「交易する人間」の無意識的な求めとその現れ(4:後半) |
(4:前半)
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からのつづき。
「日本型経営」と「日本人の集団志向」にみる「構造的贈与」の気づかれざる働き
私は、
ある会社の経営悪化から経営危機までの経過を体験的に観察したことが、日本の企業社会全体の変容ということを、「人間の相互行為」(交易)の有り方の変容として確認することになった
と述べた。
この変容も、「贈与」と「交換」の概念、そして「贈与」経済と「交換」経済に密着している。
最初はそうとは気づかなかったが、いわゆる「空白の◯◯年」が進行するにつれて誰の目にも明らかになっていった。
著者はこう述べている。
「自発性の外観を強制する原因は二つある。
一つは宗教的儀礼的信念である。
もう一つは構造的贈与である。これは社会構造の気付かれざる働きによって、当事者が知らぬ間に贈与してしまうのである。これこそが純粋な返礼なき贈与である。
とはいえ、理論的には二つは同じことである」
端的に言って、変容とは、それまであった「構造的贈与」の変容だった。
(これを加筆修正している2016年現在、この変容は企業社会に留まらず、官僚社会、学校社会、地域社会をふくむ日本社会の全体の動向となっている。)
バブルが崩壊して長引く平成不況となり、それまで世界から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と褒めそやされて日本型経営を謳歌し自画自賛していた大方の日本企業は、短絡的に日本型経営を全否定しはじめた。
日本型経営は、一般的に終身雇用、年功序列、企業内組合を特徴とするとされるが、それは「交換」経済で捉えた説明である。
本来の日本型経営の本質は、共同体性、である。
そして短絡的な全否定とは、共同体性の否定、であった。
要は、このままでは会社が潰れるかも知れない状況になって、「人間の相互行為」(交易)が保身のための足の引っ張り合いになった、と言って当らずといえども遠からずである。
経営幹部においては、経営実権を握る主流が反主流や非主流の追い落としにかかった(流派は事業部門幹部により構成される)。「交換」経済の合理性の建前論としては「選択と集中」策を錦の御旗として、<モノ割り縦割り>の事業部門のスクラップを不採算部門からはじめて非主流の好採算部門まで展開した。「選択と集中」の本家アメリカでは、アップル社をみるまでもなく複数のハード・デバイスをソフトウエアやオンウェブ・サービスで<コト割り横ぐし>するリストラクション(事業再編)による「選択と集中」策もある。しかし、そちらの考えは一考だにされなかった。有志社員たちが事業部横断的な会議体をつくって検討すべしと提唱しても無視された。
けっきょく経営主流は、経営実権を握る基幹事業部門を維持しより強固にするために、その他の事業部門を可能な限り打ち切り売却した。同時に最大コストとみなす人員の削減=首切りであるリストラ(英語のリストラクションとは全然意味が違う)を繰り返した。
それは交易としては、<分け隔て>を原理とする戦争やイジメと同じ「負の贈与」である。
これとまったく同じことが、私の取り引きのあった大手メーカーに限らず、それまで日本型経営を謳歌していて短絡的に全否定に翻った業界を問わない大手メーカーのほとんどで自然発生的に同時多発していった。
後に小泉政権が正社員を縮小し非正規社員を拡大する政策を進めて、同じ「負の贈与」である派遣社員差別やブラック就労が一般的な大手企業で自然発生的に同時多発していくが、すべては同根の「贈与経済の負の側面」と言える。
社会構造の気付かれざる働きによって当事者が知らぬ間に贈与してしまう「構造的贈与」とは、
かならずしも「正の贈与」とは限らない。むしろほっておいても蔓延拡大するのは「負の贈与」の方なのである。
