父への感謝と供養 |
(facebookより)
この一年ちょっと、父の最後を看取って、事後処理をあれこれしつつ理屈なしに実感したことが2つある。
1つは、人間、たとえ経済的にゆとりがあっても長く生きればいいというものではない。たとえ健康な人でも生きる張り合いや喜びがないと認知症になったり機嫌悪く周囲に当たったりするようになり、実は本人も自己嫌悪になってしまう。
いま1つは、飲み仲間とか同窓生とか群れる仲間ではなくて、何か同じ目的とか価値観において恊働したり励まし合う、そういう本当の意味での仲間が一人でもいると人間は幸福であるということ。
それは子供や孫の成長を共に見守る伴侶でもいいし、仕事や趣味や活動における信頼し合う協力者でもいい。そういう仲間がいる人は健康を害しようが命を落そうが、その直前までそうした生き方ができたことで幸せなのだと思う。
何も達成したい目的やゆるがせにできない価値観をもたない人は、健康と経済的なゆとりにばかりこだわる一方、それらがある人は、病床でも、ホームレスになっても実存的な幸福に浸ることができる。
私の父は、達成したい目的やゆるがせにできない価値観を大切にした人だったのだが、それを達成できなくなった晩年、不満を募らせたのだと思う。
私は、自分もそうならないように生きることが父の身を以て示してくれた教えであり、父への感謝と供養になると感じるようになった。