日本の混迷と「家康志向」一辺倒化、そして「澱まず流れゆく世間」を求める「信長志向」(2) |
(1)
http://cds190.exblog.jp/15099021/
からのつづき。
日本の<世間>学、欧米の<社会>学
冒頭、さっきテレビでみた時事ネタから(2011年 07月 12日)。
あまりにも日本の<世間>と欧米の<社会>の好対照を示すニュースだったので。
いま話題の原発の「ストレステスト」。
日本では、電力会社に対して①経産省の原子力安全・保安院がチェックし②内閣府の原子力安全委員会がチェックする、というダブルチェック体制にするという。ここで、主導権があるのは保安院のため、②が①を改められるか疑問視されている。
一方、欧州では、ある国の電力会社に対して③EU加盟27カ国の規制機関でつくる欧州原子力 安全規制機関グループ(ENSREG)がチェック。②①のような当該国の検査機関ではない③のような国際機関がチェックするというダブルチェック体制にしている。
ここで明らかに違うのは、
日本がお手盛りになりかねない①②=<身内>によるチェック体制であるのに対して、
欧州は③=<余所様>によるチェック体制であることだ。
私の用語法で言えば、
日本のチェック体制が、集団を身内で固める「家康志向」であるのに対して、
欧州のチェック体制は、自由に活動する個々(各国)を適宜に集団に構成する「信長志向」に他ならない。
この違いはとても明快で象徴的だが、それに日本および日本人が無自覚的であることの根底には「集団や縄張りに関わる<情>」がある。
たとえば、原発が事故を起せばそれによる放射能汚染は近隣諸国に迷惑を及ぼす。
欧州が地続きなのに対して日本が島国であっても事情は同じだ。海洋汚染は各国で共有する漁場に広がるし海流によってハワイやアメリカ西海岸に至る。
では、日本政府が「ストレステスト」の体制として、アメリカだけでなく韓国、ロシア、中国、台湾の隣国諸国の合同検査機関にチェックを委ねると発想するだろうか。
私は個人的にはそう発想して当然と思うが、官僚や政治家には大きな反発が予測される。その根拠は何かと考えていくと、けっきょく「集団や縄張りに関わる<情>」にいきつく。<世間>とは人間の関係性だが、それに固執させるのは意識的ないし無意識的な「集団や縄張りに関わる<情>」である。
前項(1)で触れた、<世間>において「集団の一員として持つべき自己責任」も、この「集団や縄張りに関わる<情>」が持たせて果たさせる。
もし日本が欧州同様、近隣諸国による「ストレステスト体制」をとることになるとしたら「集団の一員として持つべき自己責任」を踏まえるのであって、それは日本人の前提する<世間>の一員にふさわしい「集団や縄張りに関わる<情>」がそうさせるしかない。
具体的には、日本の支配層である政官財報道の結束を主導する者たちの「集団や縄張りに関わる<感情>」が、世界という<世間>、極東エリアという<世間>、日米同盟という<世間>と折り合いを着けるのであればそうなる、折り合いを着けないのであればそうはならない。これは言うまでもなく、合理的か非合理かを問う合理主義の<知>を起点にする発想思考ではない。
以上のことは著者のこういう論述に直結する。
「日本人であれば、誰しも自分の『世間』をもち、『世間』に縛られている(筆者注:ネガティブな『世間』ばかりではないのだが、それに関してはそういう印象しかないだろう)。
また成文化されてはいないが、『世間のオキテ』は絶大な強制力をもっている。それはある種、権力的なチカラをもつ。
日本に住み、日本語をつかうかぎりにおいて、それからのがれることはできない。
だが、『世間』は、さまざまな問題群の根底に横たわっているにもかかわらず、日常生活を送る上ではほとんど意識されることはない」
ここでポイントは、
「世間のオキテ」が絶大な強制力をもつのは、「集団や縄張りに関わる<感情>」による
ということである。
それは必ずしも合理的か非合理かを問う合理主義の<知>を起点にしない。
オキテは理屈ではない。この集団に属しその縄張りで暮らすこの<世間>の一員である以上、守るべし従うべし、それだけである。だから、オキテを守らない者従わない者は<世間>の一員ではない、文句があるならこの<世間>から出て行けとなる。江戸時代以来の「村八分」と同じだ。
私は、日本国憲法は合理的か非合理かを問う合理主義の<知>であるが、日本人は必ずしもそれを起点にして発想思考してこなかったと思う。憲法の条文を変えないでも解釈によって解釈改憲ができる、という発想は、<知>起点の発想思考をする欧米人にはあり得ない。<情>起点の発想思考をする日本人だからしてきたし受け入れてもきたと思う。
つまり日本人とその<世間>にとって、日本国憲法はオキテではなかった、ということである。
では、日本の支配層である政官財報道の結束する<世間>では、いったい何がオキテだったのだろうか。あるいは何がオキテを創出し堅持させてきたのだろうか。それは、戦後日本が実際に辿った歴史を、常に一貫してある方向に導いた筈であり、その結果から推量するしかない。
東日本大震災による未曾有の被害、東電福島原発事故による放射能汚染の危機は、日本人をある種の限界的な心理状況に導いた。そのため日本の支配層である政官財報道の結束する<世間>を、一般庶民が日常生活を送る上で身近に意識することが頻繁化した。
特に原子力ムラという<世間>が行おうとしていることへの違和感が、一般庶民の暮らす<世間>との乖離を示している。さらには世界各国が形成する国際<社会>との乖離も露呈していて、そのことが報道されないことへの違和感も情報感度の高い市民たちは共有している。
