政治への期待と周囲の人間関係への期待、欠乏動機の期待と成長動機の期待 |
政治に期待しなくなる、ということは、身の回りの人間関係に期待しなくなる、ということと地続きであるように感じる。
世相とは自分の足下から始まっていて、結果的に増幅されて自分の足下に戻って来るものなのだと思う。
日々つまらないことに血道を上げて大切なことを後回しにしていると、気づけば国が代表して同じことを大胆に押し通している。だから反対者ばかりでなく常に賛成者がいる訳だ。けっきょく国は良くも悪くも国民多数の本音の反映でしかない。
たとえ選挙に不正があっても、それを許しているのも国民多数なのだ。
政治への期待、身の回りの人間関係への期待、ともに2つに大別される。
一つは欠乏動機の期待、自分に足らないものを補ってくれることへの期待で、依存心とそれが満たされない時の恨みつらみを伴う。
いま一つが成長動機の期待、自分の成長と国の成長を重ね合わせたいとする。但し成長の捉え方が物質主義の場合は欠乏動機。