こんな今だから「グローバル・ヒストリーの視角」が役立つ(4:間章その1) |
*NHKスペシャル「中国文明の謎 第1集 中華の源流 幻の王朝を追う」 発
次項(5)から、本書「第2章 勝てない『中国化』勢力-----元・明・清朝と中世日本」を検討していく。
前項(3)までで「第1章 終わっていた歴史-----宋朝と古代日本」を検討した。
そこでは、
著者が、
「中国化」=アメリカ型グローバリズム
「反中国化」=中国を学び損ねた日本文明
という大枠で主張を展開していることに対して、
私は、
主に、日本は古来、日本型を一貫してきていて、
学ぶべきことを中国にも欧米にも学び日本化してきた。
著者が学び損ねたということは敢えて学ばなかったことではないか、
と論じてきた。
そして著者が「反中国化」とすることは「家康志向」およびその<世間>のことであり、
その一辺倒化した現在の日本からすると正しいようだが、
実際の日本には、
その一辺倒化による組織の硬直化や社会の膠着状況を打開してきた
「信長志向」およびその<世間>も少数派ながらあってそれには該当しない
ということを解説した。
自由に活動する個人を適宜に集団に構成する「信長志向」が集団志向で、
「アメリカ型グローバリズム」が個人主義であるという違いを除くと、
両者は、
ともに重商主義で、経済について自由主義、規制緩和志向である点でむしろ重なる所大
ということなのだ。
「信長志向」が中核として重視した移動民と移動社会、転住民と転住社会を、
「アメリカ型グローバリズム」の資本や雇用の流動性、多国籍企業の国際展開などに置き換えれば
ぴったりである。
ここでじつに微妙な関係が生じている。
つまり、
著者は「中国化」は、
「アメリカ型グローバリズム」と重なると言い、
その2者はぴったりとではないが「信長志向」と重なる。
すると、
3者は何が同じで何がどのように違うのかハッキリさせなければならない
という課題が浮上する。
すでに、
「中国化」の内の「中華型グローバリズム」は宗族主義を前提にしていて、
「アメリカ型グローバリズム」が個人主義(多国籍ないし無国籍で国家主義を超えうる)を前提にしていて、
「信長志向」が集団志向を前提にしている(この点「家康志向」も同じで、そのお家至上主義は中国人の移動や移民を前提とする宗族主義と異なる)
といった違いについて確認した。
しかし、違いはそれに留まらない。
もっと大きな枠組みの違いを検討する必要がある。
そこで本項(4:間章)では、
「中華型グローバリズム」=「アメリカ型グローバリズム」では必ずしもない
大きな枠組みの違いがある
ということを検討し、すでに解説した内容含めて整理したいと思う。
(ちなみに本書の著者は、「中国化」「反中国化」という言葉を使って、具体的な内容としては主に宋や元の統治システムを指している。けっして「中華型グローバリズム」という言葉遣いはしていない。だがそれが実質的に「アメリカ型グローバリズム」と同じだと主張し、それに今も昔も抵抗している日本人を批判している。
そこで著者が「中国化」として印象づけようとしていることを、とりあえず「中華型グローバリズム」と呼称する。
しかし、本項(4:間章)でこれから詳しく論じるように、
本来「中華型グローバリズム」と呼称すべき内容は、著者がいうような「アメリカ型グローバリズム」と大きく一致するものではなくて、むしろその真逆にあるものなのである。
要は、日本が古代以来、中国に学び取り入れようと努力してきたものなのだ。
決して学びきれたとは言わない。なぜなら中国本家ですら学びを実践しきれていないからだ。ただ、日本人は中国人とともにその道理を尊重しその理想に憧憬を抱いてきた。
「中華型グローバリズム」と私たちが呼称すべき内容はそういうものではないか。)
夏王朝から分かる「中華型グローバリズム」と「アメリカ型グローバリズム」の違い
参考にするのは、先ず、
NHKスペシャル「中国文明の謎 第1集 中華の源流 幻の王朝を追う」
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/1014/
である。
第1集の番組内容の内、本論シリーズと関わりのあるところを整理するとこうなる。
◯「中華」の「華」はもとは「夏」だった。