(注目すべきことに、トヨタやセブンイレブンなどそうした動向に付和雷同せずに、日本型経営の長所短所を冷静に見極め現代化・国際化を進めた例外的な企業は、「空白の◯◯年」にむしろ世界的に成長した。しかしそのことはここでは論点から外れるので割愛する。
ただ、これらの例外的なエクセレント企業は、経営主流がつねに「正の贈与」の「構造的贈与」を最大化させ、「負の贈与」の「構造的贈与」を最小化させようとする企業文化を共通してもっていることに留意してほしい。)
日本型経営は、知識経営としては、
日本人の集団志向の2タイプ
集団を身内で固める「家康志向」
自由に活動する個々を集団に構成する「信長志向」
の合わせ技だった。
「家康志向」でルーティンの改善を行い、
「信長志向」でタスクフォースの革新を行った。
そのような「信長志向」とは、具体的には以下である。
◯トップからミドルまでの社員による外部ブレインの活用
(社内の人間にはない物事の考え方ややり方をもつ多様な社外人材をイコールパートナーとして活用する。大学教授のような権威者よりも活用者自身が独自ルートで出会って課題にふさわしい能力を認めた者を抜擢する。
それは私自身が実際に抜擢された体験をもつ事実である。
ちなみに30歳で独立した私はその前後に、ビクターとパイオニアのテレビ特機事業部に外部ブレインとして依頼され協力した。きっかけは、20代後半勤めた会社で日本経済新聞社主催の店舗総合見本市「ジャパン・ショップ」でテーマゾーンのプロデュースを担当して「店舗映像化」というテーマを打ち出したことだった。テーマゾーンの協賛を初年にビクター、翌年にパイオニアに仰ぎ、基調講演で店舗の映像化と顧客との関係づくりについて体系理論を発表。ビクターの創業記念の社内講演イベントで大学教授陣にまぎれて20代の若輩者の私も発表。業界紙の「電波新聞」が、新人類現われる、と報じた。ビクターのテレビ特機事業部が私を含む外部ブレインの研究会を組織し共著本を出版。競合関係にあったパイオニアのテレビ特機事業部も外部ブレインの研究会を組織し業務用AV機器の販売保守業者向けの活動を展開。こうした経緯と並行して、「ジャパン・ショップ」のパイオニア協賛のテーマゾーンを見たという同社マーケティング部長と意気投合。レーザーディスク販売責任者の同社専務に引き合わされてレーザーディスク販促イベントの異業界他社との恊働を提案推進する形で協力。これを皮切りにその後パイオニアの商品開発や人材研修や調査研究に協力していった。
私は独立時には、ゼネコンと大手設計事務所とディスプレイ企業に加えてAV機器メーカーの複数大手の仕事をしていたが、その後、自動車メーカーの複数大手、コンビニの複数大手、事務機メーカーの複数大手などの多様な仕事をしてきて今日に至る。すべてイコールパートナーとしてのコンセプト開発絡みの外部ブレインとしての仕事である。
そしてクライアント各社の窓口となってくれた方々がネットワーカー型のトップや重役やキーマン・ミドルであった。)
◯事業部門横断の恊働
◯異業種異業界との企業間恊働(後にコラボレーション、コラボと呼ばれる)
◯トップが発信する意味論的文脈とエキスパートが展開する機能論的文脈とを翻訳して媒介して垂直軸で現業にまとめあげて行く「アップ・ダウン・マネジメント」をするキーマン・ミドルたちの一部が水平軸のネットワーカーともなって積極的にしていた
事業部門横断や異業種異業界恊働の可能性を潜在力・顕在力として高めるネットワーキング活動
社外活動の典型は「勉強会」の主催やそれへの参加
(「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者、エズラ・ヴォーゲルは「勉強会」に注目していた。
「勉強会」は一般的に異業種交流会のようなものと誤解されているが、それとは違うものだった。
