2014年頭、自分のライフワークについて(6:結論) |
過去記事
「日本人の発想について河合隼雄先生に学ぶ(5) 」2007年 09月 15日
http://cds190.exblog.jp/6467524/
「日本人の発想について河合隼雄先生に学ぶ(6)終章」2007年 09月 16日
http://cds190.exblog.jp/6470464/
を読み返す。
「2014年頭、自分のライフワークについて(5:後半②)
http://cds190.exblog.jp/21673280/
のつづき)
「定住民〜転住民〜移動民」とパラダイム転換論はどう重なるのか
2014年も春節も節分も過ぎてしまいすでに年頭ではなくなってしまった。
このあたりで本シリーズを締めくくりたいと思う。
読み返した記事は(4)くらいから、パラダイム転換発想を誘い深める「コンセプト思考術」と臨床心理の手法である「箱庭」や「ナラティブ・アプローチ」との重なりを解説している。
それを改めて読んで、東京から伊豆に越してここ7年、私のライフワークに向かう立場や観点が絞り込まれてきたことを改めて確認した。
それは、
これまでは日本人ならではの発想思考や集団独創をこうすればできますよ、ということを研究し解説してきたのだが、
今は、日本人ならではの発想思考や集団独創はこういう時に生じている、ということに目下の関心が絞り込まれている、
ということだ。
よく「気づき」という言葉が使われるので、この言葉を軸にして説明したい。
「気づき」とは気づこうと思って気づくというよりは、何かの切っ掛けでたまたま気づいてしまうものである。
だから正確に言えば、こうすれば気づきますよ、ということを研究したり解説したりはできない。
できるのは、こういう時に「気づき」が生じている、ということの研究や解説である。
研修講師の仕事をしなくなって4年、この当たり前のことに私もようやく気づいた。
あまりにタンジュンなこと過ぎて、おそらく人に教える仕事を続けていたら気づかなかったと思う。
この場合も、私がたまたま人に教える仕事をしなくなったということがきっかけになって、自然と「気づき」が生じた訳だ。
だいたい本人にとって意義深い気づきとは、気づいてみればあまりにタンジュンなことが多い。
このタンジュンというのが味噌で、タンジュンだからこそ単なる<知>ではなく、<知><情><意>ががっちり一体となる、そういう種類のタンジュンさである。
逆に言えば、本人にとって意義深い「気づき」のなかった状態とは<知>から<情>や<意>が乖離していることが多い。
昨年末に「古事記」の神話の検討をして、年頭、本論シリーズをはじめた。
その前項(4)(5:前半)(5後半①)(5:後半②)と、「定住民(定住社会)〜転住民(転住社会)〜移動民(移動社会)」という空間的活動および知的活動の志向タイプを論じてきた。
(空間的活動における「定住民」の典型は農民や近海漁民、「移動民」の典型は陸路海路の運輸業者や遠洋漁民や旅役者、「転住民」の典型は外交や通商や布教を開く先遣隊や国内外の転勤族、侵攻して支配域を拡げる軍隊など。
知的活動における「定住民」の典型は一つの専門分野や資格で働く一般的なエキスパート、「移動民」の典型は情報や知識を入手し伝達するマスコミや出版や映画配給などの関係者、「転住民」の典型は異なる知識分野や職能と連携して常に新しいテーマに取り組む起業家など。)
最終的に、「古事記」が編纂される前の飛鳥時代の空間論的状況を解説し、その神話が聴く者読む者の無意識に刷り込むメッセージが物事を判断するスキーマとしての「箱庭」になったことを解説した。
おそらく、そういう論を聞いて突飛に思う人が多いだろうことから、正確を期して勢い解説が子細に渡ってしまった。
そしてこの話と、私のライフワークの話がどう繋がるのか、今の段階で疑問に思われている方も多いに違いない。
先に二つの話の重なりを言うと、こういうことです。
「気づき」とは、
たとえば「定住民」が「転住民」や「移動民」と恊働したり自らがそれらに転身する時、いやおうなく生じる。
同様に、「転住民」が「定住民」や「移動民」と恊働したり自らがそれらに転身する時、いやおうなく生じる。
同様に、「移動民」が「定住民」や「転住民」と恊働したり自らがそれらに転身する時、いやおうなく生じる。
逆に言えば、
たとえば「定住民」が同じ世間の「定住民」どうしで従来通りの恊働を一生続けても、
「気づき」が生じないとは言わないが、それは既存パラダイムという枠組みを温存した中での「気づき」であって、属する世間で通用しているパラダイムを転換する「気づき」とはならない。
同様に、
たとえば「転住民」が同じ世間の「転住民」どうしで従来通りの恊働を一生続けても、
「気づき」が生じないとは言わないが、それは既存パラダイムという枠組みを温存した中での「気づき」であって、属する世間で通用しているパラダイムを転換する「気づき」とはならない。
同様に、
たとえば「移動民」が同じ世間の「移動民」どうしで従来通りの恊働を一生続けても、
