「江戸の用語辞典」を読んで気づくこと(備忘録)(50:完結) |
江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発
*今回は「[わ]から始まる言葉」のメモでございます。
「[若衆組]わかしゅうぐみ
村の若者の組合です。
男子が十五歳ぐらいになりますと加わり『若衆宿』で親睦を図り、村の祭事や警備を手伝うなど労働奉仕をします。『若者組』とも申します。
ちなみに、娘たちは[娘組]に入ります」
日本人に一般的な先輩後輩の人間関係の原型は、こうした共同体における[若衆組]にあったのではなかろうか。
たとえば、就職活動の一貫で同じ大学卒の若い社員に会ってもらうということがある。大きな大学の場合、就職課に紹介されて面識のない先輩を尋ねることになる。たまたま同じ大学だというだけの縁なのだが、これが同じ村の出で同じ[若衆組]で、同じ音頭で盆踊りを踊ったような親しみをお互いに覚える。盆踊りに相当するのが早稲田・慶応ならば野球の早慶戦や、「紺碧の空」「若き血」といった応援歌といったところだろうか。
また先輩後輩の関係が一般世間より厳しいスポーツ界や芸能界にも、[若衆組]や[娘組]に相当するものが現代もある。
プロ野球に対するところの高校野球や大学野球、大人として一本立ちする前のアイドルグループだ。後者については、おにゃんこクラブやモーニング娘やAKB48など入れ替え制の大集団が登場して[娘組]度がアップした。
「[笑絵]わらいえ
[春画]のことでございます。
『ワ印などとも呼ばれ、刷りにも凝ったので値段が高く贅沢で綺麗なものでございました。どうしてそれほど贅を尽くしたのかと申しますと、武運向上や火除けのお守りとして利用されたからでございます」
[春画]が夫婦和合のお守りとして花嫁道具だったことは広く知られているが、お守りというより若い夫婦なりたての男女が一緒に眺めれば打ち解けるというか、いやでもその気になるという実用品として親が持たせたのではなかろうか。
火除けの護符として、守りたい蔵書に[春画]を入れておく習慣もあったという。
春画に描かれた「女陰(ほと)」が「火処」につながるからというのだが、少し説明が足らない。「火処」が濡れることで出火しない、と掛けているのではなかろうか。
私が一番気になるのは、[春画]が[笑絵]と呼ばれたことである。
古今東西のお笑いに下ネタは付き物で笑いとセックスは近接しているのだが、[春]=[笑]には日本独特な高コンテクスト性があるように思う。
つまり、[春画]とは、低コンテクストなセックス描写である単なるポルノグラフィとは一線を隠していることに着目したい。
[春画]を具体的に見て行くと、局所的なセックス描写も含まれているが、構図全体としてはセックスに至った状況が分かったり、なぜそうなったかは分からないどうなってしまうのだろうとこの後の状況を類推したりと、前後の文脈が起承転結的に仮想される。また絵師の方も見る者の仮想を呼び込むような状況を絵にしている。その中で性行為は山場ではあっても一部でしかない。
そして、そんな状況でそんな起承転結なのか、というところに笑いが発生する。状況や展開に応じてそれは「えっ」と驚く笑いだったり、「バカだね〜」と呆れる笑いだったり、「いいなあ〜」とうらやましがる笑いだりいろいろだ。見た者に性的興奮はあったにしても、いろいろな笑いを伴ったということが重要だ。
こうした状況の起承転結という文脈性は、上方の浮世絵に顕著なものがある。
たとえば、江戸での菱川師宣の活躍の後、京都に登場した西川祐信(すけのぶ)は、その代表作「色ひいな形」を残している。ひいな形とは雛形つまり見本のことで、公卿・士・農・工商の順でいろんな[春]=[笑]の状況のモデルケースを描いている。
絵の中には登場する人物たちの台詞が書かれていて、絵の全体、細部に至るまで状況に時間性が賦与されている。時間性は描かれた瞬間の前後によって構成される起承転結を見る者に仮想させる。
このような表現形式が「映画」に相当するとすれば、
私たちが一般的に[春画]として見知っている江戸の絵師の浮世絵は「写真」に相当するのだと思う。
まさに渦中の瞬間だけが切り取られてはいるが、余白に書かれた文章を読み、登場人物の表情や目線、周辺の細々とした物事の詳細を見て行くと前後の文脈を深く味わえる。物語のピークとしての濃縮された瞬間が描かれていると言えよう。
どのような笑いかはいろいろで微妙だが、見る者にとって「春」=「笑」となるのはここにおいてである。
[春画]が武運向上のお守りになったとは具体的にどういうことか。
江戸期以前の古(いにしえ)より旗本や大名など高位の武士の間で「春画」を具足櫃(武具ケース)に納め武運長久を祈る習慣があったという。
男ばかりの戦場にも携行し実用に資したという可能性は否定できないが、それだけでは文化もロマンの欠片もない。