異業種交流会は、できることがあったら何か一緒にしましょう、という一緒にできること探しだった。一方、「勉強会」は、基本的には美味しいものを食べる場で誰かが発表をしてみんなでフリーディスカッションをする、というものだった。これを一次会とし、面白いな気が合うなと思った同士が誘い合って少人数の二次会の飲み会に流れる。そこでそれぞれの仕事上の関心事やこだわりを披露し合い、その対話の中からいろいろな気づきが出てきて、ならばこういうことを一緒にやろう、こういう人も誘いましょう、という展開になった。
「勉強会」のメンバーはネットワーカー型の主催者が面白いと思って声をかけた人たちで、参加者が主催者に打診して了解を得た人が参加することもあった。多様な立場の個性的な実力者が個人の資格で(社員でも自腹で)参加する出入り自由の集いだった。
面白い仕事に展開するケースが多い「勉強会」は、主催者と参加者が(金儲けをしたいとか業績を上げたいとかギスギスしていないで)とにかく面白いことを知りたいやりたいという人となりだった。仕事を遊びのように楽しんでいて同様の人を老若男女に関わらず応援する年配者が多かった。創造的なネットワーカーとしての資質と人脈は、そうした人間性の発露の自然な結果として醸成されるものと思われた。
後にインターネットが普及して「オフサイト・ミーティング」が盛んになったが、「勉強会」とは顕著な対照性を示す。
「オフサイト・ミーティング」は共通の関心事をテーマとするサイトで予め意見交換をしていて集まるから、<明示知を踏まえた確実性>にある。
一方、「勉強会」は、どのような人が集いそこでどのような人と出会って何が始まるのかすべてが未知数である。よって、頼れるのは己の嗅覚であり、主催者があの人ならば相応の面白い人が来るのだろうとか、フリーディスカッションをしていてどうもあの人とは妙に気が合うとか、己の暗黙知と身体知で判断していくしかない。つまり、「勉強会」は<暗黙知と身体知を踏まえた不確実性>にあった。
「オフサイト・ミーティング」は、無自覚的に「偶有性は排除すべき無駄であり避けるべき非効率である」と思っている人が集まる。
「勉強会」は、自覚的に「偶有性は当たり外れがあるがまったく想定外の出会いや気づきに出会うには不可欠である」と思っている人が集まった。)
バブル崩壊後、大方の企業において日本型経営が全否定され、共同体性が解消されていった。
その際、以上のような「信長志向」が排除されて「家康志向」に一辺倒化していった。
「信長志向」の諸活動においては、
社会構造の気付かれざる働きによって当事者が知らぬ間に贈与してしまう「構造的贈与」が「正の贈与」を活発化させた。
社会に出たて独立したてでとにかく面白いことを従っていた若造の私に、何ら見返りを求めずに応援してくれた諸先輩は、本人それと意識しないで「正の贈与」をする人たちだった。
大切なのは、そういうことが何も私だけの幸運ではなかった、ということである。
かつての日本社会では、年配者がどんな関係の者でも年少者に対して社会人の先輩として応援することを当たり前とする良識があった。同じ会社の先輩後輩だけではない。クライアントの年配者が出入り業者の年少者を応援した。(ちなみに私は20代後半勤めたディスプレイ企業で旧西武流通グループの仕事をしたが、独立すると百貨店、スーパー、ディベロッパーの諸先輩が直接に仕事を依頼して応援してくれた。)また逆に、出入り業者の年配者がクライアントの年少者を商売抜きで応援し、年少者もクライアント風を吹かせるような礼儀知らずはいなかった。(ちなみに私は「ジャパン・ショップ」のプロデューサーをした際、予算がないために自社を使えず競合ディスプレイ企業を下請けしてもらった。その際の窓口となった年長者が独立後、その会社の顧問業務を依頼してくれた。)そうした年長者の年少者への対応は、無自覚的に「交換」経済に「贈与」経済を忍び込ませるという形だった。
さらに取り引き関係はもちろん縁もゆかりもない者同士が集う「勉強会」では、余裕と実力のある年配者ほど熱心に面白い若者を応援した。
