こんな今だから「文化人類学の視角」が役立つ(3) |
こんな今だから「文化人類学の視角」が役立つ(2)
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からつづく。
人間モデルとしての「農耕民」「狩猟民」「開拓交易民」
文化人類学において、経済とは、ほぼ生業形態の社会的なあり方のことである。
「生業形態として最も素朴なのは狩猟である。
狩猟の場合は、彼らの生活の移動性が高いために、財の蓄積ということはほとんど問題にならない。
狩猟民の間で最も切実はなのは財の分配である。
一回の狩猟行でとれた獲物は、基本的に同じバンドで分配される。分配にあたっては大まかな係りは決まっているだろうが、実際の場面になるといさかいが絶えず、バンドの分裂は常に狩猟をめぐって起こる」
「遊牧民の文化においては、家畜の換金的側面よりは、象徴的な側面の方が、当事者には強くアピールすることは認めなければならないだろう。家畜は、所有者の生活を豊かにしたり、財政的に豊かにするためというより、所有者の威信や社会的地位を高めるための富として使われているように見える。(中略)ヨーロッパ圏の牧畜社会においては社会的威信が、財力より時として中心的価値を構成している(中略)。
遊牧民においては、家畜を交換する際にも、姻族の関係を確認したりするために、商品経済の常識では理解できないような形でそれは行われる。(中略)
とはいうものの、遊牧民においては、財の主な生産手段としての家畜は、直接にいつでも使用できる富であり、農耕社会より遥かに速いスピードで、商品または非商品形態として流通される。
こういう条件があるから、遊牧民にあっては、特定の個人または特定の家族集団の手に、短期間のうちに莫大な富が蓄積されるという現象が観察される。(中略)そのスピードは、歴史に大きな刻印を常に残してきた遊牧民帝国の盛衰の様態の中にも見ることができる」
ここで、以上の著者の論述と私の推論を合わせて、このようなに整理できる。
① 移動民の原初形は、
獲物(小型哺乳類)を狩って比較的狭いエリアを回遊する「狩猟民」である。
そしてその発展形として、
家畜を育てて比較的広いエリアに回遊する「遊牧民」がある。
前者は富の蓄積がなく分配ばかりがなされて国の成り立ちには至らなかった。
後者は富の蓄積と贈与や交換が活発になされ部族関係が拡張して帝国化にまで至る。
帝国化すると異民族の定住民を支配する支配階層として定住民化。
帝国の拡大過程においては、版図を広げるべく専ら転戦する転住民がいた筈である。
また支配階層ではなく定住民化しない遊牧民から専ら交易する移動民「交易民」が発生したと考えられる。
② 定住民の典型は「農耕民」である。
しかし、いきなり「農耕民」が発生した訳はなく、「採集民」が豆類や根菜類の定期的に収穫していたのを自ら種をまいた所に収穫時に戻ってくる移動民が原初形だったと考えられる。それがやがて焼畑へと展開し、その段階で「狩猟採集農耕民」として定住して自給自足できる「定住民」になったのではないか。いわゆる未開部族の部族社会の集団である。
「農耕民」は耕作地に密着し空間的な回遊性がなく、生産行為によって財を得るまでに日月がかかる。よって、「農耕民」自身がその生業形態のみによって財を蓄積する速度は遅い。
農地と農耕集団を大規模化し支配被支配の階層性が生まれるに従い、支配階層が財の蓄積する規模が大きくなる。さらに農耕集団同士が戦って強い集団が弱い集団を従えて国の成り立ちに向かうに従い財を蓄積する速度が速くなった。
③ 専ら交易する移動民「交易民」の発生ないし派生には何通りかが考えられる。
獲物(大型哺乳類)を追って遠隔地まで移動した「狩猟民」が、狩猟道具の原材料を持ち帰ったり途中で物々交換したことから専ら交易する「交易民」が発生した。
遊牧民が帝国化しその拡張過程で前線に後方から軍需物資を運ぶ「交易民」や、拡張した版図の内外おいて遊牧民の移動能力を活かして専ら交易する「交易民」が発生した。
「狩猟採集農耕民」として定住して自給自足できる「定住民」の生活圏が分布するようになりそれをネットワークして専ら交易する「交易民」が発生した、などである。
