先人の過ちを知りながらそれを繰り返す日本人にだけはなるまい。 |
(facebookより)
戦後、今でもそうだが、日本の帝国主義が大陸進出に突き進み敗戦に向けて日本をめちゃくちゃにしたのは陸軍という官僚体制が暴走したせいだと言われてきた。しかし、226事件から敗戦まででも9年半という年月、そんな単純な経緯だけではありえない。
福島原発事故の後、小沢一郎氏絡みの検察の暴走もあって、どうやら当時も新聞ラジオや文部省や官憲が「空気全体主義」をじっくりと合作していったのだと思い当たった。
事故後1年を過ぎた今と照らすことで、お上や御用が合作した「空気」を読んで自らそれに馴染んでいった国民、自らの持ち場や役割において異論を唱えなかった国民一人一人の不作為が、けっきょくは「空気」の暴走に拍車を掛けたのだろうと分かってきた。
つまり、国民一人一人が加担者となり、最終的には自分とその家族が犠牲者となったのである。
こうした複雑な経緯をはしょって陸軍や国のせいにしてきたのは、日本人独特の「禊」という名の責任転嫁と言える。
それはまた「水に流す」=無かったことにする、という学習しないことを正当化する感性でもあるのだろう。
私は、先人の過ちを知りながらそれを繰り返す日本人にだけはなるまい。
どんなに浮いても私は先人の過ちを繰り返さないよう言動を自由にしていくつもりだ。