「江戸の用語辞典」を読んで気づくこと(備忘録)(37') |
江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発
*今回は「[へ]から始まる言葉」のメモでございます。
「[紅鉄漿]べにかね
口紅と[お歯黒]のことでございます。
子供のいる奥さんの必需品です。
江戸初期には結婚した女性はみな眉を落とし、[鉄漿(かね)]を付けたものです。結婚しなくてもほどほどの年齢になるとした方もおりますが、[時代が下る]と、結婚しただけではしなくなりました」
結婚しなくてもほどほどの年齢になるとした方もおりますが、とは見栄というか世間体を憚ってということらしい。
結婚しただけではしなくなった、とは、子供ができてからするようになった、ということか。
「誰に見しょとて紅鉄漿つきょうぞ」とは、歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」の台詞。「みんなぬしへの心中立て」と続く。誰に見せようとして顔に紅をひき、お歯黒を塗ったりしましょうか、みんな恋しいあなたに真心を見せるためです、の意で、男につれなくされた女の恨み言の決まり文句である。
口紅と[お歯黒]のことが転じて化粧のこと。これは部分で全体を表現する換喩。
口紅は普遍的な化粧手法で、現代人にも女性の美しさをますものと受けとめられるが、お歯黒はそうはいかない。
お歯黒は、明治時代以前の日本に限らず、中国南東部・東南アジアの風習で主として既婚女性、まれに男性などの歯を黒く染める化粧法だった。
ウィキペディアによると、
起源はわかっていないが、初期には草木や果実で染める習慣があり、のちに鉄を使う方法が鉄器文化とともに大陸から伝わったようだという。
お歯黒に関する言及は「源氏物語」「堤中納言物語」にもある。平安時代の末期には、第二次性徴に達し元服・裳着を迎えるにあたって女性のみならず男性貴族、平氏などの武士、大規模寺院の稚児も行った。特に皇族や上級貴族は袴着を済ませた少年少女も化粧やお歯黒、引眉を行うようになり、皇室では幕末まで続いたという。
室町時代には一般の大人にも浸透したが、戦国時代に入ると結婚に備えて8~10歳前後の戦国武将の息女に成年の印として鉄漿付けを行ない、このとき鉄漿付けする後見の親族の夫人を鉄漿親といった。また、一部の戦国武将は戦場に赴くにあたり首を打たれても見苦しくないように、ということから女性並みの化粧をしてお歯黒まで付けたという。これらの顔が能面の女面、少年面、青年面に写されたという。
お歯黒を美しいと感じた感性はじつに不可思議である。
単なる視覚的な美意識ではなかったような気がする。
黒が象徴するのは死や闇であり、幽玄なり神秘性なりに通じるように思える。
実際に、お歯黒にまつわる以下のような迷信や都市伝説があるという。
◯妖怪一反木綿は刀や弓では傷つけられないが一度でもお歯黒をした歯なら噛み切れるという伝承があり、一反木綿が現れるとされる地域では男性でもお歯黒をするという。
◯明治時代に一部地域で「電線に処女の生き血を塗る」という噂が広まったことから(実際はコールタールを塗布する絶縁作業を見たことからの勘違い)、その地域の妙齢の女性の多くが生き血を取られないようにお歯黒・引眉・地味な着物・等の既婚女性と同様の容姿となった。
◯江戸時代後期の画家竹原春泉作の「絵本百物語(別名『桃山人夜話』)」にお歯黒べったりというお歯黒をした妖怪が描かれている。
現代でも照葉樹林文化圏の少数民族においてお歯黒の習俗が見られ、既婚でも若い女性がする例は稀で年配女性に限られ、お歯黒の義歯も作られているという。
お歯黒の歴史は古く、中国の歴史書「魏志倭人伝」にも「東海に黒歯国有り…」とあったり、「古事記」に「歯並みは、椎菱如す…」(椎や菱の実はタンニンを多く含み、お歯黒の五倍子粉の代用に使われた)とあるところから、日本の化粧の中でも最も古くから行われている化粧といわれる。
「その歴史は古く、紀元前3世紀ごろ 古墳内の人骨にお歯黒の形跡が見られた。お歯黒をした埴輪も見つかった。さらに7世紀 聖徳太子にもお歯黒の習慣があった。そして8世紀 古事記 第15代応神天皇の歌にお歯黒が歌われている。平安時代になって、貴族女子の成人の儀式として定着した」
という。
私は個人的には、部族社会において魔除けの意味合いがあり、既婚の年配女性の妊娠可能性を低減させる働きがあったのではないか、と想像している。
要は、男をその気にさせないということである。
私が注目するのは、江戸言葉の[紅鉄漿]において、男をその気にさせる口紅と真逆のお歯黒がセットで化粧を意味したことである。
つまり、口紅で男を誘っているようでいて、お歯黒で男を拒んでいる。
あるいは、口紅で天国を想像させ、お歯黒で地獄を想像させる。
そういう相反補足的な両義性を化粧を意味する[紅鉄漿]という言葉が担っている。
それは今でも、「お化粧する」という言葉が美しくなるというポジティブな意味合いを担う一方で、「化ける」という言葉がその前あるいは後の得体の知れなさというネガティブな意味合いを含むことに重なる。
九鬼周造はその著「いきの構造」で、肉体への通路封鎖と通路開放という相反補足的な両義性の調和的統合を「いきの構造」と指摘している。
視覚的には着物ならば襦袢のような透ける下着、インテリアならばやはり透ける蚊帳などだ。
