おもいっきりスピリチュアルな何かの節目の雑談(1) |
宵っ張り向けのシンクロニシティもあるよ
本については前々からシンクロニシティ(意味のある偶然)が働いてきた。
今回は、地元唯一の文房具屋をかねた小さな本屋さんで目にとまって買い、もうしばらくしたタイミングで読むのがいいという直感があった。
実際そうしてみると、いまのこのタイミングでこそ、この本は公私の多方面に深い納得と示唆を与えてくれるものだった。
じつは正確に言うと、そのタイミング以前にナイトキャップにフライングして読み始めてしまったのだが、自分が納得と示唆を得たのは途中からで、それが最初に直感したタイミングとなってから読んだところだっだ。
本書は、直感と共時性は深い関係がある、そうも解説していた。
「今日、目の前に起こることを、ひとつひとつ楽しんでください。
その『楽しむ波動』が次の『もっと楽しいこと』を引き寄せてきます。
この繰り返しが、あなたの生活をつくっているのです」
楽しいことについてそうするのは誰でもできる。
一見楽しくない辛そうなことについてもそうするのに工夫がいる。
しかし、それはやろうと思えば誰でもできるし、そうした人の心にはすぐに幸福が宿る、ということだと思う。
著者は言う。
「そのような人たちの話を聞いてみると、幸せの始まりは、誰にでもある普通の出来事からスタートしていたはずです。
たとえば、日常的ななにげない人との会話、ある日ふと思いついたこと、目にとまったこと、たまたま隣の席になった人との盛り上がり・・・など、『まさかあれがきっかけになるとは思ってもいなかった、というようなことが繰り返されて、いつの間には現在の状況になっていた』という過程をたどってきたことが多いでしょう」
私の仕事人生も実際そうだった。
私の場合、いくつかの業界や分野の仕事を移動したりまたがってやってきた。
多くの人はそういう私のキャリアを不思議がるが、私としては、すべて遭遇するきっかけや出来事にのめり込んできただけのことなのである。
「朝起きたときに『今日はどんなことが起こるのだろう』と思ってください」
と著者は言う。
おそらく著者は健全な朝型なのだろう。
私の場合、宵っ張りで朝が苦手なので、神様は違うパターンを用意してくれているらしい。
たとえば昨夜は夕食後はやばやと7時にベッドに入りたわいないアニメを一本見て8時半には寝てしまった。風邪をひいたとか疲れていたとかではない。特に寝不足で眠たかった訳でもない。ただ何となくそうした方が気持ちいいと感じて寝てしまった。
そして深夜にむくっと起き、階下のトイレに行き、リビングでテレビをつけた。
すると「白洲正子が愛した日本人」というNHKハイビジョン特集が飛び込んできた。
最近、白洲次郎と正子のドラマが繰り返し広報されるので、ひねくれ者の私は一連の番組を見ずにいた。だからテレビをつけた時、番組タイトルが分かれば他のチャンネルにしていたかも知れない。しかし、私が最初に引きつけられたのは「西行と明恵」の話で、白洲正子の特集とは分からなかった。
西行は、日本人で初めて「生き方としてのさびしさ、孤独を主体的に選びとった人だ」といった主旨のことをパネラーのお一方が言っていた。
他のパネラーの方の、「日本人にとって桜と紅葉がセットになっている。どちらも時間の移ろう感覚を味わい愛でることができる」といった主旨の話も興味深かった。
思えば、「西行」は漂泊の僧にして歌人。
「明恵」は釈迦への思慕の念が深く2度天竺(インド)へ渡ることを企画した僧にして、「夢記」に40年に及ぶ観行での夢想を記録した夢想家だ。
「西行と明恵」は、個人としての「転住民」の先駆にして多方面からの憧れの存在であった。
日本列島における「転住」は、単に豊かな自然や四季と一体化するというだけでなく、それを表現し夢想と照らし合わせる精神活動を特徴とするのかも知れない。
特集番組の後、件のドラマの広報が流れた。
ただ今回私は、戦後復興期、白洲次郎が吉田茂のブレインとなって活躍したその様相は、まさに「信長志向」として一括できる、ということに今更ながら気づいた。
ひょっとすると最終回 「ラスプーチンの涙」には、「家康志向」との対決という構図を見いだせるのかも知れない。私は自室に戻って3夜連続で録画予約をして寝た。
話が長くなったが、シンクロニシティは宵っ張り向けにも現象することを言いたかった。
有意義なシンクロニシティの察知の仕方
著者は、有意義なシンクロニシティの察知の仕方をこう解説する。
「それをしたほうが『よいか、悪いか』ではなく、『楽しいか、楽しくないか』で決めるのです。
または、どちらのほうがあなたの気持ちが楽になるか、です。
これは、事業にかかわる大きなことでも、日々のちょっとした頼まれごとでも同じです」
「『気持ちが快適になる』というのは、わがままを通すということではなく、『そっちでいいですよ』という宇宙からの合図です」
たとえば、経営危機になった会社でリストラ話が持ち上がった時、場合によっては「ワークシェアリング」という手法が用いられる。
これに対しては、「ワークシェアリングは日本企業には向かない」といった、何か日本の企業と企業環境を十把一絡げにした論調をよく耳にする。だいたい具体的な根拠の説明がなく、原因理由があるならあるでそれに対する対処を最初から放棄している姿勢がその論者に共通している。
私はタンジュンに「ワークシェアリングが向く会社とその状況があり、ワークシェアリングが向かない会社とその状況がある」とケースバイケースに考える。そして、それを判断するのは部外者の評論家的立場の人間ではなくて、社員有志であるべきだ。