つまり、バブル期までは企業社会の全体で、「正の贈与」が「構造的贈与」となっていたのである。
私自身が新コンセプトを開発してそれをネットワーキングによって具現化するフリーランスという「信長志向」できたために、話がそちらに偏ってしまった。
しかし、共同体性という本質をもった本来の日本型経営において、「信長志向」は補完的なサブストリームであって、メインストリームは「家康志向」であり、そこでも「正の贈与」が「構造的贈与」となっていた。
そもそも、先輩後輩、先人後進のような時間軸の線形構造を前提にした贈与の連鎖(継承)は、集団を身内で固める「家康志向」でこそ強く制度化されてきた。
たとえば、OJT(オン・ジョブ・トレイニング)という言葉がある。
その実態は、本家アメリカとは違った。日本型経営においては仕事の重要な局面が人間関係ふくむ場の文脈に依存した高コンテクストな暗黙知や身体知で構成されている。だから、新入社員はそれを先輩社員から手取り足取り教わって職場の一員としての能力を発揮できるようになる。その現場での手取り足取りが実態だった。
一般的に日常的な「交換」経済の業務において「正の贈与」が紛れ込むのは、日本型経営においてはこういう先輩後輩関係における「構造的贈与」であった。
ところが大きく時代の流れは変わった。
日本型経営の短絡的な全否定が推し進めたのは組織の機械論化と人材の機械部品化であった。
それは仕事が場の人間関係ふくむ場の文脈に依存しない低コンテクストな明示知で構成され、一般的に日常的な「交換」経済の業務において大学出たての新入社員でも即戦力になれる、またなることが期待されるものである。一般的に日常的な「交換」経済の業務において、「正の贈与」が紛れ込む先輩後輩関係は最小限化されていったと言える。
日本の歴史を振り返れば明らかだが、「信長志向」が排除されて「家康志向」の一辺倒化が進むと、その弊害として組織が硬直化し社会が膠着化していく。
会社でも同じことが起こる。
バブル崩壊後の「空白の◯◯年」の企業社会においては、これに①グローバリズムの台頭と②ITの普及ということが重なった。③組織の機械論化と④人材の機械部品化、とすべて低コンテクストな明示知だけを踏まえる同じパラダイムにあり四位一体で相乗効果をもって統合化していった。端的に言って、身内でも不要部品は廃棄されるようになったのである。
それが現代日本の企業社会における「家康志向」一辺倒化の特徴的な帰結である。
そのような現代の「家康志向」一辺倒化の「人間の相互行為」(交易)に着目すると、誰の目にも明らかに「構造的贈与」として「負の贈与」が拡大してきている。
端的に言えば、良い先輩より悪い先輩、良い上司より悪い上司の所行の方が一般化し制度化されてきている。
組織が機械論化して人材が機械部品化すれば、機械のアウトプットのようのノルマが設定され、ノルマを達成しない機械部品の人材は容赦なく交換される。悪い先輩や悪い上司は自らも機械部品に徹して一見、日常的な「交換」経済の業務に携わっているだけの見えがかりをもちながら、下位の機械部品である後輩や部下に対して「負の贈与」の「贈与」経済を紛れ込ませる。
経営もそれを知っていて機械の稼働率を上げたり機械部品を交換して生産効率を高めるものとして黙認している場合も多い。
大手一流企業でも問題化しているブラック就労や各種ハラスメント、さらには各種の法的検査結果の偽装や改ざんなどのことである。
メディアでは複雑難解な社会問題として報じられ各分野の専門家が意見を述べているが、じつは話はタンジュンですべて問題は同根なのである。
機械論化した組織において機械部品化した人材を前提に、集団を身内で固める「家康志向」に一辺倒化すると、
機械論的なノルマ達成至上主義と、身内でいたいなら上の言う通りにして余計なことをするなというプレッシャーに応じる事勿れ主義とが掛け算される。