私は江戸後半に流布した縦縞の着物も同じ構造と捉えている。縦縞の一本一本は、着物上の無機的な平行線に過ぎないが、着物が女性にまとわれると有機的な肉体を反映して、直線とも曲線ともつかぬ相反補足的な線分「いきの線分」になる。これは、肉体への通路封鎖と通路開放の視覚化に他ならない。
「いきの線分」は浮世絵において多様に多用されている。様々なものの無機的な直線や幾何学的曲線に囲まれてそれらと微妙に違う「いきの線分」が際立つ考え抜かれた構図になっている。そしてその到達点には、視覚的な相反補足的な両義性を超えて、伝法肌の美人画のような両性具有という観念的な相反補足的な両義性を印象させる画題までが登場してくる。
江戸言葉の[紅鉄漿]が、男をその気にさせる口紅と男を萎えさせるお歯黒がセットで化粧を意味したことにも、これと同じ観念的な相反補足的な両義性の「いきの構造」を捉えることができる。
「[部屋住]へやずみ
武家の次男坊以下のことを申します。[冷や飯食(ひやめしぐい)][厄介者]などと呼ばれます。
家を継ぐ資格がなく、家長から[捨扶持(すてぶち)]をいただいて、肩身狭く暮らします。命ぜられることといえば、家名を汚さぬことぐらいでございます。
次男以下は、長男のスペアでございます。新たな[召出(めしだし)]の可能性のない時代には、婿養子になって他家の家督を継ぐが、長男が嫡男を得る前に死亡して、その後の家督を継ぐかしか、己を生かす道はありませんでした。そのため、ぐれて[旗本奴]と名乗る[無頼漢]になる者もおりました」
現代で言えば、就学、就労、職業訓練のいずれも行っていない状態のニート、それも実家暮らしのニートということになる。
武士身分でできる生業がなかったために仕方なくなっていた[部屋住]と実家暮らしのニートでは成っている背景や動機に大きな違いがあるが、ともに扶養する余裕がある家にのみ存在する息子の状態であり重なる所大でもある。
コメディアンのひろしのネタに「引きこもろうにも自分の部屋がありませんでした」というのがあったが、引きこもりとは、長期に亘って自宅や自室に閉じこもり、社会活動に参加しない状態が続くことを言い、必ずしも自室があることが条件ではないが、家に扶養する余裕があることは絶対条件だろう。
実家暮らしニートに多い「引きこもり」と[部屋住]はともに同じ造語法で、家での暮らし方という状態をメタファーにしていることも偶然ではないように思う。
現代の実家暮らしニートあるいはニートの引きこもりを親が家から追い出さないで留めている理由は、息子を思う親心だろうが、親の息子への無自覚的な期待なりニーズが、ちょうど[部屋住]が嫡男のスペアであったような消極的な形であるのかも知れない。
家によって様々な事情がある筈だが、実家暮らしニートあるいはニートの引きこもりがもっぱら息子であって娘ではない、ということと、家業がある家の息子がニートであるという事例をあまり聞かない、ということから、私は何かしら江戸社会との連続性があるのではないかと思ってしまう。
「江戸後期になりますと、勘定方や医者などの御役目に、技能の優れる者が取り立てられるようになりまして、新規の召出や婿養子の話が増えましたし、刀を捨てて商売を始めたり、[文人墨客]になるなど、だいぶ自由になりました」
こうした江戸後期の[部屋住]はニート状態を脱して、就学ないし職業訓練を経て就労するに至るケースが拡大していた、ということである。
昨今のニートも一過的な状態というケースが多く、正社員としての就職をあきらめて派遣社員となってニートをやめたり、漠然とホワイトカラーを目指していた大卒ニートが農漁業や各種の職人やガテン系に転じてニートをやめたりが増加してきている。
おそらく、[部屋住]が武士身分にこだわらなければ転身可能性がいくらでもあったように、現代のニートもある種の身分意識的なこだわりを捨てれば転身可能性が広がる、ということかも知れない。
現代において[文人墨客]に相当するのは、各種のフリーランスかも知れないが、厳密にはその中の下請けでないつまりは人に使われない立場の者ではなかろうか。
いつの時代もそのような立場で食べていける者は限られているが、[部屋住]から[文人墨客]が多く輩出したのは、彼らが好きな事に没頭できる環境にあったことと、身分を超えて同好者が活発に交流した当時の社会的様相が大きいと思う。
現代でも何らかのテーマにおける没頭と交流の質の高さ次第では、ニートも下請け的なフリーランスはもちろんのこと、自立的なフリーランスにも成りうる。
引きこもりでは交流の質の高さに限界があるだろうが、ネット時代に家や自室に空間的に引きこもることは必しも他者との非交流や社会への不参加を意味しない。今や引きこもりか引きこもりでないかは、空間的にではなく、個人としての言動を対人的、対社会的に捉えるべきなのかも知れない。
さらにこの理屈が正しいならば、たとえ毎日職場に通って空間的に引きこもっていなくても、個人としての言動が引きこもりであるケースもありえることになる。
それはタンジュン化すれば二重人格ということなのだが、職場の空気を読んでそれに順応する人格の言動は対人的、対社会的に引きこもりではない一方、隠蔽し抑圧した本来順応しきれない人格は心理的に引きこもっていることになる。
ひょっとすると、社会全体の歪みとしては、一部のニートの空間的引きこもりよりも、その他大勢の就労者の心理的引きこもりの方が大きい、そういう世の中になっているのかも知れない。