共生とは利己的な共通利害を超えて共感能力を利他的に拡張すること(6) |
「日本の企業社会の美点」である「人間としての関係」の現代的再生という課題
前項(5)で、日本型の「ミドル・アップダウン・マネジメント」が、まるでカートライトの法則を知っていて踏まえたかのように、「無意識下に作動する集団と個の求心力」である「会社への愛着」(規範としての忠誠心ではない)を日本型で捉えたものだ、ということを確認した。
本項(6)では第三章「モデルの必要性」の内容にそって、何が「会社への愛着」の「日本型の捉え方」なのか、ということを検討していきたい。
当たり前のことだが、「会社への愛着」は、日本人でも欧米人でもある者はあるし、ない者はない。ただある者のあり方に違いがある。
結論から先に言うと、違いとして「集団志向」というものがあり、それを踏まえた「日本の企業社会の文化」がある。
これは欧米の「個人志向」と、それを踏まえた「欧米の企業社会の文化」に対峙するものだ。
私は基本的には、両者に優劣があるとは思わない。
日本人には日本人に適した志向があり、日本人のもつ美点を最大化する志向とは何かを検討したいのだ。
そんな観点から、最初に断っておきたいことがある。
本書の著者は精神科医であり、基本的には病を患う人々を治す立場から、大人の病の源を個人的にも社会的にも子供時代の親との関係に求める傾向がある。それは大人の病気の原因を遺伝、生まれた時からもっていた障害、そして育った環境などに求めることがあるのと同じだ。
しかし、人間には自然治癒力がある。
人間の「心」や「心と心の関係」にも、自然治癒力に相当するものがあり、それを促進するという治療法もある筈だ。
つまり、「集団」とそのストレスは、確かに「心の病」や「心と心の関係の病」の原因であるが、それらを癒す方向にポジティブに働くこともあるし、そのように働かせる治療法もある筈である。
実際、集団の葛藤を解消するグループワークのような臨床療法もある訳だが、私は現実の「会社」やその「職場」、あるいは人によっては「業界」、つまりはその人にとっての「日本の企業社会」が、「心の自然治癒力を働かせる場」となることがある、あるいはそうさせることができると考えている。
そのように私が自信をもって言えるのは、私の場合、それが実際経験したことだからだ。
私には、社会に出てこの方、助けていただいたり導いてくださった多くの諸先輩がいる。最近は諸後輩までいてくれる。
諸先輩の中でも恩人と思う方は、5年勤めた会社で上司だったすでに亡くなった方と、独立前後から今日までいろいろな新しいお仕事に誘ってくださり高齢にしていまだマーケティングの人材育成や調査研究の最前線にいらっしゃる方のお二方だ。
私にとって両氏は、私の「心」を支えてくれた、いな今でも「心」に思い浮かべれば支えて下さる父親みたいな存在なのである。
正直、「心と心の関係」においては実の父以上に、私に物事の善悪や美醜といった価値観を身近なモデルとして指し示してくれた。
社会に出た当初、私も理想と現実のギャップに悩んだ。設計や企画の仕事につこうにも、なぜか会社や職場の事情でなかなかデスクワークにつけなかった。この時、直属の部下として企画職にひっぱってくれて、以後30歳で独立するまで、事業部門の縛りをこえて多彩な仕事をそれも並行してさせてくれたのが恩人の一人である。
私の勤めていたディスプレイ大手の場合、商業施設、文化施設、見本市やショールームなどの販促施設、万博などのパビリオンなど<モノ割り縦割り>の事業部制をしいているのだが、私の上司はクリエイティブセンターというアートディレクター取締役直轄の事業部門に属さない組織をつくり、私に会社の看板案件の構想だけに参画させてくれたのだ。
商業施設は西武百貨店の新規出店、文化施設は横浜市の人形の家、販促施設は日経新聞の店舗総合見本市ジャパンショップのテーマゾーン、最後には電通からの依頼でビクターの創業何周年かの社内イベントで「店舗の映像化」という記念講演までさせてもらった。
すべて20代後半の5年間の話である。
パイオニアとのご縁も、店舗総合見本市ジャパンショップのテーマゾーンをある年パイオニアの協賛でやって、それを見たもう一人の恩人である元マーケティング部長が私を呼び寄せたことから始まる。