④ 定住しっぱなしの定住民でもなく、特定海域を移動しっぱなしの海賊や定期行路をルーチンとして移動する移動民「交易民」でもない、転住民が想定される。
たとえば版図を拡大して前線を専ら転戦する軍事勢力は、そこでの進駐期間が長ければ半分は定住民化する訳で、転住民と呼ぶべきである。居城を移しつつ勢力を拡張していった織田信長とその家臣軍団はこれである。
たとえば日本企業や中央省庁の転勤族なども、国内外の転勤が宿命づけられた定住生活を送る訳で、転住民と呼ぶべきである。古来、中央集権国家では中央の官僚が地方に赴任した。
たとえば、ある定期行路をルーチンとして専ら移動する「交易民」はいきなり発生する訳ではない。新行路を求めて冒険し交易拠点を構築すべく滞在する開拓者がいた筈である。そして彼らの中から専ら市場開拓をして回る開拓型の「交易民」が発生した筈である。彼らはベンチャーを立ち上げてはその株式を売却し次のベンチャー立ち上げに向かうような志向性の持ち主であり、定期行路をルーチンとして専ら移動する「交易民」とは峻別されるべきである。彼ら「交易開拓民」は、開拓期間が長ければ半分は定住民化する訳で、転住民と呼ぶべきである。転勤族がどこかに本拠がありそこの管理や庇護を受けているのに対して、「交易開拓民」はあくまでリスクをおったベンチャーとして最前線に本拠を展開していることである。幕末の長崎に遠くスコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーをはじめとする外国人貿易商はそれである。
ヤマト王権の軍門に下る前の出雲は環日本海交易ネットワークのハブであったとされる。これはそのような定期航路があってその要衝だったという風に考えがちだが、そういう意味合いよりも、日本海沿岸のベンチャーの精神と実績を誇った名だたる交易ビッグマンたちが、その筆頭であった大国主命のイニシアティブで同盟したということが大きかったと考えられる。古事記のオオムナジから大国主命に成長する物語は、移動民から転住民へ、国造りして転住民から定住民化するも、国譲りして転住民に回帰する話として読むことができる。
たとえば、現代日本の企業社会に照らしても、
◯定住民の典型としての「農耕民」は、
企業に終身雇用され年功序列で転職せずに一つの会社を勤め上げるサラリーマン
一つの業界なり専門分野で一つの職能を全うする専門家
といった生業形態になぞらえられる。
大企業が仕事を作り出しているということから、田畑を所有している地主の豪農に、
下請け企業や下請けフリーランスを、田畑を借りる小作人に喩えることもできよう。
◯移動民の典型としての「狩猟民」は、
同じ狩りの対象を同じ狩り方で狩ることで勝負していることがポイントで、
自分で仕事を作り出すタイプの特定専門分野のフリーランス
特技や資格を武器に積極的に職場を転じる人たち
といった生業形態になぞらえられる。
◯転住民の典型としての「開拓交易民」は、
異なる業種業界に異なる職能において携わるが本人独自の自分流を貫くことがポイントで、
資格やスキルを刷新しながらそれが可能とする新機軸を開拓しつづける人たち
ベンチャーを立ち上げてはその株式を売却し次のベンチャー立ち上げに向かう人たち
といった生業形態になぞらえられる。
時代変化に応じて仕事を作り出すべく業界を転じたり生み出すプロデューサー、
同じく適宜に複数の専門分野の職能を結集させるネットワーカーになぞらえられる。
人間ふくむ哺乳類は、「安全基地を確保する」ことと「冒険的な補食活動を敢えてリスクをおかしてする」ことの2つの行為を生存条件とするという。
◯「農耕民」は、
定住と、身内による集団の固定とによって、
場と世間において「安全基地を確保する」ことを最優先し、
その機会の最大化を図る。
往々にして「冒険的な補食活動を敢えてリスクをおかしてする」ことを回避する。
◯「狩猟民」は、
場や世間から脱する「冒険的な補食活動を敢えてリスクをおかしてする」を最優先するも、
じつは個人として定住民化のリスクをヘッジするために、
移動民としての自由と安定性において「安全基地を確保」している。
国が傾こうが会社が潰れようが食べていける職能人やグローバル人材が典型。
◯「交易開拓民」は、
