日本人の<社会人的な心性>が<部族人的な心性>をベースに形成されたこと(3) |
(2:間章)
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からのつづき。
(「2章 上代-----『日本らしさ』現出の時代
-----”異質の文化”を排除しない伝統は、この時代に確立した」の検討)
古代に国を上げて「万葉集」という歌集が編纂されたことに驚愕
万葉集は、7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集で、天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたものだ。
どういう意図をもってこのような歌集が編纂されたのか。
それは「万葉集」という名前について、「葉」を「世」の意味にとり「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」とすしたとする考え方を踏まえれば、大切なことと思う何かを後世に継承したいと国中の人々が思ったからだと分かる。
その大切なこととは何か。
私は、それは日本人の<情>であり、その特徴である「縁起にのっとった<情>起点の発想思考」だと思う。
日本人は、人類普遍の<部族人的な心性>をベースに温存しつつ<社会人的な心性>を形成してきた。
その形成はまさにこの「縁起にのっとった<情>起点の発想思考」によって達成された。
じつは、万葉集の成立過程自体が、<部族人的な心性>をベースに<社会人的な心性>を形成する過程そのものであった。
「歌垣(うたがき)」の風習が常陸筑波山などにあったことが万葉集からも分かるのだが、歌垣の構成が万葉集全体の歌集としての構成にも反映している。
歌垣とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗で、歌垣は未婚男女の求婚の場という性格が強く、また集団での成年式に起源すると考えられている。
つまりは、人類普遍の<部族人的な心性>によるものである。
現代でも主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。このことから古代以前は、日本を含む照葉樹林帯が一体で一つの文化圏を築いていたという見方もある。
歌垣での歌謡は、多くの場合、固定的な旋律と定型的な歌詞を持ち、三・五・七などの音数律に従う。これが和歌および日本の詩歌全般の七五調に繋がっている。
歌謡の内容は求愛歌だけにとどまらず、創世神話歌、収穫歌、豊作労働歌、葬送歌などがある。
この構成が万葉集全体の歌集構成と重なっている。
古代日本における歌垣は、特定の日時と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を掛け合う呪的信仰に立つ行事であり、互いに求愛歌を掛け合いながら、対になり恋愛関係になるとされる。
語源は「歌掛き(懸き)」である。
時期としては春秋に行われ、生産の予祝・感謝としての性格を持っていたとされる。
場所は、山頂、海浜、川、そして市など、境界性を帯びた<異界との重なり領域>が多い。
万葉集は、歌の作者が上は天皇から下は乞食までいて、その身分の垣根を越えていることが注目されるが、それは境界性を帯びた<異界との重なり領域>に人間を超越した何かが宿っていて、その前では人間の身分の垣根などないという感受性が古来あった。
歌垣の構成を踏襲した万葉集という歌集自体も、そうした境界性を宿す<異界との重なり領域>そのものという呪術性を担ったという解釈も可能だろう。
もしそうならば、こうした過程の全体が<部族人的な心性>をベースに<社会人的な心性>を形成する過程であったことになる。
古代の言霊信仰の観点からは、ことばうたを掛け合うことにより、呪的言霊の強い側が歌い勝って相手を支配し、歌い負けた側は相手に服従した、と説かれる。
歌垣における男女間の求愛関係も、言霊の強弱を通じて決定されることとなる。
古代歌謡としての歌垣は、『古事記』『万葉集』『常陸国風土記』『肥前国風土記』などに見える。
ちなみに翻って現代、カラオケは日本で生まれ世界に波及した。なぜこんな単純な装置が日本発だったのか。
それは当時、素人の普通の人が友人や知人の前で歌を歌い聴いてもらうという習慣が、日本以外の商品開発可能なエリアである欧米でなかったためだ。ところが商品化してみると、これは深層心理に息づく人類不変の<部族人的な心性>を揺さぶり、欧米人はじめ世界の人々に受け入れられて行く。こうした展開は、自然素材を生かす日本食や可愛いものを愛でる東京ファッションなどにも見られる。
