日本人にとっての「霊性」の意味合い(5:間章) |
*第四章「超能力について」では、「聖徳太子が呪術力をもっていた」という話題が展開する。
一般的な聖徳太子のイメージからすると意外なことだが、平安から室町にかけての太子信仰とその信仰者、そうした信仰と信仰者を生んだ社会状況を把握すれば納得性がある。
しかし、本論シリーズではその解説をする余裕はない。
そこで、納得性を増したいと考える方には、「現代に重なる中世という時代とその寺社勢力(1) 」を参照してもらいたい。
中世の公家と武家を中心とした歴史の一般的解説では触れられない寺社勢力の実態を知ることになる。寺社勢力は、呪術力をともなった武力や経済力、先進の文化文明をともなった商工業力などによって当時、最強の勢力であった。
中世は現代と同じ「お手本がない」時代、「あった建前が崩壊した」時代であり、そこを強力に生き抜いた寺社勢力とその多様な人々の有り様は、今の私たちに貴重な示唆を与えてくれる。
そもそも聖徳太子は、神道勢力よりも渡来人ふくむ仏教勢力に近しく、氏姓制度に対抗して律令制度を導入、遣隋使を創設した。
このことは神仏習合以降の太子信仰において、その信仰者に、大工や板前など大陸由来の道具を使う手に職のある人々や、大陸由来の知識や技芸による仕事をして全国を遍歴する人々がいることと関係深いように思われる。
呪術力とは、現代の私たちが想像してしまう祈祷や呪詛といったオカルティックな側面も非日常的な場面であったが、日常的な場面では、稀少な道具や知識や技芸が人々にとって驚異的と目に映る効果を発揮すること、それと同義であったのではないかと思う。
そのように捉えると、「聖徳太子が呪術力をもっていた」という言説も、一般的な聖徳太子像と重なってくる。
単身でする修行や遍歴が自分の核となる精神と気力を活性するという原理
五木氏は、第四章「超能力について」のプロローグでこう述べている。
「聖徳太子は呪術力をもっていた、という鎌田さんの発言に、私は深くうなずくところがあったのだ。
斑鳩の悲劇の皇子というロマンティックな聖徳太子像とはまったくちがう、野性的で妖しい太子のイメージが鮮やかに起ちあがってきたのである。
井上鋭夫(としお)が指摘したように、北陸、上越の船頭たちの間にもタイシ信仰は生きていた。山に生きる人、そして巷の職人たちの間にも生きている。四天王寺の太子ゆかりの堂宇には、いまも大工、棟梁といった職農人たちのグループが毎年もうでにくるという」
五木氏と鎌田氏の対話は、修験者の行に向かい、それが人を無心にさせることに至る。
私も自分の体験を踏まえて両氏の考えに賛成する。
社会に出たて、進路について悩みを抱えていた。そんな時たまたま現場で実は修験者だという老夫婦に合い、ちょうどその日の夜に催された滝行に参加した。東京郊外の山深い岩谷の聖地、その行き帰りと滝行の最中に、私は数々の不可思議を経験した。
聖域に入る前に小さなお堂に修験者夫婦と一緒に入り、祈願を言葉にせずに心の内でした。
その内容は、進路についての悩みを吹っ切らせるヒントを頂戴することだったのだが、それはすぐさま、終電で都心へ向かう帰宅途中に叶えられてしまった。
詳しい話は省くが、悩みとは表層的な思いの滞留であって、滝行の圧倒的な体験がそれを払拭し、私の中核的な無垢な思いを露にしてくれた。
と、認知心理学的に合理的な説明をして、五木・鎌田両氏の対話内容に賛同する。
しかし、不可思議の数々はそのようには説明できない。そういう意味もあってこれ以上の詳述を省くことにする。
私は本論で、認知心理学的に、自身の中核的な思いを純化したり回復する働きが滝行にあるように、手に職をもった人々の修行や日々の仕事、雨にも雪にも猛暑、酷寒にもめげず全国を遍歴する人々の移動という行為が、滝行同様の働きをするのではないか、という考え方に立つ。
