「議論」と「対話」についての主要記事(加筆訂正)の連携的なポイント振り返り |
http://cds190.exblog.jp/21463908/
縄文文化は、縄文時代以降も残存したものとして全体を俯瞰すると、基本的に「祝祭時空=贈与関係」が全体で、その中に部分的に「行政時空=交換関係」が組み込まれていった。
一方、弥生文化は渡来民の文明の影響を受けた以降も展開してものとして全体を俯瞰すると、基本的に「行政時空=交換関係」が全体で、その中に「祝祭時空=贈与関係」が組み込まれていった。
後者の中間的雛形は騎馬民族の軍制にあり、最終的雛形は中国のすでに魏で採用していた律令体制にあった。
「2014年頭、自分のライフワークについて(2:後半)」
http://cds190.exblog.jp/21557789/
「『私』というのを普通の意味の私と本来的な私とに分けているんです。
ユングはそれを『エゴ』と『セルフ』と呼んでいるんです。
ぼくはほかに適当な訳語が見つからないんで『自我』と『自己』と訳しているんですが、
自我というのは”説明可能な私”で、それは本来的な私とちょっとずれている。特にソーシャルな場面に入っていくほど、お世辞も言わんといかんことがあったりしますが、その底のほうに本来的な自己というのがある」
↓
ディスカッションは「自我」同士のコミュニケーション
=「議論」
=「交換」のやりとり
ブレインストーミングは「自己」同士のコミュニケーション
=「対話」
=「贈与」のやりとり
↑
「祭祀時空」が「行政時空」を内包し、全体としては「贈与」を原理とする縄文文化的構造とは、
つまるところ
「自己」同士の相互関係=神(ないし自然)と人間たちとの関係をベースとするパラダイムにある。
「行政時空」が「祭祀時空」を内包し、全体としては「交換」を原理とする弥生文化的構造とは、
つまるところ、
「自我」同士の相互関係=人間と人間の関係をベースとするパラダイムにある。
縄文文化的構造は縄文時代の後も、
弥生文化的構造は弥生時代の後も
私たち日本人の<社会人的な心性>のベースとなる<部族人的な心性>として温存されてきている。
「2014年頭、自分のライフワークについて(3:前半)」
http://cds190.exblog.jp/21564777/
ざっくり言ってしまえば、
「議論」と「対話」は以下のように真逆のものである。
「議論」
①特に公式の場合、する目的がハッキリしていてブレてはいけない。
②その成果を役立てる場合、どのようにするかが合意されている。
③いつどこで誰がどのようにするかが決まっていてそれに則って進められる。
④以上をまとめると、
偶然性を排除しなるべく不確定性を排除した決定論を結論として得ようとする。
⑤基本的に書き言葉にして客観的な記録にしうる明示知が有効とされやり取りされる。
人と人がリアルに相対する場合、身体知や暗黙知もやり取りされるが、それらは参加者により受けとめ方に個人差があり客観的な記録にはできない。
⑥知識創造を関係創造よりも優先し、新しい知識において関係創造を図って行こうというスタンスにある。
「対話」
①特に非公式の場合、する目的が必ずしもハッキリしていなくてもいいしブレてもいい。
②その成果を役立てる場合、どのようにするかは参加者それぞれによる。
③いつどこで誰がどのようにするかが決まっていなくてもいいし、進め方も途中で変更されうる。
④以上をまとめると、
偶然性を積極的に取り込み不確定性を取り込んだ非決定論をも結論にしうる。
あるいはそもそも結論を出すことにこだわりがない。
⑤基本的に書き言葉にして客観的な記録にしえない身体知や暗黙知のやり取りも有効とされ重視される。
⑥関係創造を知識創造よりも優先し、新しい関係において知識創造を図って行こうというスタンスにある。
そして、以上のような両者の違いをそれぞれに際立たせるのが「ディベート」と「ブレインストーミング」である。
「ディベート」
①客観的に合意される明示知の組み立てによって命題を立論する「議論」