一方、後に日本で生まれたカラオケボックスはカラオケとは少し違う国際化の展開を示す。
カラオケボックス及びそれに類する業態は、東アジアと東南アジアで一気に普及した。これは歌垣の風習があったエリアとおおよそ重なる。
カラオケボックスは、歌垣の<部族人的な心性>が現代的に発露したものであり、歌垣の<部族人的な心性>をベースとした<社会人的な心性>が形成されていたエリアに歓迎されたが、それ以外のそうした<社会人的な心性>が形成されていないエリアにはニーズがなかった、と解釈できる。
万葉集は、歌の作者が上は天皇から下は乞食までいることが注目されるが、それは歌垣だけでなくすべての和歌において、呪的言霊の強さの競い合いを身分の垣根を越えてしたことを意味しする。
競い合いをちょうど奉納相撲のように神に奉納する、そういう意図もあったのではなかろうか。
万葉集は、全二十巻であるが、首尾一貫した編集ではなく、何巻かずつ編集されてあったものを寄せ集めて一つの歌集にしたと考えられている。
各巻は、年代順や部類別、国別などに配列されている。また、各巻の歌は、何らかの部類に分けられている。
内容上から雑歌(ぞうか)・相聞歌・挽歌の三大部類になっている。
◯雑歌(ぞうか) - 「くさぐさのうた」の意で、相聞歌・挽歌以外の歌が収められている。公の性質を持った宮廷関係の歌、旅で詠んだ歌、自然や四季をめでた歌などである。
◯相聞歌(そうもんか) - 「相聞」は、消息を通じて問い交わすことで、主として男女の恋を詠みあう歌である。
◯挽歌(ばんか) - 棺を曳く時の歌。死者を悼み、哀傷する歌である。
ざっくりと言えば歌垣の求愛歌、創世神話歌、収穫歌、豊作労働歌、葬送歌といった構成の内、
求愛歌→相聞歌
葬送歌→挽歌
その他→雑歌
という展開がある訳だが、
個々の男女間における送り手と受け手の一過的なコミュニケーションを、
継続的かつ全国的な共有文化財として俯瞰し継承するコミュニケーションへと国家主導で展開している
ということはとてもユニークであり重要である。
表現様式からは、
◯寄物陳思(きぶつちんし) - 恋の感情を自然のものに例えて表現
◯正述心緒(せいじゅつしんしょ) - 感情を直接的に表現
◯詠物歌(えいぶつか) - 季節の風物を詠む
◯譬喩歌(ひゆか) - 自分の思いをものに託して表現
などに分けられる。
まさに、日本人の特徴である「縁起にのっとった<情>起点の発想思考」の集大成、宝庫となっている。
さらに万葉集で注目すべきは、「万葉仮名」の変化である。
編纂時にはまだ仮名文字が作られていなかった。漢字の音訓だけを借用して日本語を表記する万葉仮名を用いた。万葉仮名は、漢字を用いながらも、日本人による日本人のための最初の文字であった。
注目すべきは、日本人が自分たちの発想思考の特徴であり起点である「縁起にのっとった<情>」をどうしてもそれにふさわしい音韻で歌い、かつ文字で表記したいと切望したことである。
この切望が持続的に大きくなっていった。
万葉仮名は、奈良時代の終末には、字形を少し崩して、画数も少ない文字が多用されるようになり、平安時代に至るとますますその傾向が強まり、少しでも速く、また効率よく文字が書けるようにと、字形を極端に簡略化(草略)したり字画を省略(省画)したりするようになった。 そうして「平仮名」と「片仮名」が創造された。
これは表音文字の創出ということなのだが、厳密に言うと中国語にも擬音語の漢字があり実質的に表音文字になっている。万葉仮名と同じシステムだ。
私は中国の漢字文化との大きな異なりとして、平仮名は歌いやすい、あるいは詠いやすい表音文字として工夫されたのではないか、と考える。そして時代が下るにつれてその傾向を強め、文字の筆致がリズム、メロディ、ハーモニーを表現する崩し字や続け字*が生まれたのではないか、と考える。
*新古今和歌集 本阿弥光悦(江戸時代) 墨の濃淡が美しい。
日本人が、自分たちの発想思考の特徴でありその起点である「縁起にのっとった<情>」をどうしてもそれにふさわしい音韻で歌い、かつ文字で表記したいとした切望は、現代の私たちが慣れ親しんでいる外来語のカタカナ化やカタカナ英語にも反映している。
ちゃんとした外国語の発音をしていたら、母音主義の日本語に外国語の子音主義がまじって歌唱的には調和しない。そこで全部を母音主義にするのが外来語のカタカナ化である。
