンダの集団対話として語りつがれる「わいがや」だが、実際は、業界や部署を問わずどこの会社でもやっていた。
そして、外部ブレインを呼び入れることを含めて自由参加の自由発言が基調だった。
「わいがや」は必ずしも穏便ではなく、殴り合いになることや、しこりを残すケースも無くはなかった。だが、そんなことはどうでも良かった。それは手段や経過に過ぎない。達成する目的や結果の方が大切だった。
それゆえに対話主体に制限がなく融通無碍で開放的だった訳だが、そういう目的志向は集団対話に限らない、かつての日本の企業社会の人間関係の基調だった。
今じゃ信じられないかも知れないが、自分にきた仕事でもこれは自分ではなく知人の同業者の方が向いていると思えば頼まれてもいないのにその人に仕事を譲った。また、ギブ・アンド・テイクということでもなく袖刷り合った程度の同業者から仕事をまわされた。
誰もが自分の本領を自分らしく発揮することに専念していて、そうしている他者をリスペクトし信頼していたのである。
そのような縁もあって私は、旧通産省の外郭団体、産業デザイン振興会の依頼で、佐世保市と商工会議所が主導するワークショップに経産省官僚と一緒に一年通ったことがある。現地でも毎回、地元の有志たちと「わいがや」をやった。
また別ルートで徳島市の商店街組合振興のアドバイザーとして通った。その時も組合員の老若男女の商店主たちと毎回「わいがや」をやった。
つまり、企業社会だけでなく、官僚社会も地域社会もみんなでわいわいがやがややっていたし、そうした集団対話の場では出入り自由の参加と自由発言が基調だったのだ。
ちなみに今、伊東市に暮らして7年になる私は、幾度か地元活性化策を伊東市や伊東の商工会議所や観光協会や国際交流協会にレポートを同送する形で提案した。それを叩き台に集団対話の場が設けられればいいとの思いからだ。呼ばれれば市民の資格で参加しようとも考えた。しかし丁寧な礼状がくるのが関の山だった。管轄部門の担当者がやっている、貴重なご意見は業務に反映させていただく、というのが伊東市の礼状の主旨だった。
私がかつて佐世保や徳島で感じた自由で開放的なノリは微塵も感じられなくなっていた。
こうした変化はどこも同じで、「わいがや」がなくなったのではなくて、「わいがや」さえも形骸化して内向きで排他的になってしまったのだろう。
結果、どこの市町村もユルキャラづくり、B級グルメづくり、大河ドラマやアニメ頼みと横並びになっている。管轄担当所属といった身内の者同士でやれば、よほどの個性的なカリスマがいる場合を除いて、そういう横並びの目標を達成して満足してしまう。
勤める会社の集団対話から、地元地域の組織の集団対話まで、今の若い世代はそういう大人や上司の姿しか見てないから、私の世代が東京ばかりでなく地方都市でも日常的にやっていた「わいがや」の実態は想像できないだろう。
想像しても、余所者も寛容に受け入れた盛り上がりや気楽さについて実感をもてないのではなかろうか。おそらく問題意識を抱くこともなく今の成果がベストであると自負しているのだろう。
たとえば、私が「わいがや」を形容して「ノリ」という言葉を使ったとしよう、おそらく今の若い世代は自分たちも「ノリ」がありノッて集団対話をしていると言うだろう。
ところが、私の世代が感じたり発揮していた「ノリ」とは、厳密に言えば「祝祭性」なのである。
この「祝祭性」とは、「部族人的な心性」が躍動するものに他ならない。
「社会人的な心性」が予定調和的に展開するお約束のノリではないのだ。
偶然の出合いや成り行きという偶有性をも積極的に取り込み、逸脱や破綻からも得るものを見出し、絶頂の前後では自分も相手も人間関係も変容するようなノリなのである。
イェーイ♪ ノッてるか〜♪と誘われるものでもない。対話していく内にノッてきたり、時には口論や喧嘩にもなりうる、冷静に意図的に制御しきれない類いのノリなのである。
かつての日本社会では、企業でも学校でも省庁や役所でも地域社会でも、集団対話の場でそういう「祝祭性」のノリが自然発生していた。
今や、それを説明するには、本源的な日本人の「部族人的な心性」による「祝祭性」を具体的に解説していくしかない。
遠回りのようだが、それしか手立てがない。なぜなら日常的に体験していた私以上の世代もそれを暗黙知と身体知としているだけで明示知に転換していず、それをするには本源的なダイナミズムの具体性に照らすしかないからだ。