②賛成と反対という真逆の命題を立論する論理の合理性を競う。
これを両チームが賛成派と反対派を入れ代わって行い、論理武装力を競う。
③参加者は本当にこれが正しいという信念や確信があろうとなかろうと、どれだけ自己正当化ができるかが問われる。
④現実社会では、この「議論」における攻撃および防衛の能力は、利害の対立する者との関係性において自己の利益を保全したり、そうするお互いの妥協点を自己に有利に誘導することに役立てられる。
「ブレインストーミング」
①主観的に思い浮かんだことや気になったことをどんどん言い合う「対話」
②他者の発言内容については批判や否定的な評価をせずに、それに乗っかったアイデアを加えていく。
③参加者は面白いアイデアがどんどん溢れていく拡散と、どんどん尖っていく集中を楽しむ。
そうした場では異なる考えや感じ方の他者と共感や連帯感を育む協調性が問われる。
④現実社会では、この「対話」における交感と共感の能力は、多様な意見を顕在および潜在させる人間関係において自分や自分たちが思いもよらない新しいアイデアや考え方や感じ方を誘発して受容することに役立てられる。
↓
リアルに人と人が相対する場合でも、
SNSなどネット上で人と人がやりとりする場合でも、
「議論」モードの人と「対話」モードの人がいる。
「議論」モードの人は、自分の意見の優位つまりは他者の意見の劣位にこだわる。
人と人との関係は競争的でつまるところ双方に「欠乏動機」が働いている。
「対話」モードの人は、ともに善きことを願って言うことが善い事につながればという漠然とした前向きさが前面に出ている。
人と人との関係は共生的でつまるところ双方に「成長動機」が働いている。
「2014年頭、自分のライフワークについて(3:後半)」
http://cds190.exblog.jp/21569184/
<男性原理>と<女性原理>をざっくり整理するとこういうことだ。
◯男性原理は、イコール、ロゴスとすれば「分ける」思考に代表され、
客観的に完璧であること「パーフェクション」を求める志向と言える。
言語、理性、思考、意味、論理、行為、合理的秩序の世界、左脳、男性的な世界、表層意識などであり、分析、論理、分離、差異、個別化、能動性による「システム化能力」とも言える。
これにのっとったコミュニケーションの目的は<知>の理解や共有である。
◯女性原理は、イコール、エロスとすれば「包む」感情に代表され、
主観的に満たされている感じ「コンプリートネス」を求める志向と言える。
感情、イメージ、調和、芸術、愛の原理、関係づけの原理、右脳、潜在意識、女性的な世界であり、統合、融合、調和、芸術、創造性、受容性による「場形成能力」とも言える。
これにのっとったコミュニケーションの目的は<情>の喚起や共感である。
銀座のママは、自分のお店で「場形成能力」を発揮し、男性客に「包む」感情で対応する。
銀座の母は、占いのアドバイスをすることで「場形成能力」の言わばお裾分けを占い客にする。占い師も男性占い師は、分析判断をするだけだが、女性占い師は、銀座の母、新宿の母と言われるように「包む」感情で対応する。男性占い師で、◯◯の父、と呼ばれる者はいないのではなかろうか。
↓
「ディスカッション」「議論」は<男性原理>
ロゴス=「分ける」思考によって
客観的に完璧であること「パーフェクション」を求める
Aが原因となってBが結果するという<因果律>にのっとる
低コンテクストな明示知や形式知を客観合理的にやりとりするのに適している
「ブレインストーミング」「対話」は<女性原理>
エロス=「包む」感情によって
主観的に満たされている感じ「コンプリートネス」を求める
Aがある時Bもあるという<共時性>にのっとる
あるいは、
<因果律>と<共時性>が未分化で渾然一体の<縁起>にのっとる
=対話者Xと対話者Yが居合わせたことで独特に導かれる話題がありその展開がある
高コンテクストな暗黙知や身体知を主観的共感的にやりとりするのに適している