その際、主体性をもった社員有志が何を基準に正否を判断するか、「自分の会社がワークシェアリングをするなら、状況に対応してどのようなやり方をするのが良いか」何を基準に計画するか。
私は、結局は当事者たちの『楽しいか、楽しくないか』であり、『気持ちが快適になる』やり方かどうかなのだと思う。
たとえば、合理的に考えて「ワークシェアリングではなくリストラしかない」とした企業の内、「楽しい」雰囲気を取り戻したり「気持ちが快適になる」やり方を工夫できなかった会社のほとんどが、リストラ効果を上げないまま経営を縮小均衡するだけで吸収合併されたり破綻している。
私は、同じ部外者の発言ならば、訳知り顔の経営評論家的な一般論ではなく、著者のような現実的なスピリチュアリストの経験則の方を信じる。
実際、大胆なリストラが、その会社内の成績比較優位部門の幹部の都合のいい判断、つまりは実質彼らの「わがままを通すということ」であることがある。
このような場合、リストラしても、縮小した事業内容の中でまた同じこと、つまり成績比較劣位部門の切り捨てが繰り返されていくだけだ。
私がパイオニアについて5年前そうした結果を予測したが、それも直感とそれを裏付ける以上のような誰でも分かる理屈によっていた。
直感したのは、いつの頃からかパイオニア社内の気の流れがネガティブになっていて、それが悪化こそすれ改善する気配がなかったことだ。
気というとオカルティックに聞こえるが、要はタンジュン明快に『楽しいか、楽しくないか』『気持ちが快適になるか、ならないか』として事前に察知されたのだ。
今にして思えば、希望退職者募集にいち早く応じて生活や人生を立て直したのは、こうした気の流れを敏感に察知し、その意味するところの重大さを直感した人たちだった。
「人のしがらみに縛られていたり、相手からどう思われるかだけを気にしていたり、損得勘定だけを考えている人にとっては自分の本音を優先させて選ぶというのは難しいかもしれません。
ですが、先に起こることまでを含めて大きく見ると、はじめに本音の通りにすることが結局一番うまくいく方法なのです」
「もちろん、はじめに『気が進まない』と思っても、『引き受けた以上はそれを楽しもうと思い、全力で向き合って進める!』と決めれば、それは良い波動になるので良い流れを引き寄せます。
ですが、はじめに『なんだか違う気がする』と感じたものを『好き』のレベルまで引き上げるのにはかなり強い信念が必要です。はじめの流れを意志の力で変えていくので、『絶対にうまくいく』と強く信じる気持ちや強さがなければ難しくなります。
これはたしかに人によって簡単にできる人とそうではない人がいるのでしょう」
私が恊働してきた社員有志は、そんな敢えて希望退職に応じず踏みとどまって最期まで闘おうとした人たちだった。
若い頃にお世話になったパイオニアの経営危機の深まりを予感した私は、ここ5年ほど勝手連的な応援をしてきた。その間、多くの社員が、私がパイオニアでの仕事や地位を求めていると勘ぐっていたようだ。中堅の社員有志にも、ずっと得体の知らない人だと感じていたとのちに吐露した方がいたくらいだ。
きっと、著者の言葉を借りて言えば、社員の多くが『気が進まない』形で会社に残って現業に携わっていたことによるのではないか。そうであれば、危機こそ真価を試される試練の場と捉え嬉々としていた私のことを、そのようにしか感じられまい。
私はあまりにも非力だった。
危機回避にも起死回生にも何の貢献もできなかった。
しかし、ここ5年の専念は少なからぬ成果を私自身に蓄えさせた。
これは、パイオニアの起死回生という課題に私なりにのめりこんだ結果だ。
外部ブレインの私にとって、経営危機の深まる会社から手を引くことは容易な選択だった。しかし、社会に出たての海の者とも山の者とも分からぬ若造を育ててくれた往年のパイオニアの気質や精神、それを今こそ現代的に再生すべしと挑戦することの方が、私には『楽しい』『気持ちが快適になる』ことだった。しかしパイオニアの社員の大方には、そういう私の感じ方が想像できなかったようだ。
「もしあなたが損得勘定だけですべてを選んでいると、まわりにも、あなたを損得勘定で判断する人が集まってきます。
『あなたと付き合っていると得だから』という理由です。
まわりに集まる人は、あなたの波動が引き寄せているからです」
そう言えばパイオニアの件では、ここ5年、社員との付き合いはどんどん数が減り、その付き合う人との関係が濃密になった気がする。しかしいかんせん数が少なすぎた。
今回の最終大リストラで同志と言える方は数人を残すだけとなり、会社としても前向きに打てる手立てはもはや残されていない。
最後までベストを尽くされた同志の方々には敬服する。
私はなんやかや言っても部外者である。孤軍奮闘が当たり前のフリーランスだ。
しかし彼らは会社の中で浮いた存在とされたり敬遠されたりしてそれでもがんばってきたのだ。
パイオニアを離れても何かの時に声を掛けてご相談申し上げたい人たちばかりだ。
前向きな同志の方々と、それ以外の多くの社員とは何が違ったのか。
それは抽象的に言えば彼らの創造的な考え方だが、具体的に煎じ詰めれば言葉だった。
それは日常の対話のはしばしから提案や提唱のプレゼン内容の枠組みにまで現れた。
「『はじめから恵まれていないから仕方ない』『環境が悪い、教えてくれる人もいない』『自分は頑張っていても、一緒にいる人たちがなにもわかっていない、足を引っ張られる』
こう思い続けると、まるで、もう自分の力ではどうにもならない、絶対に変えることはできない、という暗い気持ちになりませんか?