「予祝儀礼」の「祝祭性」と日本人の集団対話のノリの一致
予祝儀礼とは、米作りや穀物作り、海の魚や山の動物の猟など、実際の仕事にかかる前に、村や神社の庭で模擬的に演じるそれぞれの仕事の模擬的演技によって、それぞれの対象としての自然に向い、これから始まる米作りや猟の豊かさを『このようにありたい』と願うものである。
予祝の直接的表現は「このようにありたい」とする願いを象徴的に唱える祝詞で、それは「言葉の類感呪術(類似の法則)」という原理に基づく。
祭りは、
1=「シャーマンが神を迎える」過程
(これは神への服従を意味する過程でもある)
2=「集団が神の力と関わる」過程
(これは神の力の受容を意味する過程でもある)
3=「集団同士で饗宴する」過程
(これは神の力を得た者同士としての相互承認を意味する
過程でもある)
という普遍的な構造をもっている。
「わいがや」の基調である自由参加とは、誰かに創造的な発想が浮上するのであれば、それが誰であっても受け入れておいて汲み取ろうということであり、神懸かりする者を受け入れるということから1=「シャーマンが神を迎える」過程に相当する。
そして、
「わいがや」のもう一つの基調である自由発言は、創造的な発想が浮上したと思うものは誰でもそれを公開すべしということであり、神懸かりした者と集団が対話するということから2=「集団が神の力と関わる」過程に相当する。
さらに、
ここが重要なのだが、「わいがや」は会議や打ち合わせや交渉とは違う。発想を浮上させてそれを公開した者が集団の中でイニシアティブを取ったり言い出しっぺとしてリーダーになる訳ではなく、集団で発想を共有しそれについての思考をみんなで深めていくことを目指す。この展開が3=「集団同士で饗宴する」過程に相当する。
「わいがや」は何の成果や判断や決定にも至らずやりっぱなしのことが多い。
お互いにもっと対話を深めようと思った者同士が新たな交流を始めるきっかけになったり、気になったことがあった者が課題として持ち帰って検討したりする。
欧米流のブレインストーミングやディスカッションが、知情意の内のあくまで<知>の創造活動であるのに対して、「わいがや」は知情意の全体が渾然一体となって交換される。だからかならずしも客観合理的なロジックだけがテーマになる訳ではない。何かに対する喜怒哀楽や好き嫌い、やる気ややる気のなさまでを露骨に言い合い、みんなそうなのか、という知情意渾然一体の一致ないし不一致を相互に確認する。
よって「わいがや」は、集団や組織の構成員の恊働創造性を多角的かつ多様に高める、という目的が一貫していると考えられる。
時に口論になりしこりが残ることもあるのは、<情>や<意>も絡んだ発想や思考が許され、むしろ歓迎されていたからである。
だから、まったく口論もなく、波風一つ立たないような「わいがや」は想定以上の成果を得ることがなく、単なる懇親会のようでつまらなかったという印象を参加者は持つのだった。
オリンピック種目のレスリングにはない民放テレビで放映されるプロレスの面白さのようなものが、ふつうの会議や打ち合わせや交渉とは次元の違う「わいがや」ないし「ケンガク」にはあったのだ。
たとえば、新入社員が「わいがや」に駆り出されたとしよう。言いたい事があっても新参者の分際で発言していいものかと遠慮していたりする。先輩や偉い人がそれと分かると、黙ってないでお前も何か言え、と水を向けてくれるのだった。たとえ経験の浅い者ゆえの頓珍漢なことでも、逆に経験豊かな者には絶対出てこない観点や切り口があるかも知れない。そういう期待を年長者は年少者に対して抱いていた。それは単に自分の知らない<知>を求めることに限らない。年長者にとってはかつてもっていた初心の<情>や<意>を思い起こさせるという刺激でもあった。
日本的な年功序列や立場縄張りを前提にしつつも、おい若いの黙ってないで何か言え、とか、担当違いではありますが言わせてもらうと、とか自由闊達な歯に衣着せぬ意見を積極的に交わした。それは時には口論にもなるし人によってはしこりも残るだろう。しかし、波風を敢えて立てるのは、集団や組織という畑の土を耕すことに似ていた。雨降って地固まるというが、人間関係が固定化して創造力が沈殿しないように常にゆさぶりを掛け、繰り返し雨を降らせて柔軟に地固めする、そんな活動だったと思う。