場や世間から脱する「冒険的な補食活動を敢えてリスクをおかしてする」を最優先する。
しかしそれは個人的な離脱ではなく、新しい場や世間を構築する挑戦であって、
知や情報を再編し人やモノをネットワークして開拓地を「安全基地」とする、
するとその段階でまた未開の地に向かう。
といった具合に、
集団と組織やその構成員の行動様式や志向性を抽出することができる。
これはそのまま現代社会の多様な生業形態の集団と組織やその構成員にも当てはまる。
つまり太古と比較して具体的な見えがかりの大差とは裏腹に、人間が個として、集団として、組織として思う事行う事はさほど変わっていないのである。
ポトラッチ、ヤムイモ、クラ交易の原理が日本人の仕事観や世間観に反映
「ポトラッチというのは、(中略)集団で行われる財の費消の儀礼である。
二つの集団の首長が、贈与の競合を行い、相手方より価値のある財を贈り物として提供することのできる首長が、優位性を占めるという制度である」
日本の勘合貿易はじめ中国への周辺国からの朝貢貿易は、献上よりも上回る価値の下賜が行われたが、これも「相手方より価値のある財を贈り物として提供することのできる首長が、優位性を占める」という同じ原理に基づいている。
そして、形を代えて、現代人の間でもポトラッチの原理は働いていると思われるが、そのことは追って検討したい。
「モースは、あくまでも贈与を儀礼的交換の一形態と見て、
この制度(筆者注:ポトラッチ)を交通(コミュニケーション)の手段として見る一方、集団間における威信確立のための演劇的行為と見なした。(中略)
バタイユは、ポトラッチの財の蕩尽の中に経済の至高の到達点があり、日常生活において営々と働き注意深く蓄積してきた財を一瞬のうちに破壊するという行為に、経済関係のネットワーク(網の目)の中にいる当事者が気づかないほとんどエクスタシーに近い快楽原則が働く、と見た。
(中略)ほとんどギリシャ悲劇のヒーローを死に追いやる行為に見られるような至上の象徴に、自分の手中にあるすべての財を投入し破壊するメカニズムの産物である」
単純明快な例は、投機である。投機は博打である以上、長くかけて貯めた金を一気に失う者もいて、彼は死にたいくらいのショックを受ける。一方、そういう敗者がいる分、勝者がいる。貯めた金を一気に何倍にもする者もいて、彼は天にも昇るような歓喜に震える。彼らの反応は表面的には真逆だが、働いている心身のメカニズムは同じものである。投機市場とは、このような極端な勝者と敗者を両極にもつ経済関係のネットワークに他ならない。
「バタイユの視点を採用すれば、経済行為に潜在的に現われる二つの方向を看取することができる。
その一つは、財蕩尽という点に限れば、それはカーニバル的『さかしまの世界』実現のプログラムと重なるということである。
カーニバル世界においては規則的な日常の生産活動、行為、秩序を維持するための言語といったものはすべて御破算にされて、すべての価値観はひっくり返されてしまう。
たしかに祝祭は、時には厳格なルールのもとに挙行されることがあるが、その根底に、日常生活を支配する価値を相対化するか無化して、人間が潜在的に持っているアナーキーな状態を表現するという性格をどこか秘めている。
ポトラッチが覚醒させる熱狂、狂気への衝動には、そうした表層の経済行為と深層の衝動とのショート作用が見られる」
「戦争」も、バタイユの見方にならえば「カーニバル的『さかしまの世界』実現のプログラム」と言える。
かつて米ソが軍拡競争をして、人類を何回も絶滅できるほどの大陸間核弾道を配備した。最終的にはアメリカのスターウォーズ計画の打ち出しに経済的に対応できないままソ連が崩壊した。こうした軍拡の推進は、相手への贈与ではけっしてないが、費消の競合であり、威信の確立を目指した点で、ポトラッチの原理が働いていたとも言えまいか。
こうした軍需産業や軍事核を支える原発産業が、そして戦争の火種になる石油や鉱物資源が、世界経済に重大に関与していることを考えれば、「表層の経済行為と深層の衝動とのショート作用」「ポトラッチが覚醒させる熱狂、狂気への衝動」と同種のものを、戦争が持っていることは明らかだ。
戦争では、「最も価値あるものの破壊への衝動」は、象徴的なレベルではなくて、多大な人命を奪う、という具体的な一事に終結する。