◯長年伝説だと思われていた「夏王朝」は、発掘調査の結果、現実に二里頭に存在した中国最古の王朝と判明。
今から4000年前、紀元前2000年、石器の道具を使っていた新石器時代のこと。
◯(自然を克服して農業を発展させる話)
どんな伝説だったかというと、当時、ある若者が十数年も各地を経巡り治水工事をして周りそれを成功させて人々に王に立てられたというもの。殷の始祖、契(せつ)の話だ。
二里頭の当時の地層の調査から分かったことは、
地元の粟やキビだけでなく、北西の黄河上流の小麦、野生種を栽培種にした大豆、南の黄河流域の水稲の5種類の穀物を栽培していたこと。
当時、洪水と旱魃が繰り返す気候変動のために、中国の各文化圏は衰退したが夏王朝だけが繁栄した理由がこれだった。
二里頭のある中原は、黄河、長江、淮河などの支流が集まる交通の要衝で、農業情報も集まった。
若者(禹)が各地を経巡った伝説は、各地の農業情報を収集して洪水でも旱魃でもいずれかの種類の穀物が収穫できる体制を構築したことと重なる。
メソポタミアでも小麦だけを栽培していた当時、中原は世界トップの先進農業地域となった。
このような農耕の伝播そのものは交易活動の成果だから、殷の始祖、契(せつ)は交易民だったことに留意すべきだ。。
◯(多様な民を治め荒ぶる民の叛乱をどう防ぐかという統治の話)
当時は王や貴族の権威は弱く叛乱によって容易に覆った。
陶寺というところの発掘では、貴婦人が下腹部に牛の角を突きされ惨殺され廃棄された状態の人骨が発見されている。
二里頭で、その後、清王朝の紫禁城にまで継承された空間形式の宮廷遺跡が発見された。
それは、宮廷全区画の南端に正殿とその前に広場がありこれを回廊が囲むというもの。
そこで中国の宮廷儀礼が発祥したと考えられる。
どんな儀礼だったかというと、
・宮殿に入れるのは貴族と周辺の首長に限られ、彼らが献上品を手に入場。
・参列者が一堂に会したところで王が「玉璋」をもって登場。
「玉璋」は東の山岳地域で神への祈りに用いられた玉製のもので、
これに、東北部で崇められていた精霊である「龍」が装飾されている。
・参列者の中から身分の高い貴族が代表して正殿の壇上に上がる。
そこで王から、金色に輝く盃「銅爵」で酒を賜る。これを参列者が見上げる。
「銅爵」は黄河下流の伝統的な土器を、西域由来の青銅技術で作りかえたもの。
*儀礼の道具は、
外の文化のシンボルを取り込み、王の権威が遠くにまで及んでいる印象を
参列者に焼き付けるインパクトをもった。
*儀礼の空間と形式は、
身分の差を印象づけ、身分を固定する巧妙なシステムだった。
社会の持続的支配には武力だけでは不十分で、宮廷儀礼という文化戦略が必要だった。
◯夏王朝の「玉しょう」は、大陸の隅々で発見されている。
自然を超越した力を象徴する龍 と 政治的指導者である王
自然界と人間界を代表する2つの力が合わさる事で
広く中国大陸に影響を与えた。
二里頭の文化は大陸の広い範囲に、
武力ではなくソフトパワー=文化の力で影響力を及ぼした。
夏は歴史上初めて東アジアに現れた文化の核心でもあった。
◯紀元前1600年、殷が青銅で武器を量産してそれで夏王朝を殲滅したが、
殷は宮殿を破壊せず宮廷儀礼を踏襲。
宮廷儀礼は清王朝の紫禁城まで続いた。
(筆者注:空間形式の基本は京都御所の紫宸殿も同じ。
なお夏の聖王の治世は、後世の理想とされた。
その流れは周の礼を重んじた孔子つまりは儒教にも至った。)
◯エジプトなど他の文明は、先ず神ありきでその化身として王が位置づけられる。
つまり、人々が王とともに王の向こうにいる神に平伏する神対人間の宗教儀礼。
一方、中国の宮廷儀礼は、神の力ではなく、人の力で権威を示す、人間対人間。
霊を祀る儀式もするが、じつはそれは神ではなく祖先を祀っていた。
(筆者注:日本の天皇も豊穣神の媒介者というシャーマンに由来、
シャーマン性を帯びることで権威化するようになった。
中国のような人間対人間の関係が「非公式の権力=本音」としてはあり、
「公式の権威=建前」としては神の媒介者対人間という関係があるという
「権威と権力の分離」がそこから始まったと捉えることができる。
なお明治以降の日本では、国が天皇の「現人神=神の化身」化を進めた。
