藤原和博流学校改革に学ぶ「スピードある変革」 |
第一回 「異なる力」をつなげる 発
既存の枠組みに囚われずに
「人と人をつなげることで、どんな職場も変えることができる」
藤原和博氏は、リクルート出身の中学校の校長で、その市民を巻き込んだ学校改革が注目されいてる。
2003年に民間人としては初めて東京都の公立中学の校長に就任。
教師以外の地域の人を呼んで授業をするなど、学校の外にある力を大いに活用し、教育現場に新風を吹き込んだ。
授業をしてもらった地域の人にはニューハーフの人まで含まれるから驚きだ。
私の関心事、日本型の集団独創2タイプの内の1つ、まさに
「信長志向」
=「個々の独創を放任しておいて、それを適宜に集団に組織する」知識創造体制
を教育現場に活用して「スピードある変革」を現代的に成し遂げている。
私は、「企業社会が良くなれば学校社会、家庭や地域社会、官僚社会そして国全体が良くなる」と考えている。
藤原氏は、リクルートで実践的に会得した「企業社会における創造的な手法」を学校社会に応用し、家庭や地域社会の協力を仰いだ訳だが、それは家庭や地域社会の創造性を触発する結果ともなっている。
そうしたことすべての大きな動きは、教育行政を担う官僚社会にも大きなインパクトを与えた。
つまり、前述の私の考えが単なる期待なのではなくて、事実であることを実践によって示してくれたと言える。
本論では、番組第一回の内容を追いながら、そのような社会的に多大な影響力をもった「スピードある変革」を可能にした主要な手法の本質を具体的に検討したい。
藤原さんは、
既存の枠組みに囚われずに
「人と人をつなげることで、どんな職場も変えることができる」
と考えている。
「学校でもそうだし、おそらく企業でもそうだし、それから市役所とか県庁とかでもそうだと思うんですけどね、つなげることで解決するものがいっぱいあるっていうことを僕はメッセージしたいんですね」
番組第一回は、「異なる力をつなげる」とは具体的にどういうことなのか、藤原氏の実践を通じてレポートしていく。
そもそも藤原氏はどのような気持ちでビジネス界から教育界に校長として転身したのだろうか。
彼は、こう述べている。
「社会を変えて行きたい、リクルートで育つとそういう考え方を持つようになるんですけど。
その中で、たとえば教育の世界を動かそうとする場合に、たとえば政治家になって動かすと、権力を握って動かすと、これをもしやろうとしたら文部科学大臣になるまで20年30年掛かってしまいますね。僕気が短いからできないんですね。
じゃ企業家としてお金儲けてそのお金で動かす。たとえばですね30億円で私立つくりましたとかですね、そういう方いらっしゃいますけど。教育の世界で起業してお金儲けようとすると、どうしても進学の方ですね、受験の方に寄ってちゃうんですね。
一校ですね、公立制度も変えず、トップを取る訳でもなく、普通の学校をどれだけマネジメントだけで変えられるかっていうのをやってみせたのが和田一中なんです」
まさに、
マネジメントの「発想の転換」だけを実践することによる「スピードある変革」、
これを目標として打ち立てて見事に達成したのである。
外の「異なる力をつなげる」出島をつくりそこを起点に新しい動きを起こす
では、その達成手段となる「異なる力をつなげる」とは具体的にどういうことだったのだろうか。
「学校ってやっぱり今まで鎖国してたんだと思うんですよ。
で、鎖国しているところに、とにかく出島を作って、そこにバテレンがいっぱい来ると。で、オランダから来たり、ポルトガルから来たり。そこに鉄砲の技術もそこから入るかも知れないし、医療技術も入るかも知れないし、そうやって鎖国しているところを刺激していくと。そうすると学校であれば、子供たちも楽しくなりますしね、あのいろんな刺激を受けますから、学習も非常に豊かになるということが言えますよね」
こうした藤原氏の発想には、そもそも教育に目を向けるようになった使命感のようなものが作用している。
藤原氏が教育に目を向けるようになったのは、近所の子供が使っていた公民の教科書。
学ぶべきはずの経済や政治、国際社会の実態が何も伝わってこないことに愕然とした、という。
