コンセプト思考術を「ストーリー戦略」から説き起こし直すための雑考(2) |
本項(2)では、前項にひきつづき、特集冒頭の「ストーリーとしての競争戦略」の著者楠木建教授によるプロローグの検討をする。
コンセプト思考術と主旨が重なったり関係深かったりする内容と照らしつつ、リモデルのポイントを逐次検討していきたい。
戦略ストーリーとビジネスモデルの違いは人間論か機械論か
まず最初にこのことを納得すると話が明快になる。
著者は、アマゾンを例にビジネスモデルと戦略ストーリーの違いをこう解説する。
「左側の『ビジネスモデル』の図を見ると、中央にあるアマゾンのウェブサイトを中心に、さまざまな要素が線で結ばれています。ビジネスモデルも『つながり』に注目している点ではストーリーと同じです。しかし、それは『マーケティング情報の提供』とか『発注』『支払い』『出荷』といった『取引活動』(筆者注:の機械論)であり、因果論理ではありません。
これに対し、戦略ストーリーは『こうすると、こうなる。そうなれば、これが可能になる』という時間展開を含んだ因果論理として表現されます」
「右側の図は、創業者のジェフ・ベゾスがアマゾンの事業を構想しているときに、レストランの紙ナプキンに描いたとされる戦略の『ストーリー』です。
これはごくシンプルな絵で、この段階では、どの範囲まで取り扱う商品カテゴリーを増やすのかとか、最近のクラウドビジネスとかについては言及していません。しかし、時間展開を視野に入れた因果論理になっていることは見て取れます」
「それはこういうストーリーです。
アマゾンのコンセプトは、モノを売るのではなく、顧客の意思決定を助けるということにあります」
ここで、
①「はじめにコンセプト」ありきで、それを現実的に成立させ成長させる戦略ストーリーが構想される。
②「コンセプト」は、従来のeコマースが単にネット上で「モノを売る」という機能をベースとする<送り手側のモノ提供の論理>だったのを、新たにアマゾンが「顧客の意思決定を助ける」という意味をベースとする<受け手側のコト実現の論理>にシフトしたように、パラダイム転換の中核的内容、あるいはその象徴的表現である。
ということを確認してほしい。
「アマゾンならではのユニークな購買経験を顧客に提供する(筆者注:受け手側のコト実現)。
するとトラフィックが増大する。人々がたくさん訪れるサイトになれば、多くの売り手(出版社やメーカーなどの取引先)を引きつける。そうするとセレクションが充実する(筆者注:送り手側のモノ提供)。
これが顧客の経験をさらに充実させ、トラフィックを上げる(筆者注:受け手側のコト実現)・・・
という好循環の論理です」
この「好循環の論理」には、②「顧客側生活創造ストーリー」と③「事業主体側ビジネス創造ストーリー」が調和的に統合されている 。
その「調和的に統合」する具体的な仕方は、新規のパラダイムにおいてそれに相応しい<受け手側のコト実現>の打ち手と<送り手側のモノ提供>の打ち手を循環的につなぐことだ。
この新規のパラダイムは、アマゾンが存在する以前のeコマースの常識的な有り方という従来のパラダイムを転換したものであり、以下のようにコンセプト思考術で導かれるコンセプト構造にある。
eコマースが形成する従来の<送り手側のモノ提供の論理>
コトの皮相的な意味
↑
モノの没個性的な(万人共通の対応)感覚
↑
モノの画一的な機能=「モノを売る」(全体を機械論化)
アマゾンを成立させる新規の<受け手側のコト実現の論理>
モノの特徴的な機能(左図の「ビジネスモデル」の機械論)
↑
コトの個性的な(個々のカスタマーそれぞれの体験)感覚
↑
コトの画期的な意味=顧客が「意思決定を助けられる」
「このストーリーが動くと、成長が実現されます。
成長にともなって、規模の経済や範囲の経済を通じて低コスト構造ができあがり、これが低価格を可能にします。ますます顧客に対して魅力的な経験を提供できます」
この「好循環の論理」には、①「市場対応戦略ストーリー」と③「事業主体側ビジネス創造ストーリー」が調和的に統合されている 。
著者は、こう総括する。
「ビジネスモデルの概念は、確かに全体の『かたち』(筆者注:最終的な静態的完成形)をとらえるものですが、構成要素の因果論理が巻き起こす『流れ』や『動き』の側面をとらえにくく、静止画的な戦略思考になりがちです。
複数の打ち手がかみ合って連動する相互作用の論理、そこから生まれる『動画』としての側面(筆者注:最終的な静態的完成形にどうやって辿り着くかを提示する道筋やロードマップ)に、より直接的に光を当てる必要があります。