軍国主義下では国民が天皇を神と崇める情動と感情が権力に利用された。)
中国人社会における「権威と権力の一致」は、
中国の宮廷儀礼の「人間対人間」のパラダイム=<社会人的な心性>のあり方に重なる。
そして、
日本人社会における「権威と権力の分離」は、
中国の宮廷儀礼を取り入れながらも、
あくまで<部族人的な心性>をベースにした<社会人的な心性>において受け入れ可能なところだけを導入したことに重なる。
結果、公式=建前としての「神の媒介者対人間」という権威の関係
と
非公式=本音としての「人間対人間」という権力の関係
が
併存する社会構造となった。
「神の媒介者」は原初的にはシャーマンで、人間を超越するものの意志を伝える者だった。
神が人間に対して指し示した内容は、個人や集団や組織や国家や人類のエゴイズムを正したり戒める良心や倫理である。現代では、科学的合理性やそれによって解明された過去や現在や未来の事実に相当する。
「人間対人間」という権力の関係が、時に人間を誤った方向に向かわせることは、歴史からも個々人の経験からも明らかだろう。
それを正したり戒めるものとして「神の媒介者対人間」という権威の関係が必要であり有効であることは、その内容と形は多様だが古今東西、変わらない。
だから、日本社会における両者の併存構造が呪術が通用していた原初に由来するからと言って、時代遅れで非科学的なものとするのは短絡だと思う。
本論の主題は、
「アメリカ型グローバリズム」と「中華型グローバリズム」の本質的な違いの究明
だった。
これについて、
NHKスペシャル「中国文明の謎 第1集 中華の源流 幻の王朝を追う」の内容からは、
以下のような整理ができると思う。
先に、本質的な共通点を整理すると、
それは日本文明との違いでもあるのだが、
<人間対人間>の世界観であること
<人間が自然を克服する>世界観であること
中華型の場合、治水や農業技術の高度化
アメリカ型の場合、科学技術や金融工学の高度化
(ともに蛮族やインディアンを人間ではなく獣=自然とみなしていた。
日本人もアイヌやクマソに対して同様の傾向があったが、
それはヤマト王権における渡来人や中国化の影響であったのかも知れない。)
結果的に「権威と権力が一致」する社会構造を出現させていること
次に、本質的な違いを整理すると、
夏王朝の成立発展過程から言えることは、
中華型の場合、周縁の多様なシンボリックな文化を
中心に導入して高度な文明において統合
この高コンテクストな文化文明統合スタイルを周縁に拡散
しているのに対して、
アメリカ型の場合、自国が中心としてシンボリックに文明を高度化させ
それを最大限に活用する文化を創出
この低コンテクストな文明文化統合スタイルを周縁に波及
つまり、
中華型グローバリズムは、
求心的で、高コンテクストで、
かつ文化目的>文明手段(文化文脈を文明で達成する)のために
域内で経済ルールを共通化しても、
結果的に文化の多様性が維持される度合いが強い
一方、
アメリカ型グローバリズムは、
遠心的で、低コンテクストで、
かつ文明目的>文化手段(文明文脈を文化で達成する)のために
域内で経済ルールを共通化した際、経済効率化を共通目的化し、
結果的に文化の画一性が助長される度合いが強い
以上の中華型グローバリズムの特徴は、夏王朝に始まり、現代の共産党中国にも及んでいる。
「求心的」ということの関連では、
日米のマスコミによって中国の脅威が喧伝される昨今であるが、中国が<中国大陸以外にまで出ばって>覇権主義的な軍事行動をしたことはない。一方、アメリカは世界の警察官を自称したり自国の安全保障のためと称して<北アメリカ大陸以外にまで出ばって>帝国主義的な軍事行動を繰り返してきている。また、日本も<日本列島以外にまで出ばって>中国大陸はじめ帝国主義的な軍事行動を過去にしてきた。
アメリカが他国から大きな打撃を受けたのは、日本の真珠湾攻撃と9.11の同時多発テロ。
日本が他国から大きな打撃を受けたのは、元の二度の来襲とアメリカの沖縄上陸と広島・長崎の原爆投下と主要都市空襲(これに薩英戦争と長州がイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国とした下関戦争が加わるか)。