たとえば識者は、日米原子力協定を破棄しなければ脱原発は出来ない、と明言している。
ちなみに日米原子力協定は、1955年に結ばれ、68年 に旧協定が結ばれ、88年に今の協定が結ばれた。注目すべきはほとんど報道されないことだが、協定締結を主導した初代原子力委員長、「原発の父」と呼ばれた正力松太郎元読売新聞社主がCIAと協力関係にあったことである。
(参照:「正力松太郎はなぜ日本に原発を持ち込んだのか」動画と解説文
有馬哲夫氏(早稲田大学社会科学部教授)2011年6月25日
http://www.videonews.com/marugeki-talk/532/)
著者は、
「『世間』とはかつて西欧にもあったが、いまでは西欧にはなく、
ことに先進工業国では日本にしかないような、人的関係のあり方である」
と解説し、
日本の<世間>の重要性を最初に指摘した歴史学者、故阿部謹也氏についてこう述べる。
「阿部さんは『世間』を定義して
『身内以外で、自分が仕事や趣味や出身地や出身校などを通して関わっている、互いに顔見知りの人間関係』(中略)といったり、
『個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている』ものだといっている」
そして著者自身の簡潔な定義をこう提示する。
「日本人が集団となったときに発生する力学」
「『世間』の本質は、人びとが生みだす集団の観念、つまり一種の共同幻想である」
私が提唱している、日本型の集団独創の2タイプ、
「家康志向」
(徳川幕府の支配パラダイムは、
共同体内部で身内同士で展開した
秩序維持型=知識記憶継承型の「祭り」である農耕儀礼を下敷きにした
「集団を前提として固定しておいて、その集団が独創する」知識創造体制
にあった)
「信長志向」
(信長が描いた支配パラダイムは、
新秩序導入型=新知識発見導入型の「祭り」である交易を下敷きにした
「個々の独創を放任しておいて、それを適宜に集団に組織する」知識創造体制
にあった)
も、対照的な集団観念のどちらを自分たちの共同幻想とするかということに他ならない。
そして私は、日本の歴史や戦後昭和の企業社会の動向を踏まえてざっくりとだが明快に、
日本人の集団主義とその<世間>には
集団を身内で固める「家康志向」
自由に活動する個々を適宜に集団に構成する「信長志向」
の2タイプがあり、
両者が両立して相互補完関係にある時、
それぞれの<世間>もまた両方あわせた日本人の<世間>の全体も共生的で創造的なものとなる
「家康志向」に一辺倒化すると、
集団や組織は硬直化し社会は膠着化する。
これを打開してきたのは常に一部有志による「信長志向」だった
と捉えている。
現代の日本社会で言えば、政官財報道の結束や原子力ムラは「家康志向」一辺倒化の権化であることは言うまでもない。
「世間学」の誕生と「世間」の解題
「阿部さんは二十年ほど前から、ドイツ中世史の研究のなかから、それと日本の現代社会との類似性に気づき、日本の『世間』の独自性と普遍性を『発見』した」
「阿部さんの『世間』論が衝撃的だったのは、日本には『世間』はあるが、社会など存在しないと主張したことである。(中略)
日本のほとんどの人文・社会科学は西欧からの輸入品であり、それは西欧の社会を前提としたものであったために、大多数の学者は、日本にも社会が存在し、自分もそのなかで生きていると信じていたからである。
じっさいには、日本の学者は社会に生きているのではなく、『世間』に生きている。しかし学問の上では、あたかも自分が社会に生きているかのように考えてきた。だからかれらの学問は空中楼閣のようなものである。阿部さんはそう批判したのだ」
(筆者注:
「家康志向」一辺倒化の権化である原子力ムラの御用学者が象徴的。
御用学者がテレビで言った事、そして触れなかった事を後に振り返れば、
その空中楼閣ぶりが明らかになろう。
東電は「チャイナシンドロームのようなメルトダウンは起きていない」と断言した。
その際、御用学者たちがこれを否定しなかったことは記憶しておくべきだろう。)
このことは、経営学や知識創造といった分野にもあてはまる。
学者ばかりではない。アメリカ「ではの守」と揶揄される経営陣が、経営政策について合理的な説明をするものの、実際に進めたのはポリティカルな意図や目論みでしかなかったことが多々ある。そうした事の本質は、決して株主への報告書や会社四季報や経済新聞には載るような明示知ではなく、オキテとその運用という暗黙知や身体知なのである。
日本の経営者は、外の<世間>に対しては、<社会>に生きている合理的な判断者を演じるが、実際は、何をもって合理的とするかの判断を内の<世間>でのポリティクスでしている。
象徴的な私の体験談としてはこういうことがあった。
80年代後半のバブル期からその崩壊を経た長引く平成不況の90年代にかけてアメリカの経営論に特段の変化があった訳ではない。しかし、日本の企業社会において一般的にどのようなアメリカ由来の経営論がもてはやされたかというと大きく変化した。
それは「アメリカ出羽守」たちが自分に都合のいいものを錦の御旗としたということに他ならない。
バブル期までは、企業家精神ということが盛んに言われ、その訳語のもとである「アントレプレナーシップ」の「アントレプレナー」のことをイコール「起業家」とする誤解が蔓延していた。本来は「企業家」のことだった。