「人間の相互行為」(交易)は、互いを監視して束縛するばかりとなり、行き詰まった時の逃げ場や行き詰まらないようにする遊びがなくなる。結果的に強い立場の上(上司)や中(正社員)が、弱い立場の下(部下)や外(派遣社員や下請け)に「負の贈与」を「交換」経済に紛れ込ませていく。
それはある程度までは制度化された「構造的贈与」であり、軍隊の軍人のように個人差として攻撃的ないしは他罰的な気質を発揮する強者とそれを晴らすターゲットにされる弱者が出て来る。
そのようなイジメや足の引っ張り合いが拡大するのは、会社の職場も学校のクラスも同じである。
なぜ学校のクラスではイジメがあり、出入り自由のフリースクールではイジメがないのか。
それは学校のクラスが、集団を身内で固める「家康志向」に一辺倒化しているからである。
生徒は、身内とみなされないと除け者にされイジメられてしまう。それが嫌だから身内でいるための条件を不条理なものも含めて受け入れる。要は、浮いて目立つことなくみんなと同じであるべし、ということだ。その条件をお互いが満たしているか逸脱していないかを、みながお互いに監視し少しでも逸脱があれば仲間はずれにする。そういう<分け隔て>による「負の贈与」が制度化している。
私が思うに、
問題の本質は、こうした土壌を堅持している「家康志向」の一辺倒化なのだが、文科省が問題にするのは中央集権の教育行政を画一的に展開できる機械論的体制であるそこではなくて、暴力が物理的ないしは言語的に伴うことだけを悪い事避けるべき事としていることにある。
一方、フリースクールは、自由に活動する個々が適宜に集団を構成する「信長志向」で、出入り自由であるために、そもそも身内でいたいがための云々がない。
それぞれが好きなことを一緒にやったり一人でやったりしている。興味関心やる気の一致がないのに無理に何かをさせられるということがない。個々の主体性が尊重され、学齢の異なる年長者と年少者の教え習うの恊働が自然発生する。結果的に<包み込み>による「正の贈与」が制度化している。
学校が機械論化し、学校の生徒が機械部品化しているのに対して、フリースクールとその生徒は人間論を取り戻している。
共同体性があった本来の日本型経営においては、「信長志向」が「家康志向」を補完する形で、社内外の活動として合わせ技されていた。
江戸時代から日本人の血肉化した「家康志向」は、日本人ならば誰に教わることなく空気を読んで自然体でできる横並び志向である。ほっておけば一辺倒化していき「人間の相互行為」(交易)が内向き・上向き・後ろ向きなものに限定されていく。
それを回避するために不可欠なものとして、外向き・下向き・前向きな「人間の相互行為」(交易)である「信長志向」が副次的に合わせ技されてきたのである。
これは伝統的に集団志向できた日本人の経験に基づいた組織を生かし個々を活かす人間論的な知恵と言っていい。
日本型経営の短絡的な全否定にともなった「信長志向」の排除は、ITの普及によって助長された。
それは、端的に言えば、「家康志向」で「人間の相互行為」(交易)が内向きに閉鎖的になったとしても、インターネットでどんな知識や情報も手に入る、どんな人とも出会えるという誤解が普及したことによるところが大きい。
すでに「勉強会」と「オフサイト・ミーティング」の比較論で確認したように、ネット上ではいくらネットサーフィンしたからと言ってその「偶有性」は限られていて、たとえば論題としては自分の想定内をそんなに外さない。ある分野から隣接する分野に偶然飛ぶくらいだ。
たとえば「勉強会」では、出会った◯◯さんは会社では××の専門家だが、個人としては□□の世界の実力者だったといったことがある。ワード検索ではそういう人間を媒介にした「偶有性」が即座に連鎖的に発生することはありえない。