「気づき」が生じないとは言わないが、それは既存パラダイムという枠組みを温存した中での「気づき」であって、属する世間で通用しているパラダイムを転換する「気づき」とはならない。
正確を期して補足すると、
たとえば同じ「定住民」でも属する世間が違う者との恊働やそれへの転身をすれば「気づき」はいやおうなく生じる。ただし「定住民」の場合、「転住民」や「移動民」ないしそれ的な志向や活動が両者を媒介している。
たとえば同じ「転住民」でも属する世間が違う者との恊働やそれへの転身をすれば「気づき」はいやおうなく生じる。
たとえば同じ「移動民」でも属する世間が違う者との恊働やそれへの転身をすれば「気づき」はいやおうなく生じる。
それぞれ
属する世間の違いが小さければ、生じる「気づき」のパラダイム転換性は希薄で、
属する世間の違いが大きければ、生じる「気づき」のパラダイム転換性は濃厚だ。
以上のことは私の発見でも何でもなく、私に言われるまでもなく誰だって心当たりのある常識とさえ言われない当たり前のことである。
しかし、企業社会や官僚社会や学校社会という特定の領域をみれば、その当たり前が必ずしも当たり前に行われたり起こったりしていない。
企業社会について言えば、
バブル崩壊以前の本来の日本型経営では、この当たり前が頻繁に様々に仕掛けられ豊かに育まれていたが、バブル崩壊後の長引く平成不況にいて短絡的な日本型経営の全否定と、アメリカ型のグローバリズムに追随する組織の機械論化と人材の機械部品化が進み、この人間論的な当たり前が軽視されそのほとんどが排除されてしまった。
総括すればこういうことである。
日本人ならではの発想思考や集団独創、
その中のパラダイム転換的なそれらとは、
日本人が古来から繰り返して来た「定住民」「転住民」「移動民」の恊働パターンや転身パターンに他ならない。
バブル崩壊直後に研修講師を依頼されて20年ほど「コンセプト思考術」という同じ講座を大手メーカーで、言わば定点観測的にした私はあることに気づいた。
パラダイム転換発想のグループ演習で時々、何事にも囚われず自由闊達に発想を楽しむ人を見かけた。そういう人を想い浮かべて行くと、共通して異なる「◯◯民」に好んで積極的に関わろうとし、また自身もそれまでとは違う「◯◯民」に転身していったりしている。
具体的には異業種異業界との恊働に積極的で転職や独立や起業をしていった人も多い。
そういう人のパラダイム転換発想を振り返ると、常に<知><情><意>を一体化させる自分を保つべく、「定住民」「転住民」「移動民」の活動をその人なりに俯瞰する「箱庭」を念頭にしているように感じる。
だからなのだろう、常に広い視野と人間的な深みをもって何かを感じ取ったり何かを表現していて、重要な自身の転機においては果敢な判断と能動的な行動を伴っていた。
私は彼らのことを、単に<知>が創造的なのではなくて<情>も<意>も創造的である人として信頼しリスペクトしている。
別に人は誰もが企画や構想といったコンセプトワークに携わる訳ではない。
しかし、自分の人生と生活を自分らしいものにするためには、時に自分自身の考え方や感じ方をパラダイム転換する発想思考が求められる。特に、自分の居場所を変えたり、自分の動き方を変えたりする時、いやおうなくそうなる。
つまり、<知>的な創造力である以前に、居場所を変えたり動き方を変える<意>の創造力が問われ、新しい居場所と動き方を能動的にかつ継続的に堅持させる<情>の創造力が問われる、ということだ。
創造的な<知><情><意>のタンジュンなる一体化とは、具体的にはそういうことなのだと思う。
結局、私は、以上の当たり前のことを、人を教えるという立場を離れて、立場上、教えた人のことを改めて自由な立場から振り返って気づかされたのだった。
創造的な<知><情><意>のタンジュンなる一体化は、彼らの人となりではあるが、けっして天賦のものだったのではないと思う。
彼らはそういう自分でいられるような居場所にいて動き方をしてきたのだろう。
そしてそういう自分でいられないとなれば、そのようにいられる居場所と動き方に変えてきたし、今後またそのような事態になればそうしていくのだと思う。
私は、その人にとって重要なパラダイム転換発想を促すということの本質は、そういう生き方や仕事の仕方を応援するということなのだと理解した。
そして日本人には、日本人ならではの発想思考が自然と楽しくできるような居場所や動き方がある。
それは決して一律ではない。人それぞれにとって好ましい居場所や動き方がある。
しかし、大きくは日本人が繰り返してきた「定住民」「転住民」「移動民」の恊働パターンや転身パターンがある、ということなのだ。
これは私にとって、自分のライフワークの焦点を明らかにする「気づき」だった。
「もう一つの物語」と「不快の情動から快の情動への転換」について
私は7年前、「日本人の発想について河合隼雄先生に学ぶ(5) 」で臨床心理手法であるナラティブ・アプローチ一に触れている。
それは、「コンセプト思考術」研修で発想ファシリテーターである私が、演習グループが記入した思考フォーマットを「箱庭」に見立てて「みなさんが言いたかったパラダイム転換切り口はこういうことではないですか?」と問うていく作業に重ねるものであった。
