「江戸の用語辞典」を読んで気づくこと(備忘録)(27) |
江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発
*今回は「[つ]から始まる言葉」のメモでございます。
「[築地塀]ついじべい
土をつき固めて作りました丈夫な塀で、高位の家柄のみに許されました。今日でも京都御所や寺院などで見られます」
建物の様式が居住者や事業者の身分に応じて限定された。たとえ経済力があっても身分に割り振られた様式を脱することは、分際の不心得として許されなかった。
同様のことが衣服の様式や使用可能な生地や色柄などにもあった。
現代では、経済力にまかせていかなる豪邸を立ててもいいし、いかなる身分を象徴するコスプレをしても許される。
経済至上主義に変わったと言えばそれまでだが、日本の場合、まだ戦後になってからのここ70年足らずのことである。
戦前は爵位制度があり、爵位にふさわしい服装が暗黙の了解としてあり、平民がかりそめにもそのような服装をすることは憚られた。
ところが戦後は、皇族、つまり公爵を騙る詐欺師が登場するなど、服装や勲章を真似ただけでも戦前であれば不敬罪で処罰されたが、そこはスルーされまかり通るようになる。
この爵位制度、じつは江戸幕府の名残を色濃く残している。
先ず、爵位は、血筋、血統に与えられるのではなく、基本的には与えられた領地の格に由来する。爵位は領地に与えられるので、領地を売却したり、借金の担保に取られたりすると爵位を失う。
つまり、本来は土地本位制なのだ。
公爵は、原則的に王の一族が叙任された土地の領主を示す。
徳川時代の親藩のようなもの。
侯爵は、国王の同盟者や従属者に与えられたもので、江戸時代の外様のようなもの。
伯爵は、国王の部下に与えられたもので、江戸時代の譜代に相当するもの。
子爵は、官僚が貴族化したもので、江戸時代の代官に相当するもの。
男爵は、地方の豪族のようなもので、江戸時代の御家人や郷士といったものに相当する。
明治政府のやり方に旧士族階級が不満をつのらせ各地で反乱を起し、最終的に西郷隆盛とともに西南戦争を戦い破れ去る。
旧士族階級にしてみれば、徳川幕府を破って新しい世の中を創る筈が、新政府がそれと何ら変わらない身内重視の身分制度を西欧流の漢語に名前だけ改めてやっているのだから、不満というより怒りをつのらせたのは当たり前だった。
和服の身分制度は、江戸時代由来の封建的な暗黙の掟としてそのまま洋服の身分制度になったと言えよう。
さて、本題の[築地塀]に象徴される建物の身分制度は、江戸から明治になって、どうなったのだろうか。
身分の象徴として機能するのは、低層木造の日本家屋の場合、居住棟ではなく門構えである。
紀尾井町の大久保利通邸(その跡が清水谷公園)や青山の高橋是清邸(その跡が高橋是清翁記念公園)などでは石柱や石橋が効果した。
もともと都心部にあった[築地塀]は、寛永寺や湯島聖堂、現在の東宮御所や迎賓館がある紀州徳川家の上屋敷など、徳川家由来の建物に限られていて、これを天皇家の皇居や東宮御所などを例外としてそのまま使ったり真似ることは意図的に回避されたと考えられる。
一方、霞ヶ関の公官庁や裁判所、東京駅と丸の内のオフィスと日本橋の百貨店などのレンガ作りの洋館が並び立ち、やがて財閥も岩崎邸(その跡が旧岩崎邸庭園)のように、皇族も朝香宮邸(その跡が庭園美術館)のように洋館の贅を競うようになっていく。
[築地塀]の象徴性はもっぱら京都や金沢のような小京都で温存され、新たに建造する者は稀となり今日では希少な観光資源になっている。
「[通言]つうげん
業界用語のことを申します。
幕末には、今日のように業界用語を日常に使うのが流行りました」
業界用語を業界人が使うのは当たり前で、取り立てて社会現象として論じる必要はない。
論ずべきは、業界人ではない一般人が業界用語を多用することである。
これは、主体が特定の業界の価値観を共有していることを暗黙裏に表現しあうことで、その価値観が社会化していく、という社会現象である。
これには大きく分けて2種類ある。
1つは、専門用語以外にそれを言い表す言葉がなく、しかも必然的にそれを多用せざるを得ないほど使用頻度が高い場合である。
具体的には、スマートホンが普及すると、アプリとかキャリアといった関連用語を多頻度使わざるを得なくなる、といった場合である。このような価値観の社会化は自然な成り行きと言える。
日常生活において「ベクレル」「シーベルト」「ストロンチウム」「セシウム」か「トリチウム」「プルトニウム」といった放射能関連の専門用語が平気で飛び交うようになった昨今、これもある種の自然な成り行きの価値観の社会化と言えよう。確かにみんなまとめて「死の灰」と呼んでいた時代とは一線を画してしまった。
いま1つは、別段、業界用語でなくてもそれまで一般的に使われてきた言葉で通じるにも関わらず、意図的に業界人でもない一般人が使うようになる場合である。