もちろんこうしたことが、今の企業社会や官僚社会、学校社会や地域社会でそのままできるとは思わない。かつてできた前提が今はないからである。
今は、既定路線を逸脱する意見を言って波風を立てる者は排除されてしまう。お約束の予定調和的な展開を読んで同調しないものはKYだと敬遠されてしまう。
そんな状況で、人とは違う考えを披露しろというのは酷な話だ。口論になれば協調性がないと看做され、上司がしこりを残せば働きにくくなるだけだ。
脳科学の知見では、哺乳類は安全基地が確保されているから、成功確率50%の捕食活動という探索行為にわくわくして向かうという。成功確率50%とは、50%の確率で天敵に捕食されてしまうということなのだが、脳内麻薬の分泌はそのような条件の時に最大化する。
このメカニズムは人間にも働く。
「わいがや」の場合、何かを言ってバカにされようが口論になろうが誰かにしこりを残そうがクビにならない仲間外れにならないという安全基地が確保されていた。だから、褒められる確率、貶される確率それぞれ50%の大胆な意見も言おうじゃないかとなり、黙っていれば言ってみろということになった。
ところが今は、そもそも安全基地がない。既定路線に外れることは否定されたり無視される確率100%である。ならば誰も人と違う意見は言わない。みんなが言いそうで言えば賛成されるだろうことしか言わなくなる。
「わいがや」が形骸化して当たり前だ。
「わいがや」は、新参者や新しいアイデアを試そうとする挑戦者にとっては、部族社会の通過儀礼に似ている。
未開部族の通過儀礼には必ず、これを達成したり忍耐しないと部族の正式の構成員たる成人に認められないというハードルがあるが、男子の達成課題は成功確率50%的な物事である。それに誰もが最終的には合格するのは、諦めずに挑戦するからだが、それができるのも失敗しても排除されないという安全基地が前提としてあるからだ。
日本のたとえば江戸時代以来の村や町のプリミティブな祭りも、通過儀礼になっている。
未開部族の通過儀礼との違いは、それが一人ひとりが挑戦して成人と認める認めないの合否が判断されるのに対して、村や町の祭りの場合、ふだんから祭りでの役割をみんなと一緒に練習し祭り本番でそれを担当して、その成果を評価される。その際、集団全体としての成果についての他の村や町との比較や競争における評価が先行し、それへの貢献度合いとして集団の構成員たる個々が評価されるという側面が強い。
他の村や町との比較や競争というのは優劣、勝ち負けであるから、集団としての成功確率50%的な仕掛けになっている。
こうしたことが、いやがおうにも祭りの熱狂を醸成し、集団として「祝祭性」のノリを個々にそして集団に付与する。
ウィリアム・ベンソンが着目する「音楽する」とその概念
「音楽する脳」でウィリアム・ベンソンはこう述べている。
「私が関心を抱いているのは、私たちがどのように世界をとらえるかではなく、
私たちがどのように協力するか、どのように互いの人生にかかわっていくかなのだ。
音楽を理解しようとするなら、これが出発点でなければならない」
祭りの担当役割の一つにお囃子がある。
笛や太鼓や鐘を子供の頃から親や大人に教わる。子供同士も一緒に練習して切磋琢磨する。祭り本番では徐々に重要な担当役割をもらい成人する頃には教える側にまわっている。
それは、ベンソンが「音楽する」において問う「私たちがどのように協力するか、どのように互いの人生にかかわっていくか」という過程に他ならない。
ベンソンはこうも述べている。
「新しくはダマシオが、デカルトによる精神と身体の分離は現代の神経科学では成り立たず、この分離による感情と理性の二項対立は誤りだと『生存する脳』で論じた。
理性の根底には感情があり、感情の根底には身体がある。
そこでダマシオは、私たちが脳を理解するためには、理性を強調するデカルトの学説を心理学から排除しなければならないとしている」
「デカルト派は一人ぼっちの個人から出発しているが、私たちは相互作用する二、三人の個人について考える。
デカルト派は理性と認識に関心を示しているが、私たちは感情と表現について考える。
デカルト派は知覚に頭を悩ましているが、私たちは行動に興味をそそられる」
日本の村や町で土俗的に発生しプリミティブなダイナミズムを温存しながらやってきた祭りとその準備や継承の活動には、集団の構成員たる個々の老若男女の相互作用が縦横無尽に重層的に仕掛けられている。
