「わきまえ」の語用論と日本型集団独創の関係を探る(6:結論) |
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からのつづき。
談話レベルのモダリティ表現「言い換え」にみる日本語の特徴
談話レベルのモダリティ表現とは、「言い換え、あいさつ表現、きまり文句、前置きのことばの挿入など」である。
本項(6)ではこれを検討し、いちおうの本論シリーズの結論を導きたい。
「言い換え」とは、たとえば、
「くい止められないんじゃないかという気がしているんです」
といった私たちが日常的に使っている表現だ。
「同じことを言うにも、疑問形にしてみる。(中略)『か』を使って疑問形にして断言を避け、判断をあいまいにすることもある。
文を否定文にして、断言を弱めることもすくなくない(中略)。
次に『ないんじゃ』の『ん』を考えてみよう。『ん』は『の』がつまった言い方で、『の』はその前に言ったことを物のように捉えてくるんで名詞化するものである。『ないのでは』が『ないんじゃ』になっている。ここでは(中略)『くい止められない』という命題をまず『ん』で名詞化している。その後に『では』の縮約形『じゃ』が続き、『ん(の)』でくるまれた内容を主題化している。次に『くい止められないんじゃない か』と否定の『ない』を付加し、次に疑問の『か』が続く。その次に、『という』という前のことをくるんで名詞化する表現をし、その後に『気がしている』と言う。『気がする』ということは気持ちの上で感じていることで、認識しているわけではないことを暗示する。そして『気がします』の代わりに『気がしている』と『ている』形を使い、その気持ちの状態の持続を示し、話し手の責任において判断した、ということを避けている。そしてさらに『ん』で言ったことをさらに名詞化してくるみ、その上ではじめて話の場面を意識して、丁寧語の『です』を付けて締めくくり、話し手の場面へのあらたまった心的態度を示している」
仮に私が、以上のモダリティ表現をすべて直訳して英語や中国語にして言ったら、欧米人や中国人は「いったいこいつは何を言いたいのだろう」と思うに違いない。
命題を簡潔に言えば、「くい止められないと思う」であり、英語や中国語でモダリティ表現を加えても「I am afraid we can't stop it」「恐怕我们不能阻止它」でしかない。
まず私たちが問うべき大きな疑問は、
どうして日本人はこうまでまどろっこしいモダリティ表現を多様に多用するのだろうか?
ということである。
このような表現を可能にしているのは日本語の特徴的構造による。
「日本語の文が入れ子構造のようになっていることは、時枝(1941)によって『入れ子構造形式』として知られているところだが、これは膠着語という言語の類型的特徴をもっているからこそ、いくつもの層を成すモダリティ表現が可能になっている」
私たちが問うべき大きな疑問は、
どうして日本人はこうまでまどろっこしいモダリティ表現の多様な多用を可能にする文法を維持してきたのか?
ということである。
もともと「膠着語」は大和言葉の文法の枠組みとしてあった。
日本人が大切にしてきた「言うという行為」とその「やりとり」の本質とはいったい何なのか?