「アントレプレナーシップ」は、個人や集団や組織が現状でコントロールしている経営資源に囚われることなく機会を追求するプロセスのことだった。正しい経営論者は、そういうプロセスを踏もうとするマインドを企業家精神と称して、全社員が職能や職場、地位肩書きに関わらず持って全社的観点に立って思考し行動すべし(当時、考動と称した)とした。
私も90年代初めから「コンセプト思考術」を企業研修するようになり同じことを提唱した。
「コンセプト思考術」は、送り手側のモノ提供(生産や販売)の論理のパラダイムに囚われている現状を、受け手側のコト実現(生活や人生)の論理のパラダイムの新機軸にパラダイム転換する発想を誘い深めるものである。だから、自分の職能や職場以外のプロダクトについても後者のパラダイムから俯瞰したり潜在ニーズを顕在化させることができる。受講者にはこれを2日コースの午後2回のグループ演習で会得し実践してもらった。これは、受け手である生活者や顧客のパラダイムから全社的観点に立つということであり、そこでの気づきは前述の正確な意味での企業家精神=「アントレプレナーシップ」のスキル化に繋がっていったのである。
ところが、平成不況が長引き本格化した90年代後半から様子が違ってきた。
いな、社内事情が大きく変わったのに、それを知らない外部者の私が同じ提唱を繰り返していたことが、受講者を送り出す職場の管理職からの不評を買うようになった。いわく「コンセプト思考術なんてやってると現場で使い物にならなくなるぞ」。職場はあくまで現状でコントロールしている経営資源だけを前提にしたノルマの達成だけに専念すべし、という空気になっていた。
国の省庁が政策的に進める産学協同や企業の代表同士が交渉して立ち上がるコラボレーションは、経営者が促して現場管理職も応じた。しかし、かつてのような社員有志によるボトムアップの異業種異業界との恊働による新機軸の摸索は敬遠されるようになった。かつてエズラ・ヴォーゲルがその著「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」で賞賛した社員が個人の資格で自由意志で集う「勉強会」、そこからそのような恊働案件が自然発生したものだがそれが、勝手に余計なことをするな言うな、という空気になってしまった。
「家康志向」の一辺倒化、「信長志向」の排除ということが、私自身の身の回りではこういう形で進展していった。
そもそも90年代初めに「外部ブレイン」として社内研修改革に乞われて主要講座を担った私だったが、00年代後半には、何で社外の下請け研修講師に偉そうなことを言われなければならないのだ、という赤ら様な姿勢を示す受講者も現われるようになった。
私は「コンセプト思考術」講座一本しか依頼に応じていないし2日コースの内容も主旨もなんら変わっていない。変わったのは経営と社員が「家康志向」に一辺倒化したこと、「信長志向」を排除するようになったことだった。外部ブレインの活用自体が「信長志向」なのだから、私の講座が疎まれたというより私の存在が疎まれるようになったというべきだろう。
90年代初めに研修講師を依頼された時には、全社最適を配慮する企業家であれ、と研修で教えることを要請された。
しかしそれは徐々に経営と社員にとって<建前>になっていき、現業の実際は事業部門分断経営で縄張り意識と相互不干渉を暗黙の了解とするのが<本音>になっていった。
こうした日本人の<本音>と<建前>の乖離は、日本人の<世間>の<内と外>とも密接に関わっている。
かつての<本音>が解消して<建前>となりさらには<建前>でもなくなっていく過程を私は事が展開した後から知ることになった。そのような間抜けな事態になったのは、そもそも研修講師などしたことのなかった私を抜擢した研修責任者に代表される、「信長志向」のキーマン・ミドルたちが一掃されたりその社内外の横断的活動が制限されるようになったためである。
アントレプレナーシップのスキル化において「パラダイム転換」ということが鍵になる。
それは言うはシンプルだが行うはとても難解である。既存パラダイムの基準では新しいパラダイムは認められない。パラダイムが異なれば価値基準や訴求点が全く違うからだ。しかしだからと言って、既存のパラダイムと同じ基準に訴えてしまうと、パラダイムを変えることができなくなってしまう。そこで重要になってくるのが「翻訳」でありそれをする「翻訳者」である。
新しいパラダイムを、古いパラダイムの基準上でも「あたかも」適合するかのように「翻訳」することが大切なのである。そして「翻訳」に適した人というのは旧パラダイムの中にいる。その翻訳に適した「翻訳者」が「信長志向」のキーマン・ミドルだった。私のような外部ブレインはその筋立てを協力するが、そもそも既存パラダイムの内部事情を知らない。重要な暗黙知や身体知が皆無である。内部者のキーマン・ミドルは「翻訳」をどうするかだけでなく、誰に何をどんなタイミングで話していけば誰と誰が連携するようになるというネットワーキングができたから、パラダイム転換という青図を絵に描いた餅に終わらせることなく具現化できたのである。
思うに、「ネットワーキング」「ネットワーカー」というカタカナ英語は日本人の実体に相応しくない。
社内外の様々な<世間>と<世間>を繋いだり重ねたりして新たな<世間>を形成する「<世間>形成」「<世間>形成者」と本来は称するべきだ。
私のような外部ブレインは、企業外部の「<世間>形成者」であり、クライアント企業にトップ自身なりキーマン・ミドルなりの企業内部の「<世間>形成者」がいなければ、文字通り二階に上げられて梯子をとられた者になってしまうか、そもそも二階に上げてもらうことすらできない。
「社会という言葉も個人という言葉も、江戸時代には存在しなかった。