そこでは明らかに、ベンソンの重視する「感情と表現」そして「行動」が主題になっている。
ベンソンの言う「音楽する」という概念に、音楽的なお囃子に限らない日本の村や町の祭りに関わるすべての活動とその反復が大枠で如実に重なることは間違いない。
私は、ベンソンの「音楽する」という概念で日本の大相撲も捉えることができると考える。
大相撲はスポーツというよりも祭りとしての構造を全面に打ち出している。相撲見物したり相撲談義をする日本人も祭りとしての構造の全面を受けとめている。稽古があり場所があり、弟子入りしての修行があり、親方になって修行をさせる側にまわる。そうした全部が大相撲なのであって、場所は神への奉納を原型とする祭りのハイライトではあるが一部でしかない。
力士は髷を結っていて相撲部屋に暮らしていて、土俵を降りても相撲取りである。仮面プロレスラーがリングを降りて仮面をとったら一般人となるようにはいかない。
「わいがや」という集団対話の場のノリも、その場だけで成立したり完結するものではない。
参加した関係者や有志の個々やそれぞれの職場の営みと相互関係を絶やさずに反復する。
そこは大相撲と同じだ。
一方、欧米的なディスカッションやブレインストーミングやディベートは、プロレスのリング上の試合のように一回一回、成果を上げるか上げないかして完結する。あくまでベンソンが言う個に始まり個に終わるデカルト的な文脈を出ない。
ベンソンの「音楽する」というコンセプトの提示は、人間は言葉による思考の以前に、「音楽する」知力を発達させていたのであり、それこそが人間と動物を分ける分岐点であったとする、とても大胆なパラダイム転換だった。
「ここで論じているのは、類人猿の知力と文化からヒトの知力と文化に至るまでのあいだに、次の三つの画期的出来事が起こったということだ。
一. 真似による発声
二. 音楽のはじまり
三. 音楽からの言語の分化」
「動物の鳴き真似は発声器官の自在なコントロールが必要となる適応能力であり、音楽および言語の前段階として存在したと考えられる。
私は次の三つの理由から、この考え方に賛同したい。
一. 模倣である。原人たちには、無から何かを生むという苦労がいらない。ただ、耳から入ってくる動物たちの声を真似る方法だけ考え出せばいい。長い進化の過程の第一歩としては、それだけで十分でした。
二. 意味を伴わない。発する声は言葉でなくてもよく、分類というプロセスを経て何か物や出来事を指す必要がない。
三. そのような模倣から、自然にもっと幅広い模倣が始まる。動物の鳴き声を真似ようとするなら、その動作や行動も真似ようとするだろう。それが儀式や踊りにつながった可能性がある」
ベンソンは、動物の模倣が、声真似だけでなく動作や行動の真似も含めて「音楽する」であると言いたいかのようだ。
私たちは大相撲や村や町の祭りや「わいがや」をそのような「音楽する」の進化の累積として理解することができる。
たとえばモンゴル相撲では、鷹の舞が有名で、手を広げて遠くを眺め、鷹の羽ばたきの所作をしながら入場する。そして、鷹が飛んできて、降りる所作をする。手を二回両方に二回羽ばたいて、鷹が降りる。力士が鷹の舞をしている間、胸は常にライオンをイメージしなければいけないという。ライオンの体をした鷹が舞っている、ライオンと鷹の合体ということだ。さらに、鷹が降りる所作は鷹と種ラクダの合体だという。
日本相撲の仕切りに入る前に力士が手を上げ足を上げて四股を踏む所作も同じようなアニミズム系の由来がありそうだ。
やがて意味を担う言葉が交わされるようになり、後の時代に◯◯山、◯◯海、◯◯風、◯◯龍、◯◯虎といった四股名によって表現されたことが、山や海や風や川や猛獣の力(霊)と一体化する類感呪術で表現されるようになっていく。
相撲のような競技化して技が発達する以前の原初的な遊びの段階ではひょっとすると、後の擬音語や擬態語につながるような動物の鳴きまねや森羅万象の音を発声していたのか知れない。
そして、そういう発声から言葉が生まれたというのがベンソンの仮説である。ベンソンの仮説が単なる進化論ではないのは、そうした人類の発声や言葉が集団の恊働性を高めるという目的を達成する手段として発達したという点にある。