は日本語の原初に戻って最初に問われなければならない。
本論でその答えを探ることは控えるが、古今東西の言語にある二重否定の比ではなくまどろっこしい「入れ子構造形式」の多様な多用が最初からなされた訳ではい、という事実に着目したい。大和言葉は言わば歌でありもっとシンプルだった。
ということは、日本語が大枠として大切にしてきた「言うという行為」の「やりとり」の本質、つまりはその目的と手段が系統的に変容し派生してきたと考えられる。
タンジュンに言えば、以上のような「まどろっこしい系」と、軍令、諺や四文字熟語、和歌や俳句などの「言葉少ない言い切り系」とが、いつの時代も二項対立を構成してきている。
ちょっと脇道にそれるが、20年くらい前まではテレビやラジオで北朝鮮のことを「北朝鮮民主主義人民共和国」と略さずに一々言っていた。それがいつの頃からか初めに一度そう言ってあとは「北朝鮮」で済ますようになり、いまはすべて「北朝鮮」と言い「北朝鮮民主主義人民共和国」という長ったらしい呼称は使わなくなっている。
北朝鮮関連のニュースが多くなり、そうしていては他のニュースを伝えられないほど時間を喰うようになってしまったからか。それとも民主主義国家であるとの宣伝に一役買うことが嫌になったからか。
いやそうではあるまい。国名についての「言うという行為」の「やりとり」についての考え方の枠組みが申し合わせて変わったのだ。だからテレビ、ラジオの各局ほぼ同時なのである。
じつは似たようなことは、韓国人の名前を韓国語読みにするようになった経緯にもある。
中国人の名前は相変わらず日本語読みだが、それは中国で日本人の名前を中国語読みしていることに対応している。中国で漢字を日本語読みすることは今後もないだろうから、このままでいくのだろう。
私は、「くい止められないと思う」という命題をまどろっこしいモダリティ表現をともなって「くい止められないんじゃないかという気がしているんです」と言うべしとする、「言うという行為」の「やりとり」についての考え方の枠組みが「ある社会環境のお約束として意図的に用意された」のだと思う。
そして、その経緯は私に知る由もないが、その「経緯自体が法則化している」ということが日本語の特徴だと考えている。
外国人や小倉優子や中川翔子におそわる日本語の特徴
「日本人の知らない日本語」(蛇蔵&海野凪子 メディアファクトリー)という日本語教師が日本語を学ぶ外国人の珍発話を漫画仕立てで解説した本がある。
とても面白くて腹を抱えて笑ってしまうのだが、同時に、とても重要な日本語の特徴的構造に気づかされる。
その一つに、ヤクザ映画で日本文化が好きになり日本語を独学して来日したフランス人マダムの話がある。彼女は、初対面の挨拶の時に「おひかえなすっておくんなせえ・・・」と始めたそうだ。
外国人にとっては、マフィアが話す母国語も、一般人が話す母国語も同じだから、当然、日本語もそうだと思っていたのである。
そう言われてみると、日本語には「ある社会環境のお約束として意図的に用意された」言葉が多様に存在する。
古今東西にある、身分格差に応じた発音や言葉遣いの違いのこと(コクニーなど)や、首都周辺の発音や言葉遣いが標準語とされること(北京語など)のことではない。
典型的なのは、前の身分がどうあれ苦界に身を落とした吉原の花魁の「ありんす」言葉である。
「ありんす」は「ある」という命題表現のモダリティ表現への「言い換え」と言える。
「言い換え」は「役割換え」の表明であり、帰属集団の表明でもあるのだ。
このメカニズムの起源は、ある部族の構成員がその部族独特の言葉を部分的にもっていて、帰属を対外的に表明したり対内的に再確認する場合に用いることに求められる。
この部族を特定する言葉は、部族独自の言わば「言葉のトーテム」「言葉の装身具」だと捉えれば分かりやすい。
だからそうした言語活動は、かつての暴走族やチーマー、そしてニューヨークや渋谷のカラーギャングにもある<部族人的な心性>を土台とするものだ。
しかしここで私が着目しているのは、そうした<部族人的な心性>を<社会人的な心性>にまで社会全体レベルで発展させる日本独特の様相なのである。
<部族人的な心性>を土台とする「言い換え」では、名詞(タクシー→オートン)や動詞(喧嘩する→タイマンはる)や副詞(ほんとうに→まじに)や形容詞(すごい→やばい)など命題絡みの必須表現が主役だ。(一般に普及する前の初期段階において)身内同士では通じるが、余所者には分からない分かりずらい、というところがポイントだ。