一方、中国は、清王朝時代の欧米列強による割譲や植民地化。日本相手に限っても日清戦争、日本による満州国の建国と日中戦争など、長期かつ広範に及んでいる。
自国のやってきたことを棚に上げて中国の脅威と覇権主義だけを恐怖せよとの日米の世論形成は、中国人からすればとてもフェアとは言えないだろう。
(このことは、誰だって相手の立場に立って考えれば分かる筈だ。
問題は過去ではなく現在だという意見もあろう。しかし現在の見方についても同様のアンフェアがある。
たとえば、中国のGDPが日本を超えて世界第二位になったと騒ぐ。いずれアメリカを超えて世界第一位になる怖れる。しかしあの人口規模が近代市場化すれば当然のことで、抜かれるのは中国だけでなくインドやインドネシアにもいずれ抜かれるがそこは騒がない。結局、怖れ騒ぐ拠り所は、中国が一党独裁で民主化していない人権問題がある、ということである。ところが、アメリカが海外に仕掛けたたとえばベトナム戦争に人権問題がなかったのかと言えば答えはNOだし、日本の官報共同体による非民主的な偏向報道や遮断報道は非民主的な一党独裁と大きく違うのかと言えば応えはNOだ。
中国の軍事的脅威というが、軍事費とそれによる累積債務を、人口や国土面積そしてGDPを考慮して比較してもダントツに高いのはアメリカである。中国とアメリカが軍事力で拮抗するということは当面かなり先まであり得ないのである。
つまり現在をどうみるかについても、日米の世論形成はけっしてフェアではない。)
一方、アメリカ型グローバリズムの特徴は、新大陸での建国以来、現代の軍産複合体や原発産業、エネルギー・メジャーや国際金融資本を筆頭とするアメリカ財界が主導するネオリベラリズムにも及んでいる。
「遠心的」ということの関連では、
中華型の<高コンテクストな文化文明統合スタイル>が波及する際は、漢字を駆使して高コンテクストなコミュニケーションができる支配層が必要とされ、一般庶民は字が読めなくても支障なくそれぞれの多様な自俗的な生活文化を営めた。同じ中国語でも、漢字にすれば共通語だが、その読みは多様な地域の口語でなされ(現在でも北京、上海、広東などとある)それで事足りた。そういう言語システムもあって「結果的に文化の多様性が維持される度合いが強い」。
これに対してアメリカ型の<低コンテクストな文明文化統合スタイル>が波及する際は、商業取引や科学技術などを典型に、共通の客観的ルールに則れば、基本的に支配階層か被支配階層か、英語が話せるか話せないか、字が読めるか読めないか、標準語が話せるか話せないかの区別なく世界中で誰もがコミュニケーションできる。
これは人類にとって大筋で良いことなのだが、問題が大きく2つある。
(それら問題の根底の本質を先に述べておくと、
商業取引の原点が今日の食い扶持を稼ぎ明日の食い扶持のために貯えるといった動物的な生存本能に由来することや、科学技術発展の動機が敵より強力な武器をもったり相手が持たぬ優れたモノを顕示して支配者が被支配者を圧倒するといった元を辿れば動物的な闘争本能に由来することに関係している。それは人類において、背景文化の文脈に関係なく普遍的に存在する低コンテクストであるから、その文脈でのコミュニケーションだけは世界中で誰もが原初からできる、というだけのことでしかない。
ある意味、人類にとって、じつはその誕生以来、ぜんぜん進歩してない部分に限った文脈と言えるのだ。)
1つは、科学技術など、人間を超越した普遍性に立脚した共通の客観的ルールは問題ないのだが、そればかりを至上の価値として偏重する傾向が蔓延すると、文化の多様性が、文化よりも文明を優先するという傾向として損なわれていく、ということだ。
これは人類にとって良いことではないだろう。
いま1つは、商業取引など人間世界のルールが国それぞれの実状にあった展開をしているのに対して、どこか一国のルールに共通化する、どこか一国がそのように各国を誘導したり強要するということが、起こりうることだ。
これはその他多数の国や、同調した国のそれまでのルールに従っていた国民にとっては迷惑な話だ。
今も実際アメリカがそういう強い働きかけを日本にしていて、それに同調する政官財報道の連携があるが国会議員の過半数が反対している。
(実際のやり方は巧妙なめに、こうした私の論調は余計な危惧を煽る「陰謀論」とレッテルを貼られる。