社会という言葉は1877年(明治10年)ごろ、societyという西欧語を翻訳してつくられた。社会の構成員である個人もまた、1884年(明治17年)ごろindividualを翻訳してつくられた造語である。
問題なのは、これらが人的関係を示す言葉であるために、それまでそれにあたる日本語がなく、あえて造語したのだが、言葉は輸入したものの、その実体である人間的関係まで輸入することができなかったことである」
日本には、社会という言葉に比肩しうるものとして「おほやけ=公」という言葉があった。
これについては「日本人にとって『信長志向』とは何か、そしてその現代的再生の可能性(4)」 の冒頭で触れているので参照してほしい。
また、「社会形成力としての「武士性」を求めて(3) 」では、以下のことを確認している。
今後の検討に基礎知識として役立てたい。
◯近代以前の「非経済的または非交換的」な贈与体制
それが近代以後の日本の企業社会(筆者注:「日本型経営」を含む)においても存在してきた
◯societyは<social>によってはじめて存在可能になる。
それなしには社会が社会になりえない何か、それが<social>である
<social>は、他のすべての社会関係が関係として可能になる社会形成力または「社会の絆」なのである
その内容は、抽象的な用語で一括するならば、相互扶助につきる
加えて、これに密着している情緒的雰囲気をともなう「心性と態度」(筆者注:情緒性をともなった身体感覚)をも考慮しなくてはならない
◯<social>は、支配と従属の関係から成り立つ「社会」にくらべて「弱い」相互行為であった
「弱い」というのは、それが社会現象の中心にはならないという意味である
たとえ「弱い」働きしかなくても、それは少なくとも人と人を結びつけ、単なる「群れ」を人間的集団に切り替える
これによって集団の基礎が形成される
社会形成力としての<social>なしには、社会的秩序はたちゆかなかったのである
◯これまでの用語の内容を吟味すると、二つの意味の層を取り出せる
すなわち、
利益を中心とする相互行為(「社会」ターム)(交換の相互行為)
と
相互扶助を中心とする相互行為(「ソシアル」ターム)(贈与の相互行為)
の二つである
問題は、これらが、それぞれ単独に別々に働くのではなく、相互に深部にまでしみとおり、結びあっている事態である
本書の著者と阿部謹也氏たち「世間学」会では、日本に<社会>はなく<世間>しかない、という言い方をしているが、制度としての<社会>があり機能している以上、
「<社会>と<世間>が単独に別々に働くのではなく、相互に深部にまでしみとおり、結び合っている」事態として、私は日本人にとっての現実を捉えたい。
そして、<世間>には「ソシアル=贈与の相互行為」がオキテとして組み込まれている、ということに着目したい。
つまり、<社会>も「ソシアル=贈与の相互行為」を内包していることから<世間>は普遍性が認められる一方、<世間>が「ソシアル=贈与の相互行為」をオキテとしていて、「交換の相互行為」をルール化している<社会>とは異質であることから<世間>は独自性が認められる。
「『世間』は万葉から千年くらいの歴史がある。
日本は明治以降の『近代化』のなかで、表面上はたとえば契約関係などの、近代的な関係のなかで世の中が動いているようにみえるが、その裏側で本当に機能しているのは、『義理・人情』であったりする」
日本の「近代化」は、意識的あるいは無意識的に江戸時代に蓄積された知的素養を土台としている。よって、著者の指摘する「義理・人情」は、江戸時代に日本人の血肉となった「家康志向」の義理人情である。
私は、日本人には信長が総括しかけた中世まで盛んだった「信長志向」の義理人情もあり、現在もある領域なりある会社では脈々と活性していることに注目している。
農本主義と定住民を前提とする「家康志向」の義理人情は、内向き、閉鎖的、排他的な縄張り意識や保身意識に直結しがちである。
一方、交易主義と転住民を重視する「信長志向」の義理人情は、外向き、開放的、恊働的な自由な空間意識と仕事観・人生観に直結する。
「歴史的にみると、『世間』は約800年前(筆者注=平安末)にはヨーロッパにも存在していた。(中略)
例えば社会学者のM・モースは、日本の『世間』にあるような『贈与・互酬の関係』が、古い時代には世界のあちこちにあったといっている。
ところが十一、二世紀になって、ヨーロッパにおいてはこれらの慣行が、キリスト教の全面的支配によって完全に否定され、これに都市化が加わって、新たな社会という人的関係が生みだされた。
『世間』が否定され、社会が成立するにあたって重要な役割を果たしたのが、キリスト教会の『告解』という制度である。
神に内面を告白することを通じて、個人が形成される。この個人が社会をつくってゆくのである。
したがってヨーロッパでは、個人も社会も約800年ぐらいの歴史がある。日本では、個人も社会も約120、130年ぐらいの歴史があるが、それは言葉だけの歴史であった」
<世間>を構成する4つの原理
著者は、<世間>を構成する4つの原理をあげ、それらは現在の西欧社会でもあるが、すべて備えるのはおそらく日本だけという。
「『世間』を構成する原理で一番大事なのが、『贈与・互酬の関係』である。
もっともわかりやすいのは、毎年のお中元、お歳暮であろう。(中略)これは贈答行為によって、人間関係を円滑にすることを意味している。
とはいえ、そこで大事なことは、この贈答が個人にたいして贈られているようにみえながら、じつはその人間の『世間』における『地位』や『身分』にたいして贈られている、ということである。だからこれは、純粋に個人と個人との関係の贈答行為であるとはいえない。(中略)