職能の修行や職能をもった後の遍歴は、基本的に個人でする自立性を有した営みであることにも留意したい。
ただし船乗りは、集団内部で修行し集団共同ではじめて仕事ができる点で異なる。
しかし、大海原という大自然に木の葉のように浮かぶ船に乗って運命共同体の一員となり、知識や技芸をもって身体を媒介に自然や不確定性と厳しく対峙する点で同じである。そこに余剰な人員も不要な役目役割もない。集団が一個人のような位置づけになる、そういう次元で「個人でする自立性を有した営み」と同等と考えられる。
商人が発生としては行商という個人の移動活動であったように、武士も発生としては武芸を売り歩く武芸者という個人の移動活動であった。
しかし彼らが可能であれば定住を志向していったのに対して、前述の人々は運命的に移動ないしは転住を志向した。
たとえば、船乗りによる遠隔地貿易は、その行為自体が移動だった。
たとえば、大工や石積職人による大規模建築は、全国に分散する有数の現場を転住することでしか関わりようがなかった。
考えてみれば、このような稀少な職能を有した個人や集団が、彼らを必要とする分散する現場を移動したり転住するということは、現代世界でも同じだ。
逆に言えば、定住を志向する人々は、定住エリアで必要とされることに期待し満足している、そういう意味でこそ「定住志向」であるということが分かる。
最近の日本人の若い世代は、外国に出たがらないという。
驚いたことに、国際派の代表格である商社マンですらも、会社の命令で一度は海外勤務はするが後は国内勤務でいたいという。いまや商社マンですら「条件付き転住志向」つまりは「最終的には国内定住を目指す定住志向」なのだ。
ルソンの日本人町で活躍した山田長政のような日本人、脱藩して京都や長崎を駆け巡った坂本龍馬のような日本人は、そもそも例外的少数であったが、それは現代でも同じようだ。
しかしバブル崩壊までは、MBA取得希望者が増えていたり、単身なにがしかの修行をしに渡欧した人が多かった。それが減少の一途である昨今の動向は、それ以上の何かを示しているように思えてならない。
私は個人的には、
「家康志向」一辺倒化が、本来「信長志向」であった領域にまで蔓延し、
人々が会社に正社員として少しでも長く帰属するするサバイバル競争に追われるようになった、
そして心理的にそれに疲れ果てている
ということではないかと感じている。
しかし、そのような状態で「会社への定住志向」=「終身雇用執着志向」を貫徹したとして、どうなるのだろうか。
本人の仕事のやりがいや楽しさは「いまいる会社でのそれら」に矮小化されてしまう。
そうした矮小化されたやりがいや楽しさは高まるストレスと裏腹であり、その心理的なバランスは極めて不安定である。
そのような就労に支えられた家庭と子供はどうなるのか。
「いまの就労でのそれら」を最善にするワーク・ライフ・バランスはあくまで時間管理のソリューションである。
有意義な仕事に没頭する親の後ろ姿を見て子供が憧れたり誇ったりする心理的な理想状態に向かうものでは必ずしもない。
まして、定住にこだわるあまり、想定する定住エリアで正社員になれなかったり、解雇されて再就職できなかったりする事態が多く発生している。そのような立場の人々にとっては、ワーク・ライフ・バランスどころではない。
私は、
日本社会に中世までは差別されずに大きな役割をもって存在した「移動志向」や「転住志向」、
その個人と集団の就労生活スタイルを、
現代のグローカルな経済環境において再構築していくことが必要になっている
と捉えている。
現代のグローバリズムはアメリカ由来のもので、それを前提に検討するとどうしても個人主義に向かう。個人の自己責任でやるならなんでもいいよという自由競争の論に向かってしまう。
