日本人庶民の社会的な「集団独創」回路、「折衷」その空間軸と時間軸。 |
江戸時代の庶民は「和漢折衷」にまったく同じ感慨を抱いた。
日本と中国の妖怪絵の連作『和漢百物語』など。大ムカデが中国風の衣裳で唐扇をもっている。
絵入りの百科事典『和漢三才図会』などが庶民の基礎データとなった。
南画という中国志向と俳諧という日本趣味を同時に両立させた「和漢折衷」の俳画など。
「和漢折衷」の感性を受け継いでいるクリエイターの作品は今もある。
忘れてはならないのは、庶民が「折衷」を面白いと感じるためには、見なれた「和」だけでなく見なれない「漢」についてもおおまかな印象が普及していなければならない、ということだ。
つまり、庶民文化として「和漢折衷」の感性が普及している必要があり、それが可能となったのは情報市場社会が成立する江戸時代からだ。
以上のような経緯と意味合いを踏まえて、和漢や和洋の「折衷」というものは日本人庶民が無自覚的に持ち合わせてきた「集団独創」の一つの回路と言える。
以上は、和と漢、和と洋という言わば空間軸の「折衷」である。
日本人の庶民は、時間軸でも「折衷」をしてきた。
古代の上流階級が和歌においてした「本歌取り」に始まるが、江戸時代の町人文化からこれを一般庶民もするようになった。
テレビのお笑い番組などでよく見掛けるようになった「替え歌」。
情報市場社会におけるその源流を探って行くと江戸時代にいきつく。
米価高騰に対して江戸の黒塀に張られた「御蔵米取りの御家人の一首」と称する狂歌などだ。
秋の田のかりほの稲の出来すぎて わが衣手に質をおきつつ
本歌は天智天皇「秋の田のかりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」
春すぎて夏来てみれば米値段 次第にやすくあたまかく山
本歌は持統天皇「春過ぎて夏 来るらし 白栲の 衣干したり 天の香具山」
日本人には庶民レベルで「集団独創」の回路が意識しようとしまいと内臓されている。それこそが文化的遺伝子という伝統の本質なのかも知れない。
今、日本のラーメンが中国市場で人気を博している。
それは日本人庶民の社会的な「集団独創」回路、「折衷」のまさにグローバル化ということであり、その可能性の広がりを示している。