『コンテンツではなくパターン、本質主義ではなく構成主義、ということの実感』 詳論 |
日本文化の個別具体的な由緒正しい伝統を大切にする、それは誰かにやってもらって、とても有り難い重要なことです。
そして、日本に来て個別具体的な由緒正しい伝統に学んだことを母国に持ち帰る、そんな稀少な外国人の方々もいらっしゃることも有り難い。
しかしまず、現代の日本人が日本文化の本質や構造といった全体像を理解し、世界の人々に客観的に説明可能になるには(外国語じゃなく日本語で)、ひとつひとつの個別具体的な由緒正しい伝統を確認したり経験したりしていられない。一生かけても無理です。
日本文化を知りたい一般的な外国人の側も、ひとつひとつの個別具体的な由緒正しい伝統を手取り足取り全部教わらないと分からないと言われたら、その時点で嫌になっちゃう。
日本人でアメリカが好きな人がいたり、中国が好きな人がいたりしますが、そういう隅から隅までとか、1つのことを狭く深くとかマニアックな人やエキスパートをめざす人もいますが、一般的なファンはもっとアバウトでイメージ的というか観念的です。でもおおよそ、アメリカ文化とはこういうものと思う、中国文化とはこういうものと思う、とは分かっているし、正確に説明されれば分かったりもする。
問題は、日本文化の場合、その本質や構造といった全体像を伝えられないでいることです。まず私たち自身がそれを、そういう形で明快に理解することを怠ってきた。いつまでも個別具体的な由緒正しい伝統のそれぞれの蛸壺の中で理解できるものとし、日本人にも外国人にもまるで親方が弟子に見習いさせるようにしか伝えられないと決めつけてきた節がある。
しかし世界が時間空間的に近しく、情報知識的に密接に連携し、生活的にも個々人の個性や感性にもとづいた編集を自由にして当たり前の時代になった今、「本質主義ではなくて構成主義の方が生活者のそれぞれの生活や人生に有意義に受け止められる」ようになっています。
具体的に言えば、
「コンテンツとそれを伝えるパターンと大別すれば、伝えるパターンの多様化や、異なるパターンの盛んな交流の方が大切ではないか、という知見です。」
え、ぜんぜん具体的じゃない理屈だって。。
すみません。
難しそうですが、音楽シーンではすでにこんな形で新しい「物語」と「語り」が先行しています。
http://gyoko.com/top.html
古来からのオリジナルをそのまま残したり伝えることも重要だけど(稀少な種の遺伝子を保存するように)、
現代の自分たちの生活感との掛け算で多様に、ということは受け手側の物語において楽しめたりさらに自分なりの語りを発展させられるようにする、その時、日本人だけでなく同じ方向性が好きな外国人をも巻き込む(突然変異をして生息域を拡大するように)、
そんなことも大切になってきています。
日本人は、古来、外来の個別具体的な由緒正しい伝統をそうやって自分たち流にアレンジして受け入れてきた民族だった筈です。
そのアレンジの仕方に、ある原則や精神あるいはある情緒性があった。それが温存された形であれば、僕は立派な日本文化だと思う。
それは、外来の個別具体的な由緒正しい伝統文化を、パターンとして認識し、自分たちのパターン組み合わせに落とし込んだということです。
そもそも、これでなけりゃ日本文化でない、というファシスティックな物言いは、時の権力者や家元の権力や権威の構造としてはあっても、常民のあるいは町人という生活者市民レベルの物言いとしては国粋どころか無粋すぎます。もっと自由闊達というのが日本文化の多様性なり地域多元性でそれが生活者の感性であった筈です。
現代生活においてまで、個別具体的な由緒正しい伝統そのままや、個別具体的な由緒正しい伝統ごとの蛸壺の中で味わえと強いられるのは不自然です。そもそも日本文化は隣接分野が相互に連携したり影響しあって発展してきている。それこそが日本文化の個性的魅力の時空である。
現代生活でもそうした方がよっぽど自由で楽しいし、自分の生活にフィットすると思う。
その時、個別具体的な由緒正しい伝統の担い手が蛸壺を超えて連動するのもいいけど、まったく由緒正しくない、というか由緒なんて、いま、ここに生きている縁起で十分だ、という自由人がその感性ならではの多様な融合を創造していくのもいい。
前者は「個別具体的な由緒正しい伝統=本質主義」において融合をはかり、
後者は「パターンの編集=構成主義」において融合をはかる。
前掲の「漁港」は後者です。
「漁港」には、いわく言い難い土俗的なものと現代的なものの融合があり、文科省がけっして推薦したり後援する根拠をもてない、それをいいと感じる人たちだけに拓けた未来があります。
いろいろ好き嫌いはあるでしょう。しかし、日本人全員が好きである必要なんてない。ということは、あなたの好きはあなたの好き、僕の好きは僕の好き、同じ方向性が好きって外国人がいてそれぞれが国や人種や文化の垣根を超えて交流できればいい。
個別具体的な由緒正しい伝統にこだわる日本人は、それにこだわる外国人にそういう日本文化を伝えればいい。
伝統的なパターンの現代的な再構成の方がおもしろいという日本人は、それをおもしろいと感じ取る外国人に、そういう日本文化を伝えればいい、と思います。
どこに縁(縁起)があると感じるかは、人それぞれであり、その縁(縁起)にのっとって情(情緒)起点の発想思考をそれぞに自由闊達に大切にするのが、日本人一人一人の個性なのではないでしょうか。
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