日本の相撲が今のスタイルで相撲と名付けられて以来、神への奉納という祭りだったとされるが、もとを遡れば、森羅万象の化身となった者たちを取り組ませてその勝敗から天変地異の有無や有る場合の内容を占う儀式だったのではなかろうか。
モンゴル相撲で鷹や虎や駱駝が出て来るのはモンゴルの風土で暮らすことに深く関わるのが動物だからだとすれば、日本相撲で山や海や風や川が多く出て来るのは日本の風土で暮らすことに深く関わるのが複雑な地勢とそれに影響する天候の変化である。これを神前で占おうとするのは自然な成り行きだ。
敢えて話を飛躍させるが、今の若い世代も知る「わいがや」の名残がある。
それは民放テレビで時々深夜から未明にかけてやっている田原総一朗氏が司会というか、行司のように取り仕切る「朝まで生テレビ」だ。
あの「わいがや」ないし時々「ケンガク」をテレビで見ていると、おおよそ日本人の思潮がどういう系統に分かれていて何を争点にどういう競り合いをしているのかが分かる。
つまりは実質的に、視聴者の私たちにとっては日本の行く末についての占いになっている。
「朝まで生テレビ」のような集団対話がテレビ番組で展開することは海外ではほとんど見かけない。まず、たいていは対立する◯◯派と反◯◯派が対峙するが、あのように多元的というか多様な立ち位置のパネラーが車座になって、行司役の田原氏が仕切りるような海外番組でまずないだろう。きっと外国人はあの朝生の多元的な発言の応酬に、渋谷のスクランブル交差点をはじめて見た時のような新鮮さを感じるのではなかろうか。時々、二人のパネラーが大声で互いに譲らずに話し続け、どちらの話も聞き取れないことすらある。そういうことは、同じ日本でもNHKの討論番組ではまずない。
唯一「朝まで生テレビ」がテレビ番組に残存している「わいがや」なのではなかろうか。
かつて日本のそこかしこで展開した「わいがや」から、今「朝まで生テレビ」に残存している「わいがや」まで、それぞれの「わいがや」には特定のリズムがあることに気づく。
業界や会社が違うと若干違う。同じ会社でも職場により若干違う。いつもの「わいがや」ではなく他の「わいがや」に呼ばれた時に、無意識に私の世代がした最初のことは、集団対話の場ごとの「わいがや」のリズムを察知することだった。そのリズムにのってはじめて発言することができた。
そういうことを思い出して、今の若い世代も知っている「わいがや」がもう一つテレビ番組にあったことに気づいた。
それは、お笑いバラエティ番組でメインのMC周りの展開に対して、雛壇芸人たちが大勢で囃し立てる「がや」だ。
あの「がや」も、番組全体が醸成する「わいがや」状態のリズムを雛壇芸人たちが察知してそれにのってはじめて発言できる。
「わいがや」は、基本的に発言自由ではあるが、全体の「わいがや」感を高揚させる、決して白けさせないという不文律が働いていることが分かる。
集団対話の場に対話についての不文律がありそれに参加者が無意識に従っているということは普遍的であるが、このような「わいわいがやがや」という全体で「音楽する」ことが不文律になっているのは日本だけではなかろうか。
つまり、海外の場合はルールを守るにしても破るにしてもルールは個々が発言をどうするという明示知に関しているのだが、日本の「わいがや」は、全体がどう「音楽する」という暗黙知や身体知に関している。
ベンソンは「リズムの仮説」ということを言っている。
「人類の文化的先駆者はリズムの自在なコントロールを、自分たちの行動の最高の水準でまとめあげる手段として用いた」
無論、それが儀式や踊りにまでいたるには長い月日が掛かっていて、その原初的な段階ではアニミズム系の占い、あるいは呪術だった。
こうなってほしいという状況を森羅万象の化身となった者たちに相撲の取り組みのような形で再現させるといった「類感呪術」だ。
呪術、というと私たちはつい呪詛、呪いの言葉と捉えてしまうが、「類感呪術」は「類似の法則」でありその最もシンプルな原点はミラーニューロンが介在する身体反応だろう。
そしてベンソンの仮説に従えば、言葉以前に動物の鳴き真似の発声や動物の行動を真似る所作が先行して、後にそれらを意味する言葉が生まれたということになる。
そして言葉の成熟化と並行して、歌舞音曲が発達し、祭りが集団維持の仕掛けとして高度化していく。
ベンソンは、こうしたすべてを「音楽する」という概念で捉え、その一連の社会化を成熟化の過程として捉えている。