西欧ではこの『贈与・互酬の関係』は、(中略)キリスト教会によって完全に否定された。これは現在の西欧社会の関係が、基本的には契約関係に代表されるような法的関係であることにたいして、きわめて対照的である」
「つぎに大事な『世間』の構成原理が、『目上・目下の関係』である。
阿部さんはこれを『長幼の序』という。(中略)
『世間』では先輩・後輩など目上・目下の関係が重視される。学校でも戦場でも、先輩・後輩関係は絶対である。問題なのは、これが一種の『身分』になっていて、『世間』を重層的におおっていることなのだ。この『身分』というのは、『世間』のなかでの、その人間の『地位』のことである」
周知のように日本語の人称遣いは、この「目上・目下の関係」についての判断を含んでいる。
また、お笑いのようなエンターテイメントも、天才漫才師が一世を風靡したような時代は遠い昔で、バブル期の軍団化やファミリー化、バブル崩壊後のマルチタレント化とマルチエンターテイナー化を経て、今日ではお笑い芸人たちが所属事務所やコンビに関係なく勢揃いする雛壇芸人集団化という最終形に至っている。
これは、芸人たちの<世間>を面白おかしく再現して視聴者に見せて、その<世間>という共同幻想を強化していることに他ならない。雛壇芸人が勢揃いする番組ではスタジオ観覧者も相対していて、視聴者の代表である彼らを通じて、芸人たちの<世間>は視聴者の共同幻想にまで拡張されている。
そこでは先輩後輩という長幼の序の基準があるのだが、それは養成所入所時期によるのであって、年齢でもなければ初舞台時期=正確な意味での芸歴ですらない究極の身内話である。このような身内話は、かつての楽屋話よりももっとプライベートな生活譚でもあるのだが、スタジオ観覧者も訳知り顔でちゃんとついていって笑っている。
こうしたお笑い芸人の<世間>の拡張は、著者の指摘するバブル崩壊以降の「暴走する世間」と同期している。
「『世間』では、『目上・目下の関係』が重層的につらぬかれており、その頂点にいるのが、いうまでもなく天皇家である。(中略)とすれば、その逆の側には、もっとも差別されている人びと、たとえば非差別部落の問題が存在する」
現在のお笑い芸人たちが自分たちの<世間>を再現することで、強化している共同幻想は、「KY=空気の読めない奴」が目下と看做されるというオキテではなかろうか。
このオキテを破る者をバカにして笑う、という話題が繰り返されている。
「つぎの『世間』の構成原理は、『共通の時間意識』である。
『共通の時間意識』とは(中略)、西欧社会においては『個人の時間意識』があるのにたいして、『世間』では『みんな共に生きている』という、同じ時間が流れていると信じられている、ということである」
私は、現代日本ではテレビが共同幻想の<世間>とオキテを国民に発信して再生産しつづけることで強化学習させている、と考えている。
「強化学習」とは、試行錯誤を通じて環境に適応する学習制御の枠組である。教師付きの学習とは異なり、正しい行動を教えられるのではなく、取った行動を評価することで学習を行う。評価は報酬でもある。テレビから私たちが得る報酬はとても多彩だが視聴が習慣化した人々にはそれが報酬だという自覚はない。
早朝の民放各局のニュース番組は、美人アナウンサーたちがまるで家族のように視聴者におはようと言い、いってらっしゃいと送り出してくれる。そしてその日の運勢まで占ってくれるのだ。
これは正しい行動に対する評価=報酬と捉えることができる。美人アナがおはようと挨拶するのも、色っぽいお天気お姉さんが微笑むのも万国共通だが、家族のようにいってらっしゃいと送り出してくれるのは日本くらいではないか。
またNHKの朝ドラの主人公に気分的に一体化する視聴者が拡大したり、登場人物への感情移入が激しくなる傾向が激しくなり、続く番組でその傾向を助長する会話がレギュラー出演者によって意図的に繰り返されるようにもなってきた。
深夜、放送終了するNHKは国歌をバックに国旗をはためかせる。
大晦日には「紅白歌合戦」をして、民放は各局共同で「ゆく年くる年」で新年を迎える。
著者の観点に立つと、大切なのはカウントダウンして新年を迎えることではなく、テレビの中の<世間>とリアルな<世間>が同期・同化して新年を迎える「場」にみんなで居合わせることだということがよく分かる。
この「場」に居合わせることの重要性を示す象徴的な展開は日本の企業社会でもよく見掛ける。
遅刻ぎりぎりで職場のついた社員が最初にすることがゆっくりお茶を飲んで同僚と世間話をすることだったり、しなくてもいい残業を同僚よりも先に帰りにくいという理由でしたり、といったことである。
「西欧においては、プレゼントをもらっても、それはその場限りのことであって、『サンキュー』といえばそれでおしまいである。『世間』においては、これがだらだらと続く。私はこれを、『親切---義理---返礼』の連鎖とよんでいる。この連鎖は、『贈与・互酬の関係』のなかで、どちらかが死なないかぎり、一生続くことが多い」
「共通の時間意識」とは、「親切---義理---返礼」の連鎖をオキテとする時間についての意識と言える。
そして、「個人の時間意識」を優先してこの連鎖を断つ者は、「共通の時間意識」を拒むオキテ破りとして排除される。
ちなみに私は東京は代々木、新宿と原宿に挟まれた都心部で四半世紀暮らした。
