「面白がる力」と「目的論的志向」についての覚書 |
バブル崩壊直後くらいまでは、万博のパビリオンづくりも、百貨店の新規出店構想も、新型車種コンセプト開発も、コンビニの新業態開発もなにもかにも誰もがお互いの「面白がる力」を自然体で認め合いノリノリで楽しんでいた。私自身はフリーランスの立場でこれを続けてきたが、いつの頃からか世間の方が変わってそういうノリは浮いたり排除されるようになった。
何故そうなったのか?そこが解決しないと。
「手段の自己目的化」はつねに組織の問題になってきたし、ヴィジョンや理念において「目的」が第一義であることは誰もが分かっていた。
要は、みんな「目的」を問うことそして創造することの大切さは分かっていて思考停止してきたのだ。どうして思考停止したのかを理解し、それを自己改革することが大切だと思う。
そういうお前はどうなんだと言われそうだが、私は発想思考や集団独創という領域で、私なりの方法論を提示してきた。それを事細かく説明はしないが、ポイントは以下のことだ。
①<知><情><意>について、
「目的」との相関の強さは抽象性優位で<意>→<情>→<知>である。
「手段」との相関の強さは具体性優位で<知>→<情>→<意>である。
特に「目的」をもつ動機に2種類あることを常に思い出してほしい。
それは「成長動機」と「欠乏動機」。
「手段の自己目的化」は「欠乏動機」を正当化する過程でもある。
②話し言葉の基本的な4つの概念要素について、
「目的」は<コトの意味的価値>→<コトの感覚的価値>という抽象性優位。
「手段」は<モノの機能的価値>→<モノの感覚的価値>という具体性優位。
(機械論的なシステムは<モノの機能的価値>とする)
以上を、<送り手側のモノ提供の論理>ではなく
<受け手側のコト実現の論理>で組み立てる
パラダイム(基本的な考え方の枠組み)が大切。
③欧米人の発想思考の特徴は「因果律にのっとった<知>起点」
中国人の発想思考の特徴は「共時性にのっとった<意>起点」
日本人の発想思考の特徴は両者を調和的に統合する
「縁起にのっとった<情>起点」
これは、和語を土台にして漢語とカタカナ英語を混交させる戦後の日本語を活用した発想思考でもある。
④有意義な集団独創は「共通善」の共創に向かうが、
その「縁起にのっとった<情>起点の発想思考」の起点となる<情>は
ポジティブでオープンマインドで、個我に囚われず大我によらねばならない。
日本人には「社会と個人」がなくあるのは「世間とそこでの位置づけ分際=自分」。
現実として日本人の集団志向には2タイプあり(これは「世間」の2タイプでもある)、
1つは、集団を身内で固める<家康志向>
1つは、自由に活動している個々を適宜に集団に構成する<信長志向>
かつてのミドルアップダウン・マネジメントを強みとした理想的な日本型経営は、
社内恊働においても社内外恊働においても両志向を合わせ技してきた(異端や異なる意見や異分野からの見方を尊重した、ということがポイント、単なる事業部横断や外部ブレイン活用ではない)。
ところが、原子力ムラが象徴的だが、日本の企業社会では、
ポジティブでオープンマインドな<信長志向>を欠いて<家康志向>一辺倒化。
<家康志向>一辺倒化が改まらない限り、
身内だけの「共通善」と「共創する楽しみ」になり社会貢献は自己満足に留まる。