また、知識や情報は自分でも得られるしお互いに補い合うことできるが、何かについての志とか熱意といった<意>や<楽しみや喜びといった<情>は主体的に本人が抱くしかない。ワード検索で<知>は検索できるが、誰かどんな<意>や<情>を抱いているかを直接的に即座に検索することはできない。無論、書き込みした言葉を分析したビッグデータからある程度の検索ができるだろうが、それはあくまで書き込みした人に限られる。
ここにはもう少し踏み込むと重要な論点が出て来る。
それは、
<意>や<情>は主観的なものであって変容する
一方、
<知>は正しかろうが誤りだろうが記録された時点で情報として固定される
ということに関わる。
このような<意>と<情>を抱いている人が検索できたところで、それはその時点で記録された情報という<知>でしかない。
しかし、たとえば「勉強会」で出会った人の何かに刺激されて自分の<意>や<情>が変容したり、強まったり弱まったりする。
私自身において「勉強会」の受けた影響が一番大きかったのは、よくよく考えると<知>ではなかった。刺激的な<知>に出会うことはためにはなったし楽しくもあった。
しかし、自分を変えるということはなかった。しかし、「勉強会」でさまざな個性的な実力者に触れて、ああこういう人になりたい、とか、逆にこういう人にはなりたくないなあ、とか思ったことが大きかった。それはその人の人となりが自然体で発っしていた<意>と<情>だったと思う。それがどんなものだったかは言葉に尽くせない。つまり<知>に置き換えるとしても明示知にできず、暗黙知と身体知として私の心身の中のイメージや身体感覚として留まっている。
どこに行けばまたそんな体験ができるのか、それを知る術はない。
不確定な偶有性はネットでタイムマシンでもできない限り検索できないし、言葉に尽くせない暗黙知と身体知はワード検索できない。
また面白そうな連中の集まる「勉強会」を主催するか開催されているのに参加するしかない。
恊働とは、信頼できる人間関係において成功するものであって、<知>をもったナレッジワーカーを機械部品のように組み合わせて機械のように集団を組み立てれば、それが集団独創するというものではない。
そのような当たり前過ぎる人間論が忘れ去られている。
「オフサイト・ミーティング」では、出会った者同士が最初に名刺を交換し、所属する会社と部署、持てる職能を明らかにして信頼関係を確保する。しかしそれは、どこの機械の何をする部品です、と自己紹介しあい、ああそれなら確かですね、と確認し合っているという機械論のパラダイムにある。
おそらく目指す直近の目標が企業対企業のコラボであって、それが始まれば会社同士の信頼関係という機械同士の関係性の確実性にシフトするという想定なのだろう。
一方、
「勉強会」では、一次会で口頭で自己紹介はしても、その内容に意味を見出す参加者はほとんどいなかった。みなフリーディスカッションでどんな面白いアイデアを言い出し個性的な考え方を披露するかに関心が集中していた。面白いと思ってもらえれば、私のようなどこの馬の骨だか分からない若造でも向こうの方から、面白いねえとニコニコして寄って来てくれた。お互いに興味をもち気の会った者同士が二次会に流れ、それぞれのこだわりや関心事を語り合い、ではこういうことを一緒にやりましょう、という話になって初めて連絡先の交換として名刺が登場した。実際に相手の会社の仕事に協力することにもなったが、最後まで相手がネットワーカー型のキーマン・ミドルとして社内の人間との恊働を円滑に推進してくれた。
「勉強会」の参加者は、機械の一部である機械部品とは対照的に、社外でも社内でも、社長の前でも部下の前でも、一貫して持ち前の人となりとアイデアや考え方を担った一人の人間であった。だからよく一緒に遊びもした。私が参加した一回り年上の人たちが集う勉強会のメンバーは、歌舞伎役者の方がいてそのお計らいで一緒に歌舞伎を見たり小唄を習いに通ったりジャズクラブで演奏したりしていた。一回り違う同じ干支ということで仲間に入れてもらった当時30代の若造も一通りおつきあいした。(ちなみに、私は彼らが自分の仕事を遊びのように楽しんでいると思った。それは実際に彼らの遊んでいる時の顔と仕事をしている時の顔がまったく変わらなかったためだ。)