維持すべき集団が部族である内は、人類は普遍的な「部族人的な心性」を抱いていた。極めて似通った「音楽する」状態にあった。
ところが、有史以後、維持すべき集団が国になり、国と国の競合する地政学的な条件も反映して、それぞれに「社会人的な心性」を形成したり、弱小国が強大国に支配されて強要されるようになっていく。
その中で極東の日本列島に位置した国々は一つのヤマト王権にまとまる過程で、「社会人的な心性」を「部族人的な心性」をベースとして温存する形で形成していった。
海外では「社会人的な心性」において捨象されたり劣等とされた「部族人的な心性」が逆に文明文化として高度化洗練化されていく。
大和言葉の「言霊」や、それを紡いで「心」を歌い上げる大和歌に終着する。
その倭語=和語という言葉の骨格は今も健在で、私たちは古代の古文をある程度理解できることを当たり前のように思っているが、そのような言語は世界に日本語以外にない。
古代と現代の共通性は、書き言葉を読むと文法や語と思うが、話し言葉や歌い言葉を聞けば言葉遣いや対話のリズムの一貫性に気づく。現代に比べて話し歌う速度はとてもゆっくりしているが、七五調という調子=リズムは一貫している。現代の集団対話は朝生やお笑いバラエティのように複雑化しているが、リズムとしてはふって、ふって、三度目で落とすという七五調の繰り返しだったりする。
「何世代にもわたり、音楽はそのときの気分次第で取りとめもなく湧き上がっていたはずだ。そのうち、決まったパターンでの集団の相互作用がどんどん起こりやすくなり、触媒となる出来事がきっかけを作る必要性は減っていって、ついには特別な触媒がなくても活動が起こるようになった。
折々に、かなりの人数が狭い場所に集まったとき、誰か一人がリズミカルな足踏みを始めれば、面白くてみんながそれに加わった」
七五調という調子=リズムは、話し言葉や歌い言葉だけでなく、祭りや大相撲そして「わいがや」や「がや」の進行や所作の基調にもなっていて、時間的な一貫性だけでなく、空間的な一貫性にも気づく。
つまり、そうやって日常非日常の生活時空が一つの世界としてのまとまりをもって、私たちは感じとり、日本らしい、日本人らしいの裏付けにしているのである。
「音楽する」と「オンライン思考とオフライン思考」と「儀礼の発生」
「この模倣の行動はすべて大脳新皮質でコントロールされていることを思いだしてほしい。その点で、大脳辺縁系が受け持っている本能的な叫び声の系統とはまったく違っている。
つまり原人たちは、集団力学のもとで神経系を互いにつないで、意図的に歩き回っていたのだ。
それはまったく新しいパターンの神経力学を生んだ」
当初の段階では、言葉があって後から「音楽する」が生まれたのではなく、「音楽する」が先にあって言葉が分化してきた。
「音楽する」が私たちが思うような「音楽」になるには、さらに段階を踏まねばならない。
「デリック・ビッカートンは言語の起源を探るにあたり、オンラインの思考とオフラインの思考とを区別している。
オンラインの思考は、脳が外界に注意を払い、外界に向かって働いているときに起こる。(中略)ほとんどの動物の思考はこれに該当する。
オフラインの思考は、脳が実際には存在しない物事に集中しているときに起こる。(中略)
創造性を備えた知性というものを授けてくれたのは、このオフラインの思考の力である」
「音楽するのは、オンラインの行動ではあるが、ひたすらに社会的な行動でもある。
音楽するときに注意が向けられている先は、人と無関係な物や出来事ではなく、他の人たちや、その人たちと共同で作っている音だ。(中略)
儀式的音楽は、独特の感覚入力に依存しているという点ではオンラインだが、身体的な安全が守られた環境で生まれるという点ではオフラインの思考が働く必要条件を満たしている」
著者が何を言っているかというと、
敵がきてそれを見分けて叫び声を上げるのは、オンラインの行動で、脳幹部が即座に反応することが求められる。
一方、そうした心配のない時に限って大脳皮質のオフラインの思考という贅沢をすることができる、という。
つまり、人が身を守り食糧を手に入れるために動物の鳴き声を真似る力を進化させ、さらにそれを互いに信号を送る目的で使用するようになった、つまり言語を分化させた。
この段階では「音楽する」は「音楽」にはなっていない。
