無自覚的に前提しているパラダイムを疑う好例 つづき |
(twitterより)
名古屋場所のNHK中継中止にうちの年寄りが残念がり、私は98年マドリッドで見た、国営放送で闘牛見ながら涼んでたスペインの年寄りを思い出す。2000年代に入り動物愛護団体の批判で闘牛放送は中止に。バルセロナでは闘牛自体が禁止に。闘牛場の閉鎖も続いた。「国技」とは何か柔軟に考えたい。
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(つづき)闘牛といえば、ブラスコ・イバーニェス「血と砂」。貧しい靴屋の倅が度胸を武器に闘牛士としての栄光を極める。そして名士たちとの交際、 贅沢、賭博に溺れ、貴婦人との火遊びでもてあそばれてしまう。闘牛場で大怪我を負ってから落ち目に、 起死回生狙うが闘牛場で命を落とす。闘牛は国技
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(むすび)である前にスペイン人にとって「心の原風景」だった。「心の原風景」を国民が大切にすることと、国技を維持することとは本質的な違いがある。歌舞伎、浮世絵の「め組の喧嘩」「神明恵和合取組」は、実際にあった町火消しと力士たちの乱闘事件。火事と喧嘩は江戸の華が「心の原風景」なのだ。
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相撲を「国技」として文科省管轄、国営放送目玉商品で維持するよりも、江戸由来の日本人の「心の原風景」を活かすことを優先する私は、まじめに「大相撲」を仕分けして民営化し、「相撲賭博」を競馬のように公営ギャンブル化した方がいいと思っている。外国人向けカジノよりも高い収益かつ文化発信性。
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「世界巡業」大賛成です。国内場所減らして東欧場所やモンゴル場所! RT @nxhrog 全面的に賛成です。ついでに放映権の入札とワールドツアーも RT @cds190 「国技」として文科省管轄、国営放送目玉商品で維持するより、「大相撲」仕分けして民営化「相撲賭博」公営ギャンブル化
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けっきょく文科省もNHKも相撲協会も、日本人をみんなまとめてどうにかしよう、相撲を見させようとしている全体主義なのだ。本来見たい人が相応の対価を支払ってみればいい。それを海外含めて成立するように事業展開していくのが市場原理に添う。「心の原風景」も保ちたい人だけが熱烈に保てばいい。