それは、「不快の情動」を抱く既存パラダイムの問題性をともに直視し、「快の情動」を抱くだろう新規パラダイムの理想性にともに目覚める、という作業だった。
「情動」とは、即座の無意識な身体反応をともなうemotionのことであり、
時間経過とともに意識が内容を変容させるfeeling=「感情」とは本来峻別されるべきものである。
よって、この作業は言葉に表現しきれない身体知と暗黙知を共感によって意識化し共通言語化するというものだった。
人々にとってほんとうに意義深いパラダイム転換とは、本来、人々の生活や仕事や人生に<知><情><意>一体で関わるものだ。
この前提に立つとき、それは単なる発想法や思考テクニックでは間に合わない課題に対峙することになる。
人々が自覚してあるいは無自覚的に受け入れている既存パラダイムは「支配的な物語」であるが、それに顕在的な問題性がある場合、人々は「不快の情動」を自覚的に抱いている。
典型的には恐怖政治や密告社会におののく、などで、おののくは「不快の情動」でそのたびにストレスフルな身体反応が呼び覚まされる。おそらく最先端の脳科学ならば脳のある部位の活動が活発化するというのだろう。
一方、「支配的な物語」に潜在的な問題性がある場合、人々は「不快の情動」を無自覚に抱いていて、無意識にストレスフルな身体反応を繰り返している。その繰り返しは心身の病いを慢性化する。
私の知る典型的な例を上げるならば、バブル崩壊直後の1990年代前半の研修受講者の表情や人間関係と、就職氷河期とリストラ圧力が常態化した2000年代のそれらでは、目に見えた違いがあった。前者の方が生き生きとしてストレスフリーで、後者の方が沈滞していてストレスフルだった。
それは私が同じクライアント企業の社員を20年定点観測した結果だ。しかし彼ら自身は、日々少しずつ変化しストレスを増して行ったためにお互いに気づかない。ただただ自分も周囲の人間と大差ない表情であり人間関係にあると認識してきた。
そして、個人的に親しくなった受講者に、表情や人間関係について10年前はみんな違ったよね、と確認すると、相手も10年前を思い起こして、確かにそうだった、と気づくのだった。
つまり、徐々に慢性化した「不快の情動」は無自覚的で、外部からのアプローチによって意識化されない限り潜在したままであり、じつは主体の感情に反映したり思考を方向づけているのである。
パラダイム転換発想とは、こうした無自覚的な言わば条件反射的に受け入れたり抑圧している情動を意識化して思考からのフィードバックで変容しうる感情にシフトさせるプロセス、とも言えよう。
そのプロセスは一筋縄では進まない。
なぜなら、
既存パラダイムに問題性があることは、「支配的な物語」に抱く「不快の情動」を意識化し自覚的に体感することで納得されるのだが、
それと、問題性が主体本人の人生や生活や仕事において重大で真正面から対峙して乗り越えるべきだということの納得とは、全くの別物だからだ。
新規パラダイムの理想性を知り、その「もう一つの物語」に抱く「快の情動」を意識化して自覚的に体感し、かつそれを具現化していく仲間とともに共感し、そうした個々の体感と集団の共感を現在の自分たちと比べて天地の差を実感しなければ、<知>で理解されても<情>と<意>ではけっして納得されない。
ただ、人間誰しも「不快の情動」と「快の情動」を比べて体感すれば、自ずと前者を後者に転換しようと意欲するようにはなる。だからこの意欲をいかにして深めたり拡げて、個々の意欲を集団のそして組織の意欲にしていくか、というプロセスを着実に踏む作業が大切になる。
つまりは、発想したパラダイム転換をより深めて現実化していこうという<知><情><意>が一体化する、そういう意味でのタンジュン化ということが、常にパラダイム転換のコンセプトなのである。
以上が、私が研修を通じて実践してきた、
パラダイム転換発想はこうすればできますよ、
という研究や解説の骨子だった。
しかし私の目下の関心は、
パラダイム転換発想はこういう時に生じている、
という研究や解説に絞り込まれてきた。
すると、
「もう一つの物語」と「不快の情動から快の情動への転換」も異なる次元で捉えていかねばならない。
もうお分かりだと思うが、
「定住民」の「支配的な物語」は「定住民」的な志向のそれであって、
彼らにとっての「もう一つの物語」は「転住民」的な志向や「移動民」的な志向のそれである。
「転住民」の「支配的な物語」は「転住民」的な志向のそれであって、
彼らにとっての「もう一つの物語」は「定住民」的な志向や「移動民」的な志向のそれである。
「移動民」の「支配的な物語」は「移動民」的な志向のそれであって、
彼らにとっての「もう一つの物語」は「定住民」的な志向や「転住民」的な志向のそれである。
ここまでは理屈として分かる、つまり誰もが<知>として冷静に受容できる。
しかし、実際に主体がいやおうなく「気づき」を得てパラダイム転換発想をするしかない状況に身をおくとなると誰もが大なり小なり抵抗を感じる。
誰しも、慣れ親しんだ既存パラダイムの「支配的な物語」に身を委ね続けたい、というのが人情だ。
