「言挙げせぬ国」で浮く「言挙げする者」 |
万葉集の時代から日本は「言挙せぬ国」とされてきた。
日本人は一般的に弁舌を嫌う傾向は今でも根強い。
そのお陰で事勿れ主義で黙っている人も、平常心で泰然自若としている大人の態度であるかの如く装える。それが装いであることは、黙っていたからと言って事態が解決することはなくたいていは取り返しがつかぬほど悪化していることで明らかだ。
私が言っていることではありません。
「言挙げせぬ国」の出典となる柿本人麻呂がその歌で述べているのです。
葦原の瑞穂の国は
神ながら 言挙げせぬ国
しかはあれど
言挙げぞ我がする
こと幸(さき)く まさきくませと
つつみなく 幸(さき)くいまさば
荒磯波(ありそなみ) ありても見むと
百重波(ももへなみ) 千重波(ちへなみ)頻(し)きに
言挙げする 我
折口信夫は、言挙げを「祈ること」「願うこと」と捉えて、
柿本人麻呂が言挙げする理由を述べる後半を
何の災難もなく無事に帰ってきて下さったならば、
荒磯にうつ波ではないが、何時迄もそうして、見ていよう、
とまるで、幾重にも幾重にも重なって打ち寄せる波のやうに、
しつきりなく口に出してお祈りすることだ
と口語訳している。
このような長歌とその反歌をわざわざ柿本人麻呂がつくってしかも万葉集に収録されているとは面白い。
歌聖ではあったが微官であった彼のどうしても言いたいこと、後世の日本人に言い残したかったことなのだろう。
「言挙げせぬ国」では「言挙げする者」は浮くけど頑張ってね、と。
万葉集に採用されたということは、当時の為政者もその考えを否定しなかったということだ。
私はこの長歌と反歌の意味を知った時に、なあ〜んだ、そういうことはこの国では神代の昔からなんだとしみじみ思った。