一方<社会人的な心性>を土台とする「言い換え」では、助動詞(である→でありんす、です→でげす、です→す)など省いて言い切っても意味の通じる表現や、おおよそニュアンスが解説なしに分かる否定の終助詞(ない→ねぇー)などが主役で、それで帰属集団や帰属階層を表明しきれている。帰属集団や帰属階層の外の者にも言っていることが通じつつ、他者に帰属集団や帰属階層を分からせ、自己に課せられた役割を果たす意思を伝えている、というところがポイントだ。
「言うという行為」とその「やりとり」において、
前者は、対内的な同質性の表現に焦点を当てている
後者は、対外的な異質性の表現に焦点を当てている
と言える。
ちなみに、小倉優子は一人で「りんこ」言葉を使っているが、彼女はそれで「こりん星人」という帰属集団を表明している。
彼女は無自覚的に日本語の言語文化に則っているのだ。
さらに、しょこたんこと中川翔子は、「ぎざかわゆす」のようなより高度な言葉遣いをする。
「ぎざ」はオリジナルな副詞(とても)で、「す」は「です」の縮約形で一般的だが、これを形容詞「かわゆい」の語幹に直結しているのがオリジナルだ。
文法は以下のように詳細にできている。
「文末・語尾
な~
主に感心したり、納得したりしたときに使われる。
す
感嘆詞以外の言葉と合わせて使われる。
ね
主に確認、納得、感想などのコメント時に文末につく。
呀(あ)
嬉しさや喜びを表すときに使われる。ただし、現在では『ギザ』にとってかわられている。
まんた
『ました』の意味。活用として『まんたった』に変化。
りんぐ
動詞の後に付属する現在進行を表す語。英語の動詞原型+ingが由来。VIP語の『~しまくりんぐ』が原型。
感嘆詞
発祥から2つに分けることができる。使用状況によっては、『ギザ』や『ギガント』などの接頭辞がつく場合がある。
カワユシ
『カワユス』の上位変化。ただしこの用語は古くから日本語の表現にある。
マミタス、マミトス、マミトシ、マミト
『ました』の意味で、元々は、溺愛する愛猫"マミタス"を呼ぶときに使っていた。それがいつしか、テンションが高いときや感激のあまりに使うもの。『まんた』とあわせることもあり、『マミまんた』と使う」
私の知り合いには「ぎざゆす」言葉を使う者がいないため、正確なことは分からないが、おそらくそれを多用する人たちは、「しょこたんのファン」という帰属集団を表明しているのだろう。
注目すべきは、こうした言語活動がしょこたんによってテレビで公になされていて、視聴者がその意味するところを理解し、中には真似して使っている人たちがいるという社会性だ。
これは、日本人にとって「ある社会環境のお約束として意図的に用意された」言葉が、「自己の帰属集団や役割」を表明するモダリティ表現となるメカニズムとして社会的に機能している、という現代の証拠事例に他ならない。
表現は理解されるという経過を経てではじめて機能する訳だが、こうした日本語の事例は、その「経緯自体が法則化している」という日本語の特徴を示している。
<部族人的な心性>を土台とする言葉遣いならば、部族の構成員に理解されればそれでいい。
しかし<社会人的な心性>を土台とする言葉遣いは、身の回りの自分と同質の部族の構成員以外の、自分とは異質な者も含む一般的な社会の構成員の理解をも必要とする。
小倉優子の「りんこ」言葉や中川翔子の「ぎざゆす」言葉は、そういう意味で<部族人的な心性>を土台とする言葉遣いが社会化する経緯、その<社会人的な心性>を踏まえた言葉遣いなのである。
注意しておかねばならないのは、ある言葉遣いが<部族人的な心性>を土台とする言葉遣いなのか、それともそれが社会化する経緯の<社会人的な心性>を踏まえた言葉遣いなのかは、発話者の心つもりとそれを受け止める社会やマスコミの心つもりによるのであって、その時点時点で極めて相対的かつ流動的であることだ。
吉原の「ありんす」言葉や、小倉優子の「りんこ」言葉は、お客や視聴者に自分の言うことを分かってもらう必要から社会化の度合いが高い。一般の社会人は特に通訳や翻訳を介さずに理解することができる。
一方、中川翔子の「ぎざゆす」言葉は解説がないと何を言っているのか分かりずらい。分からない人も多いだろう。これは、しょこたんが「自分の言うことを分かる人にだけ分かってもらえればいい」というスタンスで発話していることによる。マスコミが取り上げて解説したから分かる人が社会的に増大したが、それは社会の側が歩み寄ったということである。しかしNHKのレギュラー番組では彼女の「ぎざゆす」言葉を聴くことはない。