好んで通った小さなロックバーがあった。その店主の奥さんが亡くなった時、その知らせと葬式の予定が常連から知らされた。その常連も私も奥さんとは面識がなかった。私は伊豆の実家に帰ることを理由にして行けないと言ったのだが、けっきょく台風で実家帰りは一日先延ばしなりそれでも行かなかった。すると私は「人でなし」になってしまった。ある常連は、自分も行きたくなかったのに行って香典を払った、と怒っていた。それは私に怒ることではないと思ったが、<世間>とはそういうネガティブな柵を確かに含んでいる。都会人もロックンロールも何もあったものではない。日本人には何より<世間>とそのオキテなのである。私はそのロックバーから足が遠のいた。
しかし東京はまだいい。その店に行かなくても他に行く店が近所にたくさんある。家の近所でさえも今日会った人に明日会わないで済むのが東京だ。しかし、日本のほとんどを占める地方の地元はそうはいかない。
私は、そういう非生産的かつ非創造的な人間関係を嫌い、可能な限りネガティブな<世間>に関わらないできた。すると類は類を呼ぶのだろう。自分が会社員であってもフリーランスであっても常に一人の人間としての言動を大切にしていると、自然と同じタイプの相手に恵まれるようになった。そしてその自由で快活な交流や恊働は楽しく有意義で創造的なものになる。それはお互いに希少価値あるものだから、お互いの社会的な立場がどう変わっても自然体で続いていく。
同じ日本人の<世間>なのに、どうしてこんなにも違うのだろうか。
それは、
集団を身内で固める「家康志向」の<世間>と、
自由に活動する個人を適宜に集団に構成する「信長志向」の<世間>があり、
両者では集う目的もルールも人間関係もまったく異なるということなのである。
著者は、あくまでネガティブな<世間>、「家康志向」の<世間>のしがらみを問題視する。
それは正しい。
だが、ポジティブなもう一つの<世間>、「信長志向」の<世間>もある。私自身はその楽しさと創造性を経験してたから、ネガティブな<世間>に没入したり呪縛されることのバカバカしさがよく分かる。
「この『共通の時間意識』があるために、『世間』では『個人の時間意識』は圧殺される。
『出る釘は打たれる』ということわざが、このことを示している。これは『世間』のなかでは、個人が存在しないということである」
思えば私が経験した、自由に活動する個人を適宜に集団に構成する「信長志向」の<世間>は、「出る釘」ばかりが集められたり、「叩かれない」場を求めて集まったりした<世間>だった。
会社や大学、業界や学界を「公界」とすれば、それは「無縁」と言えよう。
公的な支配管理の及ぶ「公界」の<世間>もあれば、及ばない無主の「無縁」の<世間>も実際あるし、しがらみから自他を解き放てば容易に形成することもできる。
「公界」の<世間>における「共通の時間意識」が、
定住社会と定住民を前提とし、同じ時間を共有する空間を<内>とする
のに対して、
「無縁」の<世間>における「共通の時間意識」は、
転住社会と転住民を前提とし、転住性ゆえに<内>と<外>の観念はないか希薄になる。
(言葉の概念規定をしておこう。
「定住民」とは、地縁血縁に根ざした家督と家職を子々孫々に継承して定住する者を典型とし、定住民同士で「定住社会」を形成する。
「移動民」とは、たとえば家族を本拠の港に定住させて遠洋漁業する漁師や、定住社会の流通拠点同士を行き来して海運する船乗りを典型とし、定住社会を補完する「移動社会」を形成する。
「転住民」とは、長期ないし短期の一過性の定住を繰り返し、知縁志縁に根ざした職能を時代のニーズや本人のそれへの対応において展開して転住する者を典型とし、転住民同士で「転住社会」を形成する。具体的には居城を移して家臣家族ともども転住して上洛した織田信長の転戦集団、国内外の事業拠点を転勤する転勤族とその家族、地方から上京して就学ないし就職した者同士が結婚して生まれた家族、海外に留学ないし就職して海外暮らしをするようになった者とその家族などである。
このような言葉遣いをするのは、古今東西の人間の営みを論じるにおいて一貫した概念規定を求めたゆえである。)
「転住民」は、定住民を支配するケースを含めて定住民と対峙して、恒久的に地域に密着した定住民よりも不安定な存在である。転住民の支配層の場合、その縄張りは転戦によって拡大もすれば喪失もする。また、縄張りの拡張や維持のためには身内の身分を度外視する下克上や他所者との結託もありうる。
定住地の拠点をもたないで、定住社会間の反復移動のルーティンなどしない海賊のような存在は、海賊船を住処とする「転住民」と解釈できる。海賊船は、必要不可欠の最低人員が適材適所で実力を発揮することで成立する。不要な者はイコール足手まといとなるから仲間になれず、仲間は一人欠けても大変なことになる。集団の構成員にとっても海洋上の海賊船からの離脱は文字通り死を意味する。海賊船の乗組員はシビアな運命共同体である。
戦国時代の転戦者にとっての「転戦拠点」は、この海賊船のような位置づけにあった。
また同時代の堺商人たちの自由都市や寺社勢力の境内都市などの「自治拠点」も、彼らの生業を成立させる上で同様の海賊船的な「転戦拠点」であったと考えられる。
ところが、江戸時代の幕藩体制において転住が規制されてもっぱら定住民の定住社会となった。
その延長にある今の日本人は運命共同体と言えばイコール、ムラのような定住社会と捉え、ムラ八分などでその一員でなくなると生きていけないと決めつけるようになっている。
しかし、定住社会の運命共同体化は、転住社会の運命共同体化よりも散漫であり排除や離脱が死に直結する訳ではない。むしろ「逃散」がムラの柵に暮らしては生きていいけないためにすることだった。