前述の上司の恩人が独立後しばらくして亡くなったことを思うと、一人の「心の父」が私を、もう一人の「心の父」に引き合わせてあずけていったような思いにかられる。
30年前は、企画やデザインといったソフトは、ハードを売るための方便とかオマケと看做された時代である。図面を描くデザインならまだしも、企画書を書いて今のようにお金がもらえるということは必ずしも世間一般の常識となっていなかった。
そんな時代に私は貧乏してもいいから企画で身を立てようと独立した。
たまたま時代はバブルに向い、外部の人間に高い報酬を払っても企画を依頼しはじめた広告代理店やゼネコン、顧問契約のコンサルを依頼するディスプレイ企業や組織設計事務所などが得意先となって独立は軌道にのった。
しかし、そんな私の仕事を「マーケティング&マネジメント」という世界で捉え直し、仕事の幅を品態開発や業態開発、そして人材育成や知識創造へと徐々に拡げる切っ掛けを長年にわたって与え続けてくださったのは、今もご高齢ながらマーケティングの人材育成と調査研究で活躍されているもう一人の恩人だった。
これはバブルが崩壊した後の1990年代のことで、私は世間の動向とは反対に、事務所の売上も多かったが支出も多かったバブル期よりも、事務所を縮小してテーマを「空間のデザイン&プロデュース」から「マーケティング&マネジメント」に転換してからの方が仕事のリズムが安定化し公私ともに内部留保ができた。そうした転換の道筋をつけてくれたのがこちらの恩人だった。
私は、このお二人の背中を見て「日本の企業社会」の美点を教わり、また美点の具体的な実践をご一緒させてもらった。
そして何より、私にとって彼ら「心の父」との「心と心の関係」は、ともすると「子供の心」がすくすくと「大人の心」に歪みなく成長したとは言えなかった私の「心の有り様」を健やかにしてくれた、と思う。
理想を捨てず、ぶち当たる壁と格闘し、乗りこえたり乗りこえられなかったりしてきたが、その成果よりも、そうした営みを結局は楽しんで続けてこれたのは、彼らに「心の有り様」を導かれたお陰だったと思う。
実際の現場仕事は、私が募ったスタッフやパイオニアの恩師のご同輩が仲間のように打ち解けて進められた。それは、私の世代までが経験した、地元の学齢の違う子供たちによる「群れ遊び」のようだった。空間イベントの場合などはまるで学園祭のノリだった。
私は、じつに間抜けだった。
こうしたことを有り難いと感謝してはきたのだが、誰でも似たような経験はあるだろうと思っていた。そして、世代が変わっても同じだろうと、考えるでもなく思い込んできた。
しかし、ナレッジワーカーに限れば、たいていの社会人は会社に長くサラリーマンとして勤め、一つの業界なり専門分野なりで一つの職能を全うする。そもそも、私のようにその時々の自分の関心事と社会のニーズを重ね合わせてどうにか仕事を作りつつ、異なる業界なり異なる専門分野を業際的、学際的に逍遥する者などそんなに沢山いる訳ではない。
そんなつかみ所のない遊行者のような私を、私の恩人や諸先輩や諸後輩は応援してくださった訳で、じつにご奇特な方々だと思う。
そして、彼らと私の「人間としての関係」には、常に「日本の企業社会の美点」があった。
きっとそれを大切にしようと日々意識されている方々だったのだと思う。
しかし、こうした企業社会における「人間としての関係」を、私の後の世代ほど、経験することがなくなっているという。
私は、自分の過去を語り部のように伝えていくつもりはない。
そういう人もいていいだろうが、私は、自分が実感した「日本の企業社会の美点」である「人間としての関係」に焦点をあて、その現代的な再生に注力したい。
本項(6)では、こうした立場から、「2. 文化モデルの重要性について」の内容を検討していきたい。
日本の企業社会における「文化モデル」の重要性
個人が社会化する際、民族や国の文化の影響を受ける。
著者はそれを、日本は「恥」の文化、欧米は「罪」の文化という対比において解説していく。
私としては、まず
「恥」は、知情意の内の<情>の成分が大きいこと、「集団」が前提として介在すること。