最近は、女子高生の「ちょべりば」言葉から、ホームレスギャル漫画家?浜田ブリトニーの渋谷系ギャル語(「スパギャ連れてまっパネェイベすっから、とりま行くしかないっしょ!」=「有名なギャルを連れてとても凄いイベントをするので、とりあえず行くことにしましょう!」)まで、マスメディアが取り上げて歩み寄る現象が続いている。
繰り返せば、
発話者の個人および集団の心つもりと、それを取り上げて解説したり自らも使用する社会および各種メディアの心つもりとの合作、というのが言葉遣いの社会化現象の一般的構造である。
これと同じ構造の言葉遣いの社会化現象は、戦後日本における各種業界でのカタカナ英語の多用とその社会化でも認められる。
たとえば「コンセプト」という言葉は、マーケティング用語として伝来し最初は広告業界の人間が使っていたが、それが隣接するデザインや音楽、そして出版などの業界人が使うようになり、やがて一般のビジネスマンや大学生が使う日常語となった。
そうした元業界用語が一般人の日常語になった例は枚挙に暇がない。
デザイン、ヴィジョン、リスク、ポリシー、ミッションなどなど。
日本語でその言葉本来の意味を担う日本語がなくて、日本人が正確な理解をしていない概念が多い。
ちなみにデザインは、単なる意匠ではなく近代以降のマスプロダクションとマスコミュニケーションを前提としている概念である。リスクは、単なる危険性ではなくて、挑戦することではじめて発生する負の可能性である。
日本語における外来語の働きは、そうした命題の正確な伝達を二の次にしている。
結論を先に言えば、発話者が自らの役割や立場においてする既存の日本語のご都合主義的な「言い換え」なのである。IT用語を多様すればIT関連のエキスパート然と振る舞えるように、カタカナ英語を多用すればアメリカ的な先進性の申し子然と振る舞えるという日本人同士の「世間」が前提になっている。
すべて初期の段階で、「ある社会環境のお約束として意図的に用意された」外来語が「自己の帰属集団や役割」を表明するモダリティ表現となるメカニズムを特定の<部族人的な心性>において働かせたのが、徐々に社会化して不特定の<社会人的な心性>において働くようになっている。
女子大生ブームをともなったバブルの崩壊までに日本社会はおおよそアメリカへのキャッチアップを終えた。この後段階から外来語ではなくて、世間の注目が女子大生から女子高生に低年齢化しその「チョベリバ」言葉に始まり現在に至る、言わば「新造語日本語」の社会化現象があるのは偶然ではないのではなかろうか。
現在では、IT用語を多用する発話が「IT業界人」はもとより「ITに詳しくそれを教え伝える立場にあること」を表明するモダリティ表現になっている。
本当に詳しいエキスパートだろうと、それを装うだけの人間だろうと、命題を囲い込むモダリティ表現としてIT用語を意図的に使っている場合は、そういうことなのである。
そのような場合それは、「言うという行為」の「やりとり」がなされている場という「ある社会環境のお約束として意図的に用意された」言葉なのだ。
ここまでの結論として私が指摘したいのは、
「くい止められないんじゃないかという気がしているんです」のようなまどろっこしいモダリティ表現を要求する「場」があって、また逆にそうした「言うという行為」の「やりとり」を居合せた人間がするからさらにまどろっこしいモダリティ表現を要求する「場」となっていく、という「場」におけるコミュニケーションの相乗的なダイナミズムの存在である。
そして、こうした「場」のコミュニケーションのダイナミズムは、「まどろっこしい系」にあるだけでなく、それと二項対立を構成する「言葉少ない言い切り系」にも並行して存在してきた、ということである。
これは、本論では割愛した「あいさつ表現、きまり文句、前置きのことばの挿入」などの談話レベルのモダリティ表現にも共通する事態で、またそれらも大いに関与している事柄である。
「まどろっこしい系」には
「言い換え、あいさつ表現、きまり文句、前置きのことばの挿入」があり、
「言葉少ない言い切り系」には
「言い換え、あいさつ表現、きまり文句、前置きのことばの省略」がある。
両者は好対照をなすことでお互いの有り様を際立たせている。
総じて、
「まどろっこしい系」は、