ポトラッチ原理は、前述の戦争の検討のように、相手への贈与に限らない費消の競合と捉えれば、
神への奉納の競争によって優位な者が威信を確立する、という古今東西の多様なコミュニティでみかける信仰の様相と重なる。
また日本で言えば、「奉納」や「寄進」の発展形ともとれる相撲や博打における、谷町や博徒の心理にポトラッチ原理を見てとれる。
さらには現代世界のグローバル化する市場経済、そこで行われる投資や投機、商品開発や市場開拓という企業家精神のなせるわざにも、深層心理的には個人レベル、集団レベル、組織レベル、交流レベルでポトラッチ原理が働いていて、その原理の一貫した一つの共同幻想世界が現象していると言える。
「農耕民の中でも、ニューギニアおよびメラネシア地域の文化は、交換の性質を考えるための基本的な素材を提供してきた。(中略)
男たちはヤムイモの栽培に熱中し、長さ3.6メートル近くの塊茎を収穫した記録もある。この長いワビと呼ばれるヤムイモを育てるには、さまざまなタブーを守り、儀礼を営まなければならないと考えている。
ヤムイモを収穫すると、どの男もその中で一番りっぱな塊茎を選び、仮面やいろいろな飾りで飾って、まるでそこに精霊が宿っているように仕立てる。そして、村の威信、ヤムイモを育てた各個人の威信を高めることを目的として開かれる盛大な収穫祭で陳列し、誇示する。
興味深いのは、このような社会では自らが育てた聖なるヤムイモは、自分で食べたり使ったりしないことである」
私は、これを読んで2つのことが想い浮かんだ。
1つは、北野武氏が長島茂雄氏とゴルフに行った帰りのこと。
地元の農家の人がやってきて大ファンの長島さんに収穫した最長の長さを誇る根菜(なんだったか忘れた)をプレゼントした。長島さんは、サンキューですぅ〜とかお礼を言ってクルマのトランクを開けたかと思うと当たり前のようにパキパキパキと折って入れてしまった。農家の人は唖然としてて、たけしさんワロタという話。
この農家の人にとっての最長の根菜は、ニューギニアおよびメラネシア地域の「農耕民」にとってのヤムイモと同じ大切なもので、神に捧げるような気持ちで長島さんにプレゼントしたのだろう。
ところが、どちらかと言えば「狩猟民」的な長島さんにはそういう思いや気遣いが皆無だった。
いま1つは、こちらの方が重要なのだが、
ニューギニアおよびメラネシア地域の男たちの
◯最長の「ヤムイモの栽培に熱中」
◯「ヤムイモを育てるには、さまざまなタブーを守り、儀礼を営まなければならない」と考えること
◯「一番りっぱな塊茎を選び、仮面やいろいろな飾りで飾って、まるでそこに精霊が宿っているように仕立てる」こと
◯「村の威信、ヤムイモを育てた各個人の威信を高めることを目的として開かれる盛大な収穫祭で陳列し、誇示する」こと
◯「自らが育てた聖なるヤムイモは、自分で食べたり使ったりしない(筆者注:つまりは個人的な利用には供しない、個人の所有にはしない)」こと
が、
すべて日本のメーカーやメーカー社員の「ものづくり」のこだわりや慣習的なやり方に重なっている、ということに気づいた。
◯世界初、世界一にこだわり技術開発や品質向上や効率アップに熱中
◯これを達成するための集団活動についての段取りや約束事を各メーカー、各部門部署がもっている
◯世界初、世界一の技術開発や商品開発をした時、関係者は商品が売れた時以上に世間での威信を高め、それを誇示するイベントやパブリシティを展開
◯技術者が研究や開発した成果は、報奨金などが出るものの会社の知財となり、それについて僅かな例外ケースもあるが、基本的に誰も文句を言わない
日本人のこうした「ものづくり」のメンタリティやメンタルモデルは一つのセットで捉えるべきだが、そうすると日本独自のものと言える。
それが「ヤムイモづくり」のメンタリティやメンタルモデルにぴったり重なることは偶然ではない。
日本人の<社会人的な心性>において<部族人的な心性>がベースとして温存されていることの証左と捉えることができる。
「移動民」の典型は、陸の「狩猟民」だけではない。海の「漁労民」もいる。
さらには、陸海の「交易民」もいる。
「クラ交易」は、海の「交易民」の経済が、交換のネットワークから成り立っていたことを示す代表例である。