また、その逆を行ってサザンオールスターズの桑田啓介氏が発明したのが、日本語の方を英語みたいに子音主義的に発声して全体を英語みたいにしてしまうという歌唱法だった。
これも一つの<情>表現の不調和を避ける方法だった。
また、外来語のカタカナ化とも日本語を英語風に発音する桑田歌唱法とも違う方向性のものとして、カタカナ英語がある。
カタカナ英語とは、英語のようだがもともと英語にない和製英語、なんちゃって英語である。
典型としては、野球の「ナイター」がある。最近は和製英語を嫌って「ナイトゲーム」と言うらしい。しかし「ナイトゲーム中継」ではゴロが悪い、やはり「ナイター中継」だ。夏の夜など「ナイター」でないとビールと枝豆がうまくない、そんな感覚も日本人にはある。
七世紀後半の近江朝から約80年間の漢詩が日本最古の漢詩集「懐風藻」に集められている。遺風を懐かしむという意味とされるが、私は、万葉集の「葉」に対して懐風藻の「藻」が気になる。律令国家への歩みが漢文を操れる高い身分の者たちによって反映されている。面白いのは、漢詩的には稚拙なものもあるとされる一方で、日本固有の「花鳥風月」「雪月花」などの美意識が懐風藻に始まるという説もある。
中国語には「風花雪月」という言葉があり、自然界の美しさを意味すると同時に、美しいがどこか儚く実体がないというイメージも意味する。美辞麗句を並べるばかりで中身がない、虚構の世界と貶す言い回しでもある。また中国語で「風月」は恋愛を意味するともいう。日本人が「風花雪月」と言えば、もっぱら「花鳥風月」、愛でる自然の美しさの総称であり、時に愛情その他の感情や情緒を表現するのに仮託する媒体であることと異なる。
中国語の「雪月花」の白居易の一句「雪月花時最憶君」から来ていて、雪、月、花という自然の美しい景色の季節に最も君を憶う、というように時に連なる自然の美しさという意味合いが強い。一方、日本の詩歌では、「雪月花」は共時的にワンセットの取り合わせとして用いられる。その初出は万葉集の大伴家持の「宴席詠雪月花歌一首」と題した「雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて憎らむ 愛しき子もがも」である。(ちなみに家持の歌が天平勝宝元年(749年)で、白居易の詩が宝暦元年(825年)とされる。)時代が下ると、「雪月花」は主に雪、月、桜の取り合わせとして理解されたが、その特徴は、景色の取り合わせという所に展開していった。たとえば日本三景は、雪の天橋立、月の松島、花(紅葉)の宮島、日本三名園は、雪の兼六園、月の後楽園、花(梅)の偕楽園といった具合いである。
ざっくり言えば、
中国人は「風花雪月」や「雪月花」で自然界の現象なり美しさの時間経過を踏まえた有り方に注目している
のに対して、
日本人は「花鳥風月」や「雪月花」で自然界の現象なり美しさの共時的な取り合わせという有り方に注目している
と言える。
このような感受性の認知表現パターンの差異がありながら日本人が漢詩を作れば、たとえ形式は同じでも表現内容が異なるものとなる。それは漢詩的に稚拙であるとも言えるが、カタカナ英語のようにもともと原語にない意味の漢語使いをしたユニークな表現とも言えよう。
つまり、カタカナ英語の造語感覚と造語法の起源を、「懐風藻」の日本人の作った漢詩に求めることができる。
私は個人的に、当時の日本人が律令制度を導入しつつ漢詩を学び、漢語文化というものを、陰陽とか五行とか、五言絶句とか、とにかくぱっと見て共時的な取り合わせが見て取れる体系として、カルチャーショックを受けながら吸収したのではないかと思う。そしてそのような体系を枠組みとして、日本人が抱いていた自然観を入れ込んでいった。つまりは独自の漢語文化として再構成していったのではないかと思う。
カタカナ伊語にも似たような造語感覚が働いている。
スパゲッティの「ナポリタン」が典型だ。
イタリアにはない日本人がケチャップソースで作り始めたオリジナル伊料理?だそうだ。命名もイメージ先行で、まるでイタリア料理を食べてるような<情>の喚起を図ったようだ。
日本人は律儀にも、海外でフリッターに「Tempura」という偽名をつけるようなことは一切なく、「ナポリタン」にしろ「ラーメン」にしろオリジナルを開発し、それにオリジナルのカタカナ伊語やカタカナ中国語を造語していった。
じつは万葉仮名には、今日に至るその後の日本語の造語法の原点になるような方法論が満載されている。それは、日本語を母語とする日本人の発想法にも重なっている。
