バブル期の全否定の反省 |
(バブル期の全否定の反省1)バブル期は批判ばかりされるが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界から評されたピークであり、それにはそれなりの根拠あった。崩壊後の平成不況で「日本型経営」や「集団主義」が全否定されたことは今反省されている。独自の良い面もありそれを現代化すべきだった。
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(バブル期の全否定の反省2)よく人の個性はカネの稼ぎ方よりもカネの使い方に現れるという。バブル期の日本もそうで、確かにロックフェラー・センターやゴッホの絵を買ったようなイケイケドンドンは日本企業の軽薄さだ。しかし一般的な稼ぎ方「日本型経営」の良い面が頂点に達したことも記憶すべき。
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(バブル期の全否定の反省3)具体的には、あまねく企業に投資資金が溢れたために単なる差別化の改善では横並びとなってしまい革新が求められ、革新のためには一般的なモノ割り縦割りの枠組みを横断連携したり、送り手側価値観にたつモノだけでなく受け手側価値観にたつコトも重視されるようになった。
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(バブル期の全否定の反省4)よくバブル期は好況が「衣食足りて礼節を知る」的に人々を善導したと言われる。確かに全体としてそうだったが、それを裾野とした頂上の様々な領域のフロントランナーたちは世のため人のための理想主義、どうせやるなら面白いことをやろうという冒険主義を展開して一般化。
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(バブル期の全否定の反省5)バブル期までの学生は、クルマが好きだからトヨタやホンダに、オーディオが好きだからパイオニアに就職を希望した。それが就職氷河期以降、一部上場の大企業に就職を希望しトヨタ、パナソニック、電通などなどと狙うようになった。また、バブル期までは終身雇用が堅固で、
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(バブル期の全否定の反省6)弊害も指摘されるが、中途入社の社員つまりは自主的な雇用流動性はバブル期の方が高い(就職氷河期以降は生え抜きがしがみつきリストラされる消極的な雇用流動性が低く推移)。長期的冒険となる革新に会社が社員を挑戦させたし、転職や起業して挑戦し続ける者も多かった。
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(バブル期の全否定の反省7)以上述べてきたようなことは、けっして好況ゆえのことではなく、いくつかの要因や経過が絡み合って現象。日本型の集団独創の2タイプ、集団を身内で固定する「家康志向」と、自由に活動している個人で集団を構成する「信長志向」の合わせ技が調和的に、企業で役所で展開。
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(バブル期の全否定の反省8)好況の「衣食たりて礼節を知る」により人々が競走ばかりでなく共生を、利己ばかりでなく利他を追求できたことは否定できない。そして、日本人の集団志向が深層に有史以前からの「部族人的な心性」を温存してきたことに着目すると、「家康志向」の主従縄張り重視と対峙して、
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(バブル期の全否定の反省9)自由に活動する個人が集団を構成する「信長志向」には、そもそも人類が移動民として出発していること、やがて定住してもその社会は来訪者ないし来訪神を歓迎し、沈黙貿易やポトラッチなど異界との交易を求めそれにより活性化したこと等に関わる重要性があると考えられる。
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(バブル期の全否定の反省10)脳科学的には、集団を身内で固定する「家康志向」は「安全基地」を確保する本能に関わり、自由に活動する個人で集団を構成する「信長志向」は「探索」に向かう本能に関わる。本来、人間も集団も両志向の合わせ技をするのが理想状態。バブル期は日本人全体がその状態に。