話し手と聞き手の人間関係についての暗黙知(行動知)と身体知を盛り込んだり汲み取ったりするコミュニケーションで使われる。
「言葉少ない言い切り系」は、
話し手を聞き手の人間関係についての明示知(形式知)を言わずもがなの前提にするコミュニケーションで使われる。(作品として自立させる俳句や、上位者が下位者に下す命令など。)
こうしたことは私たちにとって当たり前の日常知に属する事柄だろう。
ただそれを私たちは日本語独特の造語感覚ないし造語体系として客観視していない。
しかし、お正月の年賀状と年明け直後のケータイメールやツイッターのツイートを考えてほしい。
「明けましておめでとうございます。昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします」の「まどろっこしい系」に対して、
「あけおめ」という「言葉少ない言い切り系」が好対照に造語されている。
「あけおめ」は目上の人には使えない。ということは、タメ口でいい、という話し手と聞き手の人間関係についての明示知(形式知)を言わずもがなの前提にするコミュニケーションで使われる、ということである。
「家康志向」は帰属集団維持のために「まどろっこしい系」を多発し、
「信長志向」は新型集団創造のために「言葉少ない言い切り系」を多発する
結論を急がずに検討していくべく、私の最近とみに感じていることを述べたいと思う。
私の言動、といっても主に書く内容なのだが、政治的に右寄りの人からは左寄りだと思われ、左寄りの人からは右寄りだと思われる傾向がある。
私自身は、政治的にどっち寄りとか、どっち派とか自分の立ち位置を自負することはない。(敢えて自分にレッテル貼りをするならば、リベラルな民族主義者、というところか。)
しかし、立ち位置を自負している人ほど、自分とは違うつまりは逆側の立ち位置の者と私のことを看做すのだ。それは論理的な行為というよりも、そうしないと情緒的に安定しないという感じだ。
そのような彼らにとって、「言うという行為」は、
自分の立ち位置を鮮明にして、
同じ立ち位置の者とは仲良くし、異なる立ち位置の者とは対立する、
まさにそのための行為になっている。
全体からすればちょっとした部分でしかない私との意見の喰い違いが、私を自分とは立ち位置の異なる者と看做すことに直結する(彼らの立ち位置からすれば見過ごすことのできない喰い違いなのだろうが)。
私は、固定的な立ち位置に立っているつもりも立とうとするつもりもなく、いろいろな命題間を飛びまわりながらそれら全体を俯瞰することを好んでいるだけなのだが。。
私にとってはそれが「言うという行為」なのだ。
彼らはすぐに、そんな私を敬遠することも含めた「対立の関係」に落ち着いてしまう。
私の側はまったく対立するつもりはないし敬遠するつもりもないのだが、敬遠されてまで追いかける理由もないから関係は自然に消滅していく。食い違うポイントについて、私が私なりの大局観から重大視しないことが、さらに彼らをして「対立の関係」を選択し持続させるということもあろう。
私には、もし日本人同士の「言うという行為」の「やりとり」の多くがこうした「自他の立ち位置を決めつけて群れるか対立するかのどちらか」という経過をたどるとすれば、日本人のコミュニケーションの創造性は行き詰まってしまう、と思えてならない。
こうした傾向は、
自分と同じ考え方の者は身内=<内>、自分と異なる考え方の者は他所者=<外>
そう捉える短絡に繋がっていく。
それは容易に、
身内=<内>のものは同じ考え方でなければならないという空気(同調圧力)
空気を読まず同調しない者は身内ではない<外>へ出て行け
という論理にすり替わる。
戦前の軍国主義の全体主義化においては、非同調者は非国民とされ、密告されれば憲兵隊がきて引っ張られた。
日本人同士の「言うという行為」の「やりとり」においては、そのような言論統制的な事態がまた来ないとは言い切れない。
たとえば、部分的な意見の相違くらいで関係が対立したり解消していくのであれば、いくら坂本龍馬が働きかけても、一度薩摩を敵とみなした長州が薩長連合に踏み切ることは無かった筈だ。
つまり現在求められている、時代の変革を支えるパラダイム転換志向のネットワーキングを今の日本人はできない、ということになってしまう。なぜなら、時代の変革は誰もに自己の変革を迫るものであるが、自己変革を嫌う者が自己変革を求める者と対立したり排他性を貫く限りそれは抵抗勢力としてパラダイム転換を阻むからである。