「音楽」になるためには儀礼が発生する必要があった。
では儀礼はどうして発生したのか。
著者の論旨は、以下の概念図を使って脳科学の観点から整理するとこうなる。
オンラインの思考とは、<志向的クオリア①>のことで「音楽する」を成立させる。
オフラインの思考とは。外部媒介への記述過程とそのメタ思考の成果である<志向的クオリア②>のことで、そこまで至ってはじめて「音楽」が成立する。
そして、後者の過程は個人の儀礼的行為や集団の儀礼の発生であった、
ということである。
なお、各種の言語の構造の違いが<志向的クオリア①>の質的違いによること(ex.注意したり記憶する物事が東洋人と西洋人では異なる)は、「音楽する」の段階で言語構造の違いを生む地域差があったことに由来する。
それは気候風土ゆえの発声機構の地域差から、表現対象としての自然との共生の仕方(ex.狩猟か農耕かで集団恊働のあり方が異なる)の地域差までに至る。
このことは、私たちが文化の型とか文化のパターンと言っているものが、単なる表現の型ではなくてじつは認知の型なのだという重大な示唆を与えてくれる。
「霊長類にとって社会生活は非常に大切なものだから、激しい儀式は社会的な関係を整えるために神経組織を再編成する手段になるというウォルター・フリーマンの仮説は、そのような儀式が生物学的な適応を助けることを意味している。
さらに、神経の『流れ』が滞る症状が不安だとすれば、この症状を和らげることのできる活動は、葛藤のあるシステムを十分に『リラックス』させて問題をより効果的に解決できるようにするという意味で、やはり適応を助けると言える。不安のほとんどは社会的な緊張が原因で起こるから、これらはまったく同じ効果なのだろう」
「フリーマンが提唱している神経科学のメカニズムは、生物学的プロセスを社会的な目的のために、文化的に用いているように思える。社会的な目的は個人のあいだの関係をよりよいものにすることで、文化的なメカニズムはもちろん儀式の活動だ」
「この時点で私たちは、ある境界を超えた。動物の心と文化から人間の心と文化へと移ったのだ」
つまり、動物の心と文化から人間の心と文化へ移った時、儀礼が生まれ「音楽する」が「音楽」になっていったということだが、そこには時間軸を紡ぐ物語=ストーリー=歌というものが決定的な意味をもって介在してくる。
「すべての人間社会はその構成員の生物的生存を確保しなければならないが、そのやり方にはかなり幅がある。これによって文化的な自由裁量の範囲ができ、それに制約を加えるのは、互いにつながり合う神経的相互作用と喜びを求める気持ちに対する、集団の集合的能力だけである」
「ストーリーと歌のほかに、儀式がある。
これらの活動は、私たちの祖先が実生活のさまざまな行動を、社会的同時性の領域『内』で復元する手段だった。
神話と象徴、歌と踊り、そして儀式を通して、それらの行動はその文化における英雄の行動として、社会的な事実となる。何かのストーリーのどこかで、英雄が伝統的な方法で料理された伝統的な食べ物を、はじめて食べたとする。するとそのストーリーによって、その食べ物を食べることを正当化する文化的権威が生まれるが、それはストーリー通りの方法で料理されている場合に限る。手工品や行事、人生の過程についても、すべて同じことが言える。それぞれが、その社会で神話と儀式を補うものとして規定されていなければならない」
ここで、料理とストーリーとの関係性は示唆深い。
ストーリー=物語=歌は主に受動的に聴く集団の神経事象に作用する仕掛けとなる「演劇モデル」である。
一方、そこに登場する料理は主に能動的に作る集団の神経事象に作用する仕掛けとなる「ゲームモデル」である。
「音楽する」祭りも大相撲も「わいがや」もみな、「演劇モデル」と「ゲームモデル」が錯綜して相互に補完している。
「アラン・メリアムが優れた著作『音楽人類学』で述べているように、文字のない社会に暮らす人々はいろいろな場面で音楽を使う。
たとえば、戦いに向けて勇気を奮いおこす、結婚を祝う,穀物をひく、未来を占う、豊かなリーダーを称える、トイレのしつけをする、物語を語る、死者を悼む、カヌーを漕ぐ、赤ん坊を寝かしつける、神に願う、子供のゲームに合わせる、一族を祝う、酒を飲む、病を癒す、など。あまりにも多いので、祖先たちはあらゆる機会に音楽していたように思えるほどだ。