本論シリーズでは割愛するが、ご興味のある方は以下を参照してください。
「日本人の情緒性の土台は大和言葉のメカニズム(1/5) 」http://cds190.exblog.jp/4189811/
「(2/5)」http://cds190.exblog.jp/4395772/
「(3/5)」http://cds190.exblog.jp/4399068/
「(4/5)」http://cds190.exblog.jp/4401646/
「(5/5)」http://cds190.exblog.jp/4405939/
「和歌」=<情>の前に平等な日本人
著者は、
「ある国民の特徴を見る時、彼らが『何の前において万人は平等と考えているか』ということが、大いに参考になる」
として論述を展開していく。
「ユダヤ=キリスト教圏においては、『万人は神の前において平等』という考えが圧倒的である」
一神教の神はすべての原因であり結末に審判を下す存在であるため、そこでは因果律が徹底する。
「ローマは『法の前においては平等』というのを建前としていた」
法は<知>であり、かつ信賞必罰の因果律が徹底する。
では古代の日本人は「何の前において万人は平等と考えていた」のだろうか。
「それは超越的な神の前における平等でもなく、法の前における平等でもなく、詩、すなわち和歌の前において平等だと感じていたように思われる。
われわれの先祖が歌というものに抱いていた感情はまことに独特なものであって、よその国においてはあまり例がないのではないかと思われる」
「上古の日本の社会組織は、明確な氏族制度であった。
天皇と皇子の子孫は『皇別』、建国の神話と関係のある者は『神別』、帰化人の子孫は『蕃別』と区別されたほかに、職能によって氏族構成以外の者も区別されており、武器を作る者は弓削部(ゆげべ)、矢作部とか、織物を作るのは服部(はとりべ)とか錦織部(にしごりべ)というふうであった。
これは一種のカースト制と言うべきであろう。(中略)
ところが、このカーストを超越する点があった。
それが和歌なのである」
「『万葉集』を考えてみよう。(中略)
この中の作者は誰でも知っているように、上は天皇から下は農民、兵士、乞食に至るまではいっており、男女の差別もない。
また地域も東国、北陸、九州の各地方を含んでいるのであって、文字通り国民的歌集である。
一つの国民が国家的なことに参加できるという制度は、近代の選挙権の拡大という形で現れたと考えるのが普通である。選挙で一般庶民が参加できるようになったのは新しいことであるし、女性が参加できるようになったのはさらに新しい。
しかしわが国においては、和歌の前には万人平等という思想があった。(中略)
このように和歌を通じて見れば、日本人の身分に上下はないという感覚は、かすかながら生き残っていて、現在でも新年に皇居で行われる歌会始には誰でも参加できる。
毎年、皇帝が詩の題、つまり『勅題』を出して、誰でもそれに応募でき、作品がよければ皇帝の招待を受けるというような優美な風習は世界じゅうにないであろう。
これが、このごろよく言われる『日本教』のもとなのかもしれない」
ここで思い出すのが、世間で起こる諸々のことを捉えてそれをユーモラスに表現して見せる川柳である。
新聞各社が公募し掲載するものから飲料メーカーが公募しペットボトルに掲載するものまで色々あるが、それを読んでにやっと笑うのを楽しむ人は多い。
私も新聞はとっていないのに、毎日新聞の万流川柳に投稿し2度ほど掲載された。
さらにテレビ番組としては、NHKのケータイ大喜利のようなお題を提示してオチを公募して同中継で発表したり、民放のタモリ倶楽部のような、外国語の歌詞がおもしろい日本語に聞こえるものを公募して発表する「そらみみアワー」もある。
これらも、言葉遊びで同じ<情>に浸ろうとする日本文化と言えよう。
公募発表を楽しむ文化は、グローバルなものとしてはグールグ傘下のYoutubeの投稿動画が人気である。
それがヴィジュアルと音声によって、言語の壁を越えてかつ背景文化の文脈なしに笑えたり感動できるものであるという点で、低コンテクストであるのに対して、
日本の詩歌や言葉遊びによる微妙な<情>を表現したり感じ取るのは、たとえ日本語が理解できたとしても背景文化の文脈を知らなければ理解できない、高コンテクストなものも多く含まれる。
無論、文化としての価値は対等であって、どちらが高尚だとか下等だとかはない。