たとえば米韓FTAにSDI条項があり、それに則って韓国の投資家もアメリカ政府を訴えることができる、ことになっている。一見フェアそうだが、アメリカ側の履行法(United States-Korea Free Trade Agreement Implementation Act)にて米韓FTAと米国内法の関係が記載されており、そこでアメリカ外の人はアメリカ政府を訴えることができないと書かれていることが問題なのだ。
陰謀論と一蹴する人には是非、こうした日本側の同調者たちが情報提供しない奥の手まで見極めてほしい。)
これは一見、武力を伴わない平和的なやり取りのようだが、ヤクザの未勝目料の取り立てのように武力をちらつるやり方と言える。
実際、相手がアメリカでなければ日本側の同調者の連携がこれほどの一致団結にはならず、もっとまともに民主的な手続きが踏まれ報道がなされるに違いない。
しかし現状の日本では、
そうしたアメリカのやり方は武力ではないとし、
単なるソフトパワーかのように言う論調がある。
著者は、
かつて元が日本にその冊封体制に下ることを求めてきたことに対して、
鎌倉幕府は元の冊封体制に下ればよかった、無益な戦争をした
と断定している。
その理由は、冊封体制に下っても安全保障を得て商取引の税金を納めるだけで済んだ、それは安上がりとも言える、というものだ。
読者には、元のやり方が単なるソフトパワーかのような印象を受ける人もいるだろう。そしてアメリカのやり方を連想しそれについての肯定を深める人もいるのだろう。
しかし、歴史的事実はまったく逆のことを示している。
著者はプロの歴史家であるから、当然、元の冊封体制に下った高麗のことを知っている。
韓国の歴史教科書では「元の命令で、嫌々日本へ侵攻した」とされ、高麗史には「高麗の忠烈王が元の世祖に何度も働きかけ、執拗に東征を進め、同時に先陣は高麗軍が担当する事を進言」とある。
いずれにしても原理的には、冊封体制に下れば、統治者が受動的にか主体的にかいずれにせよ、宗主国の戦争に駆り出される可能性があった訳だ。
ちょうど今の日本が、国連主導の集団的自衛権(湾岸戦争の多国籍軍スタイル)ではなく、アメリカがする戦争に参戦することができる集団的自衛権(イラク戦争の口火を切った国連決議なしのアメリカの先制攻撃に参戦できるスタイル)の樹立が安倍政権によって企てられているようにである。
冊封体制の雛形は周にはじまる封建制度である。
このことは同番組「第2集」の検討で追って触れる。
要は、配下の属国なり部族に領地を保障する代わりに納税や有事の際の出兵を強制するものだ。
この封建制度は欧州の歴史にも登場する訳で、封建制度や冊封体制だけを理由に特に「中華型」の「グローバリズム」の核心だとは言えない。
もし言うことができるとしたら、
遠くヨーロッパまで版図を広げた元=モンゴル帝国の事例を踏まえて、
その影響が世界的規模に至ったこと
に限って言うしかない。
私もそれには大賛成なのだ。
そしてこの観点から見ると、
「モンゴル型グローバリズム」と「アメリカ型グローバリズム」は帝国主義的な軍事と経済においてぴったりと一致している、
と言えるのだ。
しかし重要なのは、追って詳しく確認するが、
元は中国史における例外中の例外である、
ということなのだ。
そして、
モンゴルが遠くヨーロッパにまで及ぶ世界帝国を構築し、
その版図全体の内の漢語文化圏=儒教文化圏という中国部分では「中華型」の伝統を活用した、
というのが本来のモンゴル帝国全体のスケールからの正しい記述なのだ。
そこを、グローバル・ヒストリーを知るプロの歴史家は知っているが、私たち一般庶民の日本人は言われないと気づかない。「モンゴル型グローバリズム」は、極東の海に囲まれた日本列島から中国大陸を眺めれば「中華型グローバリズム」に誤解してしまう。しかしそれは、そのさらに向こうに広がる広大なユーラシア大陸が見通せていないだけなのだ。
元のように、漢字文化圏を超えて「遠心的な覇権主義」をとったことは、中国の歴史で例外である。
そもそも前述したように夏王朝が周辺の文化圏を勢力圏に取り込んでいったのは「遠心的な覇権主義」ではなく「求心的な文化の力」だった。