自分が使っている言葉の影響を一番受けているのは、自分なのです」
彼らの言葉は常に前向きだった。
若い世代によく見られるように、特定の専門用語の世界に快活に引きこもり合うこともなかった。
そんなことを軽佻浮薄に繰り返しても大局は何も変わらないと承知していた。
「最悪の状況を想定して事前に対処方法を考えるのはマイナスなことではありません。
『危機管理』という意味で、ある程度はして当たり前のことです。
ですが、一度対処方法を考えたら、『これで大丈夫だから、もう心配しなくていい!』と意識を切り替える必要があります。
安心させるために対処方法を考えただけなのに、いつまでも考えていれば、その状況を引き寄せることになります」
私は、高齢の両親を見守り世話することについては、「最悪の状況を想定して事前に対処方法を考えるやり方」をすでに実践してきた。
時々それぞれの家庭の事情や現場を知らない評論家的な物言いをする人がいる。だいたいがすでに私が具体的にシミュレーションしたネガティブな可能性についての想像ばかりを蒸し返す内容だ。
どうも世の中にはネガティブな事態を予測するだけで、それがインテリジェンスだと誤解している人が多いような気がする。
著者も言っているが、気持ちは親切心からなのだろうが、それはその人の精神的姿勢だから安易に受け入れて同じにエネルギー状態に染まるべきではない。
じつは、前述した若い世代の「会社に未来はない、だからせめて自分は専門分野で最先端の知識を身につけたプロでいよう」という様相も、「ネガティブな事態を予測するだけで、それがインテリジェンスだと誤解している人」と変わりない。プロは組織や集団で活かされるのだが、組織を見限って個人のことだけ考えていれば、それこそプロ失格ではないか。それは実質、転職に向けてスタンバイしているに過ぎない。
パイオニアの件では、私はリスク回避の処方箋、その叩き台を提示しては社員の対話の誘発を狙い続けた。しかし会社的にはまったく相手にされないまま、この最終局面に至ってしまった。
非力、微力を通り越して無力であった。
社内でも昨年度はアイデア会議が勃発していたが、あくまで事業部門ごとの現業およびその拡大路線という枠組み意識が強かった。私は当初より一貫して、事業部門を横断した専門や職能を問わない有志によるブレインストーミングの重要性を提唱してきた。
なぜ社内ではそういう限界的な枠組み意識が強かったのか。
セクショナリズムや専門権威主義の垣根を超えることについて、普段からネガティブな言葉遣いをしてきたからだと思う。
それは多くの社員において、自分自身の縄張りを堅持しようとする言葉遣いの裏返しでもあった。
たとえば私は、公的融資の誘導という課題を想定した頃から、「社会に貢献する事業」という発想を触発してきた。
社会という受け手を捉えて、その最大の効用を発想しようとするならば、絶対に事業部門のセクショナリズムなどという狭い了見では応じられないと予想した。
予想は半分当たり半分外れた。応じられないから事業部門は「社会に貢献する事業」という発想に向かわなかったのだ。事業部横断で社会貢献する事業アイデアに向かったのは昨年度も終わり、今年になってからで、それも一部のマイナーな意見だけだった。
「魂が喜ぶ、本当に好きなことをしていると、それは自然と社会に貢献することにつながります。
まわりの人に幸せを与えるからです。
まわりの人に幸せを与えている作業は、必ずうまく流れていきます。
それが宇宙の臨んでいることなので、宇宙が全力で助けてくれるからです。
魂が喜ぶということは、
・それを考えるだけでワクワクすること
・それをしているだけでエネルギーが充実し、元気が出て、時間があるだけそこに集中したいと思うこと
・(最終的に)まわりの人、国、地域、地球に貢献しているようなこと
というようなことです。
『本当に好きなこと』というのは、表面的な『好き嫌い』の感情ではなく、もっと深いところ、あなたの本質や魂が喜びを感じるようなことです」
私が社員有志に期待したのは、こうした魂のエネルギーの集合と爆発だった。
同志たちの尽力は不発に終わったが、それはあくまでこれまでのパイオニアではということだ。
彼らは、彼らの「本質や魂が喜びを感じるようなこと」をやり尽くしたのだから、今後のパイオニアであるいは他の会社なり分野においてその経験が土台になる何かをしていくことになろう。
パイオニアでの悪戦苦闘、あれがあったからこそ今があると思えるような何かだ。
「その人の魂が本当に喜ぶことを毎日していると、本人はただそれをしているだけなのに、それを見たまわりの人に感動を与え、幸せを与えている(=社会に貢献している)ことにつながるのです。
そして、まわりの人や国、地域、世界、地球を喜ばせることになる作業を宇宙は応援してくれるので、それに必要な情報がたくさん来るようになります。
ですから、魂が喜ぶことをしている人たちは、大きな流れで見たときに『幸せにうまくいっている』という状態になりやすいのです」