おそらく人間は、
遠心的に低コンテクストなコミュニケーションを図り、
求心的に高コンテクストなコミュニケーションを図って
自分なりの中心と周縁を理解し、自分なりの認知時空を維持発展させながら、
自分の<知><情><意>を位置づけつつ育んでいく
のだろう。
日本人の発想思考の特徴は「縁起にのっとった<情>起点」にある。
その大本が、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治した後、「日本初之宮」である須賀宮を建てた時に詠んだ日本初の和歌とされる、この和歌である。
「 やくも立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を
これが短歌の形式をそなえた歌としては最初のもので、和歌の起源とされるものであるが、それが神代に(つまり史前史時代に)起源を有し、建国と関係があり、しかも結婚と結びついていることが後世に至るまで、いろいろな面で日本人の感受性に影響を与えている」
日本人がこだわる<情>とは、発想の起点となるものであり、それは「結び」つまりは縁起にのっとっている、ということがここから始まっている。
スサノオノミコトは妻の稲田比売巫命とともに住む土地を探し、「気分がすがすがしい」土地に来たり、そこを「須賀」と名づけ宮殿を建て、それにちなんで歌を詠んだのである。
雲が幾重にも立ち上り、雲が湧き出るという出雲の国に、
八重垣を巡らすように、雲が立ち上る。
妻を籠らすために、俺は宮殿に幾重にも垣を作ったが、
ちょうどその八重垣を巡らしたように。
という意味である。
この和歌は、スサノオノミコトが須賀の地に宮を建てるべくして建てたことの宣言であると同時に、宮に自然界の力と一体化させる呪文でもあったと考えられる。
<情>起点で自然現象を類感呪術的に捉える発想思考は、人類普遍の<部族人的な心性>だから何も日本人に限って抱くものではない。類感呪術とは、類似したもの同士は互いに影響しあうという発想による呪術である。
ただ、そうしたアナロジーに徹底的にこだわり綿々と新形式を導入したり編み出したりし続けてそれを文化として継承蓄積してきたとなると、日本人の独自性と言うしかない。さらには現代の文明や文化にまで同じ認知表現パターンが多方面で展開しているとなると、日本人の独自性と言うしかない。
「『万葉集』に現れた歌聖として尊敬を受けている柿本人麻呂にせよ山部赤人にしろ、身分は高くない。特に、柿本人麻呂は、石見国の大柿の股から生まれたという伝説があり、(中略)これは人麻呂が素性も知れぬ微賤の出身であることを暗示しているが、この人麻呂は和歌の神様になって崇拝されるようになる」
「古代の日本人は血をはなはだしく嫌っており、『怪我』と『穢れる』も同一語源とされているぐらいなのであるが、女性の生理をうたった歌がかなり多い。これはまことに奇妙なものであるが、歌はそれをも浄化する力(筆者注:言霊による呪術力)があると考えられたからであろうか」
こうは考えられまいか。
古代の人は歌には言霊による呪術力が宿ると捉えていた。
それは、単なるオカルトではなく、優美な和歌がそれを鑑賞した者の心を穏やかにしそれが身体的にも好影響をもった。
そしてそのような効果のある歌詞を創作する者を崇めた、と。
このようなプロセスは、現代では脳科学や神経事象学によって人類普遍にある科学的な事柄とされている。
そうした現代的話題の一つが「笑いの治癒力」である。
笑いにも、心身を治癒する度合いや方向性があって、治癒力の高低がある。
たとえば、治癒力が生じるのが特定の個人なのか、つまりは他の個人が疎外されるのか、それとも誰彼の分け隔てなくそこに居合わせた全員を癒すのか、居合わせない人を疎外するのかしないのか、といった形の違いがある。
それは呪術に祈りから呪いまであるのと同じ理屈だ。
この点、川柳からなぞかけ、はたまたダジャレまである日本人の言葉遊びにも、笑いの質、つまりは「笑いの治癒力」の高低や効果の及ぶ範囲というものがある。
そして、質の良い治癒力が高くあり、誰も貶めることなく人を分け隔てなく楽しい気持ちにさせる笑いこそが万人に歓迎され、そういう笑いの王道を極めた発信者が尊敬される。
こうした現代の日本人の言葉遊びをめぐる人間模様も、古代の和歌をめぐる人間模様の延長線上にあるのかも知れない。
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へつづく。