ここには人間論的に大きな壁が立ちはだかっている。
たとえ「支配的な物語」が「不快の情動」を自覚的に抱くものだとしても、身の回りの誰もがそれを甘受していると自分も甘受することで心理的に安定してしまう、という大衆心理がある。
たとえ自分や家族や孫子の生死に関わるネガティブな事態を引き起こす「支配的な物語」だとしても、身の回りの人々と同様に文句を言わずに受け入れてしまう。
そういう事態は、人類は古今東西の歴史で繰り返して来ているし、現代の私たちにも国民レベルで社員レベルで町内のご近所レベルであったりする。
この「非創造的なダイナミズム」は現実問題として常に最強かつ最大の壁である。
これを打破したり解消するには、戦略的に時と場所とやり方を選んで「創造的なダイナミズム」を稼働させるしかない。
それはじつに難解で多難な活動であるが、以上述べてきた2つのプロセスが不可欠であることは明らかだ。
繰り返して整理すると、
1つは、
新規パラダイムの理想性を示し、「もう一つの物語」の可能性を理解させそれが現実化した際の「快の情動」を想像させる、つまりは体感させる。
いま1つは、
「支配的な物語」から「もう一つの物語」への転換プロセスを説得的に指し示し、その具体化の段階的な報酬として「不快の情動」の減少と「快の情動」の増大を予感させ、実際にそうしていく、
ということである。
これを机上の<知>に終わらせずに、身をもって示す<情>と身をもって行う<意>を伴うには、
「定住民」が「転住民」や「移動民」と恊働したり自らがそれらに転身する
「転住民」が「定住民」や「移動民」と恊働したり自らがそれらに転身する
「移動民」が「定住民」や「転住民」と恊働したり自らがそれらに転身する
といった行動の実践が不可欠である。
逆に言えば、
こうした行動さえ実践すれば、
事前にリアルに抱いた「不快の情動」を減少させヴァーチャルに抱いた「快の情動」を増大させる、ということができる。
こうした行動さえ実践すれば、
具体化の段階的な報酬としてリアルに抱く「不快の情動」を減少させリアルに抱く「快の情動」を増大させていく、ということができる。
案ずるより産むが易し、ということばかりではないが、おののいていることも蓋を開ければ怯えるほどではないと実感することができたりする。
人間論的には、
こうした行動の実践に踏み込むことができるか、それとも二の足を踏み続けるかに、
主体としての個人や集団や組織が「創造的ダイナミズム」を稼働させるかさせないかの分岐点がある。
「定住民」が「定住民」用の地図しか持ち合わせずその地図にない時空に踏み込むつもりがなければ、「転住民」や「移動民」と恊働したりそれらに転身することができる筈がない。
「定住民」が「転住民」や「移動民」と恊働したりそれらに転身するには、「定住民〜転住民〜移動民」が共用できる地図を用意し、「転住民」のガイドや「移動民」の水先案内人を求める姿勢が不可欠である。
このことは、当然「転住民」からも、「移動民」からも言えることだ。
パラダイム転換発想のファシリテーターというのは、人間論的に言えば、
「◯◯民」に対して異なる「◯◯民」との恊働やそれへの転身をバックアップする役割に他ならない。
そこが単に概念の交通整理や人間関係の調整をする一般的なファシリテーターとの違いである。
そしてその最大の要諦は、
発想思考主体が<知>に偏重して一歩も踏み出さない机上論に終始することのないよう、
彼らが一歩を踏み出し、踏み出した歩みをさらに前に進めるために不可欠な
「不快の情動」の減少や解消、「快の情動」の増大や常態化をバックアップし、
「創造的ダイナミズム」を働かせる個人と集団と組織の<知><情><意>一体化を身をもって図る
ということなのだと思う。
身をもって、とは具体的にどういうことか。
これは私自身の実践に関わることであり、
これまでとこれからの私のライフワークの要諦でもある。
私はこのことに、そもそもクルマと家電のメーカーから企画構想についての指導や研修を依頼された経緯を思い出して気づいた。
「コンセプト思考術」を開発することになったクルマメーカーの人材育成プロジェクトでは、それを指導する外部ブレインの候補者数名が首実検された。創設されるクルマ開発子会社に配属される社員の重役から若手まで30人くらいを前にして講演をさせたれたのだ。
当時30歳ちょいの私はそれまでクルマそのものの仕事をしたことがなく、やってきた空間絡みの仕事内容を解説し、クルマに対する私の考え方を披露した。クルマの仕事はしたことがなかったがたまたま直前に終えた日本初の豪華客船のコンセプトワークに絡めて話した。話し終わるとクルマ歴を尋ねられた。ずうっとペーパードライバーできてちょうど当時、最後の生産年のBMW635csiを買ったばかりでそのことを話したら彼らはかなりびっくりしていた。なぜそのクルマを選んだか尋ねられ、自分の仕事と生活にフィットしていることを具体的に述べたら、そのクルマの受け手側の論理に納得していた。
後から聞いた話では、外部ブレインの候補者にはクルマ業界の著名人もいたのだが、特に若手、といっても同世代の企画スタッフたちが私を推したという。
