ユニクロからドラッカーを学び直す(1)顧客を創造せよ |
第一回 顧客を創造せよ 発
「知識労働者=ホワイトカラー」という短絡は卒業しよう
この番組はユニクロの柳井会長兼社長に、何をドラッカーから学び経営においてどう実践してきたかを取材する全4回シリーズである。
その内容は、すでにドラッカーを学んだ人々にとっても、その現代的な意義を改めて教えてくれる示唆深いものだ。
私の場合、若い世代に何をどう伝えればいいかについて、とても参考になった。
一つ一つの知識も時代とともに変化する。変化しない場合も、新しい知識が重なっていく。どうしても、土台になった知識とそれが発生した時の臨場感が薄れやがて忘れ去られていく。
すると、ある知識群がある常識を形成しているとして、その常識のそもそもの依って立つ所が分からないまま済ませている、ということが増えていく。
これは、そもそもを疑う批判精神を損なうだろうし、今自分たちが知っていることが全てでありそれによる結論がベストであるという傲慢を正当化させるかも知れない。
私が追究している「日本型」や「日本的」という概念も、いったい私たちは何をもって「日本型」としているのか、またそれが「日本的」であるとする根源的な理由は何か、という疑問を抱いていけば、結局は歴史に学ぶしかない。
ちなみに「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と語ったドイツ初代宰相のビスマルクは、近代国家日本を打ち立てるべく渡欧した岩倉使節団が会見した人物だった。大久保利通らは「大国は自分の都合の良いようにルールを扱い、小国を力で踏みにじることができる」と教えられ、ビスマルクの人物と忠告の影響は大きく、それが一因となって日本がドイツ型の国づくりに向かったことは有名だ。
私が反省したのは、伊豆に引っ込んで両親の介護と研究にいそしんでいると、都心で日々いろんな人に相対することがなくなり、私が知っているくらいのことは相手も知っているだろう、知らないならばそれと分かって学びたいのだろうと、無自覚的に思い込んできたことだった。
人とリアルに相対すれば、個々のケースで、この人はそういうタイプだとかそうではないタイプだとか人となりを否応無く感じ取って、それに自然と対処する。
しかし人に相対しないコミュニケーションでは、私の想像する一般論としてのバーチャル世界を介することになり、個別具体的な人それぞれと相対する際のリアル対応を省いて済ますことばかりとなる。
おそらくそれには、隣近所のつきあいもない別荘地での暮らしという、私のコミュニケーション的に極端な状況も色濃く影響している。
私は、本番組をみていて、改めてそのことの危うさ、非現実性に思い当たった。
たとえば、えっ「顧客創造」ってそこから説明しなければならないんだ!
そういえば、彼らは「知識労働者=ホワイトカラー」と短絡していたのかも知れない!
などと気づかされた。
そして私も以前は、本ブログで「顧客創造」について、「お客様を具体的にいかなる人々として捉えるか」や「潜在的なニーズの開拓」や「顧客期待」との関わりで事細かく説明していた、と思い出した。
(参照:「4)品種から品態へのパラダイム転換 その1」
「生活現場起点で『カーライフ・ナビゲーション需要』を拡張する思考実験」)
しかしここのところ私は、そのような手間を省いていた。
ドラッカーの論旨は連鎖していて、
それを煎じ詰めると、
「顧客創造」する者が「知識労働者」である
「顧客創造」しない者は「知識労働者」ではない
というのが本質だ。
しかし私はそれを言わずもがなのこととしてきた。
自分自身、意識せずとも常にそのような「知識労働者」としての実践をしきたから、そんな私を知る相手も同じように思っているのだろうと思い込んでしまったのだ。
しかし最近のある対話について、そういえば彼は
「この商品の顧客はこういう人たちだから、そういう広がりは望まないだろう」
と言っていたな、などと思い出されてくる。
そういう彼は確か、今その商品を購入し使っている顧客に対する「顧客志向」ではある。
しかし「顧客創造」をしようとしている、と言えるだろうかとの疑問もわく。
そういう広がりを望むような新しい生活者をも顧客に取り込むことが「顧客創造」だからだ。
タンジュンに言って、潜在ニーズを開拓した商品は、
「今までの◯◯ならば要らない」と思ってきた生活者が新しい品態の◯◯を見て、
「ああこれなら私も欲しい!」と顧客になる、そういう事態を発生させてきた。
私は彼に、こうした説明をしなかったし、
彼の方も、説明されるべき知識の存在可能性を知ってか知らずか、私からの説明を期待しなかった。
私はこの辺りのことから、人とのコミュニケーションの有り方そして人間関係の質というものを、慎重に建て直していかねばならないと感じる。
さて以下、
番組進行役の勝間和代氏の質問に対する注目される柳井氏の回答を、順次提示して検討していきたい。
手つかずの市場を発掘し新たな顧客を創り出す
それをドラッカーは「顧客の創造」と定義した。
シアーズの農民を対象とするカタログ販売を例に説明した。