一方、私が向かいたいのは、集団志向や企業組織を前提にした「移動志向」や「転住志向」の個人と集団の就労生活スタイルである。
たとえば、高校卒業の若年失業者が増大している。
彼らに希望者を募って、新興市場に多店舗化する現地コンビニに、現地言語とコンビニ業務の研修をして試験をパスした者を送り込む。
理想的には、コンビニ大手共同で研修をして共同資格を設け、同じ言語のエリアで希望する地域のコンビニを遍歴して回れるようにする。
そんなことを企業がするかと思われるかも知れないが、給料を現地相場にして彼らを寮に住まわせるとすれば問題はない。むしろ問題は、そうまでして海外に向かう若者がどのくらいいるか、ということだろう。
私は、こう予測する。
現状、海外には行きたいが、経済的負担と個人の自己責任を理由に海外行きを敬遠している者が多くいる。
少なくとも彼らは、こうした集団志向や企業組織を前提にした海外行きならば歓迎する。
古の日本人だって、いきなり一人で山田長政になって来いと言われて行く者はなく、日本人町があったり、倭冦の一員として船に乗り込んだ筈だ。
勝海舟の海軍操練所、坂本龍馬の亀山社中、高杉晋作の騎兵隊。
個として自らが帰属する組織や身分の垣根を超えて個性的な活動をした日本人は、みな最初はそうした者を積極的に受け入れ活かそうとする集団や組織に入りそれを成長機会としたのだ。
私の「拡大する若年失業者を新興市場コンビニ現地就労者化する」という考えもこれに倣っている。
さらにこうした集団志向の海外就労は、
冒頭述べた、
「手に職をもった人々の修行や日々の仕事、雨にも雪にも猛暑、酷寒にもめげず全国を遍歴する人々の移動という行為が、滝行同様の自身の中核的な思いを純化したり回復する働きをもつ」
そういう効果を若者たちに与えると期待する。
若年失業者の拡大に対して、このまま大胆な施策を実験的にでも何も打たないならば、
ちょうど現状維持の家計的余裕ある家庭で引きこもりのまま齢を重ねる者がいるのと同じように、
現状維持の経済的余裕ある日本国内に彼らをニートとして引きこもらせたままにしてしまう。
この予測は否定できまい。
経済がよほど好転しなければ若年失業者は拡大する一途で、やがて日本国内に現状維持の経済的余裕は無くなるだろう。
座してそれを待つよりは、「拡大する若年失業者を新興市場コンビニ現地就労者化する」という考え方をコンビニ以外の産業や業種でも網羅的に展開する方が、私には建設的に思える。
彼らの成長体験は国際的な「信長志向」である。
一方、国内は「会社への定住志向」=「終身雇用執着志向」で「家康志向」一辺倒化がさらに進むだろう。
そのことによる組織の硬直化や社会の閉塞状況を打開するのに、彼らが先兵になる可能性が高いのである。
「かわいい子に旅をさせろ」ではない。
「獅子はわが子を千尋の谷へ落す」、そしてその子の力を期待するのだ。
閉鎖的で排他的な「家康志向」その一辺倒化は、経済状況が厳しくなるほど進展する。
しかし、それでは組織の硬直化や社会の閉塞状況が打開されようがない。
そこで予測されるのは「競争」という名の実質、足の引っ張り合いでしかない。
このままでは日本人は、外国には出て行かない、外国人に観光できてお金を落としてほしいが国内で対等な立場で一緒に暮らしたくはない、それでいて日本人同士は足の引っ張り合いばかりでは、誰が考えてもお先まっくらだ。
開放的で恊働的な「信長志向」、それでしかサバイバルできない異郷の地にわが子を送る。
彼らは、そこでさまざまな不確定要素に対応する集団恊働を展開し、
着実かつ創造的な「共生」の精神と気力を磨くだろう。
私はそんな日本人の創造的な集団志向の現代的再生こそが、
日本の新しい地平を切り拓くと考えている。