この仕事の7〜8年後、家電メーカーから研修講師を依頼されて「コンセプト思考術」一本が定番講座になるのだが、最初の依頼者は私の「コンセプト思考術」のことを知っていた訳ではない。
多様な業界の多様な企画構想の現場経験をしてきた私がいいとそのメーカーOBの元マーケティング部長の方が推薦してくださったのだった。
今にして思えば、クルマと家電のメーカーの人々はみな日常的に一つの業界や一つの会社で同じ仕事をしている「定住民」であるのに対して、私は日常的に多様な業界の多様な仕事をしている言わば「転住民」だった。
彼らは私の<知>について知っていた訳ではないから<知>を評価したのではない。
<知><情><意>一体で現実に「転住民」としての動き方と考え方を実践していることを認めて下さり、自分たち「定住民」と化学反応が起こることを期待したのだった。
そして実際の彼らとの恊働で、2000年前後までは化学反応が生じて先方だけでなく私の方も刺激され触発されて変化していった。
身をもって、とは具体的にはこのように、先々の不確定な化学反応を期待して挑戦的な場を形成しそこに果敢に踏み込み、自分とは異なる「◯◯民」と対話し恊働するということに他ならない。
「アニマ」と「トリックスター」について
読み返した記事は(5)(6:終章)で、パラダイム転換発想を誘い深める「コンセプト思考術」やそのファシリテーターと、ユング心理学の知見である「アニマ」や「トリックスター」との重なりを解説している。
それは、
こうすればパラダイム転換発想をできますよ、という立場と観点からのものであり、
目下の私の関心から、
こういう時にパラダイム転換発想が生じている、
こういう状況に踏み込めばパラダイム転換発想をいやおうなくせざるを得ない、
という話に置き換えて、その要諦となるところを引用しつつ検討していきたい。
河合隼雄氏は、「影--自分の生きなかった半面」からこう論述を展開する。
「影の分析をずっとやっていくと、異性像が出てきます。
男性であれば女性像、女性であれば男性像です。
ユングは、
男性にとっての女性像を 『アニマ』、女性にとっての男性像を『アニムス』
と名づけています。」
「このアニマというのは、本当は『魂』という意味の言葉で、アニムスはその男性形なんです。なぜこの言葉が使われたかというと、男の人にとって自分の魂というようなものは、女性の形で表されることが多いんです」
「魂」をどのようなものとして捉えるかは様々だが、ここではタンジュンに、
今こうしているが、ほんとうはこうしたい、という本人にとって意義深い思いの元と捉えることにする。
前述した私のリスペクトする「創造的ダイナミズム」を身をもって実践する受講者の方々において、創造的な<知><情><意>のタンジュンなる一体化というその人となりを保たせ、そういう自分でいられるような居場所にいて動き方をさせてきた元、それも「魂」ないしはその片鱗と捉えることができるだろう。
河合隼雄氏はこう述べている。
「アニマの非常にわかりやすい例は、”永遠の女性”というイメージですね。それは人生においてひたすら追い求めていかねばならない最高の女性像ですね。しかし、罪深いわれわれのつねとしてあくまでの生身の肉体を具えた低い段階の”肉なる女性”が往々にして夢に出てきますね。(中略)
その女性がいろいろ変化してきて、もっとロマンチックな女性になったり、もっと叡智を具えた女性になったりする。
ユングが『インディビデュエーション(個性化)』とか、『セルフ・リアライゼーション(自己実現)』とか言っているのは、そういう自分の内的なイメージが変って発展していくことを示しているわけです。(中略)
ユングに言わせると、われわれはそういう異性像をいろんな形で持っていて、それを現実の異性に投影し同一視して恋愛をしたりするというわけです」
異性像は、男の人にとっての魂のようなものだという。
パラダイム転換発想が根っから好きな人の場合、自由に好きなテーマを選んでするそれは、その人にとって楽しい恋愛のようなものである。
そういうタイプの男の人にとっては、パラダイム転換発想という行為自体が魂を解放することに通じるのではなかろうか。
私は、このようなパラダイム転換発想好きには教えてなれるものではないと思う。
なる人は勝手になっている。
なりたくてもなれないでいる人もいるが、本人のなりたい気持ちが本物ならば教えるというよりも本人の背中を押すことで十分であったり、いずれにせよ他人にはそれしかできなかったりする。
「転住民」である私の場合、クライアント企業の社員の大方が「定住民」であることに対し、「転住民」ならではのバックアップをしてきた。
具体的には、ジャンル=世間の異なる「定住民」に引き合わせたり、さらに両者を結ぶ「移動民」を連れて来たり、異なる「◯◯民」との恊働やそれへの転身を後押しした。同じ会社でも事業部門が異なれば知らない同士ということがよくあり、発展的な人となりの両者を知る立場にあった私には有意義な引き合わせが容易にできた。