坂本龍馬に象徴される「信長志向」のネットワーキングとは、「異質性の者同士を、より大きな同質性を想定して繋げる」ということである。
それは、既存の立場役割に囚われず、いろいろな命題間を飛びまわりながらそれら全体を俯瞰する、そんな「言うという行為」の「やりとり」によって可能となる。
これができない、したくないでは、時代の変革を支えるパラダイム転換志向のネットワーキングはできようがない。
一方、幕府が薩摩を取り込もうとしたのは、幕府の内側から見れば「信長志向」のネットワーキングと見える。「異質性の者同士=譜代と外様」を「より大きな同質性=勤王幕藩体制」を想定して繋げる、というものだから。しかし、幕府の外側から見れば、それは現状を維持する延命策であり、「家康志向」のネットワーキングと見える。「家康志向」のネットワーキングとは、「同質性の者同士の身内に許容される異質性の者も取り込む」ということである。「同質性の者同士=封建体制における既得権益者」の身内に「許容される異質性の者=外様ではあるが同じ封建領主」も取り込む、を狙ったのだから。
自分の立ち位置を鮮明にして、同じ立ち位置の者とは仲良くし、異なる立ち位置の者とは対立する、そんな「言うという行為」の「やりとり」へのこだわりは誰にもどんな場合にもあるにはある。
しかし、「立ち位置が従来体制で約束された固定的なもの」か、「立ち位置が新規体制を具現化するための流動的なもの」かで、おおきく「こだわり」の内容が違うことも事実だ。
今の企業社会の言葉で言えば、前者が「上向き、内向き、後ろ向き」で、後者が「下向き、外向き、前向き」に重なる。
薩長の維新の志士は主導権をもって倒幕を貫徹し、攘夷から開国へ方向転換して富国強兵へ、廃藩置県、四民平等へと、後者を実践していった。
一方、倒幕派の中でも封建体制=武士社会を前提に勤王を大義として幕府に代わって自分の藩を立てることばかりにこだわった者たちほど、攘夷から開国への転換を情緒においてけっして潔しとしなかった。彼らは前者であった。
薩長の維新の志士も厳密に見れば、そもそもは藩という枠組みの「家康志向」であった。そんな両者を、脱藩した坂本龍馬という当初から「信長志向」を発揮した逸材だからこそ同盟させることができた。
明治新政府においては、雄藩の内でも薩長閥が「家康志向」で仕切った。
「信長志向」で門閥政治を攻撃した土佐は立場を弱めていっている。
坂本龍馬は、大政奉還の建白書の元となったと言われる「船中八策」のような新国家体制を提示しながらも、こうした先行きを見越したかように政府入りを望まなかったことは有名だ。
どっち寄りとか、どっち派とか自分の立ち位置を自負したりそれに囚われることのない有志は、そもそも異端である以前に、保身を優先しないという点で例外的な少数者である。
そんな例外的な有志たちが、時代の転換点や組織の起死回生時に一丸となって起点となる動きをする。それは歴史や業界逸話が示す事実である。
社会の「目的」において新たな方向づけがなされれば、社会の「手段」は自ずとそれに適応していく。しかし、そこには従来からの柵や悶着の抵抗や妨害がつきものだ。
龍馬には、それがこの国の「世間」というものの面倒臭さだと分かっていたのではないか。
そして自分のような異端が自由を謳歌できるのは、貿易という「異界との重なり領域」をネットワーキングする活動しかないと直観していたのだろう。
私自身も、どっち寄りとか、どっち派とか自分の立ち位置を自負したりそれに囚われることのない者である。
公私ともにしがらみに束縛されない「信長志向」でやってきた。
そのためだろう。「家康志向」の立ち位置にこだわる人々からは、時事問題では右からは左だと、左からは右だと看做されることが多々あった。クライアント企業の経営危機において勝手連的に様々な提案や提唱を繰り返した際には、若い頃にそのOB幹部社員に様々なチャンスを頂戴した恩に報いるつもりでいたが、多くの社員からは私が何らかの保身を求めてのことと誤解された。かつてのOB幹部(専務や部長)はフリーランスの若造の私に、イコールパートナーとしてコンサルティングやプラニングを依頼した。つまりは「信長志向」で外部ブレイン活用をした。しかし、「家康志向」一辺倒化して経営危機に陥った後の社員は、平社員でも、非正規社員は下請けとしてしか見ようとしなかった。アイデアや意見に耳を傾ける前に、下請けのくせに何を偉そうなことを言っている、という態度を示した。まるで維新前夜の幕藩の上級武士の情緒に戻っていた。