『ストーリー』という言葉を持ち出すのは、こうした戦略のダイナミックな本質を強調したいという意図があるからです」
ビジネスモデルと戦略ストーリーの違いを、私流に異なる切り口から注目すると、
ビジネスモデルは機械論であり、求められる人材はそのパーツを構成する、そのポジションで与えられた働きをするなら誰でもいい交換可能な機械部品に喩えられる。
一方、戦略ストーリーは人間論であり、求められる人材は最終ゴールとそれに辿り着く道筋やロードマップを共有し、仲間と恊働しながら目前の障壁を乗り越えていく意欲と発想と行動力をもった挑戦者でなくてはならない。
この切り口は、戦略ストーリーのテーマを、人と暮らしと地域社会とするとさらに明快になる。
この場合、ビジネスモデルに相当するのは、人と暮らしと地域社会のモデルということになる。
人となり→暮らし態→地域態を捉えるコンセプト思考術と人生ストーリー
著者は、こう述べている。
「個人としても、借り物ではない人生やキャリア、夫婦の戦略がなければ、幸せをつかむのは難しいだろう。
今こそ、脳に汗をかき、センスをフル稼働させて、自分のオリジナルの戦略ストーリーを創り出すことが求められているのだ」
<商品><商売(サービス)><店舗(インターフェース)>の各レイヤーで具体的なパラダイム転換を捉えるコンセプト思考術は、企業だけでなく学校の戦略構想や、官公庁や自治体における政策構想にも役立てることができるノウハウである。
各レイヤーで<送り手側のモノ提供の論理>の有り方と<受け手側のコト実現の論理>の有り方があり、すでに前者から後者への転換が起こって来ていて、これからも起こることが期待されている。
前者に<種>をつけ、後者に<態>をつけ、<品種>から<品態>へ、<業種>から<業態>へ、<店種>から<店態>へと解説している。
(参照: 「4)品種から品態へのパラダイム転換 その1」
「5)品種から品態へのパラダイム転換 その2」
「6)業種から業態へのパラダイム転換」
「7)店種から店態へのパラダイム転換」)
さらに、最終的な静態的完成形の全体像を捉えると、それは一つのパラダイムを踏まえたビジネスモデルになる。
つまり、
前者<送り手側のモノ提供の論理>を踏まえた<品種>を<業種(サービス)><店種(インターフェース)>で売るのビジネスモデルと、
後者<受け手側のコト実現の論理>を踏まえた<品態>を<業態(サービス)><店態(インターフェース)>で売るのビジネスモデルだ。
百貨店と商店しかない時にスーパーが生まれ、それらしかない時にコンビニが生まれた。それらは、みなパラダイム転換による新業態として登場しているが、それが競合が追随して業界横並びの既存パラダイムとして画一化すると<送り手側のモノ提供の論理>の均質化競争に明け暮れる既存業種へと陳腐化するのが一般的だ。
そこを、個性的な新業態としての独自性を維持し高めながら、他の追随を許さない圧倒的な優位性を維持しつつ成長することは至難の業だが、それを達成し続ける新業態や新店態が「業界の雄」や「カテゴリーキラー」である。
「業界の雄」の典型は、日本型コンビニエンスを先頭きって進化深化させてきたセブンイレブン。
「カテゴリーキラー」の典型は、ユニクロ、トイザラス、東急ハンズ、ドンキホーテなどだ。
いずれも面白く魅力的な「戦略ストーリー」の持ち主であることは偶然ではない。
(参照: 「8)『種』志向か『態』志向かでまったく違う事業になる 」)
すでに、「戦略ストーリー」の「好循環の論理」には、①「市場対応戦略ストーリー」と②「顧客側生活創造ストーリー」と③「事業主体側ビジネス創造ストーリー」が調和的に統合されていることを確認した。
その「調和的に統合」する具体的な仕方は、新規のパラダイムにおいてそれに相応しい<受け手側のコト実現>の打ち手と<送り手側のモノ提供>の打ち手を循環的につなぐことである、ことも確認した。
実際的には、<商品>レベルの<品種>から<品態>への転換と、<商売(サービス)>レベルの<業種>から<業態>への転換と、<店舗(インターフェース)>レベルの<店種>から<店態>への転換とを、どのような順序でどのようにつないで展開するかが問われることになる。
まさに、その『こうすると、こうなる。そうなれば、これが可能になる』という時間展開を含んだ因果論理が「戦略ストーリー」なのだ。