そこで藤原氏は、ほんとうの世の中とは何かを子供たちに伝えるべく、独自の教科書を書き上げた。そこで世の中のことをリアルに分かりやすく解説した。
この「世の中のことをリアルに分かりやすく解説」という主旨が、世の中のいろんな人々が「世の中のことをリアルに分かりやすく解説」しにくる「出島」に直結している。
じつはこの「出島」、一般的な企業の手法であるとは言い難い。
企業で「出島」を作ってまで積極的に部外者と交流しているところは極めて希だからだ。
人材の活力と雇用の流動性の高いリクルートは例外中の例外なのだ。
たとえば、コラボ案件でパートナー企業の隣接専門分野のエキスパートと恊働するプロジェクトはあるが、それは藤原氏の作った「出島」とは違う。
藤原氏の作った「出島」では、学校教師がやっている授業を、部外者がやってきて先生となり代行する訳だが、企業のコラボ・プロジェクトで社員エキスパートの職能を部外者にそのまま代行させることはない。あくまで恊働なのだ。
藤原氏の「出島」に相当するのは、社員エキスパートがしている知的作業を、敢えてまったく異なる観点と考え方をもつ外部ブレインにもさせて、その成果をコンサルティングなりアドバイスとしていかそうとする、そういう仕事のやり方である。
この仕事のやり方はかつて日本型経営においては日常的に多用されていたが、現在は著しく希になった。
具体的にどういうことかと言うと、たとえばかつては、既定路線の延長の開発は「中の人」だけで効率的にやるが、既定路線を変える新機軸については敢えて「外の人」を活用する、社内人材も既定路線と兼任ではなく専任という分担が当たり前だったのが、後者も「中の人」だけで、ほとんど既定路線の延長線上でやるようになってしまったのだ。
私が組織の硬直化、社会の膠着化の原因として指摘している「家康志向」=「集団を前提として固定しておいて、その集団が独創する」知識創造体制の一辺倒化である。
バブル崩壊が1991年、その当時から「家康志向」一辺倒化への流れが始っていて、それまで活発だった「信長志向」=「個々の独創を放任しておいて、それを適宜に集団に組織する」知識創造体制は、短絡的にバブルの申し子である「イケイケどんどん」だと叩かれて潰されていった。
最近、茂木健一郎氏が言っている「日本人の不確実性回避症候群」だが、それが企業社会で蔓延しはじめたのはこの時で、まさしく不確実性にこそチャンスを見出そうと挑戦する「信長志向」を一掃する動きだった。
そして日本人の集団独創は沈滞化し、既定路線の延長で業界横並びの画一的な成果ばかりが目立つようになった。
そうなれば当然、レッドオーシャン市場の低価格化競争が苛烈化するばかりで、相対的に企業体力が弱い企業から経営を悪化させていき、後には新興市場の成長に日本メーカーが独自の適応をできない事態に繋がっていった。
じつはそうした動向に直面した当初、90年代半ばに旧パイオニアHRDが、元マーケティング部長で日本マーケティング協会理事を勤めたN氏の協力を得て創設したのが、半年にわたる長期研修の「PMSパイオニア・マーケティング・スクール」だった。
私はPMS創設以来、一昨年の旧パイオニアHRD解体まで、「コンセプト思考術」という講座をさせて戴いたのだが、最後の数年間、昨年退職された旧パイオニアHRD主任講師のSさんが、PMSを積極的に「パイオニアの外に開かれた出島」にしようと尽力なさっていたことに触れておきたい。
最終的には約20人の受講者の内2割ほどがパイオニア以外だった。
ゼロックス、富士フィルム、リコー、エプソン、ツインバードなど。
メーカー以外の業界の人とも対話したいという受講者からの要望を受けて、さらに異業界の部外者を増やしていこうとしていた矢先のHRD解体であり、PMS廃止だった。
研修は本社人事部の管轄となり、そこで全社的な研修方針が再構築されたという。
その方針に納得できなかった旧HRDのSさんや川崎事業所のSさんが退社したことからの印象だが、全社的な研修方針は機械論化した組織と制度に適合するカリキュラムに徹するの感があった。