一方、「罪」は、知情意の内の<知>の成分が大きいこと、「神」が前提として介在すること。
以上を留意しておきたい。
これは、
日本人の発想思考の特徴は「縁起にのっとった<情>起点」である
欧米人の発想思考の特徴は「因果律にのっとった<知>起点」」である
という持論に符号する。
著者はこう解説していく。
「日本の文化モデル、『こういう人になれ』というモデルの中心には、『恥』があり『徳』がありました。
いさぎよく、心美しき様を言ったわけです。だから『恥の文化』とベネディクト女史は呼びました。
そのルールを、日本では人と世間との間に作ったのです。世間に恥ずかしい人になってくれるなよ、ということです」
「欧米の場合には、それに対して『罪の文化』、人と神との間にモラルとなるルールを作りました。
たとえば自転車泥棒は神に対する罪である、神を恐れよという『罪』の意識を作ることによって、ルールのモデルとしました」
ここで、「罪」への恐れは情緒だが、それは神に対する罪であるという知識がなければ感じることはない、ということが注目される。
一方、恥ずかしい「恥」への情緒は、人に笑われるとか,人様に後ろ指さされるとか、有史以前の<部族人的な心性>で感じとって直接的な身体反応を伴うことがある。たとえば赤面する、冷や汗をかく、腹が立つ、肩身の狭い思いをするなどだ。
この両者の違いは、意識起点、に対して無意識起点と言えるほどの場合もあろう。
著者は、現代の「人間としての関係」の問題性に関わる重要な指摘をしている。
「日本で恥を教えるのに、文化モデルと言うべきものがありましたが、多くは武士や軍人であったために、第二次世界大戦はそれをすべて軍国主義的と混同して否定してしまいました。そこに大きな弱点があります。
欧米の場合は、どの国でもこのような人になれという文化モデルは多数存在しています。
我が国だけがその文化モデルを喪失し、(筆者注:「内なる自己」がそのまま垂れ流し的に「外なる自己」に表出しないようにする)ブレーキを作りにくくなっているのです。(中略)
自己主張はするけれども、恥や罪の意識によって生まれる『良心』に裏付けされた責任感が薄くなりました。
日本の社会の中では、自己主張はするが責任はもつという基本的な個つまり『私』の存在が揺らいだ」
この「責任」も、欧米的な自由や権利に対する自己責任として理解されがちだが、社会に育まれた恩を社会を育む貢献で報いる、公や義理といった社会的責任はともすると古くさい不合理なものとして軽視されがちである。義務教育でそういう教え方をされた覚えはないが、今日ではどうなのだろうか。
日本の企業社会に目を向けると、一般的には、経済的な成功者や専門的な権威者が目指すべき「勝者モデル」として取り沙汰されている。
しかし、それは「文化モデル」ではない。
「文化モデル」は、他者と競争して勝者が成るそんな人物モデルではない。
具体的なイメージとしては、ビジネスマンの人気を博したNHK番組「プロジェクトX」の名もなきヒーローたちが、一つの分かりやすい「文化モデル」かも知れない。
彼らは、「集団」の中の「個人」として自己実現した人物像たちであった。
ちなみに、アメリカの企業社会の「文化モデル」は、ビル・ゲーツのような俗なる世界で「個人」として競争勝者であり、「神」の前の聖なる世界で「個人」として立派な慈善家である、そんなバランスを体現する人物像ではなかろうか。
「よく自立という言葉が使われますが、それは一人で生きていくことではなくて、親以外の誰かに依存し、社会化されていくことを言います。
その過程でルールを学ぶわけですが、そのモチーフになるのが日本は恥、欧米は罪である」
社会化にはレベルがあり、親への依存や親の支配からの離脱はその第一ステップに過ぎない。
親以外の家族や近い親戚といった身内を対象に、自己実現につながらない依存をしている間は第一ステップの社会化を果たしていない。たとえば、兄弟姉妹に対する競争心や嫉妬心が拭えなかったり、頻繁な交流のない近い親戚について些細な一事をもって軽蔑し続けたり(親の感情を反映することが多い)は、親の評価を競う意識を残存させていたり、身近な誰かを貶めることでしか自尊心を保てない依存的な攻撃性を温存させる。