コンセプト思考術の研修では、受け手である人間の有り様を本質的に理解すること、仕事や生活の主体となる自己の有り様を本質的に納得することが大切との考えから、<人><暮らし><地域社会>の各レイヤーで具体的なパラダイム転換を捉えて、人生や社会に対する価値観が、現実はともかくも何を理想とするかにおいて、すでに大転換していることを確認している。
紙幅の関係で詳述できないので、その概説は 「9)『種』志向か『態』志向かでまったく違う人の生き方や国の形になる」を参照してほしい。
<人><暮らし><地域社会>の各レイヤーでも、
自己を商品化して世間という市場に売り込むこと(暮らす糧、生きる手段)に終始する価値観の<送り手側のモノ提供の論理>、それを踏まえる<人種>、その<人種>で暮らす<暮らし種>、その<暮らし種>を育む<地域種>という打ち手があり、それらを調和的に統合するつなぎ方がある。
そしてその真逆に、
何らかの超越的な存在ないし人間にはどうにもならない偶然によって授けられた自己は何を目的として生きるべきかを問い目的達成に専念する価値観の<受け手側のコト実現の論理>、それを踏まえる<人となり>、その<人となり>で暮らす<暮らし態>、その<暮らし態>を育む<地域態>という打ち手があり、それらを調和的に統合するつなぎ方がある。
前者の<人種>→<暮らし種>→<地域種>の打ち手とそのつなぎ方は、物心ついた時から親や世間から朝から晩まで当たり前のように言い聞かせられてきて、受験や就職の競争をする一般心理として無自覚に前提されている。
そして、よほどの挫折をするか、よほどの成功をしてその皮相さに失望するかしないと、このパラダイムを生活実感や人生観として疑いきることはないのかも知れない。
しかし、日本社会が高度成長期と豊熟消費期をすでに1991年のバブル崩壊で過去のことにして20年、不況しか知らず苛烈な競争環境で育った若い世代ほど、理屈なしに自己を商品化して世間という市場に売り込むことに終始する価値観の<送り手側のモノ提供の論理>の不条理と虚しさを感じ取っている。何を理想とするかという意味合いの価値観では、すでに何らかの超越的な存在ないし人間にはどうにもならない偶然によって授けられた自己は何を目的として生きるべきかを問い、それぞれの多様な目的の達成に専念する価値観の<受け手側のコト実現の論理>の方にシフトしてきている。
ただ、21世紀初頭の現在、それは世界的傾向として、転換期の最中にあって、誰もが<建前>としての理想と、目前の現実を生き抜くための<本音>との間で揺れていて、その人なりのその時その事情なりの妥協点を見出して暮らしていると言えよう。
つまり、<人><暮らし><地域社会>の各レイヤーでも、
実際的には、<人>レベルの<人種>から<人となり>への転換と、<暮らし>レベルの<暮らし種>から<暮らし態>への転換と、<地域社会>レベルの<地域種>から<地域態>への転換とを、どのような順序でどのようにつないで展開するかが問われることになる。
まさに、その『こうすると、こうなる。そうなれば、これが可能になる』という時間展開を含んだ因果論理を「人生ストーリー」として、誰もが日々紡いでいる。
ユニクロの凄さを例に、戦略ストーリーの誤解を解いておく
ユニクロの凄さを、著者はこう解説する。
グローバルな流れとして競合他社の戦略が
「サプライチェーンの強力な垂直統合を進め、刻々と変化していくファッションに対するクイックレスポンスの体制を構築」してきたのに対して、
ユニクロは、
「長期の蓄積で勝負する」戦略を推進した。
「この背景には『ファッションではなくて、ファッションの部品を売る』、それによって『人間の生活様式を変える』というユニクロに独自のコンセプト」があった。
ここでも、
①「はじめにコンセプト」ありきで、それを現実的に成立させ成長させる戦略ストーリーが構想される。
②「コンセプト」は、競合他社のグローバルな流れが「サプライチェーンの強力な垂直統合を進め、刻々と変化するクイックレスポンスの体制を構築」という機能をベースとする<送り手側のモノ提供の論理>だったのを、新たにユニクロが「人間の生活様式を変える」という意味をベースとする<受け手側のコト実現の論理>にシフトしたように、パラダイム転換の中核的内容、あるいはその象徴的表現である。
ということを確認してほしい。
この新規のパラダイムは、アマゾンが存在する以前のeコマースの常識的な有り方という従来のパラダイムを転換したものであり、以下のようにコンセプト思考術で導かれるコンセプト構造にある。