少なくとも「パイオニアの外に開かれた出島」を作るといった発想はなく、経費節減の折りから講師は当面、社員講師に限定された。
ちなみに私の担当した「コンセプト思考術」は、私自身がクルマ業界やコンビニ業界でのパラダイム転換発想の経験から編み出したものだ。
世の中にあった企画講座や企画ノウハウ本の内容があまりに企業現場の発想と乖離していたので、もっと非専門的で誰にも分かりやすいシンプルな大胆発想のステップを楽しく踏みたいと考えた。
そして実際にPMSで十数年にわたって、新人からベテランまで、企画マンだけでなく営業マンや技術者研究者まで、様々な業界のメーカー社員に容易に理解され活用された。
「コンセプト思考術」は異業界異業種の人たちが対話し恊働するための共通言語になっていったと自負している。
私としては、パイオニアが新しく再生していくためにも、積極的に「外に開かれた出島」を作る動きとして、社外受講者と対話するPMSパイオニア・マーケティング・スクールのような長期カリキュラムが再び展開されることを期待する次第だ。
まともな人たちは変革の方向に反対しないが変革のスピードに抵抗する
進行役の、ビジネスの世界から学校の世界に入って何が一番違ったか、という問いに藤原氏は「スピードの感覚」であると答えていく。
ただリクルートが画期的に俊敏なのであって、学校社会ほど酷くはないにしても、ご指摘のスピードの遅さに関して五十歩百歩の企業は世の中にたくさんある、と言わねばならないだろう。
「前例主義というのが蔓延っちゃってるんですね。
なぜ学校が保守的なのかというとですね、やっぱりいろんなチャレンジをした時に当然失敗しますよね。仮に半分の確率で失敗するとしましょうか。そうすると失敗した時に、昔はもっと鷹揚だったと思うんです。地域社会とか保護者とか。ところが親も失敗を許さないとか、地域社会も寛容性を失っちゃってる,地域社会自体がかなり退化しちゃってきていると、失敗を許さないような風土になってきますから、そうすると先生たちは失敗しないためには去年と同じで行きましょうっていう」
「学校って4年一区切りみたいなことが言われていて、僕も先輩校長から、最初の1年はもう何もしない方がいいよ、様子見てとにかく先生たちがやっていることを見なさいよと。その年にやることは前年に決めちゃってるってこともあるんですけど、で2年目に起案をして、で3年目に検討が行われて、4年目に自分のやりたいことが一つでもできればめっけもんだみたいなことを言う訳です。とんでもないですね。
リクルートって会社で育った私からすると、ま、その感覚ってのは4週間ですよね、あるいは4日間かも知れない。その辺が、時間の感覚がまるで違った。
教員がね、最初の学期に10個も20個もやっちゃうような校長に抵抗感を持つのは当たり前だと思うんですよ。(中略)
で、そういうもんだと思うんですよね。
で、教師が反発したのは、何より僕の施策に対してというよりは、スピードなんですね。
スピードが10倍から100倍のスピードだから。
施策そのものを根っから反対されたことはないです。
なぜならば、僕ば打ち出していることは、文科省とか教育委員会が言ってることをやっている訳ではなくて、この子供たちにはもっと豊かな教育ができるんではないかとか、で、やってみて分かったんですが、先生たちってまともな先生であればあるほど、子供たちが喜ぶことね、結果的に子供たちが喜んじゃえば保護者も喜ぶ訳でしょ。そのことを反対したり、たとえば足ひっぱったりはしないですよ」
変革のスピードに同調してもらうために「変革の全体像」を明快に伝える
番組では、教師たちに変革のスピードに同調してもらうために「変革の全体像」を明快に伝えることがまず必要とし、その手法を具体的に藤原氏に再現してもらっている。
具体的には、ホワイトボードに「概念ポートフォリオ」を書きながら相手に、パラダイム転換を分かりやすく解説するということだ。
この手法は、「コンセプト思考術」でも思考フォーマット主要3枚の1枚を使って活用している。
藤原氏の書き上げた「概念ポートフォリオ」は以下の如くであった。
「コンセプト思考術」の思考フォーマットに転載するとこうなる。