これは、企業社会で言えば、経営陣には依存していないつもりでも、さほどの交流もしていない他事業部門のことをたまたま体験したり聞き知った一事をもって批判姿勢を固持する、そんな社員の心理状態である。
会社批判が会社依存の裏返しであることは、よく「文句を言う奴ほど辞めない、辞める奴は何も言わずに辞める」と言われるように、誰もが知っている事実である。
「子どもを歪ませる家族では、ハイ・E・E、つまりハイ・エキスプレスド・エモーション(High-Expressed-Emotion)が多いとも指摘されます。
ハイ・E・Eというのは家族論で使う言葉で、とげのある言葉とか表現という意味です」
ハイ・E・Eが「人間としての関係」を減衰させ不安定化ないし硬直化させることは、家庭でも会社でも同じである。
では、ハイ・E・Eを戒めるのは何であろうか。
欧米人の場合「神」である。
日本人の場合は? 難しい問いだ。
著者は「美学」ということに言及している。
いくら美人でもハイ・E・Eを放出する顔は醜い。その醜さを目にすれば、誰もが、いなその美人本人すら、嫌悪を感じて気持ちがなえたり身がすくんだりする。
私はタンジュンに、そういうのは嫌だなあと感じる心を「美学」と捉えればいいと思う。
これは理屈なしの感性である。
「欧米は罪の原理ですから、神学を勉強したり聖書を勉強することによって(筆者注:<知>によって)覚えることができます。
しかし日本の場合、恥や徳というのは心の美しい様(筆者注:<情>)ですから、これは一種の『美学』です。
美学というのは情緒的な要素が非常に多く入っておりますから、モデルが必要です」
著者は、この2〜30年の間の、ノイローゼ患者の変化に触れている。
2〜30年前までは、日本の青少年のノイローゼの半分以上は、対人恐怖であったという。
「対人恐怖は世界中どこでもあると思いがちですが、日本ほど恥じらいを基本とする対人恐怖が多かった国はありません。(中略)
赤面恐怖とか視線恐怖といった対人恐怖は日本独自のものといって過言ではない(中略)。
この30年間で、この対人恐怖はどんどん減ってきました。(中略)
これは日本から恥が消えたことを意味しているのではないでしょうか」
著者は,日本人から恥の意識がなくなれば、美学の体現者もなくなる。
これは、罪という原理が知識として学べるのに対して、美学によって感じとることできる恥にとって、由々しき問題だと言う。
これでは美学に反することの体現者を見ても、「けっこう怒った顔も美人だ」などと感心してしまう。
いわゆる価値観の多様化は、すでに醜悪を感じとる感性を鈍らせているのかも知れない。
「社会化のモデルとして民族の文化のレベルからルールを考えたわけですが、個人レベルに引き戻すと、社会化というのは自立することであり、そのためにはモデルを参考して試みて、成功したら自信がつき、独り立ちできる」
私の場合、恩人二人が、私を自立という社会化に向かわせたモデルだった。
今の若い世代にも、自身を自立という社会化に向かわせるモデルがある筈だ。
ただし、そこに「恥の文化」がかつてのように息づいているかどうかは疑問だ。
私が狙っているのは、現実的には、ある会社の企業文化として「恥の文化」を現代的に再生することである。
「社会に育まれた恩に社会を育む貢献で報いる、公や義理といった社会的責任を全うするのが当たり前で、そうしようとしないのは恥である」というルールを、企業ヴィジョンや基本理念や創業精神とともに現代的な美学として再生する。
そしてそうした美学の体現者として人材を育成し活性化し、社員同士の「人間としての関係」やそれを土台とする集団による仕事、そこにおける自分の役割や責任、などなどに「愛着」の連鎖が育まれるように方向づけたい。
「やはり教育には優れたモデルたりうる本当の『教師』が出現することに尽きる」
著者の言う通りだと思う。
私にとって二人の恩人がまさに最良の「教師」、正師だった。
そして、不肖「心の息子」である私は、自身も後進に対してそういう人間でありたいと思うし、またそうでなければ、私の考える事どもも空理空論に終わると自戒している。