競合他社のグローバルな流れの<送り手側のモノ提供の論理>
コトの皮相的な意味
↑
モノの没個性的な(万人共通の対応)感覚
↑
モノの画一的な機能=「サプライチェーンの強力な垂直統合を進め、
刻々と変化するクイックレスポンスの体制を構築」
(全体を機械論化)
ユニクロが存在し成長する新規の<受け手側のコト実現の論理>
モノの特徴的な機能(「ファッションではなくて、ファッションの部品を売る」
新品態、新業態、新店態の打ち手とそのつなぎ方についての
↑ 「長期の蓄積で勝負する」)
コトの個性的な(個々のカスタマーそれぞれの長期的体験)感覚
↑
コトの画期的な意味=「人間の生活様式を変える」
=顧客は生活様式を理想的に変えたい
「たとえばユニクロにとって、ヒートテックは長期の蓄積の上に出てきた乾坤一擲の勝負商品です。極めて革新的な商品なので、ヒートテックというコンセプトが浸透するまでには時間がかかる。(中略)従来のアパレル産業のセンスであれば、一年目で売れなければその商品は終了です。しかし、ユニクロは3年のスパンで物事を積み重ねていったので、その後の爆発的なヒットにつながったわけです」
ここで、こうした商品開発と販売促進を体系立てているのが、「ファッションではなくて、ファッションの部品を売る」新品態、新業態、新店態の打ち手とそのつなぎ方であり、そうした周囲の体制があって可能となっていることに注目すべきだ。
まかり間違っても、商品開発や販売促進のキーマンにセンスの良い人がいる、という誤解をしてはならない。
著者は、「戦略ストーリー」についてのよくある誤解を3つ上げて、それを戒めている。
「第一は、『ストーリーテリングではない』ということです。
ストーリーテリングとは『表現の方法論』です。
一方、戦略ストーリーというのは戦略構想のための『思考の様式』です。
つまり、『戦略はストーリーとしてプレゼンしないとダメだよね』という話ではありません」
コンセプト思考術の研修では、グループ演習で立案したコンセプトをプレゼンするにあたり、コンセプトをパラダイム転換の起承転結ストーリーとしてプレゼンすることを指導してきた。
それはそれで大切なことであり、ストーリーとしてプレゼンできないようなコンセプトは、リアリティに欠けていたり自己満足だったりする訳だ。
しかし、それは「戦略ストーリー」とは次元の違う「共感ストーリー」の話だった。
「第二に、『法則や理論ではない』ということです。
成功する戦略を作る法則ではないですし、戦略がうまくいくかを事前に予測できる理論でもありません。(中略)
優れた戦略は何ゆえ優れているのかを説明するための視点です。そもそも、どんなに戦略が優れていても、成功するとは限りません。(中略)戦略に可能なのは、成功の確率を上げることだけです」
コンセプト思考術は、<送り手側のモノ提供の論理>の手前味噌の発想思考の成果では、ビジネスが失敗する確率が高い、よってこれを脱して<受け手側のコト実現の論理>に立って発想思考し、受け手と想定する対象に実際に受け入れられるかの仮説・実験・検証することが、ビジネスの成功の確率を上げる、ということを前提としている。
そういう観点で、成功する戦略としての新品態、新業態、新店態の開発コンセプトを作る、発想思考支援のツールである。
新しい商品やサービスやインターフェ−スの受け手は、既存の商品やサービスでは満たされていない不満を指摘されてそれに合意し、その不満を解消して生活や仕事を画期的に良くするという意味を認めなければ注目しない。そして自分の流儀やこだわりにフィットして個性的に向上する感覚が保証されなければ手に取りはしない。そして以上の、受け手が求める画期的な意味と個性的な感覚を具現化する特徴的な機能がシンプルかつ明快でなければ、購入や利用を決意しない。
こうした受け手にとっての意味→感覚→機能を提示する打ち手のつながりが不可欠であることが現実である以上、コンセプト思考術のパラダイム転換のフレームワークは、法則とも理論とも取れる。
しかし、法則や理論は、それに則る者ならば誰でも同じ正解に至ることができるから、法則や理論とされる側面がある。
だがコンセプト思考術は、あくまで個人が発想のかけらや閃きの断片を先ず思い浮かべることが前提となる。そこは法則や理論で保証される訳ではない。
発想のかけらや閃きの断片をその内容に応じた、概念要素を入れる空欄に記述すると、なんでそのような発想や閃きが浮かんだかの背景や理由となる他の概念要素を入れる空欄への記述を推量しやすくなる。