バブルが崩壊した後しばらく、おおよそ90年代中頃まで「信長志向」が発揮され、私がお世話になったOB幹部は、社員にはない考えやアイデアを言わせるべく頻繁に私を社内の会議に呼んだ。ところが長引く平成不況下、「空白の10年」「空白の20年」の間に「家康志向」が一辺倒化した。それは、日本企業の全体において一部の例外を除いて日本型経営を短絡的に全否定し、リストラ圧力が慢性化して社員が保身に専念するようになった経過と軌を一にしている。だから、業界ごと、企業ごとに、論理的な整合性があっての結果ではなく、業界、企業のかかわりなく日本の企業社会全体の体質変化として現象したのである。
著者は、「何を言うか何を言わないか」の重要性を指摘する。
実際、「家康志向」の会社では、「何かを言うこと」や「何かを言わないこと」が、相手や周囲によって「立ち位置」を決めつけられることに繋がる。
社員も、それを恐れて「何も言わないこと」という選択をすることが多い。
著者は第1章「『言うという行為』とモダリティ」を締めくくる「1.8.『言うという行為』の制約はどこからくるのか」でこう述べている。
「日本語を話す時、話し手は話の場のさまざまなコンテクスト情報を瞬時に総合的かつ分析的に解釈して読みとり、話し手がそのコンテクストの中で生かされていることを、モダリティ表現で示しながら話すのである」
この「話し手がそのコンテクストの中で生かされていることを、モダリティ表現で示しながら話す」という言動をそうすることが求められている「場」でいくら繰り返しても、既存コンテクストを変えるパラダイム転換など起こりようがないことは明らかである。
「家康志向」一辺倒化の弊害とはまさにこれである。それが組織を硬直化して社会を膠着化させ、さらにそれを脱却するパラダイム転換の可能性を排除するのである。
具体的には、<内>における身内としての同調圧力の絶対化、ということが現象する。
日本人同士が本音で「和して同ぜず」とはならず、その真逆に、建前で「同じて」本音で「和せず」が常態化する。
戦前の軍国主義の全体主義化も、現代の会社の既定路線から外れる異論を述べると職場で浮いて嫌われるリストラ圧力の慢性化も、人々が保身だけを重視し与えられた目前のノルマをこなすだけで自分の本音を言えない、という大衆心理状況はまったく同じだ。
著者はこう自問自答している。
「何がこのようなモダリティ表現を使うように(筆者注:そうして既存コンテクストに順応するように)コントロールしているのか。
その答えは、日本社会の在り方(筆者注=「家康志向」)に求められなければならないであろう。
『日本人は長い間世間を基準として生きてきた・・・』(阿部1995)といわれるように、日本人の日常生活レベルで意識される集団は社会ではなく、世間である。
日本人は世間という見えない壁の重圧の下に自己を埋没させ、その中で生かされている。
世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、世間の掟の下に生きるには、世間を騒がせず、世間の名誉を傷つけないことが肝心である」
「世間という個人を結ぶ基準の下で車座になって行動すると、個人が環の中で没個人とならないために、細かく自分と他人の区別を行う必要性が出てくる。
西欧的な社会では、個人の権利を持って主体性を前面に出しているので、個性を自由にストレートに表出することが求められているが、世間の目を気にして画一的に行動する傾向が強く『出る杭は打たれる』日本社会では、世間が決めるわきまえの区別に従って行動したり表現することが期待されている」
しかし、そうしてばかりいては既存コンテクストというパラダイムを転換する「言うという行為」の「やりとり」はいつまでたってもできない。
私は、こうした限界的な語用論的現象は、集団を固定的に捉えて同質性の身内だけで知識創造しようとする「家康志向」の枠組みにあると考える。
なにも欧米流の個人主義的な言動形式がいいと言うのではない。
そんな欧米流を皮相的に取り入れなくても、集団を流動的に捉えて異質性の適宜な人材で知識創造しようとする「信長志向」の枠組みを現代的に再生することで乗りこえていけるのだ。
日本人が実際にそうしてきたことは歴史が教えている。
私は一市民の雑学者としてこれからも、「信長志向」の語用論と語用論的現象を検討し、抽出したノウハウを集団独創において実践していきたいと思う。
その意志の表示をもって本論シリーズの結論に代えたい。