また、かつての機能していた本来の日本型経営の知識創造体制は、野中郁次郎氏が指摘する「ミドル・アップダウン・マネジメント」であり、そのキーマンとなるミドルは社内の上下左右、社内と社外の異業種異業界を連携させて機会開発する「転住民」的な思考と行動をするナレッジワーカーだった。かつて漠然と「ジェネラリスト」と呼ばれた人たちの内、キーマンとして社内外の人材をネットワークしていたのはこのタイプである。フリーランスの私はもっぱらそういうキーマンの方々のお世話になった。
私は、企業内のプロジェクトや研修を通じて、意欲的で有能な人材が「転住民」的な思考と行動をすることで彼らの発展性を増幅することを意識的にバックアップしてきた。
外部ブレインには、いろいろなフリーランスから大学教授までいるが、専門分野とクライアントを固定し下請けやアドバイザーに徹する「定住民」的な思考と行動をするタイプが一般的だ。
だから、私のような下請けやアドバイザーにはあり得ない社内の既定路線から外れる物言いや振る舞いを嫌い必要性を認めず敬遠する社員は多い。彼らはもっぱら「定住民」同士の関係性のみをまっとうと受けとめる。
しかし、2000年前後までは、どの業界の大手メーカーでも、またどの業態の大手小売業でも、というかチャレンジ精神とチャレンジする必要性と余裕のある業界大手ほど、異なる「◯◯民」との恊働や自身のそれへの転身を図るミドルがキーマンとして活躍していた。私のようなフリーランスはたいていそんなキーマンに活用されていたものだ。様々な誰も挑戦したことのないような仕事を依頼されて恊働した。私の場合、そうした本業ではない研修講師の仕事についても、挑戦的な恊働を求められたのであって、「コンセプト思考術」はそうした営みの成果を積み上げてきたものである。
こうした経験を振り返って改めて確認することがある。
それは、
依頼者や恊働者が、みな暗黙の了解としてそれぞれの『インディビデュエーション(個性化)』と『セルフ・リアライゼーション(自己実現)』を日々の仕事に調和的に重ね合わせかつ最優先している人々だった
ということだ。
自分にとって意義深い個性化と自己実現を最優先する人は、他者にとっての意義深い個性化と自己実現も尊重する。
だから彼らとの恊働は、人間関係としては葛藤がなくストレスフリーであり、仕事を離れても信頼のおける友人なり仲間となる人も少なくなかった。
男性の場合、「魂」はアニマとして現れると河合隼雄氏が言うことは、具体的には女性原理が発動される、ということである。
女性原理については、すでに(3:後半) http://cds190.exblog.jp/21569184/で検討した。
◯女性原理は、イコール、エロスとすれば「包む」感情に代表され、
主観的に満たされている感じ「コンプリートネス」を求める志向と言える。
感情、イメージ、調和、芸術、愛の原理、関係づけの原理、右脳、潜在意識、女性的な世界であり、統合、融合、調和、芸術、創造性、受容性による「場形成能力」とも言える。
これにのっとったコミュニケーションの目的は<情>の喚起や共感である。
一方、
◯男性原理は、イコール、ロゴスとすれば「分ける」思考に代表され、
客観的に完璧であること「パーフェクション」を求める志向と言える。
言語、理性、思考、意味、論理、行為、合理的秩序の世界、左脳、男性的な世界、表層意識などであり、分析、論理、分離、差異、個別化、能動性による「システム化能力」とも言える。
これにのっとったコミュニケーションの目的は<知>の理解や共有である。
と明快に対照的である。
現実的には、人は男性原理と女性原理のどちらかの原理だけを発動させて生活したり仕事することはできない。
どちらが優位で優先するか、どちらを起点なりベースとするかという違いになる。
私のような「転住民」を積極的に受け入れて恊働した人々は、明らかに女性原理優位だった。
彼らの「包む」「場の形成力」はじつに創造的だった。
異なる「◯◯民」との恊働や自身のそれへの転身について、
好んで楽しむタイプは、総じて女性原理優位でそれぞれに人間論的な「包む」「場の形成力」の持ち主である。
一方、異なる「◯◯民」との恊働や自身のそれへの転身について、
嫌い恐れるタイプは、総じて男性原理優位で、組織での立場に求められる機械論的な「分ける」「システム化能力」の持ち主ないしはそれだけに徹する人である。
これは善し悪しの問題ではない。
会社や社会としては、両者どちらもが萎縮せずにエネルギッシュに創造性を発揮しお互いに補完し合う、そういう調和的なバランスがあるのが良い。
ただ、私の実感としては、企業社会をふくむ日本社会の全体は、
2000年前後から調和的なバランスを崩してしまったと感じている。
組織の機械論化と人材の機械部品化は、アメリカ型のグローバリズムの蔓延の当然の帰結だが、それは同時に、人間論的な日本人らしさを個人、集団、組織の各レベルで奪ってきている。
日本型の集団独創の2つのタイプについては明らかにこう言える。
集団を身内で固める「家康志向」は、その人間論的な共生メカニズムが捨象され、機械論的な競争メカニズムばかりになった。
自由に活動する個人を適宜に集団に構成する「信長志向」は、本来の日本型経営における「家康志向」との合わせ技が解消されて可能な限り排除されるようになった。