この「顧客創造」において、
◯未対応のターゲットに新たな対応をすること
が不可欠の鍵になっていて、
◯その新しいライフスタイルを創出すること
が結果として生じている。
既に対応されている既存の顧客をターゲットに従来の延長線上の対応をすることは、
それを定量的、定性的いかにセグメントしようと、あるいはその枠組みの中での新機軸をいかに盛り込もうと、
けっして「顧客創造」には向かっていない。
手つかずの市場を発掘していないからだ。
たいていの場合、そういう「顧客創造」しない新機軸は、何ら新しいライフスタイルを創出しない。
そのような「顧客創造」していない新機軸は、むしろ生活者側からは理屈抜きに明快である。
驚きをともなった期待や、感動をともなった魅力を感じることがないからだ。
たとえばカーナビメーカーが長年巨額な投資をして技術開発してきた、タッチパネルにタッチしなくても手前の虚空で手を振れば操作できる技術や、フロントガラスがモニターにするHUD化の技術は、
手つかずの市場を発掘し新たな顧客を創り出す「顧客創造」だと言えるだろうか。
一方、私がクライアントに提案してきた、
「こんな商品サービスをコラボしてほしい!100 (001)」
「こんな商品サービスをコラボしてほしい!100 (003)」
「こんな商品サービスをコラボしてほしい!100 (004)」
「こんな商品サービスをコラボしてほしい!100 (010) 」
「こんな商品サービスをコラボしてほしい!100 (011) 」
「こんな商品サービスをコラボしてほしい!100 (012) 」
はどうだろうか。
クライアントには相手にされなかったが、私はこちらの方が「顧客創造」だと思っている。
クライアント社員からは、「我が社のお客様の求めるモノではない」とか「我が社は業務用は不得意でできない」といった取り組まない理由ばかりを聴かされたが、要は「顧客創造するつもりはない」と私には聞こえた。
否定されるのは何も外部ブレインの私のアイデアばかりではない。社内の正社員のアイデアも同じくずっと無視、パスの憂き目にあってきた。そしてもはや既定路線の延長線上のアイデアしか誰も提案しなくなっていたからだ。
私もそのクライアントに対する「顧客創造」提案を断念した。
しかしブログは公開であるから、そういうアイデアに他業界の人々が異なる角度から関心をもって形を変えて展開する動きはあるようだ。また、クライアントのグループ子会社には親会社以外の一般企業を主要顧客とするIC開発会社もあり、「顧客創造」の新機軸アイデアが新たな基幹ICの想定と開発に繋がる場合がある。
だから私としては「顧客創造」提案を、クライアントの有無や業界を問わずに今後も続けていくつもりだ。
ただその時、「顧客創造」とは何か、そしてそれがなぜ企業にとって必要なのかを、同時に訴求していかねばならないと思った次第だ。
「顧客期待」を常に更新し続けていく
ユニクロの経営理念の第一は、「顧客の要望に応えて顧客を創造する」である。
そして柳井氏は、「すでにある需要では、顧客の要望に応えていない」とする。
顧客創造は具体的には「ユニクロのファンづくり」という柳井氏は、「すでにある需要では、ユニクロのファンづくり」にはならないと断言しているのだ。
これは、「顧客期待」という概念に関係する。
顧客というと、「顧客満足」ということが言われるが、それは既存既知の尺度があっての、それに基づいた過去についての感情に過ぎない。
一方、「顧客期待」とは未存未知の可能性について、あの企業は何かやってくれそうだとする未来についての感情である。
ファンは対象についてよく知らない所から出発する以上、ファンづくりの基本は後者である。
(参照:「営業マンが顧客期待の感動シナリオをプロデュースする」)
フリーズや、ヒートテックなどのファッション性豊かでかつ、保湿性など高機能なインナーといったヒット商品を毎年打ち出すことから、顧客が着なくなった商品を回収して難民や貧困国へ届ける活動を始めたことまで、ユニクロの打ち出す新機軸はすべて新たな「顧客期待」の創出に他ならない。
柳井氏は慎重に言葉を選んで、
「顧客が潜在意識として、潜在需要としてあるものに対して、
『これなんじゃないですか』と提示することが、
ビジネスとして付加価値を生む、ということだと思う」
と述べている。
さらに、
「経営者が『顧客創造』を重視していないと、
下の人間がそういうことに関心を示さなくなる」
「反対に売ることばかり考える。
売るっていうことはこちらの都合(筆者注:送り手側のモノ提供の論理)なんで、
買ってもらえない限り、それはビジネスとして成立しない」
「『顧客の創造』が元にある、と意識しない限り、
ビジネスは始らない。
これは一位、はじめの一歩で、この考え方がないとビジネスやってもうまく行かない」
と言う。
私が前出のカーナビ・メーカーに感じている問題性もこの言葉に集約される。
その企業でも、もちろん製品の売り買いがあってビジネスが成立しているように見える。