「魂の喜びを感じる作業をしていると、それがただのお稽古であっても本人にとってかけがえなないものになっていたり、生きがいを感じたり、この世に生まれてきた充実感を味わえるようになります。
朝起きたときに『それができる』というだけでものすごい幸せを感じるようになります」
パイオニアのことで腐心したここ5年は、伊豆の別荘地で二人暮らししてきた両親の老老介護状態が限界にきて、東京を引き払っての同居を決意し一年がかりで準備して移転、都心での気ままな独身生活から不仲で諍いの耐えない両親夫婦と同居して悪戦苦闘した日々でもあった。
今にして思うと、パイオニアのことで魂が喜ぶことをできたお陰で、家族のことも乗り越えられたように感じる。家族のことも同様に、日々の目前の出来事を魂が喜ぶ方向でとらえようと思えたのだ。
親を見守り同居して世話ができる、ということは誰もが許された環境にある訳ではない。
「それができる」ということの幸せというのは確かにある。
ただそれは人と比較して感じることではないし、親に感謝されて感じることでもない。
親や周りがどういう反応をしようとしまいと、見守り世話をすることそのことで「魂は喜んでいる」ということに気づくことができた。
これは心の掃除なのだなあと思うようになった。
パイオニアのことで腐心すればするほど、20代後半の乃村工藝社時代の恩師はじめ諸先輩から頂戴したことの有り難さが身にしみた。
私が今の社員に伝えようとしてなかなか伝わらないことを、よくぞ私に機会と権限を与え後見に徹することで気づかせてくれたと思った。
これも心の大掃除だった。
きっと、私は仕事のことでも両親のことでも心の大掃除をすべき時節にあったのだろう。
今日はおもいっきりスピリチュアル・ブログ
本ブログは、パイオニアの社内研修のフォロー・ブログとして出発し、徐々に起死回生に向けた提案提唱のブログともしていった。
それと並行して、「日本型の集団独創」の促進方法論の追求とその2タイプの内の1つ、パラダイム転換の発想を促し実現を押し進める知識創造体制である「信長志向」のノウハウ明示知化を研究課題とするようになっていった。
これは、たとえするなと言われても寝食を忘れてかまけてしまうほど、私には楽しくワクワクする活動となった。
そして実際、日々そのことに関わる、新しい重要な情報や知識や見識に出会うのである。
今机の上にある2枚のメモに目をやると、1枚には「(信)分捕りの禁止、討捨て=首不要」と書いてある。
これなどは、深夜にやっていた大泉洋のマイナーな番組でおちゃらけの受験勉強をしていて出てきた知識だ。やはりテレビをつけたとたんだ。
信長は、それまでの戦の慣習だった、兵がやっつけた相手の持ち物を分捕っていたのを禁止したり、功績を証明するための首の持ち帰りを不要とし、勝てば兵の全体に褒美をとらせる言わば「集団実績主義」を導入したという。現代の日本企業の「ボーナス」のはじまりと言えようか。
私は、2つの対極的な知識創造体制を「信長志向」と「家康志向」として対照してきた。
しかし実際の信長は、スタッフワークについて抜擢人事とトップダウンを基本とする個人主義的な色彩の色濃い「信長志向」を展開しつつ、ルーティンワークについては前述のような「集団実績主義」を展開していたことになる。つまり、家康はこうした信長を盟主と仰いで、戦というルーティンワークで恊働してきた訳で、この後者由来の知識創造体制を踏襲したと推察することができる。
深夜のマイナー番組もあなどれない。
もう1枚のメモには、「(仏)痴漢いない」と書いてある。
これは、いま帰国中の姉と馬鹿話をしていて「フランスには痴漢はいない。痴漢なんているのは日本だけじゃないか」と聞いて書いたものだ。
欧米にも、強姦魔や露出狂や覗きはいる。しかし満員電車に出没する痴漢はいない。何ごとも例外はあるからケースとしてはあるのかも知れないが、当局が「痴漢は犯罪です」なんて間抜けな広報をするくらいの社会風俗として存在していない。また、褒められた話ではないが、同じ電車に乗り合わせる集団痴漢なんていう「集団志向」もさらに特徴的と言えよう。
ここには日本人独特の、場を介した「身体性」と「集団志向」についての感性が介在している。暗部ばかりを推察するようだが、おそらく軍隊が慰安婦を従軍させるようなメンタリティとも通じている。暗部の構造は、明部の構造でもあり、同じ特徴的構造が物事の善い面にも悪い面にも反映する。だから暗部の構造も、日本文化の美点的特徴を見いだすとっかかりになるのだ。
(そういえば周防監督の「シャル・ウィ・ダンス」はアメリカでリメイクされたが、「それでもボクはやってない」は第80回アカデミー賞・外国語映画部門に日本代表作品としてエントリーされたが反響は乏しかった。これには文化の違いも大きく影響してると思われる。)
「魂が喜ぶことをしていると、それにたずさわること自体が楽しくてしょうがないので、その作業(仕事)がうまくいくか、成功するか、有名になれるか、人から評価されるか、また失敗したらどうしよう、というようなことはほとんど考えなくなります。