既存パラダイムに問題性を感じ取り、新規パラダイムの理想性に向かおうとしているとすれば、パラダイム転換の全貌を示す思考フォーマットの6つ概念要素(話し言葉の基本4概念要素から成る)の空欄が整合性をもって埋まってくる。そして、「ああ自分はこういうことを問題視しこういう理想を求めていて、現状を理想へと転換するためにこういうコンセプトを思いつこうとしていたのだ」と自分の発想思考を俯瞰するメタ思考をすることになる。
発想主体としては、既存パラダイムに安住していてパラダイム転換発想に消極的な人から、既存パラダイムに問題や限界を感じていてパラダイム転換発想に意欲的な人までいて、態度能力が大きく影響する。だから誰もが何かの法則や理論に則れば同様にパラダイム転換発想ができる、というものではそもそもない。
しかし、成功的なパラダイム転換やすでに時代を画した歴史的事実であるパラダイム転換という観察事例から帰納される共通するルール(法則や理論)を無視しし続ければ、どうしても限界的なその範囲の発想思考に閉鎖的に留まらざるをえない。そのようなコンセプトからは、面白く筋のいい戦略ストーリーは紡ぎようがないことは明らかだ。
戦略ストーリーのよく誤解される話に戻そう。
「第三に、『新しいものではない』ということです。
経営や戦略において新しいものはそんなに存在しません」
これについては、コンセプト思考術も同じだ。
物事の概念は、どの国の言葉にも共通する話し言葉の基本4概念要素からなっている。
基本4概念要素とは、<モノの機能><モノの感覚><コトの感覚><コトの意味>である。
人間は母国語を使って発想思考する以上、発想思考とはこの基本4概念要素の内容と組み立て方以外の何物でもない。
つまり、発想思考の断片からその背景や理由となる他の概念要素を推量したり全貌を俯瞰するに、この基本4概念要素の内容と組み立て方を踏まえて概念要素を分析したり概念体系を構築したりすることは直接的に有効である。
こうしたことは、私たち自身が日常的に無自覚的にやっていることで、個人や集団や組織、さらには同じ母国語を話す民族が慣れ親しんだ暗黙知のパラダイムに制約されたり方向づけられている。思考フォーマットへの落とし込みは、これを意識的に明示知化する作業であり、分析や俯瞰に不可欠な可視化作業と言える。
(参照: 「3)「パラダイム転換」とは4つの概念要素の組み立て方の転換」)
コンセプト思考術も「新しいものではない」。
むしろ、話し言葉の基本4概念要素と、送り手・受け手、モノ・コトの明快な二元論を踏まえるため、もっとも「新しくないもの」「もっとも不易で普遍なるもの」と言える。
その証拠と言っては何だが、だからコンセプト思考術を思いついた20年前から後、マーケティングの世界でたとえば「マス・マーケティングからワン・トゥ・ワン・マーケティングへ」とか、「レッドオーシャン市場を脱してブルーオーシャン戦略へ」とか、言わばマーケティングの様々な戦略ストーリーが登場してきたのだが、すべて<送り手側のモノ提供の論理>から<受け手側のコト実現の論理>へのパラダイム転換を話し言葉の基本4概念要素の組み立てで説明する思考フォーマットに落とし込める内容だった。
著者はこう述べている。
「戦略の本質は古来から全然変わっていないのではないかと思います。
つまり、経営や戦略に関することは、すべてが『言われてみれば当たり前』なのです。
ただ、当たり前といっても、『自明なこと』ではありません。(中略)
経営学の付加価値とは、
『言われてみれば当たり前だけれども、言われるまではなかなか思いつかないことに気づかせて、当たり前のことを当たり前にちゃんとやるよう意識させる』ことです。
それこそが、戦略論の分野でいちばんクリエイティブなことだと思っています」
この考えに私も深く賛同する。
私が、世界の話し言葉に共通する基本4概念要素をベースとするコンセプト思考術に、もっともプリミティブで普遍的な活用可能性を見出したのも、同じ理由からだった。
そして、情報過多と情報操作によって、肝心な事を明快に判断したり決意したりしにくい現代、大雑把に本質的なことを洞察したり展望する良心的な発想思考が求められている。
そんな発想思考も「言われてみれば当たり前だけれども、言われるまではなかなか思いつかないことに気づかせて、当たり前のことを当たり前にちゃんとやるよう意識させる」ことで導かれたり、促すことができる。
コンセプト思考術もそれを支援するものであり、その目的と手段を明快にする最終形にリモデルしたいと思う。