具体的には、フジテレビのことをCXと言うような場合である。
これは民放テレビ・ラジオ局に割り振られたコールサインの、共通する頭のJOを省いた独自の記号である。
業界人がCXと言う場合、単に業務用語として使っている人と、業界に属している自己を顕示している人といるのだろう。
一般人がCXと言う場合、この後者に近いニュアンスがあり、テレビ業界ないしはテレビ番組に通じていることを顕示している人なのではなかろうか。
業務用語の一つに、符牒がある。商売独特の身内で通じさせる言葉遣いである。
寿司屋の場合、寿司に関するものと、価格(数字)に関するものがある。
前者は、シャリ、ナマ、光りもの、ガレージ(車庫=シャコのこと)、ヒモ、トロ、ヅケ、ゲソ、カッパなどなどである。これはお客が注文する言葉遣いでもあるので、[通言]から始まったとしても業務用語の一般化という文脈で捉えるべきだろう。
ただ、お勘定のことであるオアイソについて、私は「お勘定」と言うことにしている。「オアイソお願いします」でもいいのかも知れないが、「お愛想をする」から派生したこの言葉を使うとお客がそれをお願いしているような感じになるからだ。
後者は、お会計の金額を板場の職人が帳場の給仕にストレートに◯◯円と口頭で言うと、お客の個人情報を発表しているような形になるので、価格(数字)の暗号を使った。
同じ寿司屋に通い詰めて暗号を解読することもできようが、そんなことをする客は嫌われるに違いない。
おそらく江戸の粋においては、通人とは、単に物事に詳しい知識偏重人間ではなくて、[通言]のTPOにあった使い方の場や人間関係に見合った知識運用のできること(分からない振りをすることも含む)が必要条件だったのではなかろうか。
(寿司店の符牒についてはこちらのサイトがよく整理しています。
→http://www.watv.ne.jp/~echie/zatu/zatugaku-2.html)
「[通行手形]つうこうてがた
[道中手形][往来手形][関所手形]とも申します。旅をするために使う『旅行証明書』でございます。
武士は主人や藩から、庶民は[町名主][五人組][町役人][檀那寺]から、身分と旅の目的をを書いた手形を[関所]を通過する回数分貰いました。グループ旅行の場合は、個々にではなくグループ単位で発行されました。
似たものに[往来切手]がございます。手形は関所に提出するもので一ヶ月期限・一回限りの証明書でしたが、切手はパスポートのように見せることで通行できました。そのため、諸国を巡る商人などは往来切手を利用しました」
ここでは2つのことに着目したい。
1つは、江戸時代の人々が帰属した「世間」のこと。
いま1つは、江戸時代の特権的な「移動民」や「移動社会」のこと。
[通行手形]を発行した武士の仕えた君主や藩や[町名主][五人組][町役人][檀那寺]とは人々の帰属した「世間」なりその代表であった。
ゆえに江戸時代は「世間」がイコール日本の社会だったと言える。
そしてその「世間」が精神構造的にも社会心理学的にも実際生活世界としても色濃く残存する今の日本はどうかというと、そうしたお上への追従と連座制という集団責任そして相互監視を前提とする「世間」と、欧米型の民主主義的かつ自由主義的な「社会」が併存している。
おおざっぱに言えば、日本人にとって
「世間」が本音で暗黙知および身体知の世界
「社会」が建前で明示知の世界
と言えよう。
江戸時代の「世間」は、その構成員はその時空に留まることを常態とし、例外的にその時空を脱することが許された。
宗門人別長から名前を外されていかなる「世間」にも属さぬ「無宿者」は、江戸ではそれだけで捕縛の対象とされた。
「無宿者」には、連座制度があったため累が及ぶことを恐れた親族から勘当された町人、軽罪を犯して追放刑を受けた者もいたが、多くは天明の大飢饉や商業資本主義の発達による農業の破綻により、農村で生活を営むことが不可能になった百姓だったという。田沼意次の天明年間には政情不安により無宿が大量に江戸周辺に流入、様々な凶悪犯罪を犯すようになりこれをを防ぐため幕府は様々な政策を講じた。
この「無宿者」、現代ではいわゆる「ネットカフェ難民」に相当する。ネットカフェを現住所として住民登録が行われるようになったが、国が彼らを好感したり積極的に認めようとはしないことは、今も江戸時代と変わりない。
幕藩体制の江戸時代にあっては、幕藩の垣根を超えた移動が許された「移動民」および「移動社会」は特権性を帯びた。その筆頭が関所のない海路の運搬を許された廻船問屋である。彼らが利益に見合う上納金を幕藩に納めて蓄財していったことは想像に難くない。その有力者は、佐幕系の政商と反幕系の政商になっていったのだろう。