すると自然に『心配する』というマイナスの意識をもたなくなるので、知らないあいだにその仕事(作業)が形になっていくことも多いのです」
反省するに、社会に出たての20代後半から30代前半にかけて、私はビジネスパーソンというよりもそのように仕事を楽しむだけの人間だった。
それがだんだんいろいろなことがより効率的かつ効果的にこなせるようになっていく。同輩の同業者はみなバブル期がピークで多くが退場したが、私はバブル崩壊後、事務所を縮小してからの方が数字的には成績を上げた。それを維持することを優先したために、40前後からビジネスパーソンとしての成果や評価を優先するようになっていた。
これは世間では良しとされることだが、自分の内側の世界を少しずつ色あせさせた感があった。
50に手が届きそうになるくらいから、私がパイオニアのことを仕事以上に優先するようになった背景には、そうした自分の内側の世界にしっかり向き直そうという思いがあった。
(とはいえ、ここ5年のブログ記事は多岐にわたりあまりに雑然としているので、今年度後半は、自分の内側の世界からの観点立場でこれまでの成果のおさらいと整理の作業をするつもりだ。)
著者はこんな、スピリチュアリズム直球のことも言っている。
「あなたがどうしてその作業や仕事に心の底から幸せを感じるかは、今の人生の影響だけではありません。
その原因となることが、これまで育ってきた環境にまったくなかったのであれば、それはあなたのご先祖をはじめ、今より前の人生からの記憶なのです(と、私は思っています)。
そうでなければ、どうしてそれにそんなに喜びを感じるのか、強い信念が生まれてくるのか、たくさんある仕事のなかでそれを選んだのか、どうしてそれにたずさわっていると流れるようにうまくいくのかわかりません。
でも、もし以前(前の人生)に経験したことのある仕事(作業)であれば、今回(今の人生)ではじめてするよりも経験があるからうまくいくでしょう。以前の続きとして、魂が覚えているからです。
ですから、魂が本当に喜ぶことをしている人というのは、流れにまかせておくだけでうまくいくことが多いのです。もちろん、途中で紆余曲折があっても、最終的には充実感をもって幸せにうまくいっているのです」
まあ、こういうことは信じて役立つ人と、信じられず百害あって一利なしとする人といる。
私は人それぞれ自分のやり方として納得できればどちらでもいいと思う。
人それぞれに起こる出来事が違うから、当然その人にとっての真実も異なるからだ。
いずれにしても、他人にとっての真実までを決めつける輩が余計なお世話なのだ。
私の場合、信じるというより願った訳でもないのに体験してしまって、そういうものだと感じている。そして、同じような感じ方は同じような体験のない人にはできない、つまり真実ではないとも思っている。
私の体験をかいつまんで話そう。
かいつまんでも長くなるだろうが。
30代初め女友達を食事に誘ったら、たまたま写真仲間のお姉さんの霊能力者が横浜に住んでいてみてもらいに行くという。じゃ帰りに中華街で食事しようとクルマで同行することになった。その時私も見てもらうことになり、前世が隠れキリシタンで火刑にあっていると言われた。地図を出してきて、あここ、と九州は島原半島の口の津というところを指し、ここで伝道師の研修をしていたという。研修内容は宗教ではなくて欧州伝来の産業振興だという。
本業ではない余技とはいえ、たまたま依頼された研修講師を難なくこなした。「コンセプト思考術」1講座だけだがそれなりの評価をえて長年やってきてしまった。
霊能力者の話の通りなら著者の説明は合点がいく。
ただ、この程度の話はよくあることだ。
私がこの女性霊能力者が本物だと思ったのは、私の守護霊に母方の祖父がついているとし、明治大学出身ね、と言い当てたことだ。私がどうして分かるのか尋ねると、だって学生服きてますから、だって。じつは祖父は早稲田の前身の東京専門学校で経済を学び、その後明治大学で政治を学んで佐世保に帰郷した。学生服はその時のものだろう。この件のあと、母のもとに倉から発見された半分焼けて欠けた分厚いセピア色の写真が送られてきた。これを見て冷や汗が出た。祖父の学生服姿だったのだ。
私が女友達に同行していくことは、その日の夕方に彼女の出発直前に決まったことで、彼女は知り合ったばかりで私のことは名前しか知らなかった。事前に明治生まれの祖父の学歴まで調べようなどない。いんちき占い師とは訳が違う。
(ちなみに祖父は、佐世保ではじめて銀行と新聞社と映画館を創設しそれを人手に委ねた。戦後は市議会議員から県会議員に転ずることができず、資産を残した訳でもなく、祖母からは随分と恨まれたと母から聞いている。旧通産省の仕事で佐世保に1年通った際、30ちょいの若造の私一人、商工会議所の会頭に料亭に呼ばれ、先代がお世話になりましたと挨拶された。人望のある人だったらしい。しかし、私が今も興味深く思っているのは、祖父が銀行と新聞社と映画館の3事業を選択したことだ。今にして思うと、それは金融、情報、映像と音楽という流動性のあるものである。)