大航海時代の遠隔地航海船(「転戦拠点」として自律した貿易船や海賊船)では、キャプテンは他の乗組員より地位が上だが、船員同士は身分差がなく待遇報酬が同じだった。キャプテンの報酬も他船員の2倍とさほど高くない。つまり両者の関係は身分の上下ではなく、あくまで命令指揮系統でしかない。総合的な知識と判断力と指導力がある者が職能としてのキャプテンになっているだけなのだ。文字通りの運命共同体のためにはそのような規範が不可欠だった。
このような規範は、倭冦や日本の海上交易民においても原理的には同じだったと考えられる。
当然、村の長や村役人のような「家」としての家職や家督の世襲があったり、<目上><目下>の序列と儀礼が「長幼の序」によって厳格に細分化されるなどあり得なかった。
さて、私がフリーランスの外部ブレインとして経験したプロジェクトやコラボレーションは、遠隔地航海船の集団と同じだった。
誰がやっても同じような仕事であれば、ちょうど村人回り持ちの共同作業ですればいいし、それは身内としてのまとまり、長幼の序にしたがった調和が作業成果を安定させる。
しかし、誰も考えつかないような際立った成果を求めて異才を集合させた集団であれば、ちょうど遠隔地航海船で新航路を発見する冒険のように、際立った個性たちが互いを尊重し活かし合う化学反応こそが成果を最大化する。
「外部ブレイン」の仕事とは企業をクライアントとするものだが、クライアントが自分でもできることを社外になるべく安くやらせたい単なる「下請け仕事」とは本質的に異なる。
単なる「下請け」は「家康志向」の<世間>の一員である。
一方、クライアントが自分たちにはない考え方ややり方を求める「外部ブレイン」は、対等パートナーであり「信長志向」の<世間>の一員として位置づけられる。
そして、後者の自由を常態としてさまざまなクライアントのさまざまな業界案件を転戦する「外部ブレイン」たちにとって、プロジェクトや契約した地位役割は一過的な「転戦拠点」として位置づけられる。
そしてそんなフリーランスの多彩な「外部ブレイン」たちが、バブル期までは東京を筆頭に全国の都市部にたくさんいてそれぞれに偶有性の海に漕ぎ出して多様な活動をしていたのである。
もちろん今日でも、大手企業のトップが対等パートナーとして著名なカリスマ的な「外部ブレイン」を活用した成功譚をテレビで見聞きする。
しかしバブル期までは、社会的には無名だがその筋の業界では名の知れたフリーランスの「外部ブレイン」たちがいて、企業の「<世間>形成者」のキーマン・ミドルたちが集まる「勉強会」を通じて彼らとの恊働に至りその成果が口伝手に拡散して業容を広げていった。そんな展開がどの業界のどの会社でも、東京でも地方でもあったのである。
さらにバブル期には、中央省庁も広告代理店や外郭団体を通じて無名のフリーランスの「外部ブレイン」たちを動員して活用していた。
どうしてかつてはそのような状況が成立していたのか。
それは、経営や現場において、著者の指摘するこういう認識があったためと考えられる。
「この『共通の時間意識』は、『世間』の内部では通用するが、『世間』の外部ではまったく通用しない。そのために『世間』では、ウチとソトを厳しく区別する」
バブル期までの一般的な企業の様相においても、「ウチとソトを厳しく区別」はあった。
しかしそれは、「ウチに凝り固まりソトを排除するという差別」ではなかった。
ウチにはウチの好悪得失があり、ソトにはソトの好悪得失がある。
すべてをウチの身内だけでやる「家康志向」に一辺倒化せずに、
案件によっては自分たちではできない考え方ややり方を敢えてするべく、社内外の自由に活動する個人を適宜に集団に構成して独創する「信長志向」を合わせ技した。
クライアント側にも、経営トップなり事業部門のキーマンなり、ウチとソトを繋ぐ合わせ技を得意とする「<世間>形成者」がいてプロジェクト責任者になった。そういう人材が社内でも頼りにされて出世した。
そして、彼らと外部ブレインたちは、自分たちならではの「共通の時間意識」を共有していた。
「公界」の昼に対して「無縁」の夜というニュアンスも濃厚だったが、それ以上の「共通の時間意識」として、「公界」の時間は農作業の時間のように均質に流れるのに対して、「無縁」の時間は突発的だったりケツカッチンで濃密だったり変容して流れた。
それは、急な下請け仕事の依頼で無理を言われる、といった話ではない。
私の場合を話せばこういうことだ。
広告代理店がお得意から重要な課題を出され自分たちで対応していた。しかし期限が迫ってもお得意を納得させるような成果が出てこない。お得意を担当する営業部門の長が判断する。ここは外部ブレインにやらせよう。私どもに発注が来るのは期限の1週間前なら御の字で2〜3日前ということがざらだった。
広告代理店とそのお得意は「公界」の時間にその営みをしていて、私どもフリーランスの外部ブレインは「無縁」の時間にその営みをしていた。
そこは権威的な大学教授の外部ブレインと大きく違うところだ。彼らは「公界」の時間にその営みをしていて、基本的には専門の知識領域に留まる定住性を示す。一方、フリーランスの外部ブレインは、課題の解決をどのような知識領域の組み合わせでするかから発想し、複数の知識領域を横断的に連携したり飛躍したりする転住性を示す。
こうした「信長志向」の<世間>では、タンジュンにクライアントの正社員は偉くて派遣や嘱託や外部協力者といった非正規社員は格下であるという「身分」感覚は無縁で、むしろそれとは真逆の生身の人間同士の対等で開放的な公正さがあった。
しかし「家康志向」一辺倒化した<世間>しか知らない今の若い世代には想像できないかも知れない。