もし日本が中国の冊封体制に対して、「中華型グローバリズム」と言える「求心的な文化の力」を見出すならば、元が日本に強要してきたそれではなくて、室町幕府の方から明朝にお願いして行った勘合貿易を典型としてあげるべきだろう。
足利義満が明皇帝から「日本国王源道義」の封号を与えられ日本国王に冊封された経緯。
日本側の利益が大きく明側の負担が嵩むばかりで、日本側が朝貢船を頻繁によこすことに明側から最後は10年に1回にしろとまで言われている経緯。
そういう周知の事柄からしても、元のように日本が強要された感じは一切ない。
明朝は、鄭和をして7度に渡り大艦隊を南海方面に派遣し、東南アジアからアフリカ東海岸に及ぶ30以上の国々に朝貢させ明朝の威信をアジア中に及ぼした。
ただし明朝の促進した朝貢貿易は、国家による管理貿易であり海禁政策とセットであって「海禁=朝貢システム」と呼ばれる。
当然、自由貿易と関税や非関税障壁撤廃を求める「アメリカ型グローバリズム」とは一線を画すものであった。
明朝の政策が財政緊縮・対外消極的に転ずると「海禁=朝貢システム」にほころびが出始める。
「厚往薄来」=「贈り物は薄くても、厚く持って往かせる」を旨とした朝貢は、経費削減へ政策の転換を余儀なくされる。朝貢国は貿易の規模や貢期(入朝頻度)、附搭貨物買取価格を抑制され、さらに関税まで徴収された。
結果、朝貢国の離反を招き、15世紀末時点で入朝を続ける国は日本・朝鮮・琉球等わずか6ヶ国にまで減少した。日本側が朝貢船を10年に1回にしろと言われたのはこの時期である。
明朝は16世紀初めに広州に外国商船の来航を認めると、朝貢貿易が衰退すると同時に密貿易そして海賊行為が盛んになった。
「アメリカ型グローバリズム」が近しいのは「海禁=朝貢システム」ではなく、それが衰退した後の状態の方である。
中国の歴史における重要な例外中の例外は、元の他にもう一つある。
それは清である。
漢民族以外の少数民族が帝国支配したことは何度もあった。
最初の夏王朝ですら東夷の出身であり、これを滅ぼした殷は北狄であり、始皇帝の秦も西夷であり、中国の歴史は異民族による征服王朝の方が数多く乱立し統一王朝としても長いという。
(岡田英弘氏の説では、
「中原の地に都を立て、各地の都市(県)に対して商業網を広げて、商社の本店のような形で全国支配したのが中国の王朝だという。都も、地方の都市も、城壁を備えた都市国家で、この城壁内に居住権を持っていた(戸籍を有した)のが中国人で、城壁外の住民は、夷狄という概念だった」
という。
この指摘は日本人にとても示唆深い。
なぜなら日本と、中国と欧米の都市構造の違いを指摘しているからだ。
それは国家観の違いにも影響している。
またなぜ中国は今でも都市戸籍と農村戸籍を厳格に分けているのか、についての理解を深めてもくれる。)
元のように統一王朝として隣接文化圏を超えてその遥か彼方まで出ばったことと、
清のように統一王朝として隣接文化圏以外の遥か彼方の勢力に国内に出ばられたこと、
この2つは重大な例外中の例外と言わねばならない。
「中華型グローバリズム」と「アメリカ型グローバリズム」がまったく同じだよ、
という誤った印象を与える論述は、おそらく短絡的である以上に意図的なのだろう。
この2つの重大例外の内、
中国が遠国から内に攻められた清の方を無視して、
中国が遠国へと外に攻め出した元の方だけを重視して
論じている。
そして、2つの例外以外の中国の歴史の全体は、
遠国へと外に攻め出しもせず、
遠国から内に攻め入られもしなかった
のである。
つまりは、アメリカが短い歴史の中でやったりやられたことのまさに真逆なのである。
またすでに述べたように、
「中華型グローバリズム」の特徴は「厚往薄来」の求心性にこそあり、
冊封体制の事例としては元ではなく明を上げてそれを指摘すべきなのにそうはしない。
こうした火を見るよりも明かな周知の常識を捨象しておいて、
「中華型グローバリズム」と「アメリカ型グローバリズム」がまったく同じだよ、
という誤った印象を与える意図はいったい何なのだろうか。
帝国主義的な元とネオリベラルリズムの共通性をまるで良い事かのように論じ、
それに対抗した鎌倉幕府を愚かとする論調は、
今、ネオリベラリズムに身を委ねない日本人は馬鹿だと言っているようにも聞こえはしまいか。