日本人の場合、
かつて会社に「家康志向」の世間だけでなく「信長志向」の世間もあった、ということは、
社員が2つの世間の自分(分際)をもった、ということである。
職場や事業部門や会社や業界という世間の身内としての自分が何かで行き詰まっても、
全社マターを考える事業部門横断の会議体や異業種異業界他社との恊働プロジェクトというもう一つの世間に出入りする者としての自分がそれを解消したり打開することもある。
それは、トップが社員たるもの全社的観点に立つ企業家たれと訓示し、会社が「勉強会」への参加やそれで社外の人脈を広げて仕事に生かすことを良いこととして評価していたかつては大いにあったことなのである。
ネットワーカー型のキーマン・ミドルやトップ自らが「勉強会」から得たアイデアやチャンスやネットワークといった成果を積極的に受け入れたかつての日本型経営では、社内の世間の行き詰まりを社外の世間を動員して打開するというのはごく一般的な常套手段だった。
日本型経営のすべてが良かったとはけっして言えない。
しかし短絡的に全否定して、共同体性を解消し、さらに「信長志向」の世間を排除して失ったものは間違いなく大きい。
問題は、バブル期までの本来の日本型経営において、人間論的な、かつ日本人の集団志向ならではの「家康志向」と「信長志向」の合わせ技を体験した世代が、その構造的な有りようをちゃんと伝えずに退場してしまったことである。
ちなみに「空白の◯◯年」に若者たちが起業したベンチャーから成長した新興企業では、現代版の日本型経営が多様に自然発生している。ベンチャーから立ち上がって成長していくには、原理的に「信長志向」によるしかなく、成長し切ってからしか「家康志向」が一辺倒化する心配はない。組織も巨大化していないし、個々の人間の臨機応変な発想や対応が求められるから、再先端のITコミュニケーションが駆使されても組織の機械論化や人材の機械部品化の心配はない。人材はより人間的に創造力を発揮している。
しかし、そのような理想的な日本企業は、テレビでレポートされてニュースバリューがあるほどに希少なごく一部である。
大方は、日本型経営を謳歌してきてバブル崩壊でそれを翻して非正規社員比率を拡大した日本型経営の残骸大手と、ブラック就労や各種ハラスメントが常態化している中小零細というのが実情だろう。
その現実には、業績がいいからホワイトで、業績が悪いからブラックだといった短絡論は通用しない。
制度化された「構造的贈与」というものが、日本人ならではの「世間」と「自分」という枠組みにおいてある。それが「正の贈与」から「負の贈与」へとシフトしてきている、というのが大きな時代の流れとして確認できる。
そしてこの大きな時代の流れは、企業社会だけでなく、官僚社会や学校社会や地域社会でも同時並行して日本の社会全体として連鎖していっている。
戦前の日本人が、敗戦に向けて「負の贈与」の相互行為を最大化していったことは歴史上の事実である。
敗戦して戦後の焼け野原から再起した日本人は「正の贈与」の相互行為を最大化していったことが、奇跡の高度成長を遂げさせ、オイルショックを乗り越えて一億層中流意識をもつ分厚い中間層を出現させたことも歴史上の事実である。
一方、バブル崩壊後の「空白の◯◯年」そして今に至る時代の流れでは、どう考えても日本人が「負の贈与」の相互行為を増大させてきている。
「構造的贈与」による「人間の相互行為」(交易)の制度を、
いかにして「負の贈与」をめぐらすものから「正の贈与」をめぐらすものへとパラダイム転換するか、
それが現在から将来に向けた日本人の課題と言えよう。
(5)
http://cds190.exblog.jp/8543436/
につづく。