私が関わったものがすべて成功した訳ではないが、象徴的な成功譚を一つ上げておこう。
東京都が大井競馬場周辺の再開発を構想していたが、議会で、競馬場が儲かっても公営ギャンブル批判が起こるし赤字になれば税金の無駄遣いだといい、八方ふさがりになっていた。そこを納得させる構想骨子が必要だった。広告代理店から私に依頼の電話が来たのは締め切り一週間前だったと思う。翌日曜の朝、私は代理店の新入社員と連れ立って競馬場に行き生まれて初めて競馬をした。それから構想を練って、構想主旨から始まって地域再開発のゾーニング解説で終わるレポートを作成して締め切りまでに提出した。競馬の利益を環境緑化のための基金にする、それを可視化する地域再開発というコンセプトだった。
今ならばよくあるコンセプトだが、それまでは都の職員と代理店のプランナーのプロジェクトで出てこなかった発想で、都の幹部は代理店にプレゼンされて、これだ!と叫んだという。
こうした身内内部で切羽詰まった案件で「外部ブレイン」として貢献したケースの他に、身内内部がやる気になっていた事業について腑に落ちないものを感じた経営トップやキーマン・ミドルが相談してきて、「外部ブレイン」として理由を明らかにやるべきではないと説得、代替事業構想の作成を急きょ依頼されて作成提出する、それで当初の事業構想が解消されて数年後、本当にやらなくて良かったという結果になって貢献が認められたケースもあった。
このような劇的な取り引きは、関係者との独特の信頼関係を形成する。
それは単なる「交換=ビジネスの関係」ではない。
それとは次元を異にする「贈与・互酬の関係」である。
しかし歳暮中元といった形式的な儀礼でつなぎ止め合う必要のない関係であることは蛇足であろう。
「最期の『世間』の構成原理は、『呪術性』である。
日本にはたくさんの俗信や迷信のたぐいがある。(中略)しきたりは、『世間』を生きる上で守らなければならない『世間のオキテ』である。
しかも『呪術性』という点において、『世間』を構成しているのは、人間ばかりではない。(中略)森羅万象、動植物やモノのたぐいまで含まれる。つまり、『世間』ではありとあらゆるものに『神』が宿っているのだ」
「では現在の西欧社会には、このような俗信や迷信のたぐいはないのか。ないことはない。しかし、あってもそのほとんどはキリスト教がらみのものであって、日本のお地蔵さんやお稲荷さんみたいな信仰は、800年ほど前に一掃された」
私は、キリスト教とは関係ない儀礼に注目する。
それをしないと縁起が悪いというしきたりだ。
たとえば、進水式でシャンパンなどのボトルが船体に叩きつけられるといったことが今でも行われている。日本人が日本製の船でもしているのは、それに共感する心性が普遍的だからではないか。
どこか、酒樽を小槌で割る儀式に通じるものがある。
日本人は外来のものも新来のものもなんでもかんでも進んで取り入れる「呪術性」オタクではないかと思う。
クリスマスにはキリスト教徒でもないのに神妙な気持ちになり、その呪術性をデートに役立てる。
ミサンガという訳のわからない紐がはやれば、半分ファッション感覚でしちゃったりする。
そう考えると、著者の言う通り、日本人は「呪術性」に満ち満ちた<世間>を形成していると言える。
つまり、進水式も、信仰の対象への参拝も、占いも霊感商法も日本人に限ったことではないのだが、まるで「呪術性」が欠落する時空の隙間を嫌うかのように、時空を「呪術性」で隙あらば埋めようとする強迫観念のようなものがあるとすれば、それは日本人の独自性である。
ただし、その根っこは人類が原初の部族人として共通していた<部族人的な心性>であり、現代でも人類普遍に深層意識において共有している。
時空を「呪術性」で満たすことは、当然、共同幻想とそれが展開する「共通の時間意識」を強化させる。
そして、さらに「目上・目下の関係」や「贈与・互酬の関係」を秩序立てる。
著者は、一番の「目上」に天皇がいると述べたが、じつは天皇というシャーマンを媒介にして、私たち日本人は「八百万の神」に対峙している。それは空間の全体に存在し、時間の始まりからずっと一年の四季において循環し続けている。
よって、時空を「呪術性」で満たすことは、この自然の神的な存在と現象を共同幻想として提示しつづけることに他ならない。
一番の「目上」は神である自然であり、これと人間との「贈与・互酬の関係」が、人間同士の「贈与・互酬の関係」の発端なり前提なり受け皿になっている。
私たちは、
集団を身内で固定する「家康志向」の<世間>において、
<上>と<下>、<内>と<外>を概念形成する「呪術性」を多用して、
たとえば全体主義下の国家神道のように、身内の偏狭なエゴのしがらみまでを秩序立てて正当化してそれに囚われることもできる。
一方、
自由に活動している個人を適宜に集団に構成するを繰り返す「信長志向」の<世間>において、
<上><下>、<内><外>の身分差別を最小限化する「呪術性」を多用して、
広大無辺の移ろう自然への畏怖や感謝を共にして冒険・探索という偶有性の海に船を漕ぎ出す安全を祈願することもできる。
こうした対比は、現代の高度に管理化された社会においても可能である。
タンジュンに、
ともに管理されることを前提とする仲間は前者、
ともに管理から逸脱することを前提とする仲間は後者である。
組織という機械の部品になり確定性の構成要素になることもできるし、
個人が織り成す偶有性に身を委ねて、一人の人間として仲間とともに実存的な物語の登場人物になることもできる。
(3:間章)
http://cds190.exblog.jp/24409535/
へつづく。