民族音楽学者のあいだではよく、無文字文化社会の生活には隅々まで音楽が行き渡ると言われる」
「心のコントロールは人間文化の基礎である。しかしまた、それは愛と深い悲しみを歌う重要性についても何か示唆している。
音楽は、人のはじめての社会的関係を再現し、言葉を用いるカテゴリーや約束の絆の下にもぐりこみ、世界を再構築するチャンスをくれる。人類の系統発生的な発達でも言葉より前に音楽がある」
「一、系統発生的には、人間社会の起源は自然発生的に音楽する行為にある。
二、個体発生的には、個人は母親の歌を通して人間社会に同化する。
三、個人でも集団でも、(言語的)自我につなぎとめられている世俗的意識の境界から音楽を用いて踏み出すことによって、病を診断した治療する能力がある。
いずれの場合も、心をコントロールする基礎、個人でも集団でも神経の天気を自在に操るための行動を起こす基礎は、音楽にある」
「人間の文化は、単なる手工品や習慣の雑多な寄せ集めではない。どんなふうにと説明するのは難しいことが多いが、一つの文化を見てみれば、例えば料理の形態は衣服の継体と調和しているし、個人間のよび呼びかけや態度、住居、武器、生計の立て方、霊的存在である神などとも調和している」
「私は、ホログラムが像を記号化するのと同じように、文化はその基本的なパターンを記号化していると考える。
コインのホログラムを、たとえば二つに破いてしまっても、まだコインの全体がみえる。そのどちらかをさらに二つに破いても、四分の一のかけらを使ってまだコイン全体を見ることができる。(中略)
同じようにして、文化のパターンは、その文化で暮らしている人々の手工品や習慣すべてにちりばめられている。ほんの小さなかけらも、どんな特徴も、文化全体のパターンを反映したものだ。(中略)
そして儀式のプロセスは、参加者全員の脳を同じリズムとシンボルに同調させる効果をもつ。だからそれは、一つの社会に属する人々の脳に文化のパターンをちりばめるというプロセスの中心となる」
ここに、
<音楽する→儀式=音楽→文化のパターン>という相関関係が見えてくる。
「特に『計量音楽学における重大な発見は、ある文化で好まれる歌の形式は、その文化で生存のために営まれている主な活動およびその文化を支配している中心的な社会制度にとって、欠かすことのできない行動を反映すると同時に、それを促進するものだとわかったことだ』。
もちろん、方法論のモットーにあるように、相関関係は因果関係ではない。
歌の形式、生存のための活動、社会制度という文化の三つの側面が、同じパターンを共有しているように見えるからといって、必ずしもそれらの一つが他の二つを決定していると解釈することはできない」
ここに、因果律ではなく、共時性の世界がある。
ざっくり言えば、
文明要素は因果論的に形成され進化する一方、
文化要素は共時論的に形成され成熟化する、
と言えるのかも知れない。
「ローマックスは社会の団結力を考えるにあたって、仕事をする仲間の構造に注目した。
狩猟仲間では、そこに所属する個人が比較的独立を保っている。(中略)
それに対して園芸や農業を営む人々は、仲間がうまく手順を決めて力を合わせて働くことが多く、土を耕し、種を蒔き、苗木を育て、収穫し、収穫物を食べられるように料理する」
「ローマックスによれば、仲間が力を合わせて働く社会では、参加者たちがきっちりと声を合わせ、同じリズムに合わせて踊るような音楽を好んだ。(中略)
それぞれがもっと独立して働く方式の社会では、それほど統一のとれた歌い方はしない」
「ちなみに、統一のとれた発声は無文字社会では自然発生的に起こるように思えるが、『イギリス系アメリカ人のあいだでは、厳選された人々が指揮者の厳しい指導に従って徹底的な練習を積み、ようやく(筆者注:コーラスを)成しとげている』と、ローマックスは述べた」
文化要素である日本人の集団独創は、集団対話の場の「音楽する」ダイナミズムによる。
たとえば茶の湯の静謐と神輿祭りの喧噪は外国人から見ても、私たち日本人から見ても全く異質の世界のように思える。
しかし、集団が「音楽する」リズムや、個人がリズムに従って「音楽する」ことでえる成果には、共通する知情意や心技体のパターンが一貫している。
そこに日本人らしさがある。
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