私としてはどうしても文化人類学的な意味合いを仮説したくなる。
それで思い起こしたのが、アメリカ軍の戦闘機の「ノーズアート」としてセクシーな女性が描かれたことだ。
帝国日本の戦闘機では言語道断のことだったが、アメリカ軍においては軍律違反の落書きではなくて、戦闘意識を高めるために部隊に認めた行為だった。
戦闘機自体、画題としてセクシーな女性が股がる爆弾、これらは男性的であり心理学者ならば男性器を象徴すると言うだろう。
描かれるセクシーな女性との対照が何を暗示するか、あるいは深層心理において何を想起させるかは論をまたない。
「春画」を具足櫃(武具ケース)に納めた場合も、男性的な武具との対照によって、戦闘意欲の喚起につながる同様の効果なり作用があったと考えられる。
となると、帝国日本の軍隊は余りに真面目にすぎてこの効果なり作用を活用しなかったが、戦国時代の旗本や大名はよく心得ていたということになる。
何事も真面目で杓子定規だけではいかん、ということか。
「[理無い仲]わりないなか
『理無き仲』とも申します。
男女の深い関係、裂けない関係になることを申します」
理屈や分別を超えて親しい、非常に親密な男女関係を意味するが、これは複数の古典を踏まえている。
〈古今和歌集・恋四〉
「心をぞ―・きものと思ひぬる見るものからや恋しかるべき」
[理無い]は、道理に合わない、理屈ではどうにもならない、という意味だ。
〈枕草子・二二二〉
「扇をさし出でて制するに、聞きも入れねば、―・きに」
[理無い]は、なすすべを知らない、どうしようもない、という意味だ。
〈源氏物語・帚木〉
「この人の思ふらむことさへ、死ぬばかり―・きに」
[理無い]は、どうにもできなくて苦しい。堪えきれない、という意味だ。
〈枕草子・一九六〉
「―・く夜更けて泊まりたりとも、さらに湯漬けをだに食はせじ」
[理無い]は、やむをえない、しかたない、という意味だ。
〈今昔物語・二九・三七〉
「―・くして此(か)く隠れて命を存することは有難し」
[理無い]は、やっとのことである、精一杯である、という意味だ。
〈源氏物語・末摘花〉
「―・う古めきたる鏡台の」
[理無い]は、程度がはなはだしい、ひととおりでない、という意味だ。
〈平家物語・一〇〉
「眉目形(みめかたち)、心ざま、優に―・き者で候とて」
[理無い]は、言いようもないほどすばらしい、何とも殊勝である、という意味だ。
こうした多数の古典に精通しすべての[理無い]の意味を理解していた国文学者のような人がいたかどうかは疑問だ。しかし、これらの内のいくつかを印象的に理解していて、その複合的なニュアンスを表現すべく[理無い]という言葉を使った戯作者はたくさんいただろう。そして、絵入りの短編読み物である各種の草子(仮名草子、好色本,読本、浮世草子、談義本、滑稽本、戯作本、洒落本、遊里本、人情本、狂歌、狂言、俳諧、歌舞伎、歌謡、咄本など)においてその言葉遣いが庶民に流布する。
この裾野の庶民の段階では、[理無い]の意味を語源から説明できる博識の持ち主は落語の中の物知りの大家さんやご隠居といった架空の人物くらいで、実際にはみな、なんとなしのニュアンスを合意していたに過ぎない。たとえば、あの歌舞伎のあの場面のあの男女のようなニュアンスなのだと。語感的にはベースとして「わりない」からの「割りない」「割れない」という連想があったのではなかろうか。
なんかいい加減のようだが、確かに欧米的な低コンテクスト文明に照らせばいい加減と言えるが、場や文脈におうじて意味合いを微妙に変容させる日本的な高コンテクスト文化においては、それこそが良い加減なのである。
同じ歌舞伎の場面に共感した者同士が、<知><情><意>三位一体の合意の上でニュアンスを共有すること、それはそれでとても確かなコミュニケーションであり言語活動である。
このような展開が、衣食住、その要素を言語ないし記号とすれば、すべてにおいて同様に展開していた。
たとえば、[吉原]の花魁の衣装や振る舞いは、平安の貴族文化のパロディだと言われる。パロディとは伝統をそのまま真似するコピーではなく、異なる次元の文脈において見立てデフォルメすることである。それを誰か個人の芸術的発想においてするのではなく、多くの関係者の共感と合意を複雑にかつ有機的に積み上げて行ったのだった。
平安貴族が古式ゆかしい伝統主義を保守したのに対して、江戸の花魁の衣装や振る舞いは常に変容してより過激になったり反動で地味になったりしたと思われる。なぜなら客の趣向が固定的である訳はなく、金に糸目をつけない大尽遊びが画一的であろう筈もない。私たちが伝統とみなす花魁の衣装や振る舞いは、単に[吉原]の江戸文化がさびれる直前の最終形に過ぎない。
現代に生きる私たちも、様々な江戸文化の雛形を、現代の文脈において見立ててデフォルメすることができる。
江戸文化に限らず、そうしたことが文化のもっとも創造的な保守でありまた革新であると私は思う。