知識創造者としての国民、そしてナレッジワーカーの多様性(ダイバーシティ) |
(twitterより)
多様性(ダイバーシティ)の尊重と声高に叫ばれるほどには、この国も私たち国民も多様性を尊重していない。むしろ自分の求める画一性を期待しそれに喜んで加担している。私たちは、何が多様性を疎外し画一性を受け入れさせているかを直視しその構造を一掃しなければ、同じことを繰り返すだけだと思う。
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知識創造は知識単位とその組み立て方の掛け算とすると、ある分野の既存知識単位と既存組み立て方の掛け算であればその分野の誰がしても同次元で「多様性」とは言えぬ。同じ分野なら新規の知識単位か新規の組み立て方、さらに異なる分野の知識単位や組み立て方の導入で次元様々の「多様性」が生まれる。
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(つづき)知識創造者としてのナレッジワーカーの場合、最終的には知識創造成果の「多様性」が問われる。これは個々人の発想力のような能力でもあるが、それ以上に知識創造活動をいかなる枠組みでするか、所属する部門会社、専門分野や業界などの垣根を超えるか引きこもるかで、大枠は決まってしまう。
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(むすび)企業の知識創造者の育成のほとんどは、機械論化した組織と制度の下、所属する部門や会社、専門分野や業界といった垣根の中で引きこもりが前提。産学協同などもまず同系統の専門分野で同類専門家同士が恊働。このような枠組みで知的成果と知識創造人材の「多様性」を求めるは自ずと限界あり。
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(ほそく)私が、画一的な英語公用語化を警戒するのは、前述した所属する部門や会社、専門分野や業界といった垣根の中で引きこもりが往々にして前提である場合が多いからだ。むしろ自分が関わる外国の現地語を学び現地人と多様に交流することで、以上の垣根を超えた恊働を日本人同士もするようになる。
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(だそく)所属する部門や会社、専門分野や業界といった垣根の中で引きこもりが前提の企業においては、企業内の「ダイバーシティ促進家」が以上の垣根を率先して乗越え次元様々の「多様性」を体現するパーソナリティでなければ、その企業版ないしは業界横並びの「ダイバーシティ」を実現するに留まる。
clubtomabechi
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