「こんな今だから『グローバル・ヒストリーの視角』が役立つ」連載後記 |
そして経験豊富な実践者ほど、ビジネス書に限らぬ多彩な分野の有意義な知見を踏まえて多様な試みをしたに違いない。
そして挑戦者なら誰しもが、会社や社員の変わらぬ何かがいつも壁になったり、あるいは良いと分かっていることが受けとめられない腕押し暖簾になることを体験したに違いない。
私もそうした一人として、そのような人間と組織の現実は本質的にはいったいどこから来ていて、それに真正面から肉薄して乗り越えるにはどうしたらいいか、常に考えてきた。
私が今のところ確信したことは、日本人は「縁起にのっとった<情>起点」で<知>や<意>そして人間関係や集団組織のあり方を展開する。その<情>が社会化する全体像はおおよそ江戸時代に培われたもので、今の日本人の企業社会においてもほとんど変わっていない、ということです。
(「こんな今だから『グローバル・ヒストリーの視角』が役立つ(9:結論)」http://cds190.exblog.jp/19766181/)
いくら権威的なあるいは先端的なビジネス書の知見を役立てようとしても、それが「縁起にのっとった<情>起点」で受け入れられなければ空回りしたり上滑りして、人間論の現実の本質を掴むことはできません。
だから私の場合、権威や専門家の知見は必ず自分の関わる現場において役立つように焼き直す。
だいたい業界や同じ業界でも会社によって諸事情が違う。何がどのように当て嵌まるか、当て嵌まらない所はどのように焼き直すのか、そこにこそ知恵が必要である。
そういう自分の現場用の知恵は多くの場合、本の中にはなく、自分で編み出すしかありません。