「墳墓上で祝祭を行う」という考え方(備忘録) |
“国宝一年生”縄文土器 「縄文のビーナス」と「仮面の女神」
で山梨県の金生遺蹟(縄文後期から末期)が出てきた。
その膨大な数の石が集められた配石遺構は墳墓であり同時に祭祀の場であった。
八ヶ岳山麓には存在しない花崗岩などの出土から、遠方との交流もあった。番組では寒冷化によって人口減少し集住んだ集落と解説され、その集落内の住居のすぐ隣に配石遺構があった。
この遺跡は後期、晩期には衰えたと思われていた八ヶ岳山麓遺跡の定説を覆す遺跡だった。
思うに、寒冷化と人口減少を生き抜くには集落が交易拠点となる必要があり、配石遺構での祭祀は冬至祭であると同時に、遠隔地からも交易民が結集する定期市となったのではなかろうか。
私は出雲の四隅突出型古墳が、中国王朝商財の実演販売をする万博パビリオンと仮説した。
http://cds190.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=22729362&i=201501/18/65/e0030765_16493926.jpg
四隅突出型古墳は中国の宮廷の祭壇のような台状で、境界を配石した突出部はファッションショーの張り出しのようでもある。
http://cds190.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=22729362&i=201501%2F18%2F65%2Fe0030765%5F14364193%2Ejpg
中国の宮廷の祭壇でも冬至祭が行われた。皇帝は天壇で天を祭った。四隅突出型古墳上で宮廷冬至祭が実演されたのではなかろうか。
http://cds190.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=22729362&i=201501%2F19%2F65%2Fe0030765%5F13472220%2Ejpg
墳墓の上で祝祭をしたとする仮説に違和感を指摘されたが、そういう「考え方」を実践した縄文人交易民の事例があった訳である。
http://www.ne.jp/asahi/asamasa/shako/yamanasi/kinsei.html
http://inoues.net/ruins2/kinsei_iseki.html