「信長志向」は、江戸時代以来の文化的遺伝子をひきつぐ編集体制のあるマンガやアニメやファッションなどの業界や、「信長志向」がグローバルに当たり前のベンチャー企業で健在ではあるものの、日本社会の全体は、利己的な天国と称される官僚社会や排他的なムラと称される原子力業界を筆頭に「家康志向」に一辺倒化している。しかもそれは人間論的なダイナミズムを欠いた「非創造的ダイナミズム」としての台頭である。
たとえば、著名なアートディレクターやプロデューサーのフリーランスが様々な業界の話題性ある仕事を「信長志向」で展開している。しかし、それがニュース性ある話題となること自体が、そうした存在が稀少になったことを示している。
かつては、彼らのようなフリーランスが、有名無名を問わず、東京都心ばかりでなく地方都市にも一般的に存在した。そして業界大手から零細地元企業まで課題に応じた相応のフリーランスを活用し、社内のスタッフと日常的に恊働させていた。
一方、今は南青山あたりに事務所のあるカリスマ視される存在が各方面のクライアントから丸受けする形で仕事を展開している。
こうした背景には企業社会全体の構造変化があることは否めない。
「信長志向」が一握りのスターによるものとしてブランド化したのと時期を同じくして拡大していったものに、産官学の共同がある。
こちらは身内を拡張するだけの「家康志向」と位置づけることができる。
だいたいが隣接する専門分野やキーマン社員が出身大学の教授に協力を仰ぐなど、ほぼ同じ専門分野に携わりながら、社会人か学生かといった身分の違いだけを乗り越えて、その実、身内として固まっている。
私は、世の中の価値観や向かおうとする方向性の大枠を転換させる、そういう意味でのパラダイム転換発想を、こうした動きには余り期待しない。
なぜなら、ブランド化した「信長志向」にも、身内を拡張する「家康志向」にも、発想思考主体そのものにパラダイム転換性が希薄だからである。
だけど、世の中そんなもんでしょ、と言われれば、その通りです、と言うしかない。
ただ、人間社会には、そういう大枠を固定されたり予測できるような展開ではない展開もあるのである。
それがこの後検討する「トリックスター」の介在する展開である。
トリックスターには破壊者と創造者が同居しているのだが、南青山のスターには創造者としてのカリスマ性は認めることができても、破壊者のニュアンスは感じられない。
破壊者は、時にクライアントをドン引きさせるようなニュアンスを持っている。
ビジネスパーソンの枠を逸脱する、そういう意味合いでアーティストである筈なのだ。
このような日本の昨今は、男性原理の「分ける」「システム化能力」の一辺倒化が究極にまで進んでしまった、と捉えることができる。
この状況が問題性があり打開すべしとしても、生半可の女性原理の「包む」「場の形成力」では太刀打ちできない。風穴さえも開かないところまで状況は巧妙かつ強力になっている。
そこで鍵になってくるのが「トリックスター」である。
(6:終章)で検討した河合隼雄氏の論述を引用して検討して、本論シリーズの結論としたい。
トリックスターについて河合氏はこう解説する。
「トリックスターというのは、アフリカの神話とかインディアンの神話なんかによく出てくるんですけれども、いたずら者で変幻自在で途方もないことをやる道化ですね。
ですからトリックスターは破壊性を持っているんだけれども、非常に思いがけない動きをするので、そこに思いがけない結合が生じてクリエーションを促す役目を果たす場合が多い」
すでにお分かりであろう。
パラダイム転換発想する者とは、トリックスターを目指す者なのである。
既存パラダイムを破壊し、新規パラダイムを打ち立てようとするのだから。
トリックスターは、状況に対して影響力をもってきた以上に、むしろ状況に翻弄されてもきていることが、トリックスターの歴史をひもとくと理解される。
パラダイム転換発想する者がある時ある人からは乞い求められ、ある時ある人からは忌み嫌われるのに同じだ。それは神話時代から洋の東西で繰り返されてきている話なのだ。
南青山のカリスマ視されるクリエイターは、クライアントの話をとことん聴けば答えが見えてくる、と自らの仕事を問診する医者に喩えている。
一方、トリックスターは、信頼され続ける医者とは真逆で、毒ともされ薬ともされる、良くも悪くもおっかなびっくりな存在なのである。
「ところでなぜこのごろ(筆者注:本書の初版発行は1993年、私が「コンセプト思考術」研修を依頼され始めた時期に重なる)トリックスターが注目されるかというと、管理社会というものに対するアンチテーゼですね。
ちょっと変ったのがいないと、やっぱりおもしろくないわけでしょう、組織というのは」
「トリックスターというのは、破壊かクリエーションかという瀬戸際のところに生きているわけです」
「それからトリックスターというのは、周辺と中心をつなぐものという意味を持っているんです。
トリックスターのファンクションをいろいろ研究すると、どの場合にもそれがあるんですね」
じつは私は、当初「定住民〜移動民」という二項対立で物事を捉えていた。