霊能力者は、部屋で私と二人になった開口一番、あなた腰のあたりが重いでしょう、水子が二人いるわ、と言った。
私は身に覚えがないので唖然としてると、大丈夫あなたの子供じゃないわ、一人は私が堕胎に付き添って行った女性の子供がそれ以来ついてきちゃった水子で、いま一人は私と10歳違いの姉の間にできて流産した兄だという。
前者は言って聞かせて成仏させる、後者は明日、私が母に電話してお線香を上げてあげるように言いなさい、と言われた。
翌朝、私は母に電話して驚いた。本当にそういうことがあって、母はあの当時は仕事が忙しくてかわいそうなことをしたと、電話口で泣いてしまったのだ。
信心深い訳でもないのにこういうことが他にもある私には、信じるとか信じないとかいう話ではないのだ。
ちょっと脱線するが、私はこうした本物ともう一人遭遇している。
九州は大分の老婆で電話で相談して封筒でお金を送る。やはり女性の飲み友達に紹介された。
自分のことを見てもらったことは横浜同行の時だけで、後は親や恩師の心配事の相談と友人に紹介しただけだ。
老婆については飲み友達のその奥さんら2人からどうしても紹介してくれと言われ、紹介したところ大変なことが起こった。
1人は、旦那が内緒にしていた誰も知らない事実、彼が双子であるという事実を老婆から聞かされ、旦那に確認したところ、なんでお前そのことを知っているんだ、と呆然とされたという。
もう1人は、レストランバーをやっている旦那が浮気性で家に帰ってこないと相談したら、もうすぐ体調を崩して救急車で運ばれるから帰ってくる、と言われた。そしてその数日後、本当に店で旦那が倒れて救急車が来る騒ぎとなったのだ。
私の30代はそんなことが頻繁に起こっていた。
口の津で伝道師の研修をしていたと言われた後、たまたま長崎県の仕事で講演に行くことになり、仕事を終えた後口の津に一人旅をした。ちょうど普賢岳が爆発した後で火山灰でまっしろになった大地を走る単線の鉄道で向かった。不思議なことがたくさんあったが、中でもタクシーを貸し切って史跡巡りをした時、港の近所を走っていておおきな蘇鉄のあるお寺が見え気にかかり行ってもらった。するとその蘇鉄の前に、かつてそこに伝道師を研修するセンターがあったという解説板があったのだ。その解説以外、なんの名残もなくお寺はただのお寺に過ぎず、運転手さんもそこに寄るつもりはなかった。どうして生まれてはじめて行った場所でそんな気にかかり方をしたのだろう。徳川幕府の弾圧は徹底していてキリシタン関連の史跡はほぼ皆無だ。しかし、町で唯一の宿泊施設である国民宿舎に泊まり近くの浜に散歩すると、その松林の一画に、キリシタン関連の建物の瓦とおぼしき物が目立たぬ形で野ざらし状態にあった。考えてみれば、唯一のキリシタンの名残かも知れないがよくぞ遭遇したものだ。
ちょっと気になってそちらに行ったら、あっと思うようなことに遭遇した、そんな経験が他にもある。
横浜の霊能力者は、もう一つ前の前世では、私はインディアンで工芸や陶芸などを振興する仕事をしていたという。みてもらった翌年、同行した女友達もまじえてモンタレーのジャズフェスティバルに行った。私は最初は出演するピアニストに誘われ勢いで行ったのだが、なぜかモンタレーに心引かれて毎年続けて行き、その時が3回目だった。彼女と町を散策しカフェでお茶して他に行こうとした時だ。木造二階建ての上にあがる階段の上り口に机があり、そこに映画キャリーのヒロインのような白人の若い女性が座っていて話しかけられた。日本人なの? 私お母さんが日本人よ。そうなんだと思っていると、二階はインディアンの博物館だから寄って行かない?という。タダだというし他に行くあてもなかったから二人して上がっていった。
もうお分かりだろう。展示物をみてすぐに私はここいら辺りのインディアンだったと感じたのだ。最初に季節に応じて移り住んだその解説地図に出くわした。それは霊能力者の話と重なるものだった。
(最近、何かのテレビ番組で、モンタレーは新渡戸稲造が療養しながらあの「武士道」を執筆した地だと知った。特段風光明媚でもなく飾り気もなくおっとりとした漁港町なのだ。)
私の中では、交易、「信長志向」、転住、「部族人的な心性」、といったキーワードがつねにネットワークしている。
重要であれば、重箱の隅をつつくような細かい情報や知識までが望まなくても向こうの方からやってくる。そして、専門分野の学者が思いつきもしない連携思考を、分野を超えてしてしまう。私が眉間に皺を寄せてひねり出しているというのではなく、結びつく順序で情報や知識や、それを結びつける物の見方や見識に遭遇してしまうのである。
しかも私が一番不思議に思うのは、私が単なる歴史学者や歴史オタクという訳ではけっしてなく、むしろ現実の企業社会の課題を見い出してはそれを解決なり解消しようとする手立てとして検討成果を役立てていることだ。
