父の要介護状態の急変についての備忘録(1) |
備忘録に記入しておいていずれ書面化することにしました。
<要旨>
父(95)はもはやまだらボケ状態で体力も弱っていたが、これまで自宅で母の介助で食事をし歩行もしていた。
母が夜寝た後、私の介助でトイレに行ったりオムツを替える際には、私の支えなく自立して自分で歩行し、オムツ替えのための身体の動きを指示するとそれに従って身体全体を動かしていた。
ところがはーとふるに入院中のある時点から、家族や看護婦さんの介助で、口に入れた食べ物を噛もうとしなかったり、噛む必要がないものも飲み込もうとしなくなった。
そこで点滴で栄養補給をしているが、この状態だと退院して自宅で生活できない。
(さらに、母の目の手術を熱海でして4泊5日入院する計画があり、この時に父をショートステイに入れる予定がある。
たまたま伊東の眼科医がはあとふるの母の糖尿の掛かり付け医師からもらう情報が送られてこないために遅延している。今回の父の急きょの入院と入院中の急変に母の手術予定が重ならなくて済んだので結果オーライなのだが、点滴を外せなければ父をショートステイに受け入れてもらえない。
入院理由の症状は解消したが急変により長引く父の入院との兼ね合いで、母の目の手術入院の予定が組めるかどうか、関係各位に相談する予定。)
<これまでの経過>
1/11火曜
父が週2で通うデイセンター(はばクリニック)より、「掛かり付けの医者に一度診てもらってくれ」と言われる。
1/12水曜
はあとふる(中村先生)に診てもらうと、「肺に水がたまっていて酸素の吸収が悪くなっている」「心臓が弱っていて心拍数が落ちている」と診断される。
母の意向をきいて先生とご相談の上、急きょ入院して前者の治療をすることになった。
この後、朝食を私が、夕食を母が介助することに。
父の食は進まなかったが半分は食べていた。
1/19水曜
朝食前の病室で、中村先生から、「肺の水はとれて酸素の吸収も回復した」「金曜の検査結果次第だがまず土曜には退院できるだろう」と言われる。
この直後、朝食を私が介助すると、口の中に入れたものを噛みも飲みもしない。
「口を開けて」というと口を閉じる、試しに「閉じて」というと口を開ける。
私の言う事は聞かなくても看護婦さんの言う事は聞くかも知れないと応援を頼むと、やはり噛みも飲みもしない。
看護婦さんは「口の中のものを吐き出して」と指示したが応じないので、手袋をして口中から指で食べ物をかき出すしかなかった。
その後、昼食も看護婦さんの介助で食べず、点滴にしたとのこと。
夕食時、父がゲンコツを堅く握りしめていたために点滴が流れず腕がむくんでいることが発覚。点滴を腕から足に移す。
夕食も、母の介助で食べず。
1/20木曜
朝食を、私の介助で食べず。
昼過ぎ、「父が食べない理由は、残っている前歯2本がグラグラしていて歯肉が炎症しているためではないかと、ドクターが判断したので、至急歯科医に連れてってくれ」と看護婦さんから連絡が入る。
2時半からはあとふるで父の着替えをして歯科医院(ウノ歯科)に3時に搬送。歯を抜いてもらって痛み止めをもらい4時過ぎにはあとふるに戻した。
この着替えや搬送の際、家族の呼びかけに対して父は自分で手足を動かそうとする気配がまったくなかった。
ベッド上で「腰を上げて」という看護婦さんの指示には従うが家族の同じ指示には応じない、という微妙な反応もあった。
この後の夕食と翌日の朝食の家族による介助は、看護婦さんから免除された。
1/21金曜
1時に中村先生と家族で、入院理由の病状は回復したものの、父の拒食や脱力という事態の発生について、原因は何なのか、どう対応すべきかについてご相談の予定。
その結果しだいで、ショートステイを予約するデイセンターのケアマネジャー(鈴木さん)、母の伊東の眼科(芥川眼科)と連絡したり、家での新たな父の介護態勢(ベッドの一階玄関すぐの居間への移動、ポーチ〜玄関のスロープなど)を考えたりしよう。
以上1/21午前までの経過。