後者の特権性には、薩摩藩の密貿易を担うなども含まれる。北海道の昆布を沖縄経由で中国人に売り、中国人から漢方薬材を買い、それを富山の薬売りに売る、その売上げで北海道の昆布を買うという三角貿易を展開した。富山の薬売りはスパイ活動をしたとも言われる。薩摩藩はこうした密貿易の利益で武器や艦船を輸入した。
幕府も佐幕系の政商によって同様の三角貿易や軍備拡張を図ったと思われるが、トップダウンなり家康権現様のやり方の踏襲という枠組みで薩摩藩のような戦略性には乏しかったように感じてしまう。
おそらく、
幕府には集団を身内で固める「家康志向」の限界性が働き、
薩摩藩にはボトムアップを受け入れる体質と、自由に活動する個々を適宜な集団に構成する「信長志向」の創造性が働いた
のではなかろうか。
「[月囲い]つきがこい
[妾]商売のひとつで、月契約で旦那を持つことを申します。または、妾を囲うことを申します。
旦那が通って来ることも、旦那の家や通うこともありました。
武士の場合は外泊が禁じられておりましたので、家へ呼ぶか同居するのが普通です」
男女の事からみの商売は、古今東西ほっておいても工夫が行き届き、今と似たようなこともあり、また昔ならではのことがあって面白い。
江戸時代に普通の妾と娼婦の間に月契約があり、現代の日本では普通の愛人と風俗の間に援助交際があると、ほぼ同様の構造が見てとれる。
一方、武士はつねに臨戦体制にあるべしで自宅就寝が原則であり、月契約の妾を家に呼んだり同居したというのは驚きだ。奥方は知っていたのだろうか、それとも奥方に知られぬようにしたのだろうか。
「[月次御礼]つきなみおんれい
毎日一日、十五日、二十八日の三回行われる、[御目見得]以上の[大名][旗本]が将軍に拝謁する日でございます」
「月次」は、有りふれていて変わりないことを意味する「月並み」に通じる。
この[御目見得]、明治以降は、国会議事堂の天皇陛下がお座りになる「御席」がある衆参両議会に相当する。[大名]が議院内閣制の政府閣僚、[旗本]が国民に選ばれた国家議員。そして、議員が予め提出した質問主意書通りの質問をして、官僚が作文して用意した返答が閣僚その他から読み上げられる。そんな「月並み」なやり取りが行われている。
「[美人局]つつもたせ」
意味は説明するまでもなかろう。
ここでは、私がかねてから不思議に思っていた語源について調べて整理しておきたい。
[美人局]は「筒もたせ」と書き、「筒」が男女の性器を連想させるが、元々「つつもたせ」には女性が誘惑して金銭をゆすり取る意味は無かったという。
筒はサイコロ博打で使う筒のことで、「細工をした筒を使う」という意味の博打用語から派生したそうだ。
漢字の[美人局]は、元の時代の中国で同様の犯罪が横行した記載が「武林旧事」にあり、そこから近世後期頃から当て字されるようになったという。
漢語の「局」には、部やその下位機関とされる課・係・班などの部署を統括する部署の意味があるから、中国での犯行はかなり組織だったものだったのかも知れない。
改革開放時代の中国への団体視察に参加した知人が宿泊ホテルで被害にあったことを思い出した。
今でも中国語で[美人局:mei3ren2ju2」と言うのだろうか。
「[つる]
[牢屋敷]内で「つる」と申しますのは[大牢]や[女揚屋]に入れられる新入りが[牢名主]へ払います献上金を申します。
この金額で牢屋の居心地が変わりました」
どこまでも行ってもつまらない「世間」が日本にはあるものでございます。
今も、福島原発事故の処理作業に命がけで携わっている人々から上前をはねる派遣業者がいると申します。
漢字は「蔓」である。
命をつなぎとめる「蔓」ということか、牢の「世間」の分際をつなぎとめる「蔓」ということか、あるいは娑婆の「世間」をつなぎとめるということか。
蔓は牢名主以下5番役までの者が(12番役まであった)分ける。役についていた者は刑期を終えると多くの金を持って出た。
どうして蔓が牢内に持ち込めるかと言うと皆衣類へ縫いこむ。綿にくるんで肛門に入れるという方法もあったという。女牢のほうは、綿に包んで秘所に隠す。
獄中でも買物をすることができた。
下男の「張番」に頼めば、酒でも菓子でも勝手なものが買えるがすべてが一分。それで200文ほどのものが来る。1分は1000文だから8割手数料を取られた。4分で一両。1両は今の10万円くらいとすると2万5千円渡して5千円分の品物を買うことになる。
「張番」は年棒1両2分の薄給だが、買物の利鞘を取るほかに、囚人の家族の元に行って無心をする。出さなければ辛く当てられると思い、身内の者はどんな工面でもして無心に応ずる、などして裕福だったという。
大牢に入るべき町人が「揚屋」の預かりになることがあった。「揚屋」は武士、坊主、神官という、いわゆる長袖身分の牢なので、いじめもなく、畳敷きでゆったりと寝られる。これは身内の者が石出帯刀(世襲の長)や鍵役(牢屋同心の上位の者)の者に50両、100両といった付届け=賄賂で頼んだ。