それも、私の中では役立っているが、人様も組織的に役立たせる知識体系にできるかどうか、その見込みがある訳でも根拠がある訳でもないのにだ。
著者はこんなことを言っている。
「不安に思わず楽しく思い続けるために必要なことは、夢への『途中』を楽しむことです。
夢を実現させればたしかに素晴らしい世界がありますが、その途中で起こる出来事、人との出会いや経験も、夢そのもの以上に盛りだくさんの過程です。(中略)
まずは、今、あなたに夢があること自体に感謝してください。
考えてみると、夢がないときに比べて格段に生活にハリが出たはずです。夢ができたおかげで今日も向かうなにかがあり、いま進んでいる自分がいるわけですから、夢を与えてもらったというのは、それだけですごく幸せなことのはずです。そこを意識すると、まず、今のあなたが楽しい波動に変わります」
「日本型の集団独創」、その2つのタイプの内の1つ「信長志向」は、パラダイム転換の発想を促進しその実現を支援するものだ。
それは時代の変わり目に必ず必要とされるもので、それに私心をすてて献身した先人のお陰で私たちの今はあると言って過言ではない。
そういう人材を育てたり、そういう人材がフェアに抜擢されオープンマインドに活躍する、そういう世の中になることが求められている。
社会に出たての若い私を恩人たちは、実際そういう機会と環境を用意してバックアップしてくれた。
私が彼らの恩に報いるとしたら、そういう機会と環境となる組織や集団や個人の知識創造の方法論や体制を用意することによるしかない。
それを達成すれば、かつて私がした希少な経験を、意志と意欲ある人材ならばみなそれぞれの個性を十二分に活かしてできる企業社会になるのである。
著者は夢を実現するには、実現したところを想像してくれという。
「実現した瞬間の状況を、できる限り詳しく思い描いてください。どんな様子で実現するか、まわりの人がどんなふうに喜んでくれるか、生活や気持ちがどのように変わるか・・・
このときなにより効果的なのは、実現したときのあなたの『気持ち』を想像することです」
私は若い頃いさせてもらった緊張しながらも心ワクワクした挑戦やそれを成し遂げた時の達成感を今でも思い出す。
しかし、それは自分の昔を懐かしんでのことではない。
いまの若い世代に、現代の環境において、同じような心理的経験をするにはどうしたらいいかをイメージするためである。
知識や情報そしてさまざまな環境や道具は変わっても、人間の心理だけは変わらない。その変わらない人間の心理から、それを味わえるように現代の諸要素を再構成するのである。
無論、何ごとでも夢を実現するのは困難がつきまとう。
大切なのは、その困難の受け止め方である。
「夢の実現にあなたの意識が向かい始めると、あなたが今まで思ってもいなかったようなことが起こったりします。
たとえば、あなたの苦手なことや今まで避けてきたことをさせられることになったり、自分の弱いところやコンプレックスを見せられるようなことが起こったりします。
人間関係をはじめ、環境がガラリと変わることもあります。必ずしも、気楽で楽しいものばかりではないかもしれません。
でもそれは、あなたの夢の実現に必要なことだから起こり始めたのです」
著者のこの言葉は、東京を引き払って別荘地で高齢の両親と同居しはじめた私にもあてはまるし、パイオニアの最終大リストラでやめて行った同志にもあてはまるし、最期まで踏みとどまって頑張っている同志にもあてはまると思う。
ここから先は理屈ではないのだ。
「あなたが夢のことをイメージし始めると、今のあなたに足りない必要なこと、勉強しなくてはいけないことが集まり、逆にその夢にふさわしくない考えや行いを見直させられるようなことが起こるのです」
「夢の実現に必要な変化は、自分の間違った態度を改めさせることであったり、家族との仲を円満にさせることであったり、身の回りを清めて清潔に暮らすことであったり、学問的な知識を勉強することであったり、人によって違います。
このような変化は、たいていの場合、自分から起こそうとしなくても勝手に向こうのほうから起こります」
著者は微妙な注意事項を忘れない。
「いくら夢をイメージしても、『執着』になる思い続け方をしていると現実になりにくくなります。
夢を一度強く思ったあとは、それだけに執着しないで手放してください。
忘れてしまうほど安心して手放せたとき、夢は実現します」
私は、今年度はパイオニアのことが善くも悪くも一段落したので、ライフワーク課題については本ブログのこれまでの記事内容の整理作業くらいにとどめてちょっと一息入れるつもりだ。
両親との同居も問題含みではあるが、それも常態として安定してきたのでこちらも一服するつもりだ。
で、何をするか。
とりあえず何かをしようと考えるのをやめて、気の向くまま風の向くまま、時にはごく私的な感情に正直になってみようとも思う。