変革でなくても、何事においても他者と恊働する場合、
全体像をヴィジュアル化して理解を共有する、
全体像が合意できれば先に進むことができる、
ということが大切だ。
そして、最初はホワイトボードを使って相対する相手に直接働きかける方がインパクトがある。
藤原氏は、リクルート時代のプレゼン資料は、かなり嵩張ったものが多かったが、
「決まるか決まらないかは最初の3枚で決まる」
と言い、そこに「全体像を合意できるか否か」が問われる「概念ポートフォリオ」があったという。
その際の相手に与えるインパクトというのは、
「相手の頭の中にこういった世界観を納得する形で作れるかどうか、
相手がこの世界観を納得するかどうか、
ですよね」
という。
「コンセプト思考術」講座では、グループ演習をして発表、相互審査をする。
その際、同様のことが「概念ポートフォリオ」のプレゼンによって問われる。
「変革の全体像」で示した「目的」を個別具体的に達成する「手段」で畳み掛ける
「全体像」とは、具体的には「目的」であり、
「全体像」のヴィジュアル化とは、「目的」の見える化による共有に繋がる。
番組はこの「概念ポートフォリオ」で示した「目的」を個別具体的に達成するための、主要な「手段」についてレポートしていく。
これは「コンセプト思考術」では、<受け手側のコト実現の論理>の思考フォーマットの「特徴的なモノの機能」の記入欄に書き込まれる、ソリューションに相当する。
講座でも、「概念ポートフォリオ」と<受け手側のコト実現の論理>の思考フォーマットの連動性を指導している。
藤原氏が具体的に構想実践した「手段」を「コンセプト思考術」の思考フォーマットに記入すると以下のようになる。
番組の最後に、利害関係のない第三者との「ななめの関係」は現代のビジネスパーソンにこそ必要だという議論が出た。
社内だけの、それも上司と部下の「縦の関係」しか濃密な関係がなくなった現代の企業社会において、社外の異業種異業界の人との交流がこの「ななめの関係」に相当する。
ただし、利害関係のない、というところが重要で、たいていの場合、名刺を交換して今後ともよろしくと自分がしている仕事の延長線上に向かってしまう。
藤原氏は、単に人脈を拡げるのではなく、何かを一緒にする、何か仕事を共同してすることが大切だというが、それはそういう新たなお取引ということではない。
たとえば、「地域本部」へのボランティア参加も企業研修として有効だという。
なぜなら、そこでは子供に対して何をして上げられるのか、それが子供に受け入れられるかが勝負で、名刺の肩書きは一切役に立たないからだ。
「コンセプト思考術」のグループ演習でも、受講者同士が儀礼的に名刺交換をしてはいるようだが、実際の共同作業では名刺の肩書きは関係ない。
どのようなアイデアを出すか、いかに他メンバーと対話をすることができるかだけが常に問われることになる。
上司と部下の「縦の関係」ではなく、生徒同士の「横の関係」において、お互いに琴線に触れた者同士がいわくいいがたいそれぞれの関係性を自然に構築していく。
そして、グループ演習のインストラクターとなる発想ファシリテーターは、利害関係のない第三者として「ななめの関係」で対応する。そして、必ずしも現業の延長線上で重ならなくとも、何か気の合いそうな受講者同士を直感的に見出してはその関係性を触発するように心がける。
PMSパイオニア・マーケティング・スクールでは、積極的に「外に開かれた出島」を作る動きを意識してそうしたが、単発の「コンセプト思考術」講座でも、事業部門が違うために面識のないお互いに触発し合えそうな受講修了者同士を引き合わせてきた。
私はこうした発想主体同士の関係づくりも、発想ファシリテーターの重要な仕事であり、また良い関係づくりができた場合、それを我が事のように楽しめることが発想ファシリテーターに不可欠な資質だと感じている。そこが、単なるロジックや感情の交通整理をするファシリテーターと違うところではなかろうか。
ロジックの不整合、感情の行き違いを超えても、良い発想が生まれる異なる意見の持ち主同士というものがいるし、そこにこそパラダイム転換発想の契機が隠れているのである。