しかし経営に「顧客創造」の基本姿勢を欠いていたから、他の高品質の評価を得ていたプラズマテレビなどの基幹事業が撤退せねばならない状況に至ったのである。そして今採算的に成立している残った基幹事業も、経営に「顧客創造」の基本姿勢を欠く限り同じ道を辿る可能性は濃厚だ。
ババシャツからヒートテックへ「内向き志向」を脱する
柳井氏はこう指摘する。
「企業の人でも、小売業の人でも、得てして『内向き志向』である。
自分たちは『肌着を開発している』と思い込む。
でも僕はヒートテックを開発してて、物凄くチャンスがある商材だと思った。
というのは、『肌着でなくなる可能性がある』。
よく見たらTシャツなんですよね。アウターでも着れる。重ね着もできる。
僕は『コンポーネント・ウエア』だと思う。
そういことがなかなか分からない。
ヒートテック=肌着だと、ファション性が要らない。
しかしファッション性がないと『あらゆる人』に買ってもらえない」
ここで「あらゆる人」とは、既存の顧客に加えて新たに創造される顧客を含むという意味だ。
カーナビ関連で言えば、カーナビをクルマから持ち出す、「PND」(パーソナル・ナビゲーション・デバイス)というものがある。
「PND=コンパクトで安い簡易型カーナビ」と捉えるのが、カーナビ・メーカーの柳井氏の言う「内向き志向」の画一的な発想である。
私も同じ説明を繰り返してきたが、まったく相手にしてもらえない。そこで、せめて有志社員のアイデアをゆさぶろうと叩き台を提示してきたが、経営としても文化としても「顧客創造」志向がない企業の場合、暖簾に腕押しに終わる。
(参照:「デジタル一眼レフを制御するポータブルナビ」をニコンとパイオニア恊働で作ってほしい!!」)
若い頃お世話になった当時のこの会社は、確かな「顧客創造」志向を日々実践していた。経験も実績もない部外者の若造を抜擢して、私の成長機会を与えてくれた会社だった。だからこの会社の変質はとても残念でならなかったが、ここ20年、そのような企業変質は日本の企業社会の全体で起っていた。
知識労働者は今こそ企業の外に向かい「顧客」に集中すべし
柳井氏はこう述べる。
「お客様がどういうふうに思うのか。まず外に向かないといけない。
で、ドラッカーが言っているのだが、
顧客の声だけ聴いても、顧客の買う可能性のある人はそれこそ何千分の一、何万分の一かも知れない。ですから反対に、
顧客以外の人がなぜ買わないのか
その人たちに買ってもらうためには何をしたらいいのか
ていうことを考えることと、もう一つ
顧客の人に一枚買ってもらったらもう一枚買ってもらうためには何をしたらいいのか、
みたいなことが商売の本質だと思う」
カーナビはじめ家電メーカーの場合、ある家電新商品を出した後、次世代商品をどうするかに思考が向かう。
買い替え需要を狙うということだが、ここにユニクロの発想思考との乖離がある。そしてメーカーの人は小売業とは商売が違うと言う。
しかし私は、ハードやシステムという商品が、ソフトやコンテンツ、さらにはオン・ウェブ・サービスや各種ソリューションと三位一体で、顧客それぞれのニーズに適応した付加価値を形成するようになっている現代、それは言い訳に過ぎないと思う。
ハードやシステムを一つ一式買ってもらったら、
どんなソフトやコンテンツ、
さらにはどんなオン・ウェブ・サービスや各種ソリューションも買ってもえば
「顧客創造」になるのか?
そう問わねば商売になっていかぬ時代になっているのだ。
その際、
「顧客の声を聞かない限り、そのビジネスをやったらいけない。
顧客の要望が分からないのに、それを売るということはできない」
多くの企業は顧客の声を聞かずに製品をつくり、できましたからどうぞと(勝間氏)、
「いう感じだし、
多分組織が大きくなると、そうした思いとか原点とかじゃなくて、作業としてその仕事をする。
うちはこういう会社なんで、こういう商品を作らなければならないという思い込みとか自分たちの定義ですよね。お客様の定義じゃなしに」
と柳井氏は述べる。
第一回「顧客を創造せよ」の最後、トランスレーター勝間氏はこう総括した。
「ドラッカーは、企業の目的の一番大切なことは『顧客の創造』、新しい顧客を創ることだと言いました。
これは何を意味するかと言いますと、
どうしても企業は、自分たちが作りたいモノ、あるいは作れるモノを作って顧客に渡してしまいます。また、顧客というのは、今現在自分たちの商品を買ってくれるお客さんを顧客だと思ってしまうのですが、
そうではなくて、
自分たちの企業の外にいるお客さんが真に欲しているものは何か、ということを見極め、そして顧客がいる、需要があるからこそ企業の存在価値がある、
ということを企業哲学として何回も何回も繰り返し訴えています。
私たちも、自分たちの仕事を振り返った場合に、
ほんとうに顧客を創造しているのか、
安易な仕事に流れていないか、
自分の企業の外のチャンスを見逃していないか、
ということをドラッカーの教えを守り、そしてユニクロのいろいろなさまざまな製品を考えながら問い直していきたいと思います」
市場がグローバル化した今こそ、ライバルではなくて「顧客」にこそ集中すべきなのだ。