「クラというのは特定の財貨の交換行為をさす言葉である。
クラで取り交わすのはムワリ(白い貝殻の腕輪)とソウラヴァ(赤い貝殻の首飾り)の二種類の貝殻製の装身具である。
この二種類の品は1000キロ、2000キロの海路をものともせず、帆船で遠洋航海する人たちによって交換されていく。
交換される二つの品は、時計回りと、逆時計回りという二つの方向に伝達されていく。(中略)
すべての住民がクラに参加するわけではない。各々の村に一定の住民が、日本で言えば無尽講に加わるように加入するのである。とはいうものの、クラの関係はあくまでも個人を単位としたものである。
一人の男は、一定の数の他村の男とクラの関係にある。
彼はできるだけ由緒のあるものを入手し、しばらく自分の手許に置く。彼はできるだけ長く占有したいので、交換を引き延ばす。しかし、あまり長く占有すると交換の環が停滞するから彼は非難の的になる。交換の相手も、交換の場において、こういう雰囲気または世論を背景として激しくかけひきを行って彼に揺さぶりをかける。彼もまたおまじないを口にしながら防戦につとめる。
交換という経済行為が演劇性を帯び、呪術や詩的な要素もフルに動員されて、経済の場が活気を帯びたものになる。(中略)
『クラに一度入ったものはクラのもの』という言葉がある。
このサイクル(輪・環)の関係は物についてもいえる。島から島へ回っている間に、交換される”首飾り”と”腕輪”には一種の物神性が生じる。特別の呼び名が生まれ、その品物の歴代の所有者の冒険の物語が時間・空間を超えて語りつがれる。語りつがれることによって、これらの装飾品は神話的な体系の中に組み込まれる」
私は、これを読んで2つのことが想い浮かんだ。
1つは、織田信長が厳選した家臣に下賜した「名物」だ。
信長家臣の滝川一益が高名の茶道具を武田攻めの恩賞として欲っしたが、信長から上州を与えられ関東関領に任ぜられて落胆したという話が有名だ。
彼が落胆した理由はいろいろと言われるが、私は、信長が「名物」を下賜することが、イコール「茶会」を主催する資格を与えることだったことが理由と捉えている。
信長が主催を許す「茶会」という家臣による自律的な交渉機会でなければ、信長配下の家臣はもとより豪商も、信長に従う大名や有力寺社も参加しない。つまりは、国内的な交易管理や政策交渉をすることができなかった。
このことは、天下統一前夜から信長によって国際商人が大名に取り立てられるなどして、武士が経済官僚化していくことが見込まれた当時、信長家臣がその仲間入りを許されるか、それとも時代遅れの戦国武士の良くて城無し大名に留まるか、という死活問題だったに違いない。
こうした交易社会のキーマンのネットワークの一員に認められ、一員としてコミュニケーションしていくことが許されたことの証が「名物」だった。
このことは、「各々の村に一定の住民が、日本で言えば無尽講に加わるように加入」「一人の男は、一定の数の他村の男とクラの関係にある」といったことに構造的に重なる。
信長政権が短命に終わってしまったために確かなことは誰も言えないのだが、この政権による「名物」の下賜は世襲だったとは限らない。
私は、信長の抜擢主義や実力主義の言動からして、不祥事を起した家臣からの回収や、実力を伴わない嫡男への世襲を許さない一代限りでの回収ということもあり得たのではないか、と思えてならない。
もしそうであり、ある種の利権としての「名物」の数が経済規模の推移に従って限定されるとすれば、この利権を狙う新たな登場者がでてきてそれとの競合になる訳で、その際は「できるだけ長く占有したいので、交換を引き延ばす。しかし、あまり長く占有すると交換の環が停滞するから彼は非難の的になる。交換の相手も、交換の場において、こういう雰囲気または世論を背景として激しくかけひきを行って彼に揺さぶりをかける。彼もまたおまじないを口にしながら防戦につとめる」といった事態が生じた筈だ。
それこそが、信長がグランドデザインした経済活性化のダイナミズムだったのかも知れない。
2012年の自民党の圧勝で終わった第46回衆院選で、自民党元幹事長の加藤紘一氏(山形県鶴岡市長と衆議院議員を勤めた加藤精三氏の五男)が14選を目指したがなんと落選した。理由は、「高齢多選批判」の盛り上がりだったという。