本書は、そういう必要にも気づかせてくれた。
もっと気を楽にしていいのだ。
そのことを実感することができたのは、姉が帰国しているタイミングでこれを読んだからだと思う。何かがそのタイミングを指示していたようだ。
著者はこう言って私を安心させてくれた。
「あなたがその夢を思いついたということは、それが実現できるから思いついたのです。
それを実現する流れではない人が、それを思いつくはずがないのです。(中略)
ですから、安心して大丈夫です。
『絶対に、なにがなんでもそうなりたい』と思わなくても、あなたが今思いついていることであれば、その思いがなくならない限り、時期がくれば必ず実現します」
そしてこう忠告する。
「むしろ、『絶対になにがなんでもそうなりたい』という思い方をしていると、実現が難しくなります。その気持ちが強くなると、『これがかなわなければ幸せになれない』という思いになり、執着になってしまうからです。
その夢は、あなたの幸せの『絶対条件』ではありません。
あくまで『たくさんある幸せのひとつ』です。
その夢だけが幸せへの条件だとすると、それが実現していない『今』は苦しいということになってしまい、『今』を否定することになります。(中略)
『今がつらい』という思いが根底にあっても、『だから夢を明るく考える』という明るい波動で思い描いているのであれば大丈夫です」
私は、両親との同居で東京にいた時のようには仕事ができないことをつらいとは思っていない。
また、早く東京で仕事を再開したいとも思っていない。それは、両親のどちらかの死を願うことになってしまう。
私は、伊豆で両親を見守る生活ができる限り、研究主体の仕事をしていこうと思っている。
身入りは少ないが出も少ないからやってはいける。その後のことはその後のことだとおっとり構えている。
しかし、「信長志向」の有志たちが日の目をみないケースを、バブル崩壊以降いくどとなく見てきた悔しさと自分の不甲斐なさを禁じ得ない。
30代前半、マツダの経営危機でそのクルマ開発子会社M2の外部ブレインとして体験した同志のリストラによる離散を、20年後またパイオニアで経験してしまった。
今回は、その間の経験を活かせばどうにかバックアップの一翼も担えるかと思ったのは大きな勘違いだった。
そしてライフワークについて気が急いてしまっている自分がいた。
そのことが何となく良くない波動となっていると感じていた。
そのメカニズムを本書は分かりやすく教えてくれた。
「執着し始めると、人間は知らないあいだに心配を始めます。
『それが実現しなくては幸せになれない→実現しなかったらどうしよう』と思うからです。
不安や恐れは、知らないうちに思いが強くなるので、実現がますます遠ざかります」
私が恩人たちの後押しでめくら蛇におじずの活動ができたのも、そうした執着や不安が皆無だったからだと思い出した。
「夢を次々に実現させていく人は、たしかに夢を強く思い描いている部分はありますが、『こうでなくては幸せになれない』という思い方ではなく、『必ずそうなるだろう』という『信念』のような思い方です。そうなることを当たり前として思考が進んでいるのです」
知情意で言えば、「信念」は<意>に相当する。
これぞ<意>起点の共時性の原理である。
「『これだけが絶対!!』と思い込まないで、過程や結果を流れにまかせることができるのです。
流れにまかせると執着のない状態になるので、時期さえ来れば、実現しやすくなります。
本人にしてみると『気付いてみたら理想の状態になっていた。はじめに思い描いていたことは全部かなっている』と感じるのです」
「『自分』にとって必要なことであれば、時期がくれば必ず実現するだろう』と思ってください。
そして、目の前にやってくる変化を純粋に楽しんでください」
こうした状態は、知情意で言えば<情>で感じたり呼ぶことだ。
これぞ<情>起点の縁起の原理である。
このように考えてくると、またこうして我が身を振り返ってくると、
<知>起点の因果律の原理は、順序的には一番後から、前2者のニーズに従って呼び込まれてくると言える。
しかし、世の中一般には、知識を偏重した学歴や資格、専門性や権威が先にあってこそ他のものがついてくるかのように思われている。
それが、また必要以上の執着や不安を人々に煽っている。
きっと、それは自分の外側の世界ばかりを見ることに、私たちが慣れ親しんでしまったためではなかろうか。
私は今ほど自分の内側の世界にこそ思いをこらすべき時代はないと感じていて、同様に感じ実際そうしている人々が増えているように思うが、いかがだろうか。
私としては、そのムーブメントの全体を「スピリチュアリズム」と呼びたい。
(今日は「オーラの泉」の最終回があった。
たまたま姉とテレビを見ていて遭遇した。姉もスピリチュアルな感性の持ち主なので二人でああだこうだと言いながら楽しく見た。
私はちょうど本記事に書いていたスピリチュアル体験を話すことになり何か不思議な感じがした。きっとこれも意味のある偶然なのだろう。)