それはかつて、安定しかつ共生的な「定住社会」を前提にしていて、「定住社会」単位を「移動民」がネットワークする、現在に比べれば静態的と言える社会の全体を捉えていたからだ。
ところが、ここ20年で日本は決して安定しかつ共生的な「定住社会」などではなくなってしまった。
慢性的な就職競争とリストラ圧力は、正社員という身分から落ちこぼれる可能性に他ならない。若い人は、そんなリスクとストレスに晒される一生よりは、たとえ地味で変化に乏しく面白みがなくてもいいと公務員を志望するようにもなった。
かつての上昇志向の強い分厚い中間層は遠の昔に崩壊した。経済格差の拡大と一部上流と大多数の下流という状況は、結果的に両層それぞれに「移動民」的な思考や行動を助長している。上流はグローバル人材になりグローバル資産を運用することで「移動民」性を発揮し、下流はグローバルスタンダードの雇用流動性を強いられることで「移動民」性を甘受するようになる。
(6:終章)を書いた7年前には、すでに私は「定住民〜移動民」に加えてそのどちらともつかない「転住民」とその志向性を重視していた。
この3者は、バランスをもって鼎立しているというあり方にはない。
安定し共生的であろうが、不安定で競争的であろうが「定住民〜移動民」が一般的な常態としてあって、そこに時代なり社会全体の集合無意識なりの要請をうけて「転住民」が登場してくる。実際、古今東西の歴史はそのような歩みを繰り返している。
それは、とてもトリックスター的であり、実際に「転住民」的な勢力をトリックスターが率いていたりした。
私が日本型集団独創の2タイプに家康と信長の名を冠したのも、信長をトリックスターとみて、家康を非トリックスター的な存在とみたことが理由の一つだった。
当たり前のことだが、誰もがトリックスターになれる訳でも、わざわざなる必要もない。
しかし自らの「魂」が社会や時代にトリックスターになることを要請された者は、社会的な責務なり天命として、本来の自分らしさを最大限に生かす形でそれに応じなければならないと思う。
そして、社会や世界をより良くすると思われるトリックスターの登場に居合わせた人々は、それを歓迎してトリックスターにすがるのではなく盛り立てるべく自分の「魂」をそわせるべきだろう。
もちろん、トリックスターにはヒトラーのような破壊性優位のトリックスターもいる。人々が「エゴ」で依存し大衆として「エゴ」を肥大化するようにそわせるのは破壊性優位のトリックスターであり、その台頭は断じて封じなければならない。
私たちが、創造性優位のトリックスターを見極めて歓迎すべきは言うまでもない。
私は特段、天下国家を論じている訳ではない。
世界も天下国家も日常的な足下の生活世界、仕事の世界と地続きであり、すべてが入れ子構造になっている。
身の回りの私事で誰かに「エゴ」で依存し「エゴ」を肥大化するように他者にそおうとする人、そんな人ばかりの社会はいずれ、ヒトラーのような破壊性優位のトリックスターの登場を社会の至る所で呼び込むことになる。
逆に、身の回りの私事で自らの「魂」が求める自分らしく創造的な<知><情><意>三位一体の生き方、暮らし方、仕事の仕方を実践し続ける人、そんな人ばかりの社会は、たとえ膠着状況になっても創造性優位のトリックスターの登場を社会の至る所で呼び込むに違いない。
「周辺(周縁)」とは、異なる業界、異なる業種、異なる職能、異なる用語で物事を考える人々、ということになる。
タンジュンに言えば、異界と余所者のことだ。
「中心」とは、自分の業界、自分の業種、自分の職能、同じ用語で物事を考える人々、ということになる。
タンジュンに言えば、縄張りと身内のことだ。
そしてトリックスターとは、両者を意外なテーマと意外な方法で縁結びする者のことに他ならない。
意外とは、縄張りの身内にとって想定外であることで、「支配的な物語」に対するところの「もう一つの物語」をもって、ということである。
「◯◯民」が異なる「◯◯民」と恊働したりそれに転身する場合、
自らがトリックスター的な存在になって相手に受け入れてもらったり、
相手がトリックスター的な存在になって自分がそれを盛り立てたり、
あるいは第三者がトリックスター的な存在になって自分と相手をつないでくれたりすることで有意義な状況が次々に創造されていく。
「◯◯民」である自分なり自分たちなりが異なる「◯◯民」と恊働したりそれに転身すれば、
否応無く「気づき」やパラダイム転換発想を生じざるを得なくなる。
そしてその内容を踏まえて「創造的ダイナミズム」を稼働させていくには、
何らかの形でトリックスター的な存在の介在が必要になる。
いかにしてトリックスター的な存在を登場させ介在させるのか、その工夫が集団や組織の知恵として求められる。
この辺りのことは、実際に私が生きる今という時代と日本という社会と共に歩みつつ、その時々、その場その場で具体的に検討していくしかあるまい。
創造性優位のトリックスターには二番煎じはない。常に特異形で出現する。
一方、破壊性優位のトリックスターは似たようなものが繰り返し再来する。
おそらく、
創造的なトリックスターを創出しそれを盛り立てることは、
破壊的なトリックスターの再来や台頭を防ぐ唯一の手立てなのではなかろうか。