民主主義と実力主義の論理からはとても理由になりえないが、<部族人的な心性>においては「あまり長く占有すると交換の環が停滞するから彼は非難の的になる」という事態そのままズバリであった。(加藤氏の健康不安説が出回ったということも理由と言われるが、それも近代的で合理的な判断というよりは<部族人的な心性>による判断と言えまいか。)
このように考えてきて、想い浮かんだいま1つが、日本の選挙でものを言う「地盤」だ。
日本の選挙では、地盤(後援会)・看板 (知名度)・鞄(政治資金)が必要と言われる。
候補者の手となり足となり働いてくれるのが地元の後援会ではあるが、それがイコール勝利必須条件の「地盤」ではない。
勝利必須条件は、あくまで一般的な地元民が、何らかの威信の持ち主と候補者を認めることである。いくら知名度が高く、政治資金が潤沢でも、曰く言いがたい威信の持ち主と認められなければけっして当選しない。
また、この威信の持ち主かどうかの庶民による判断は感覚的でありとても不可解である。政策の善し悪しなどを論題とする合理的な判断ではもちろんない。
不可解ながらも、世襲の候補はこの曰く言いがたい威信の持ち主と庶民から認められやすい。
私は、
世襲の候補の側がこの威信を持っているのではなくて、
あくまで庶民の側が世襲の候補だとこの威信を託しやすい、
ということだと捉えている。
この威信の曰く言いがたさは、
その土地での世襲の候補ということが、
明示知的に何を意味するかは一部の利害関係者には明快だがその他大勢にはよく分からないが、
彼らにも暗黙知的・身体知的には決定的な何かを象徴していると感じられて、
選挙民の深層心理にあるほとんど情動的な感情や思考がこの象徴に反応する、
ということである。
世襲ではないが、地元出身のイケメンや恰幅の良い前議員、元議員といった実力者も、同じようにこの威信の持ち主とみなされる。
私が長年暮らした東京都心の選挙区の隣の選挙区で当選した議員は、間近に見てシャメをとったおばさまたちがそのイケメンぶりに感激して、絶対にいれちゃう〜と身をよじっていた。心理学的に正確に言うと、あの反応は「時間経過とともに思考のフィードバックを経て変容する感情」ではけっしてなく、「即座の無意識な身体反応を伴う情動」だった。
繰り返すが、
個々の候補者について選挙民が曰く言いがたい威信の有無を問うのではない。
そもそも選挙民の側に集合的無意識として、限られた者に託すべき「文化的遺伝子」という言わば「無形の名物」が共有的に潜在していて、それを託すに相応しい候補者が選ばれる、ということなのだ。
そう考えると、
信長が「名物」の下賜によって「茶会」主催権を与え、それをめぐって実力者を競合させようとしたのと同じ構造のダイナミズムが、
集合的無意識として、またそれを踏まえて取り込む儀礼として働いている、
と言える。
これは、
部族社会での「シャーマン」の選出に相当するものであり、
民主主義という明示知パラダイムにある<社会人的な心性>だけではけっして説明できないダイナミズムである。
暗黙知・身体知パラダイムにある<部族人的な心性>を動員しないと説明できないダイナミズムに他ならない。
以上のような見方で選挙というものを、今度は「地盤」を頼りにする候補者の側から見ると、
立候補および選挙は、成功するとは限らない、失敗したり生命を失うリスクを負った「クラ遠征」に構造的に重なってくる。
「クラ遠征を行うには入念な準備が必要である。この準備には多くの呪術が含まれる。
人々は呪術の実効性を信じているが、仮に実効性が期待できないにしても、少なくとも呪術を演じることによって、精神の安定が確保される。その安定からくる自信が航海と交易(筆者注:立候補と得票に相当)を成功に導く(中略)。
クラ相手の島民(筆者注:選挙区の選挙民に相当、自分の生まれ育った地元ばかりではない)から敵意をもって遇されないように呪術を行う。カヌーを製造する過程では、安全で、迅速で、幸運に恵まれるように様々なまじないをかける(筆者注:選挙事務所に神棚を設け、ダルマの片方の目に墨を入れ、選挙カーをお祓いするに相当)。目的地に着いたなら、また、交換のパートナーが気前よく貴重な品を手放してくれる(筆者注:選挙民の好感を得ての得票に相当)よう祈る。
