「変わる」ということ(私の場合) |
「変わる」ということについては、私は自分の性格ゆえだと思うが、特段の意志なしに常態にしてきた。
建築からディスプレイへ、会社員からフリーランスへ、空間メディアから商品開発や業態開発へ、開発コンセプトワークから知識創造へと好奇心を向ける分野とそれに関わる立場を変えてきたことは自他が認めている。
高齢の両親の老老介護が限界にきて、都心から伊豆に移転して介助優先の生活に入ったことも変化に違いない。
そして去年の3.11で、私なりにライフワークの目指す所を軌道修正し、3.11前後で明らかに日々言ってることと遣ってることも変化した。
昨年父が亡くなったが、いずれ母との同居もできなくなった時さらに変わるべく、今の身の上なりにじっくり準備を続けている。
今に始まったことではないが、周囲には「変わらない」人たちの方が多く、疎遠になっていく。彼らの場からすれば「浮く」存在になっていく。
しかしそれは「変わる」において当然のことだ。
少ないが、共に変わっていてむしろ縁が深くなる人もいるし、未来に向けた出会いもあるのだ。