読響打楽器アンサンブル「マリンバスピリチュアル」に共感。 |
https://tv.so-net.ne.jp/schedule/101040201511190234.action
http://www.ntv.co.jp/yomikyo/
クラシック奏者がかけ声を発するのを初めて聴いた。
単純に音楽としても感動したのだが、私には独自の共感があった。
「日本的なるもの」をガラパゴスにしない方向性というのがある筈だとずっと考えてきた私には、今夜の五人の演奏がまさにそれを感じさせるものだった。
私は「日本的なるもの」を理解するには、お茶やお花をしたり神楽や歌舞伎を見なければならないとは思っていない。そこが一般的な伝統主義者とまったく私が方向性を違える所だ。
打楽器演奏であれば、「鼓童」の方向性ではなくて、読響の打楽器アンサンブルの「マリンバスピリチュアル」の方向性なのである。
譜面にすれば外国人の打楽器演奏者にも理解でき演奏できる、そういう方向性なのである。
「日本的なるもの」は大いに暗黙知や身体知を含んでいるのだが、それを構造的に明示知化することで、ガラパゴスではなくインターナショナルにすることができる筈なのだ。それは、すでに琳派やアニメや日本食が国際化したことでも果たされている。
私は、日本文化を英訳すればそれができるとは思っていない。
まず、日本人自身が日本の生活文化の本質を理解し、それを身内だけが肌身と直感で感じる暗黙知や身体知から、構造的に理解して、理解した者なら客観的に再現できる明示知にしなければならない。英訳はそれからすればいい。暗黙知や身体知をほっといてそのまま英訳してもそれで理解されることは限られている。
生活文化の翻訳は小説のようにはいかない。