交換についての合意が成立した場合(筆者注:当選した場合に相当)には、贈り物の交換の意義を強調する儀式(筆者注:当選の御礼に相当、選挙管理法で禁止されている)が行われる。
パートナー間には、交換に際しては緊張関係が伴うが、相手の死に際しては、号泣を伴う哀悼の意を表する大演説が行われる(筆者注:主要な選挙民の冠婚葬祭への出席とその際の弔辞や祝辞に相当)」
<部族人的な心性>がベースに温存されて<社会人的な心性>が形成されている日本人と日本文化の場合、こうした近代選挙と「クラ交易」との重なりは偶然ではない。
もとより、「クラ」を貫いた政治性=経済性が現代にまで温存されているに過ぎない。
「クラは、島外との贈り物交換のサイクルを形成するが、島内、特に親族間の贈り物の交換も、それに劣らず重要である。(中略)
男達は収穫ごとにえりすぐったヤムイモを姉妹の夫のヤムイモ小屋一杯になるほど贈らなければならない。であるから、この姉妹に男兄弟が多い場合には多くのヤムが集まり、逆に男兄弟が少ないかいない場合には情けない結果が待っている。(中略)
外に、海側に住む住民と山側の住民との間の乾魚とイモの交換(筆者注:乾魚は日本の結納品ののしあわびや鰹節や昆布やスルメを連想させる)、さらに日用品の交換(筆者注:同じく麻や扇子や酒樽を連想させる)の交換もある。このレベルまで降りてくると、市場社会の交換の一歩手前にあるということができる」
「政治組織も交換と密接に結びついている。
一般に首長はふつうのサブ・クラン(支族)とは少し懸け離れた高い地位にある。一夫多妻婚で、首長はとくに数多くの妻を娶ろうとする。義理の兄弟からくるヤムのせいである。
こうして集まったヤムを利用して、首長はクラの遠征に出る準備のカヌーの建造にかかる費用を賄う。といっても、首長は義理の兄弟からヤムを只取りするわけではない。首長は、妻の兄弟から贈られるヤムイモの返礼として、クラ交換に使う装飾品を提供するのである」
「クラを行う成員には二つの極がある。
一つは首長であり、彼は絶えず反対給付を与えうるだけの装飾品を豊富に所有していなければならない。そのために彼は大がかりなクラ遠征をしばしば組織しなければならない。これが豪商としての首長のイメージである」
こうした反対給付を常とする豪商としての首長のあり方は、日本の選挙で優位になりがちな世襲議員が、父や祖父の威光で中央とのパイプを結びやすく、地元地域への利権や利益の誘導をはかれることに相当する。
「首長と反対の極にあるのは、これからクラに入ろうとする若者である。若者はクラの装飾品を持っていないと、誰にも文字通り相手にされない(筆者注:信長が下賜した、「茶会」主催資格でもあった「名物」に相当)。
そこで猛烈に働いて多量のヤムイモを首長ないしは姉妹の夫に提供する(筆者注:選挙民が地元選出議員のコネを期待して選挙資金のカンパや選挙活動のボランティアをすることに相当)。
その見返りとして装飾品を手に入れることができた時、彼ははじめて株を手に入れて一人前の”オトコ”となれるのである」
選挙勝利に必要な3バン、その1つ「地盤」とは、単なる後援会ではなく、以上検討してきたような「地元世間がその内部そして内外で成立させている政治的=経済的な交換のネットワークの演劇性=儀礼性をともなった全体」なのである。
本書の著者、山口昌男氏は、本項(3)で検討した「Ⅳ 交換とコミュニケーション」を締めくくる最後にこう述べている。
「経済行為の中に(筆者注:政治行為の中にもなおいっそう)、こうした見なれぬ自分の姿をひき出す作用があるということを示す知的技術は、文化人類学特有のものであるかも知れない。
しかし、その技術は充分に開発されているとは必ずしも言い難い」
専門の学者たちにおいてそうなのだから、浅学非才な私の以上の検討が単なる憶断に過ぎないこともご容赦いただきたい。
物事の見方を意外な視角から揺さぶられることで、それぞれの経験に照らした独自の見方を見出して行く、そういうことの刺激なり切っ掛けにして戴ければ幸いです。
こんな今だから「文化人類学の視角」が役立つ(4)
http://cds190.exblog.jp/19388492/
につづく。