為にする不正確な「団塊世代」論議について |
(twitterより)
(1)一般化する「団塊世代=重石」論の問題点 大きい個人差を捨象するレッテル張りが一番問題だが、それが為にする論であることは、概念規定がそもそもは「1947年から1949年までのベビーブームに生まれた世代」が恣意的にその後の1950年代生まれにまで拡張されていることで分かる。
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(2)要は、「組織を支配している年輩者」を「団塊世代=重石」と十把一絡げにレッテル張りをしているのが実情。 ところが、元々のベビーブーマーと、経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した1955年(昭和30年)生まれ、今年55歳の前後ではまったく、思考行動の性向が違うのだ。
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(3)真正団塊=ベビーブーマーは、小教室に多数の児童が詰め込まれ「画一的競争に親しみストレス耐性強い」。しかし、出生減少により余裕ある【ポスト団塊世代】は、「個性的部族に親しみストレス耐性弱い」。違いは明らかに大。 性向は家族内で【団塊ジュニア】と【ポスト団塊ジュニア】が継承。
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(4)いま20代、30代の世代でも、少し学年が違うと性向が違うと自分たちで認識している。実際、就職氷河期など社会体験による違いも生じる。一方で、自分より上の世代の違いは判別しにくい。 冷静に考えてほしい。日本の敗戦直後のベビーブームという1947年から1949年まで急激な人口増、
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(5)一時期の社会現象、それを出発点とする体験世代を、なんで経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した戦後10年の昭和30年、高度成長期生まれにまで拡大解釈するのか?それは、組織を支配している年輩者をレッテル張りにより排除するためだ。しかし世の中個人差の方が、組織体質差の方が大。
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(6)真正団塊1947年〜1949年生まれはいま63歳〜61歳。企業なら定年間近かの閑職かすでにリストラされてる人が多数。君臨してる支配者は少数派。彼らに世代的な共通の性向があるとしても、それを活かしたサバイバル力は個性に属す。で同様のサバイバル力ある年輩者全体が団塊と呼ばれる。
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(7)あるバラエティ番組で、麒麟の声のいい方が大御所が君臨する「お笑いの世界にも定年制しくべきだ」と論じ、野村監督夫人が「実力で押しのければいい」「そんなこと言うより実力をつけなさい」と一喝。 支配者として君臨する年輩世代全体を「団塊世代=重石」とする十把一絡げにもどこか重なる。
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(8)真正団塊1947年〜1949年生まれに対し、鳩山由起夫は1947年(昭和22年)生まれでどんぴしゃだが、小沢一郎は1942年生まれ、つまり5年前の戦中生まれ。 ビートたけし1947年どんぴしゃで、明石家さんま、所ジョージ1955年、島田紳介1956年は【ポスト団塊世代】。
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(9)為にする不正確な「団塊世代」論議、これはマスコミが狙う人格攻撃の世論操作でもっとも有効な手法かも知れない。 なぜなら、国民大衆の側にもそれを受容したい動機があるからだ。 私たちは今の日本にもゲッペルスはいると知るべきだ。